2012年08月29日

●では、日本は一流国なのか?

 よその国に対して「一流国にはなれない」と断じた。では我が国は一流国なのか?

 国民総生産が米国に次いで世界第2位になったとき、日本人は歓喜したものだ。これで、ヨーロッパ諸国を抜いて経済国としての一流を喜んだ。

 国ぐるみデタラメでも世界経済第2位 
 いま、国民総生産が日本を抜いて世界第二位となった中国を見るといい。衝突事故の列車を現場検証もせず即日埋めたとか、毒餃子を平気で輸出したとか、日本の領土を突然、勝手に自国の領土だと言い張るとか、在中国日本大使の乗るクルマをとめ日章旗を剥奪するとか、言うことなすこと、国ぐるみでデタラメ。

 個人的な品性の無さは、これも格別だ。チケット売り場などでは列は作らないで、我先勝ちに豚が餌をあさるように大混乱。観光地では、老若男女いずれもが傍若無人の大声で話す。

 韓国・済州島の観光業者は、中国人専用のトイレを作らないと他の国の観光客が寄りつかないと嘆いていた。私が行った国立博物館では、館内撮影禁止だが、Nikonをもってフラッシュをたいて取りまくり、大声で話しっぱなしで閉口した。公徳心というコンセプトは中国人には無いようだ。

 さて、日本人は外国人の目にどのように映るのか?

 無抵抗で、いい子ぶって、反応が鈍い日本人 
 机上の想像ではなく、外国企業3社25年、訪問外国都市35都市、クアラルンプール滞在1か月の間に外国人と関わり合った経験から、次のようなことが言える。

1)万事、理解力はいいが、発言は極めて少ない。
2)争いごとが嫌いなのはいいが、その過剰で自己主張がほとんどない。自分の意見を持っていない。
3)行動が遅い。企業ぐるみになるとそれが顕著だ。
4)教養が無いので、ヨーロッパ人の会話についていけない(個人的に反省大)。

 2)では、かつてNYに住む友人が「こちらのバカはバカなりに意見を持っており、それを主張する。情けないことにその点では日本人以上だ」と言ったことが思い出される。

 4)も大事で、パーティなどでは彼らは日本の伝統文化などにどんどん質問してくる。通訳案内士位の素養を持っていないと務まらない。元首相の中曽根康弘氏も「こうした場で大事なのは、語学力よりもむしろ、胆力であろう。そして、シェークスピアや日本の伝統文化について、外国人と語ることができる『教養』の深さであり、コミュニケーション能力である」と、最近の新聞に書いている。

 ノンフィクション作家の河添恵子氏も最近の講演で、李明博大統領の竹島不法侵入や香港の活動家らによる沖縄県尖閣諸島への上陸問題に触れ、次のように言っている。

 「近隣諸国の度重なる蛮行は、『無抵抗で、いい子ぶって、反応が鈍い』日本が招いた災禍」だ。

 国際政治は“友愛”などというヤワな世界ではなく『弱肉強食』 
 前出の中曽根氏は、こう言っている。
 「隣国の首脳に、わが国の領土を土足で踏みにじられ、『日本は国力が落ちた』とバカにされても満足に反論すらできない。お互いの国益が火花を散らしてぶつかり合う国際政治の現場は“友愛”などというヤワな世界ではなく『弱肉強食』だ。いったん弱みを見せれば相手は嵩(かさ)にかかって攻めてくる。今ほど“タフで強いリーダー”が切望される時代もあるまい。」

 世界中の人々が日本人と同じ民族性なら、日本のエセ・インテリゲンチャがよく言う「暴力はいけない」「よく話し合えば」ということも筋が通るだろう。

 しかし、髪の色も肌の色も同じ韓国、中国人でも、頭の中は日本人とは待ってく違うことを、重々胆に銘じることだ。

 戦後の誤った教育のお蔭で日本では「愛国」や「日の丸」に、マスコミをはじめとして異常とも思えるアレルギーで反応する。日本の思想界が戦後67年を経ても、原発被爆、敗戦という精神的挫折を完全に止揚(アウフヘーベン)できないでいるからであろう。

 こうした精神・思想の脆弱さから早く脱却し、自分の選挙のためではなく、大局観と確かな戦略眼をもち国のために奉仕できる政治家の登場に期待したい。











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