2020年08月06日

'18那須旅行記 XII (野口英世記念館)

#2136.
道の駅猪苗代を後にして、お次に向かったのが「野口英世記念館」です
どちらも猪苗代湖畔にあるので、車でものの数分のところで、、、

野口英世記念館
どーん
と早くも野口英世記念館に到着しましたー
野口英世の出身地であるこの猪苗代の地に1939年に開館した結構歴史のある記念館で、2015年にリニューアルされたばかりらしく、すごい綺麗な造りになっててまた青空に映えますね

野口英世記念館
入口には凛々しい姿の胸像も建ってました
ではではさっそく館内に入ってチケットを買い、ゆっくりと見学していきます(´∀`*)

野口英世記念館
中はこんな感じー
1階のエントランス入ったところは受付カウンターやミュージアムショップになってて、あと白衣を着て野口英世と記念撮影できるコーナーもありました

そしてまず見学順路的にはこの1階を通り抜けて、外にある英世の生家から見ていくようだったので、、、

野口英世記念館
いったん建物から中庭的なところに出てきましたー
出てすぐのところには小さな水の流れがあり、こちらは「母シカが洗いものをしていた小川」だそうです
英世が1歳半の時いろりで大火傷をした際、母シカはここで洗い物をしてて英世の泣き叫ぶ声を聞いて駆けつけたそうで、ここが英世と母の運命が決まった小川となったんすね

野口英世記念館
そしてどーん
とこちらが英世の生家になります
野口家2代目の清太郎が1823年に建てた家で、後に世界的医学者となる野口英世はここで1876年に生まれたそうです

野口英世記念館
さてでは生家を見る前に、庭にあったスポットを先に見て回ることにします
こちらはさっきの小川のすぐ横にあった「救世観音堂(くぜかんのんどう)」で、当時からここにあったわけではなく1939年の記念館の開館を記念して、母シカが篤く信仰していた観音様をここに安置したんだそう

野口英世記念館
また、さらにその横にあったのが「母シカが植えた桑の木」です
野口英世の生涯については、子供の時にちょっとマンガで読んだことがあるんだけど、ここでの暮らしはすごい貧しく大変で、父親は飲んだくれで仕事も何もせず、母シカが重労働の仕事から炊事洗濯などの家事、そして英世の世話まですべてをこなさなければならず、この木も蚕を飼うのに必要な桑の葉を獲るためにシカ自らが植えたそう

でもせっかく貯めたお金も無理やり夫の酒代に消えていくし、さらにそんなさなか英世の火傷もあって、なんだか苦労という一言じゃ到底言い表せないような、シカは想像もできないほどの大変な思いをされてたんだと思います。。

英世の方は火傷で左手の指が無くなり、相当なイジメを受けてたり、あと障害のために大人になっても農作業で生計を立てることが難しい、ということで学問の力で身を立てるよう母に諭され、人にバカにされない立派な人間になるためにも必死に勉強を頑張り、母も英世の学費を稼ぐために大の男でも大変な仕事を女手一つでこなしてたんだそう

そんな母子の強い絆や信念、逆境があったからこそ、野口英世という偉大な人物を生み出したのかもしれませんね

野口英世記念館
そしてどーん
と庭エリアの一番奥の方には「野口英世博士誕生地碑」と「忍耐の碑」が並んで建ってました
右の誕生地碑の下には英世の遺髪が納められてるそうです

野口英世記念館
それではここからは満を持して生家の方を見学していくことにします
こちらは左手にあった「ザシキ」と呼ばれる部屋で、故郷を発つ英世が決意の言葉を刻んだ床柱がそのまま残されてます
奥に見えてる板張りの小さな部屋は「ナンド」といい、なんとあの部屋で英世は生まれたとのことです

