2013年10月26日

● 信用回復をどうする、「企業危機」に陥った関西のホテル

 食材偽装事件で阪急阪神ホテルズは、消費者を含む企業を取り巻くパブリックス(=利害関係者)から信用が失墜し、企業危機に陥った。この信用回復の施策ををどのように展開するか、PR(パブリック・リレーションズ)の「危機管理」上の大きな課題である。

 企業PRの基本的機能は、消費者を含む企業を取り巻くパブリックス(=利害関係者)の間に企業への信頼と好意度を如何に醸成するかということである。信頼が高く好意度がある時は、それをどのように維持継続させるか、失われた時は如何にこれを回復するかということである。

 パブリックスとしては、消費者をはじめ、従業員とその家族、労働組合、株主・投資家、金融機関、業界・取引先、それに行政(役所)、地域住民などが含まれる。

 当事件は、第三者から告発されたのではなく、自ら調査し公表した。今年9月までの7年半にわたり、関連レストランなど23店舗の47品目でメニュー表記とは違うコストの安い食材を使用してきたというものである。

 自ら公表したというなら、信用失墜の回復施策は十分に考慮されていたのだろうな、事前にPR代理店のスペシャリストと善後策は十分熟慮されたのだろうな、と思う。まさか、企業内の、この手の「事件」にはど素人のスタッフだけが丸腰で公表に踏み切ったのではないでしょうね、と思いたい。

 通常、この種の「危機」が発生した場合(今回は自分たちで発生せしめた)、社長を本部長とする対策本部なるものを発足させる。メンバーは、社長、関連役員、PRスペシャリスト(コミュニケーション・スペシャリスト)、弁護士、関連管理職、従業員などである。

 業務としては、発表文の作成、想定問答集の作成、さらなる調査団の構成、経営トップのメディア・トレーニングなどである。メディア・トレーニングとは、プレスの前で発表する社長の、服装から始まって話し方のトーン・アンド・マナー、発表中や質疑応答中の視線などを事前に「実戦」さながらに練習することである。

 プレスへの発表内容には、「ウソ」や「その場回答」は避ける。いずれ事件の全容はすべて白日のもとに曝け出されることになる。その時点、その時点で「事実」だけを話し、発表者の感想は控える。

 あいまい表現は避け、その時点で「わからないこと」は「わからない」と発言し、真相究明をし、いつまでに発表できる旨を発言することだ。

 改善案については、記者としてはできるだけ具体策が欲しいが、具体策の提示ができないときは、いつまでにできるかを話す必要がある。

 どにかくプレスの前では事実のみを話し、「眠い」とか「私も疲れている」といった私情に関する不用意な発言は避けることだ。

 当事件では現在、経営陣は「意図をもって不当表示した事実はない」と話している。しかし、表示とは産地の異なる豚肉を納品していた業者が4ヵ月間にわたり、ホテル側から求められた食材の「規格書」の提出を拒んでいた。規格書とは、原産地や管理状況、アレルギー物質の表示などを記した書類だ。

 何をかいわんや、である。納入業者が4ヵ月も規格書を提出せずに済んだ原因は何か、それを追求すべきだ。業者が一方的に責められているが、業者と仕入れ担当者の癒着、つまり、饗応や金品の贈収賄をまず疑うべきである。

 当事件が始まって今日に至るまでの間の平成19年には、大阪の高級料亭「船場吉兆」は、食べ残し料理の使い回しや食材の産地偽装、輸入牛肉を国産肉と偽表示、さらには賞味期限の改竄など「ウソてんこ盛り」騒動で廃業に追い込まれている。

 当事件もその時、内部管理が通常に機能していれば、今日ほどキズは広がらなかったろう。
  
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● ヒーブの導入で消費者目線を 関西ホテル食材偽装

  関西の阪急阪神ホテルズ系列のレストランなどで、メニュー表示と異なる食材が使われてきた「事件」を同社が発表した。PRの観点からはこれは「企業の危機管理」の問題ととらえることができる。70年代後半に日本に導入されたヒーブ・システムの導入でこの種の事件は予防できたのではないか。

 この事件は、メニューに表示されている食材よりコストが安い食材を、今年の9月までの7年半にわたり、同ホテル系列23店舗の47品目使用してきたというもの。

 この事件で同ホテル・チェーンは、消費者を含む同企業を取り巻くパブリックス(=利害関係者)の中に多大な信用失墜を生じせしめた。この信用回復はPR(パブリック・リレーションズ)上の大きな課題である。

 原因のひとつとして、「メニュー全体に責任を持って関わる社員がおらず、組織全体に問題があった」と同社営業企画部長が語っている。

 これは、企業内にヒーブ(Home Economist in Business の略)を置くことで回避できるる。ヒーブとは、企業内家政学士とも訳され、企業と消費者のパイプ役を果たすことを目的に、1923 年にアメリカ家政学会の一分科会として設立されたのが発祥。

 日本では、1970年代にアメリカから導入され、先進的なメーカーで取り入れられ、PR関係者の間ではその見学会や勉強会が開かれ、筆者も参加した。メーカーでは商品開発などにも参加している。1978年には日本ヒーブ協会が設立された。因みにヒーブは、基本的に非社員で業務報告先は社長である。
 

 メーカーはもとより飲食品や消費財を一般消費者に供する企業では、ぜひ、ヒーブを採用し、企業側からではなく消費者目線で商品や売り場のチェックを日常的にし、改善点はどんどん経営トップに報告していくことが肝要だ。

 今回の事例でも、ヒーブがメニュー・チェックを消費者視点で行なっていれば、こんな事件は起こらなかったろう。

 
  
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2013年10月10日

● 都庁の展望台 日本の恥、文化度サイテー!

