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reo nagumo's Blog 〜 Around the world.

説法

半分のさつまいも

朝起きると 半分のさつまいも をNHK教育で放映していました。

終戦の時期です。ボクは、小学校2年生の時に、下校途中の銭湯で共産党だか社会党が横浜大空襲の写真フイルムを展示しておりまして、また夜に広島長崎に関する映画を上映するということでした。

 まず、その内容よりも、下校途中の小学生に意味がわからないのに署名をさせて良いのか?と、友人のお母さんが真剣に抗議をしていて、ただただ驚いた思いでもあるのですが、戦争ということと、核兵器という存在をはじめて知った、小学生の自分は衝撃的でした。 そこから、テレビで見る西部警察のような、ファンタジーのテレビ世界の社会事件や凶悪犯罪のみならず、国家や民族といった深い問題を知るわけです。

 ということで、この 半分のさつまいも を見た子供たちは、興味深く真剣に見ているのですが、その感じ方は我々のテレビっ子世代よりも、さらにバーチャルに感じているだろう、と思います。

 将来への不安はこの80年代でも、70年代でもあったものの、石油危機から核戦争、テロリズム、環境問題。国家の民度やレベルによって異なるのかと感じております。昨年訪れた タイ、急成長の中国しかり、物質的な豊かさ、物質至上主義なところが日本の80年代です。一方我々など、環境や安全性といった、将来にかける不安、年金問題や社会保障問題など、今現在よりも先を見据える状況というのは、裏を返せば丁度今現在については、ある程度充足しているのかなと思います。もちろんとんでもないことではありますが、今日明日の飯を心配するということではないわけで。

 マズローの段階欲求説しかり、アダムスミスの見えらざる神の手しかり、リッチになると、欲求レベルが、それ以外の人から見れば無駄なもの、だったり、精神的な充足は向かいます。それよりも下のレイヤーの人から見れば、全くもって無駄なものに見えるのですが、それによって、経済は循環していくのだそうです。

世界のレベルから見れば、日本は上位レイヤーでしょうし、また、最近の環境問題活動化も、ミュージシャンやアーティストが多いのですが、彼らも、理念ベースで生活できていることもあるのか、レイヤーは上です。

 一方で、中国など伸び盛りの国々にしてみれば、環境問題など、余計なお世話かもしれません。また、本当な意味で、環境問題について共感できるレベルの人々というのは、一定の生活ができている人だと思います。我々も、つい最近の出来事です。

 我々は、今後もレイヤーが上に行くものと思う面と、またそのレイヤーが二極化、多極化していくこと、そして、将来へは多様化していくこと、複雑化していく社会を考えないといけないなー、と思うのでした。

NewPort Hills & Downtown SEATTLE

ご夫妻の招待で、教会へ行きました。2週間に一回ご老人の会合で、食事をしながら世間話をしたり、ゲーム、みなさんで歌ったりします。皆さん話が遅いので、何を話しているのか何となくわかります。戦争で日本へ行ったとか、娘が小豆島へ行ったとか。今回いつものようにホテルへ泊っていたら、このような体験はできなかったわけで、運というか、機会はもの凄いなと思うのでした。で、生活に近いところにいるものですから、多くのアメリカのライフスタイルは、日本へ継承されているものと実感しています。経済概念とは別の、生活を豊かにするための幾つかの事は、先行していて、生活のゆとりを感じました。日本の生活への不安があるのでしょうか、多くの招待する日本人は感動して帰るそうです。

アングロサクソンの、また米国のビジネスを見ている故に、こういった間逆のライフスタイルを見ることは、意外性とともに、米国の奥深さと、先進国のこれからのあり方の一面を感じます。


昼間はホテルの中で、残念ながら仕事をしておりまして、夕方より、ダウンタウンへいきました。いつものなら、タクシーで30ドルぐらいで来ているのですが、バスに乗ります。たった2ドルでこれるのですから、安いです。が、いまいち乗り方がわからず、いろいろ気を使って、乗換えをして到着です。