野口英世記念館
また、こちらは「オメエ」という中央の大きな部屋で、家族の生活の場でもあったんだそう
右手には英世が火傷をした囲炉裏も当時のまま付されてました

野口英世記念館
そしてこちらが一番右にあった「ニワ」と呼ばれる土間部分で、ここは内部にも入れるようになってました
左手奥にあるのは「カッテ」という台所で、他にこの土間では藁仕事などの農事を行ってたんだそう

野口英世記念館
一方こちらは土間空間の手前に区分けされてた小部屋の「ウマヤ」で、ここで馬を飼ってたみたいです
その右手にある小さな仕切りが「カワヤ」で、トイレだったところっすね

野口英世記念館
また、土間の右奥にはもう一つ仕切られた小部屋があり、こちらは「イナベヤ」という収穫した農作物や藁仕事の材料などを保管しておく倉庫だったところらしい
味噌桶とかも置かれてますね

そんなこんなで生家もひと通り見て回れたところで、、、

野口英世記念館
どーん
とここからは再び記念館の建物内に入り、こちらの2階展示館を見学していくことになります(´∀`*)

ってことで、中に入って階段を上がっていくと、、、

磐梯山
階段の上からは磐梯山を綺麗に臨むことができました
この景色を見ながら英世は育ったんすね

野口英世記念館
さて2階展示館エリアに入ったところで、まずあったのは「プロローグシアター」という部屋でした
「野口英世一度だけの里帰り」と題して、15年ぶりにアメリカから故郷に帰った時の英世の回想再現ドラマになっており、ちょっと先客が見ててストーリーの途中だったので、こちらは後で見ることにします

野口英世記念館
ではではここから展示エリアを見て回っていきます
こちらは「野口英世の生涯」というエリアで、生誕から猪苗代での日々、東京へ出て日本を代表する医師・学者としての成功、そして世界の野口となって、アフリカの地で亡くなるまでの生涯をパネル展示や実際の物品、写真などで展示紹介されてました

野口英世記念館
こちらは蛇の研究してた時の展示品で、英世が実際に触って使用してた実物だと思うとすごいっすね
他にも大学時代の成績表や、直筆の研究ノートなどすごい貴重な品々が並べられてて、ほんとリアルに野口英世に触れ合えてるようで、見入るように見学してました

野口英世記念館
また、その途中ちょっと独立した部屋では「母シカの自筆の手紙」も展示されてました
英世は世界的に成功した後アメリカに居を構えてたので、故郷にはまったく帰ることはなく、長い年月会うことができない英世に、老いた母シカが死ぬ前に一目だけでもまた会いたいと、「早く帰って来てください。早く帰って来てください。一生のお願いです。」と切実に綴った手紙となってて、英世はこれを見て15年ぶりのただ一度の帰国につながったんだそう

この里帰りのシーンは昔マンガで見た時にもすごい感動したずーっと印象に残ってるシーンの一つでもあります

野口英世記念館
さて、やがて英世の生涯のエリアを踏破した後は、こちらの赤い部屋に入ってきました
ここは「素顔の英世」と題された展示室で、趣味やライフスタイルなど英世のプライベートな面を垣間見れる部屋になってます
中央にいる女性は奥さんの「メリー・ダージス」っすね

野口英世記念館
また、こちらには趣味だったチェスや将棋の展示と、あと英世の等身大写真パネルも置かれてました
これまで胸像や座ってる写真はたくさん見かけた気がするけど、立ってる写真はあんま見たことがなくて、英世は身長153cmの意外と小柄な体形だったってことをこの時初めて知りました

さらにここから続く部屋には、、、

野口英世記念館
どーん
と動いてしゃべってる野口英世がいましたー(・∀・)
こちらは「野口英世ロボット」で手前の各ボタンを押すと、いろんなエピソードを彼が身振り手振りを滑らかに加えながら語ってくれるという、体だけじゃなくてほんと瞬きや口の動きとかなんか普通の人間みたいで不思議な感じで見てました