 ボランティアで、東京へ来た外国人への観光ガイドを時々している。観光スポットのひとつに都庁の展望台(地上202m)がある。無料だ。しかし、展望台の環境は最低で国際的に極めて恥ずかしい。

 私はこれまでに一度も行ったことがなかった。来週に案内を予定しているイタリア人夫妻が都庁訪問を希望しているので、昨日、仕事の帰りにフラッと下見に行った。

 展望台は、平日だし空(す)いており、ふたり連れや5人連れが10組くらいだった。予想に違(たが)わず土産物屋があるのはいいが、商品は小学生以下が客層と思えるものばかり。

 おまけに夜景の素晴らしかろう東北向きには全展望スペースの3分の1は占めようというレストランがある。調べればこれは外部委託の民間業者が経営している。

 都庁の展望台(しかも無料)ともなれば外国人も多い。昨日も約半数が外国人だった。そんな国際的な観光名所で、日本のどこにでもあるような、子供の幼児性を助長するような凡百の軽薄な品質の商品を陳列して、都庁として恥ずかしくないのか。

 私はこのような土産物屋は外国人に見せたくないと思った。日本の文化・歴史・地理に関わるようなクオリティ商品は見当たらない。

 レストランも、なぜここにレストランか、というように唐突にある。食事をしたり、貸切パーティもできるという。なぜ、そのようなことを日本の首都・東京の庁舎内、しかも国際的な観光スポットでする必要があるのか。

 飲食を供するなら、抹茶や和菓子、ブリティッシュ・ティー、コーヒー、ソフトドリンクス程度を供すればよく、すべてのフロアは訪問者全員がどの窓からも展望を楽しめるようにすべきだろう。

 パッと考えてみて、この為体(ていたらく)はこの展望台の接客コンセプト(目的)、およびそれに基づく運営指針(戦略)がないからだと思う。

 当時のローブローな広告代理店の提案を、もっとローブローな役人が判を押した結果に違いない。利権絡みがあったかどうかは知らない。

 今の新庁舎が完成した時の都知事は、鈴木俊一(敬称略)。その後、青島幸男、石原慎太郎と代わり、現在は猪瀬直樹。

 彼らが決定権者ではなかったにしろ、この現状に気が付かないのか。あるいは誰かが進言しないのか。都庁内の役人はしないだろうな。情けないことだ。
  
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2013年09月14日

● ニック・バレー、東京2,020オリンピック/パラリンピック招致でハットトリック

 東京オリンピック/パラリンピック2020招致での素晴らしいプレゼンテーション・スピーチをTVで観て、さてこの黒子(agency)はどこだろうと興味を持った。このようなコミュニケーション手法の黒子はPR agencyに違いないからだ。長年PRの仕事にかかわってきて、こんなexcitingな仕事にぜひかかわってみたいと思う。

 最初、このプロジェクトは国家的なものだからD社かと思ったが、国際的なプレゼンのスキルとなると外資系のagencyかとも思った。

 TV番組からこの仕掛け人がNick Varleyなる人物と判明してからは、英文のwebsiteをサーフしまくり、大方以下の情報を拾った。

 Nick Varley は元イギリスの一般紙ガーディアンの記者。イギリスの一般紙には発行部数順にデイリーテレグラム(64万部)、タイムズ(50万部)、ガーディアン(26万部)、インデペンデント(18万部)そして日経のような経済紙フィナンジャルタイムズ(9万部)がある。ガーディアン紙は中道左派、リベラル派の編集方針という。

 Nickは2006年に「Seven46」というスポーツ・イベント招致のためのPR agency をロンドンのコベントガーデン(チャリングクロスの北側にある繁華街)にあるビルの3階に創設した。目下のところ年商は1億円から5億円。従業員は5〜10人。

 主要業務は、国際的なスポーツ・イベントの招致で、基本的なコンセプト作りから、キー・メッセージの開発、各種スピーチの執筆やプレゼンテーションの演出、キャンペーン関係のカタログ、DMの執筆など招致成功のための一連のサポートを行う。

 彼が今回の招致成功でハットトリックを成し遂げたと国際メディアで報じられているのは、ロンドン2012およびリオ2016オリンピック/パラリンピック招致の黒子として成功しており、今回が3回目の成功となったからである。

 今回の招致に当たり彼は、国際的なコミュニケーションやマーケティングのあらゆる分野で戦略的なコミュニケーションのアドバイザーとして2年前からかかわってきていた。

 このほかにも、2010シンガポール・ユース・オリンピック、ワールド・スキル・ロンドン2011、ロンドン2017世界選手権アスレチックなどを手掛け、キー・メッセージの開発や原稿執筆、プレゼンの演出を手掛けてきている。新聞記者の出身だけに、要を得たわかりやすい原稿の執筆はお手の物なのだろう。私もそうだが日本でもPRスペシャリストにはジャーナリズムの出身者が多い。

 今回の招致で東京チームは、Nick Varleyを含む9つの実績のある海外の専門家集団に、イベントの管理運営、セキュリティ、デザイン、交通等々につき依頼をしていることを去年の7月に発表している。このような専門家集団はオリンピック/パラリンピックの内情に詳しい元IOC委員らを擁し、各種国際的なスポーツ・イベントで多くの実績を残している。

 ロンドンでは、Nick Varleyの快挙に加え、新国立競技場の設計コンペで栄誉を勝ち取ったのもロンドン在住のZaha Hadidであるので話題になっている。

 あの日本人離れしたプレゼンの裏には、それなりのコンサルティングがあったのだ。

 日本のビジネスマンには、英語ができてもプレゼンやビジネス交渉は下手という人は多い。英語はできるだけではダメで、それを使ってどのようなコミュニケーションができるか、要諦となろう。
  
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2012年11月10日

●万里の長城遭難 責任は参加者にも

 中国の万里の長城付近でパック旅行の日本人参加者が遭難し、3人が亡くなった。ご冥福を祈りたい。
 しかし、逝去された方に鞭打つようで誠に忍びがたいことだが、その責任は参加者にもある。
 