シアトルマリナーズを見に行きました。が、バスを間違えてしまいEXPRESS。球場(セーフコフィールド)を眺める、高速道路を走り続けて、なかなか一般道へ降りません。高速道路でかなり遠くに来てしまいました。ただ、タクシーも何もない辺鄙なところで降りてしまっては大変です。そこそこの集落で下車。ちょうど、反対側にDownTown行きのバスが来まして、乗り込みました。かなり遠くに来た気がするのですが、スピードが早いので、すぐに球場へ戻ることができました。

セーフコフィールドでは、外野席18ドルで楽しめます。最近の日本の球場のエンタテインメントの元ネタですね。総合娯楽施設の要素もあり、また試合中の観客へのパフォーマンスやゲームなど、楽しかったです。イチローは連続ヒットと、大活躍です。こちらの人と話すと、必ずイチローや城島の話題ですから、彼らの活躍は物凄いですね。

帰りですが、このリーズナブルな生活をエンジョイするために、DownTown方向へ向かい、戻りのバスを探しました、しかしながら、一方通行ですから、逆方向の発着場がわからないのです。行きは、4thStreet もどりは、2ndだったのです。とにかく、戻りの 550番のバスを見つけて、飛び乗ったのですが、終電前2個目。

Park&Rideという、都心へ向かう前の郊外で、車を無料で駐車してバスに乗り換えるというスペースがあり、バス停でもあるのですが、間違えて乗り換えるべきP&Rの一個前でした。とはいえ、高速道路の出口1つ分の距離があり、途方にくれていると、なんとか次の最終550番で、乗り継ぎ最終の240番に接続するようです。B&Bへ連絡するか迷ったのですが、自力で何とかすることに。

 他に、話好きな米国人が一人いまして、from south korea? ときかれたので、no north koreaと返事をしました。kim is great prime.というと、いろいろ聞かれたので、妄想で答えました。何を食べるのか? corn soop 食事は食べれるのか?distributed from goverment とか。これは、嘘を通すしかない。

アメリカは、どんな民族も受け入れるから、頑張れと励まされるのでした。

なんとか、B&Bへ戻り、また仕事をするわけでした。いつもTAXI→HOTEL→BUSSINESSとそれだけでしたが、valueとは何を基準にするかで、変わります。コストをかけなくてもかなり楽しめます。

寄り道は重要ですね。

父性

最近、先生と生徒の自殺、など報道をよく目にするのですが、相変わらず司会者やコメンテーターのコメントがどうしようもなくて、市民のレベルとなんら変わらないんですね。

結論を個人レベルで帰着させようとしている、表面的な問題解決の手段がとても浅くて、その根源まで行かないんですよね。たとえば、いじめの問題なんて、昔からあるわけで、”いじめをなくそう”なんて、ユートピアリズムも甚だしいわけです。子供達を救わなくてはいけないのに、学校の、先生、校長、教育委員会など担当レベルで追求し、その担当が責任をとって、辞めれば、土下座をするのか?死ねば許されるのか?。視聴者の感情をその”悪”にぶつければ、よいのか。その映像劇でメディアは完結してしまうのです。

子供の件にしてみれば、今、子供のヒーローが不在で、例えば、幼児向けの仮面ライダーでさえも、味方同士でも仲が悪かったり、敵が実はいい奴だったりして、ストックホルム症候群だか、洗脳だか問題が複雑化して、ヒーローは悩み続けている。

家庭内でも、母は育児に精一杯で立派な大人に育てようとしているけれど、現実は、立派であるはずの父親が帰宅すると、挨拶もせずにテレビ見てたりして、粗末なもので、子供は、労働やら教育の必要性も分からないし、何が正しくて、何が悪いのか分からない。差別と偏見の無い世界で、学校も、先生達の権威も失いが、子供達への接し方で悩むし、下手に怒れば親が殴りこんでくるし。

このように、問題が多様化して、また多様化した現状を、現実もしくは様々な情報を垣間見ることが出来る子供達は、表面上は、きれいに保護された社会の中にいる。けれども、耐性が出来る前に、子供はいきなり理不尽に直面していると思うのです。

これは、要因として父性父権の低下ではないか?