 その理由は、以下のとおり。

1)過去に北海道のトムラウシ山で8名の死亡者を出した前科がある旅行社の企画に参加した。避けるべきだろう。

2)遭難現場は北緯40度(秋田県、岩手県レベル)、標高1000mと報道されている。時期は晩秋、しかも変化の激しい大陸性気候だ。これはまず冬山登山という認識が必要だ。

 とすれば、たとえ晴天でも万一の天候急変に備えて完璧な冬山装備と非常食持参で行くのは当たり前。薄物のフリースや全員で一人用の簡易テント一張りだけというのは言語道断、自殺行為だ。旅行社の準備品の指示も悪いが、無配慮の参加者も良くない。

3)私はかねがね登山用のパック旅行は、あるべきではないと思っている。参加者は遠方から高額な参加費を払ってきているので、天候等条件の急変でも「引き返す」という決断がパーティとしてしにくい。「せっかく来たのだから」という参加費惜しさに、計画を強行せざるを得ないことが多いだろう。トムラウシ遭難がまさにそうだった。

 登山は、気心が知れ、経験のあるリーダーと行くべきだ。そうすれば、実行当日まで天気予報に注意し、いざという時には、その朝、中止という決断も下せる。私もリーダーとしてそうした無念の決断は何回もしている。

 登山は、物見遊山の観光ではなく、一歩間違えば命に関わる危険と隣り合わせのスポーツということを忘れてはいけない。登山歴52年、遭難もしそこなった経験から、そう思う。  
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2012年09月27日

●野田首相、そんな国連演説ではダメだよ!

 竹島、尖閣諸島と、韓国・中国の民度の低い下劣な国際的不法行為が続く中、野田首相が昨日、国連で日本の立場と考えを演説した。

 しかし、演説の中には竹島、尖閣諸島、韓国および中国の固有名詞が入らず、訴求力を欠き、外国人にはボンヤリとした演説となった。

 野田首相は、渡米する前に、自分の日本語演説がどのように英訳され、それを外国人はどのように感じるかを、チェックすべきだった。

 反論した中国は、「日本」は「間違っている」「その姿勢を訂正せよ」そして「その全責任は日本にある」と、内容には肯首できないが、固有名詞とキーワードを織り込み、論旨は一貫して明快だった。聴いた外国人聴衆は、よく理解できたと思う。

 野田演説は、日本人からすれば、やや軟調だが内容は理解できる。国連で聴衆が全員が日本人なら、相手国とのこれ以上の軋轢を避けるという日本人的配慮を考えれば、これでいいかもしれない。しかし、これでは国際的に全く訴求力が無い。外国人には、日本人のような「察しの美学」が無いからだ。

 野田首相の演説では、「(国際法にのっとって)領土、領海を守ることは国家の当然の責務だ」という、極めて当たり前のことを淡々と言っただけで、聴衆としては、「それで日本は何を言いたいの!」と思うだけである。

 同様なことが、2009年夏、当時の鳩山由紀夫首相の論文がNYタイムスに乗った時にも起きた。そのことはこのブログでも書いたので、ここでは繰り返さない。同時通訳者の鳥飼久美子氏も同じ意見を新聞に書いていた。
左の記事検索で「鳩山由紀夫」【検索】で出ます。
http://blog.livedoor.jp/globalmedix/search?q=%C8%B7%BB%B3

 いつも繰り返して言うが、外国人の論理回路は日本人のそれと違うのだ。その彼らを納得させるには彼らの論理回路に則って、自分の意見を構築する必要がある。

   
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2012年08月29日

●では、日本は一流国なのか?

 よその国に対して「一流国にはなれない」と断じた。では我が国は一流国なのか?

 国民総生産が米国に次いで世界第2位になったとき、日本人は歓喜したものだ。これで、ヨーロッパ諸国を抜いて経済国としての一流を喜んだ。

 国ぐるみデタラメでも世界経済第2位 
 いま、国民総生産が日本を抜いて世界第二位となった中国を見るといい。衝突事故の列車を現場検証もせず即日埋めたとか、毒餃子を平気で輸出したとか、日本の領土を突然、勝手に自国の領土だと言い張るとか、在中国日本大使の乗るクルマをとめ日章旗を剥奪するとか、言うことなすこと、国ぐるみでデタラメ。

 個人的な品性の無さは、これも格別だ。チケット売り場などでは列は作らないで、我先勝ちに豚が餌をあさるように大混乱。観光地では、老若男女いずれもが傍若無人の大声で話す。

 韓国・済州島の観光業者は、中国人専用のトイレを作らないと他の国の観光客が寄りつかないと嘆いていた。私が行った国立博物館では、館内撮影禁止だが、Nikonをもってフラッシュをたいて取りまくり、大声で話しっぱなしで閉口した。公徳心というコンセプトは中国人には無いようだ。

 さて、日本人は外国人の目にどのように映るのか?

 無抵抗で、いい子ぶって、反応が鈍い日本人 
 机上の想像ではなく、外国企業3社25年、訪問外国都市35都市、クアラルンプール滞在1か月の間に外国人と関わり合った経験から、次のようなことが言える。

1)万事、理解力はいいが、発言は極めて少ない。
2)争いごとが嫌いなのはいいが、その過剰で自己主張がほとんどない。自分の意見を持っていない。
3)行動が遅い。企業ぐるみになるとそれが顕著だ。
4)教養が無いので、ヨーロッパ人の会話についていけない(個人的に反省大)。

 2)では、かつてNYに住む友人が「こちらのバカはバカなりに意見を持っており、それを主張する。情けないことにその点では日本人以上だ」と言ったことが思い出される。

 4)も大事で、パーティなどでは彼らは日本の伝統文化などにどんどん質問してくる。通訳案内士位の素養を持っていないと務まらない。元首相の中曽根康弘氏も「こうした場で大事なのは、語学力よりもむしろ、胆力であろう。そして、シェークスピアや日本の伝統文化について、外国人と語ることができる『教養』の深さであり、コミュニケーション能力である」と、最近の新聞に書いている。

 ノンフィクション作家の河添恵子氏も最近の講演で、李明博大統領の竹島不法侵入や香港の活動家らによる沖縄県尖閣諸島への上陸問題に触れ、次のように言っている。

 「近隣諸国の度重なる蛮行は、『無抵抗で、いい子ぶって、反応が鈍い』日本が招いた災禍」だ。

 国際政治は“友愛”などというヤワな世界ではなく『弱肉強食』 
 前出の中曽根氏は、こう言っている。
 「隣国の首脳に、わが国の領土を土足で踏みにじられ、『日本は国力が落ちた』とバカにされても満足に反論すらできない。お互いの国益が火花を散らしてぶつかり合う国際政治の現場は“友愛”などというヤワな世界ではなく『弱肉強食』だ。いったん弱みを見せれば相手は嵩(かさ)にかかって攻めてくる。今ほど“タフで強いリーダー”が切望される時代もあるまい。」

 世界中の人々が日本人と同じ民族性なら、日本のエセ・インテリゲンチャがよく言う「暴力はいけない」「よく話し合えば」ということも筋が通るだろう。

 しかし、髪の色も肌の色も同じ韓国、中国人でも、頭の中は日本人とは待ってく違うことを、重々胆に銘じることだ。

 戦後の誤った教育のお蔭で日本では「愛国」や「日の丸」に、マスコミをはじめとして異常とも思えるアレルギーで反応する。日本の思想界が戦後67年を経ても、原発被爆、敗戦という精神的挫折を完全に止揚(アウフヘーベン)できないでいるからであろう。

 こうした精神・思想の脆弱さから早く脱却し、自分の選挙のためではなく、大局観と確かな戦略眼をもち国のために奉仕できる政治家の登場に期待したい。









  
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●韓国が決して一流国家になれない理由

 韓国との初めての出会い
 私は棒きれを振り回していた小学生の頃、大人からは「行ってはいけない」と言われた「朝鮮人部落」へ友達と共に侵入し、ガリ版刷りのハングル語というものを初めて見た。これが韓国との初めての出会いである。

 近年では、韓国企業の日本法人の取締役をしたり、独立してからは韓国企業の日本進出を手伝ったりしている。十分気を付けていたつもりでも騙されもした。韓国の飲食物は大好きだし、書画骨董にも好感を持っている。

 韓国の国情やビジネス環境、韓国人の気質は、一般の方よりもよく承知していると思っている。昔、部下だった何人かの韓国人は国へ帰っているが、今でも兄弟以上に懇意にしてもらっている。

 そのような体験から書くが、韓国人は個人的に親しくなるといいが、企業とか国家となると、まったく、国際的というか日本的な価値観からは下劣としか言いようのない行動規範を持っていると思われるようなことがしばしばある。

 個人的に親しくできているのは、日本で生活したことがある人で、「反日教育」が間違いだったと気がついた韓国人に限るのかもしれない。

***

 李明博大統領の哀しき品格と反日教育 
 李明博大統領が日本の領土竹島に不法侵入した。また、野田首相からの親書を(こっそり読んだ上で)突き返した。

 国際的にこんなに品格の下劣な人物が国家の首長になるような国は、永遠に世界の一流になれないと思われる。選ぶ国民の方も問題だが、これは総じて韓国の「反日教育」にある。私は、他には理由は見つからない。

 その現状は幾多のyou tube で確認できるが、「反日愛国」の「洗脳教育」とはまさにこのようなものかと鳥肌が立つような凄まじさだ。資本主義国家でこのような「洗脳教育」をしている国は他に思い浮かばない。

 一国が特定の国に敵意をもつように教育するとは、しかも科学的な歴史検証を踏まえない、国のご都合主義をテンコ盛りした教科書で、低劣な愛国主義を叩きこむとは、これこそまさに国民の人権無視というものだろう。

 わたしは、韓国人の先生が選んだそのような反日教育テンコ盛りの教科書で韓国語を学んだ。先生は反日部分のところは飛ばしたが、私は辞書を引き引き勉強した。韓国語はモノにはなっていませんが(笑)。

 日本で生まれ育った李明博大統領が、なぜ、大統領当選時の親日的な姿勢と比べて、まるで別人のような言動をするのか。それは彼の脳に原状復帰が不可能なほど擦り込まれた洗脳反日教育が牙をむき出したのだ。

 人間はノーマル状態の時とアンダー・プレッシャーやパニクッた状況下では、判断が異なる人がいる。後者の状況下では理性が利かず本能や、ご都合主義に走る。この開きが大きい人材は、企業の管理職には向かないというのが定説だ。

 李明博大統領は現在、身内の不正や支持率の低迷、近づく選挙などで、かなりのプレッシャー下に置かれている。他国領土への不法侵入や隣国元首の親書のつっ返しなど、訳のわからぬことをするようになってしまった。彼の精神はすでにノーマルではないと見られるが如何だろう。

 このように、元首すら洗脳から脱出できない「反日教育」を続ける限り、韓国は世界の一流国の仲間入りはできない。

***

 日本に住みたい韓国人
 日本にある韓国企業に勤めていた頃、駐在員は自分たちが教育されてきた日本と、現実の日本が大きく違うことにみな驚いていた。街々が清潔で日本人は嘘をつかない正直で優しい国民だという。

 任期が終えて国へ帰るときには、奥さんも子供たちも「もっと日本にいたい」と口をそろえて言う。「洗脳反日教育」から脱することができたのだ。  
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2012年06月12日