過激かもしれないんだけれど、例えば、亀田興毅のオヤジ(が適しているのか分からないけれど)みたいな、根性と覚悟決めてるオヤジが、『やられる前に殺れ』とか、『自殺する覚悟があれば、その前に相手を殺って自決せよ』とか、かっこ悪いけれど、男論、根性論を叩き込まないといけないのでは、と思うのです。新渡戸稲造の世界になるのですが。論理的な思考は、文部省教育で誰でも成長と共に身につくので、せめて、その教育を受ける前に、フォーマットとして、家の教えなりをきちんと説かなくてはいけない、と考えています。

亀田興毅のオヤジは、世間を敵に回しても八百長といわれても、子供達を守っているわけです。世間から見たら、怖いおっさんかも知れへんけど、朝の番組で、コメンテーターだか、なんだか分からない文化人の薀蓄に、真っ向から戦っている姿勢と気迫に、父親として立派だと共感しました。この世界は、理屈を超えて動物として子を守る親に見えました。社会が悪と見なしても、子供にとっては家の長が絶対基準で、この長を絶対化して社会を見る。もちろん、長が狂っていれば子供も狂うわけだけれど、宗教感がない日本人にとっては、実社会を超えて、社会の外側すらも、まずは最小限の単位である家庭が包括しないといけないのでは、と考えました。

父権というものかもしれないのですが、そういった強い精神は父親が教えるべきことであると、自分を戒めています。そして、子を育てる父親は、実社会でサバイバルして生きなくてはいけないし、生き方こそ手本であると。

むかし、父親の家庭参加ということで、ポスターとかにtrfのサムが出てましたけれど、これも本質を掴んでなくて、なんか一緒に食器を洗っていれば、オシメを代えていればよいみたいなモノでした。本当は、そんなことだけではなくて、強い父や負けない父を続けなくてはいけないのでは、そのように考えます。生きるためのサバイバルを指導する。

精進しないといけません。屋久島のサルを見て思うのでした。

食事を深く考える 健康・ダイエット

最近、お腹や健康が気になり、ゆっくり食事をするようになりました。

ゆっくりと食べると、時間の感覚も広がり、味覚も良いのか満腹になります。そのように食べていると、昔、ご飯の食べ方、箸の持ち方、魚の食べ方で育ちが分かる等、親の教育を思い出しました。

そういえば、父親は、僕の友人でも食事の仕方が悪いと、叱りつけました。恥ずかしくて仕方が無かったのですが。僕もご飯を残したり、食べ方が悪いとぶん殴られ。テレビを見ながら食事をすることも、物心つくまでは駄目でした。父親の親友も会社経営をしていましたが、一様に食事には厳しかった。

当時は、全く持って不条理で仕方が無かったのですが、当時の父親の年齢になってくると、理解できるし、食事の有り難味というのは職業柄なのか、立場上痛感します。

仕事柄、多くの経営者の方にお会いしたり、会食をするのですが、相手のペースに合わせて食事を進められる人や、注文のとり方、お店の選び方など、食事のマナーは人格ですね。

昔、お爺さんが亡くなった時に、質素な食事っと(ケチだなっと)呟くと、親戚のおじさんに怒られました。その時は、”質素”でなぜ怒られるのかわからなかったのですが、特に田舎では、葬式やお通夜等は、肉や魚などを出すモノではなかったのですね。

会話や折衝と同時に、他の”生きた”行為を見せるというのは、その人の生き様や生活感、ペースが醸し出されるようです。

ということで、食事をゆっくりと食べるだけで、いろいろ考えるのでした。
これも 食育 でしょうか。
ぱんぱんミュージック!!
腹内メーカー
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