● Buck made in USA

f9a5c5f5.jpg 米国製のナイフといったらBuckやLovelessがよく知られる。Buckは戦後に出来たメーカーだが、米国人はもとより愛用者は多い。私もハンティング用を1本持っている(写真)。開いた時の背の曲線がとてもきれいだ。
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最近のニュースによれば、中国産のBuckナイフを発見したファンの米国人が、Buck本社へ抗議したところ、本社では中国生産を止め、再度、全製品米国製に切り替えしたそうだ。

 Pragmatistで知られている米国人にも、こんなことにもこだわる人がいるのだなあと感心した。また、再度、国産に切り替えた経営者にヤンキー魂を見た気がした。

 米国を代表する製品が、世界の名品のコピーを恥外聞なくガンガン作る中国で作られては、本物といえども格好つかないね。

 ナイフと言えばこのBuckのほかにスイスのVictorinoxを2丁持っている。多用途を盛り込んだ、日本流に言えば5徳ナイフ、10徳ナイフというものだ。

 さらにげんこつの中に隠れてしまいそうな小さなナイフも2つほどある。

 これらはすべて、Goodyear Japan にいた頃、米国本社の販促物の中から取り寄せたものである。日本では刃物を販促品にするとなれば、社内外からの反発は免れない。

 犯罪に利用されたり、怪我をしたら、犯罪に利用した者が罪を追うべきだし、怪我をした者が責任を負うべきだと米国人は考える。日本では、そんな物を配布した者が白い目で見られる。  
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2012年06月07日

●歌舞伎襲名の矮小化

 俳優の香川照之が、別世界・歌舞伎の9代目市川中車を46歳になってから突然襲名し、わずか8ヵ月の特訓で初舞台を踏んだと報じられた。

 父親は3代目市川猿之助だが、香川とは40年以上も絶縁状態だったという。従って猿之助は、病気療養のため4代目猿之助を香川の従弟の市川亀治郎に襲名させた。亀次郎は幼少時から歌舞伎の世界に生き、歌舞伎の厳しい稽古はもとより、「業界」の礼儀・作法や人脈にも身をもって通じ、日本の伝統文化を守るに相応しい環境に揉まれてきた。襲名は自然の成り行きだろう。

 しかし香川の場合、どのような経緯かはわからぬが、人生の半分を 別の社会に生きて来た人間が日本の伝統文化を唐突に継承するのは如何なものだろう。歌舞伎界の跡目相続という日本の伝統を、「一家の事情」に矮小化し、歌舞伎界を愚弄してはいまいか。

   
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●商売仁義とスカイマーク

 LCC(ローコストキャリア)のスカイマークが概略次のような「サ―ビス・コンセプト」を打ち出し、賛否両論が出ている。企業のPRを専門とする立場からコメントしたい。

1)荷物収納は手伝わない。
2)丁寧な言葉使いは義務付けてない。
3)乗務員のメイクや髪型は自由にしている。
4)機内での苦情は一切受け付けない。
5)苦情は「お客様センター」か「消費生活センター」にどうぞ。

 この内5)の「消費生活センター」に関しては東京都からクレームを受け、撤回したという。当たり前だ。

 大体、この手の草案は広告代理店かPR代理店が考える。提案する方にも、OKする方にも草案の原点となる客商売の仁義がなさそうなので、このようなコンセプト(広告代理店の愛用言葉だ)が出来上がったのだろう。

 LCCは、サービスの簡素化と効率化によって低い運航費用を実現することを目的とした航空会社だ。しかし、運ぶのは物や家畜ではない。

 荷物の収納に困った老人や婦人がいれば、助けるのは人として当然、ビジネス以前の話だ。丁寧な言葉使いはどの商売でも当たり前。乗務員のメイクや髪型にしても、不快感を与えないことは基本だろう。刺青はどうなってるんだね。

 4)なんか、何を根拠にこんなことがいえるのかなぁ。客の苦情は社内改善のイロハでしょう。

 客の方は、運賃が安いので、かなりのことは覚悟して乗る必要はあるが、キャリア側が、いくら安くしてるからといってもビジネスの基本的な仁義を放棄していては、何をかいわんやである。  
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2012年06月04日

●セックスレス生活の不自然 2/2

それが素晴らしい意見であっても、ちょっと素直に肯首しかねることを言う人がいる。公式な会議でも個人的な談笑でも、ややエキセントリックなんだな。

 こういう人に行きあったとき、注意深く配慮を巡らせ探索すると、彼/彼女は未婚である事がよくある。未婚者の名誉のために言っておくが未婚者がすべてそうだ、ということではない。

 また、既婚者でも夫婦仲が良くない人の発言内容は、荒れていることがママある。

 1/2に書いたように、精神的に健全な男女には満たされたセックス・ライフが不可欠である。動物として当たり前のことだ。

 この人として根源的な行動とこれに伴う感情の起伏が日常的にない人に理屈を並べられても、ストンと腑に落ちないのは理の当然だろう。

 ひとり暮らしを享受している人も、出来ることなら気の合うパートナーを探してmake love し、バランスのとれた発想ができるようにしてはどうかね。いいすぎかな?  
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●セックスレス生活の不自然 1/2

 人間は知性・教養や学歴、収入を云々する前に動物であり、動物である限り、生殖とか種族保存などとおこがましいことを言う前に、愛や憎しみにまみれたセックス・ライフが日常的に行なわれていることが極めて自然であると思われる。それは知性でコントロールしがたい本能である。

 不本意ながら離婚となったとしても、やがて相応しい伴侶に恵まれ、互いに理解し合い、入籍の可否はともかく、満たされた生活をささやかながら送る、これもまた自然の成り行きだろう。

 50歳時で一度も結婚したことがない人の割合を生涯未婚率というそうだ。2010年では男性が20.1%、女性が10.6%だという。1980年代に比べて男性は8倍、女性は2倍に急増したらしい。

 これを報じた新聞は、その原因は不況、雇用不安、少子化、家庭の在り方の変化、社会の抱えるひずみの結果だと暗示していた。結婚できない理由もおカネが無いからと、よく言われる。

 私はそれは、一人っ子が最大の原因だとかねてから指摘してきた。

 子だくさんの昭和前半時代に比べ、その後の一人っ子は衣食住と親の歪んだ愛情に恵まれてきた。その結果、人間本来が持っていた生活能力のかなりの部分が欠落され、それでも親の家で何不自由なく暮らせて行ける。

 生活能力が欠落してくれば、気力や健全な性欲も大幅に減衰し、時折、間違った凶暴でみじめな性欲が犯罪を引き起こしている。

 都会へ出てきて収入に恵まれなくても、気力と健全な性欲があれば、やがてこころを通じ合える相手に恵まれよう。食費、電気光熱費、部屋代等も、ひとりより二人の方が全然効率的で安上がりといえる。入籍の可否は二次的な課題だろう。

 一人っ子に生まれてきた人に罪はないと、偽善者のようなことは言わない。一人っ子が自らを厳しく鍛え、自分で自立するしか道はないのだ。兄弟姉妹が多かった人々は、一人っ子が体験できないような苦労をたくさんしてきた人も多い。

 

 

   
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2012年03月19日

●またやったな!愚の骨頂、「とうきょうスカイツイリー」駅  

 「なごり雪」は懐メロ・フォーク1位だそうだが、「22歳の別れ」もいい。気が乗ればマイクを握ることもある。

 これらはシンガーソングライター伊勢正三の曲。

 これじゃなくって、もっとずっと昔の『伊勢物語』に

「名にし負はば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」

という歌が出てくる。

 おっ、あれか、と高校時代を思い出すね、誰でも。後に 『古今和歌集』にも収録された有名な歌だ。

 『伊勢物語』の何段か忘れたが、「東下り」という段がある。

 その段の中で、都(つまり京都)からはるばる歩いてきた男たちが、東京は隅田川のほとりで白い鳥を見る。これはどうもユリカモメだろうというのが通説。そして船頭に尋ねたらミヤコドリだという。

 「おっ、よく言うよ、都と言えば京都のことだろ、そんじゃ、お前(鳥の事)京都の事、知ってるよな。おれの女は今ごろ京都でどうしているか」

 これが、まあ、歌の大雑把な意味だな。作者は一行の中の男で『伊勢物語』の主人公と言われている在原業平。

 美男で好色、反体制的な貴公子とも呼ばれる。禁断の不義密通をものともせず(かどうかは知らないけど)高貴な女性たちとの禁忌の恋を展開する羨ましいところがある。

 この歌に出てくる「いざこと(言)問はむ」から、現在の「言問橋」が、また在原業平から「業平橋」や「業平」という地区名が命名されている。

 それがなんだぁ? 3月17日から東武線の「業平橋」という駅名を「とうきょうスカイツリー」という駅名にアッサリ変えたという。また由緒ある東京の駅名が消えたな。

 バカな話よ。過日、旧知の友人が言っていた、「団塊世代以降、日本人の質が低下した」というのを思い出す。知性・教養の衰退だ。こんなことをしていりゃぁ外国人にバカにされるよ。

 一応念のために言っておくけど「業平」は「なりひら」、「東下り」は「あずまくだり」、「都」は「みやこ」と読む。昔、いわゆる一流私大4卒の女性を横浜の大佛次郎文学館へ連れていった時、ダイブツジロウとのたまわったからね、念のため。  
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2012年03月17日

●吉本隆明氏逝く

yoshimoto_ryumei NY帰りの翌朝(3月16日)、時差ボケで6時のニュースを見ようとしたら、いきなり「吉本隆明死亡」の報が出た。まだ4時間前の事だった。

 彼の背景はすでに報道済みなのでここでは繰り返さないが、私には映画の「寅さん」の死亡ほどのインパクトがあった。

 学生運動に日本が激動した60年代後半、われわれ学生は彼の書きものをむさぼるように読んだものだ。彼の言わんとする事がどれほど理解できていたか。

 しかし、彼が「日本読書新聞」や「週刊読書人」などに発表した書きものを、ダンモが流れるうす暗いサテンで必死に文字を追った。

 昨夜、本棚に行ってササッと見たところ写真(クリック>>>拡大)のような書籍が見つかり、懐かしくなり2,3本読んでみたが、今読むと、結構わかりやすい。「転向論」「芸術的抵抗と挫折」「情況とはなにか」「共同幻想論」そして「“パルタイ”とは何か」等々、あのころはかなり難しかったなぁ。

「状況」ではなく「情況」を使い始めたのは彼が最初だと思うけれど、そんなことも解らずにやたらに「情況」をつかう昨今の連中には苦笑いだな。

 写真の全集は69年の春ごろから刊行され始めたものだ。卒業して安月給の中から1冊ずつ買って行ったのを覚えている。時間ができたら読み返したい。 


  
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2012年03月16日

●ニューヨーク訪問記 (4/4) 落ち着いた街並み

P1010524【屋外ビル広告】
 外国の主要都市と日本のそれとの、一番の違いは外国の街並みに広告が少ないことだろう。外国には、ビルの壁面広告や袖看板はほとんどない。

 ニューヨークではタイムズスクエア(TS)こそ東京を凌ぐ喧噪さだが、少し外れるとビル広告はほとんど無くなる。TSは、日本企業の広告は、今回はRICOHとJVCしか見つからなかった。

写真(クリック>>>拡大)は、TSから少し離れた5TH AVE.かMadison Aveだが、見事に何の広告も見つからない。日本では、広告看板がついてないのはビルにあらずの如く、広告だらけ。

 動画や音を出してうるさいことこの上もない。誰も文句を言わない。東京・渋谷のハチ公広場からイヤでも目と耳に入る映像と騒音の暴力状況は、まさに「世界一下品な街」と断言できる。すでにこのブログで書いた。

【NYのタクシー】
 NYのタクシーといえばyellow cab がお馴染みだが、今回気がついたのは、ハイブリッド車のトヨタ・プリウスが結構出ていること、SUV(Sport Utility Vehicle=スポーツ用多目的車、写真)が増えた事だった。

 NY在住の知人によれば、近々に日産のハイブリッドのタクシー仕様車が大々的に導入されるとのことだった。

 元グッドイヤーJPNの広報部長としては、街を走るクルマのタイヤ・メーカーが気になるところだが、やはりグッドイヤーが大勢を占め、BS、ヨコハマ、トーヨー等日本勢もそこそこに使われており、20年前より大幅に伸びているの見た。

P1010491P1010493P1010494





【木製ドア】
 NYと言えば鉄とガラスとプラスチックの建物ばかりと思う中、随所に木が使われ、その風合いが精神的にも肌触りが良い。

 写真左(クリック>>>拡大)はNYのグランド・セントラルという地下鉄と郊外電車のターミナルだが、木製のスイングドアとなっている。あと2点も普通の企業のビルの木製ドアであり、なんとなく暖かさを感じた。

  
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●ニューヨーク訪問記 (3/4) 英語社会での日本人の発言力

 NYについてから思い付き30年振りの女性(Wさん)に合うことにした。アポはfacebook でとった。

 30年ほど昔、業界雑誌『宣伝会議』の企画でこういうのがあった。広告業界を目指す学生の参考になればと、模擬面接を男女何人かの学生に行ない、この質疑応答を誌上で再現し、さらに各学生に個別のコメントをする、というものだった。

 企画は当時の編集長の加藤瞭次氏。電通、博報堂と外資系代表としてJ.W.トンプソンから人事担当者が出席、架空の広告代理店を構成、面接官の役を果たした。私はトンプソンの人事部長として出席した。

 その時の学生の1人がWさんで、3人の面接官が、試験を受けなくても自社にぜひ来て欲しいと太鼓判を押した。

 前置きが長くなったが、そのWさん、今はNYのコロンビア大学の1部門で英語を学ぶ日本人のサポートに携わっている。

 話で出たのが、英語をNYで学ぶ日本人の一番の弱点は、英語を話せても、外国人と対等に渡り合える思考形態が出来上がっていない、ということだという。日本人は情念的な人種なので、論理的な外国人を説得したり論破する事がなかなかできない。これは私も前々から感じてきた。

 外資系企業にいたり、留学の経験があり、英会話も上手いが、なぜか外国人への説得に欠ける人は多い。自分が英語に習熟するにつれ、英語は発音や慣れも必要だが、何分にも相手を説得したり、論破する技量は別物だと気づくようになってきた。

 日本人は相手の考えにも、ひとまず同調するお人よしがあり、「それは違う!because 何々」と論破する事はまずしない。だから外国人も日本人は一体何を考えているかわからない、とよく言われる。

 彼女のポイントはおそらくそこであろう。この度、4日滞在した友人H氏とも同様な事を熱っぽく話した。彼の地の幼稚園では「Like and Tell」という遊戯というか訓練があるという。

 これは園児に「わたしはこれが好きでーす」と適当なものを手で上げさせ「Because 何々」と言わせるそうだ。そんな事を子供のころからしている連中には、よっぽど努力しないと勝てないだろう。

 「黒を白と言いくるめる」程の迫力が外国人にはあるとH氏はいう。北方問題のロシア、慰安婦問題、竹島問題の韓国、領海侵犯の中国、日本では軽自動車をなくせという米国、そういえばみんな、「黒を白と言いくるめる」程の迫力で迫る。

 日本人のように大人しい羊では、いつまでたっても自国に有利な交渉はできまい。
   
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●ニューヨーク訪問記(2/4) 外国人の3.11震災への思い

 NYに到着した翌日は3月11日。この日は二つの意味で特別の日であった。ひとつは東日本大震災の1年目。もうひとつは米国では冬時間から夏時間へ、この日から切り替わる。「1時間損した」と、友人と腕時計を1時間早めた。

 この日は日曜日だが、契約はディナータイムとなるので、昼間はお上りさんを決め込んだ。ローワー・マンハッタンと言われるマンハッタン島の南の方を歩く。グランドゼロ、ウォール街、NY証券取引所、ユダヤ美術館などを訪れた。

 昨秋から冬にかけて日本でも大きく報じられたNYでの反格差運動。その拠点となったのがグランドゼロとNY証券所の中間あたり、ブロードウェイとリバティ通りが交差するところにあるZuccotti Parkだ。

 日本の高層ビル街にもよくある、植木や植物は少なく地面は滑らかな石で葺かれた「ランチ公園」のようなところ。テニスコート4面分位の狭い空間だ。

 公園名が見当たらないので警官にきいたら「Yes,Yes」とのことだった。屋外演劇だかTVの収録だか不明だが、小劇団風の一団がパフォーマンスの最中だった。

 ふと気がついた。植樹区画らしい地面が出ているところに文字が書いてある。最初は何だかわからなかった。野次馬根性でその文字を拾って行ったら「3.11.11」とあり「JAPAN」とある。矢印は日本の方向か。

 その隣には「SENDAI」の文字と判読不明の文字、そして大きなハート・マーク。小枝か何かで書きあげたばかりのように「墨痕鮮やか」状態だ。作者?らしき人も、感動を分かち合う日本人もいなかったが、熱いものが込み上げてきた。P1010419P1010420  
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●ニューヨーク訪問記(1/4) 毎晩議論百出

 ニュービジネスの契約のためNYへ行って来た。実に20年振り、3回目となる。前2回はダイヤモンドのデ・ビアス社の日本市場教育担当部長と日本グッドイヤー社広告・広報部長の時だ。今回は自分の会社の社長として。

 デ・ビアス社の時はNYに仕事があったが、グッドイヤーの時は本社がオハイオ州にあり、その帰途、在NYの友人(H氏)を訪ねて、であった。H氏は米国公認会計士(CPA)の資格を有し、今なお現役で活躍中で、今回も彼の自宅に4泊世話になった。学生時代にはジャズ研にも属し、タモリとは旧知の仲である。

 夜は彼の自宅で久しぶりの会話は、毎晩深更にまで及んだ。団塊の世代以降、日本人の資質が低下し、教養が減衰してきた事、日本人の対外交渉力に日本人のアイデンティティが貧困であるため万事押されっぱなしな事、

無教養だが英会話ができる日本人がテメェの馬鹿さ加減を暴露しまくり、外国人の日本人に対する評価を落としていること等々、議論百出で口角泡を飛ばし、まではいかないが、学生の頃の合宿のような白熱振りであった。

 彼が論語の「有朋自遠方来 不亦楽」を引き出して歓迎の意を表してくれた事、また、ワインを勧めるときは王維の「元二を送る」という漢詩の中の有名な部分「勧君更尽一杯酒(きみにすすむさらにつくせ いっぱいのさけ)」を口ずさんでくれた事も忘れ難い思い出となった。下の写真は、この1月に急逝した父がマダラボケながら刻字したもの。

 日中は、向学のために、グランドゼロ、ウォール街、NY証券取引所、そしてこの冬、反格差運動の拠点として運動家がテント村などを作ったズコッティ公園などをチェックした。

 メトロポリタン美術館(写真下)、クロイスターズ美術館、近代美術館(MoMA)、セックス美術館(こんなのもあるんだネ)なども回ったが、とてもではないが時間が無くて見きれない。メトロポリタンなどは10日位かけて、図鑑等で見た絵画の原画をじっくりと鑑賞したいものだ。一生懸命稼いでまたぜひ行きたいものだ。P1010526tomoari  
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2012年01月23日

●東電危機 どうするPRスペシャリスト

 東電が、産業用と家庭用の電気料金を値上げする事を検討しているという。

 これは、誰もが驚愕した超高額報酬を食む東電経営者が自らの責任を放棄し、原発事故被災の賠償資金を使用者に負い被せ、自らは何の身を削ることなく頬っ被りを決め込む、歴史的犯罪である、と言いたいが、これは「合法的」なところに日本の痛みがある。

 東電経営は、電気事業法で規定された「包括原価方式」のため、三つ子が経営しても赤字を出すことがないようになっている。そんな企業体の中でまともな利益創出発想が育つ訳はない。

 さて今日は、その点の指摘は別の機会にするとして、もし自分が東電のPR担当であるならどうするか、について考察したい。

 普通PRというと、広報とか売り込みとか広告の一種とか、日本では極めて軽い認識しか普及していないのは遺憾なことである。PRに関連する自作のチャート3枚を上げておく。1)PRとは、2)PRの種類と実施部署、3)企業PRと危機管理。チャートをクリックすると拡大します。

PRdefinisionPRkindscorporatePR_crisis_mgt






 本来PRはPublic Relations の略で、ま、簡単に言うなら企業や商品が消費者に良いイメージで迎えられ、望ましい経営環境やマーケティング環境を創出するための、不断の活動といえる。その活動は多岐にわたるが、ここでは割愛する。
 
 従って、PR担当者(とくに企業PR担当者)の社内的ポジションは、社長直属となる。PRは基本的にコミュニケーションの円滑化が目的なので、PR発祥の地・米国などではPR部署の下に広告宣伝部署があるのが普通だ。

 日常的には、プレス対応、政府対応、議員対応、社内調整などが業務となるが、いったん、企業にとっての危機が発生するや、その現場対応、損傷した企業イメージの回復のための諸策を立案、具申、そしてトップ・マネジメントの了解が出れば、外部企業とともにこれを実施する。

 危機が発生して、さてどうしよう!ということではなく、常日頃からいろいろな危機を想定し、対応策を立案し、シミュレーションや予行演習を行うのが常道である。

 さて、赤字の心配のない東電は、フンダンの予算で大手広告代理店と業務契約を結んでいたのは疑いのないところだ。PR代理店は使っていたのだろうか?

 PRについては、経営者によほど欧米的経営知識がないと、PRという概念すら理解できていないのが日本の現状だ。PR担当者の社内的ポジションも販促のパブリシティ担当者レベルであろう。事故調査委員会にもコミュニケーションのスペシャリストであるPR関係者はいなかったようだ。

 今後、現状の東電という企業のイメージを回復するには、PRスペシャリストとしては正直なところ方策はない。なぜなら、東電は先に述べたように電気事業法で、その利益を保証されており、大口需要家向けの電気料金は「勝手に」値上げできるし、家庭用は経産省に申請して認可を得れば値上げできるからだ。

 現東電経営者は、これを「義務」であり「権利」である、とまで言っている。法でそう規定されている限りそれは「合法的」なのだ。

 東電経営者がどんなに愚かで無能力であっても、彼らはその個人的利益の既得権は主張するであろうし、従って自ら辞任する事もない。超高額報酬も法で規定されており、彼らは「お手盛り」の認識はない。国民に何と罵られようと、法的に資金負担を一般国民のおっかぶせても、何の良心の呵責もないのだ。

 解決法は、電気事業法を改正して、東電経営を白日のもとに引き出し、健全なマーケティングがワークする状況を立法府を中心に早急に進めることだと思われる。  
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