野口英世記念館
さてそんな英世ロボットに別れを告げて部屋を出ると、今度は「体験!バクテリウム」という空間に出てきます
野口英世が研究していた細菌に関するパネル展示で、この先には「野口博士の1日」というアメコミ調のマンガが壁一面に掲げられてる部屋もありました

野口英世記念館
そんなこんなでこれにて2階展示もぐるっとひと回りしてきたことになり、階段近くの吹き抜けエリアまで戻ってきましたー
こちらには英世が最後のアフリカ行きを死を覚悟で決めた際に、彫刻家コーネンコフに製作を依頼した生前の胸像も置かれてました

で、ここで改めてさっきのプロローグシアターをちょっと休憩も兼ねて座りながら見たところで、、、

野口英世記念館
その後は1階に戻って、ここにも展示室が1室設けられてたので最後にこちらを見ていきます
ここは企画展示室になってて、この時は「野口英世 最後の闘い」と題して、黄熱病の発見からそれに苦しむ人々を救うためガーナに渡り、自身もその病に侵されつつも最期まで闘ったガーナでの日々に関する展示が為されており、実際現地で着ていたワイシャツなども展示されてました

そんなこんなでこれでこの記念館もすべて見学し終えて、最後にトイレに行きつつひと息ついたところで、やがて野口英世記念館を後にしました
すごい展示もボリュームがあって分かりやすかったし、生家も見れたし、あと子供時代の辛い経験や生涯を通した信念や生き方など、この記念館を訪れて見聞を深めたことで「歴史上の人物で尊敬する人は?」と聞かれたら確実に「野口英世」と答えるくらい尊敬する一人になりました

さて!この後は猪苗代湖を間近で見るべく長浜公園の方に行くんだけど、その前に昼食ですごい美味いハンバーガー店に行ったので、次回はその辺の様子も交えつつの猪苗代湖やその後行った布引高原辺りまで書いていきますー

gn47idra9z at 09:42|PermalinkComments(0)  | 福島県

2020年08月03日

'18那須旅行記 XI (達沢不動滝)

#2135.
さぁ那須滞在4日目のスタートです
姉家族はハワイアンズの方に寄ってからこの日帰ることになってたので、朝別れて自分たちは4日目は猪苗代方面をぐるっと巡っていくことになります

須賀川市今泉
こちらは福島県に入ってしばらく北上した後、須賀川市付近を走ってる時の写真っすね
前日は唯一曇り空な一日だったけど、この日はまた晴れてくれそうです(´∀`*)

で、その後も県内をどんどん縦断して郡山市から猪苗代町に入り最終的には山の中を登って、那須を出発してからトータル2時間近く過ぎたところで、、、

達沢不動滝
やっとこさ、この日最初に目指してた「達沢不動滝(たつさわふどうたき)」の駐車場までたどり着きましたー
もうここは福島北部の方なのでちょっとした移動でしたね

樽川
ではさっそくここから滝の方を目指して歩いていきます
こちらは滝から続いてる「樽川(不動川)」の流れで、基本この川沿いを遡って進んでいくみたい

達沢不動滝
そしてどーん
とほどなくしたところで、達沢不動滝への遊歩道の入口が現れました
滝元には不動尊が祀られてるそうで、遊歩道入口には木製の鳥居が二基続けて建てられてます

達沢不動滝
そんな鳥居群をくぐって遊歩道に入ると、すごい目を奪うような木漏れ日の気持ちいい原生林の道が続いてました
なんか一気に神聖な雰囲気に包まれた感じっすね

戊辰の道
また、歩き始めてすぐのところには「戊辰の道」という山の中に入ってくような獣道が分岐してるのも発見
ここはかつて戊辰戦争時に新政府軍が旧幕府軍を追撃するために突破した峠の道で、政府軍はここから鶴ヶ城へと至り白虎隊の悲劇などにつながったんですね

樽川
さて不動滝へのコースはその後も不動川に沿って進んでいきます
ほんとほぼ手つかずの原生林の中って感じで、戊辰戦争時にこの付近を通り抜けた人たちが見た光景と全然変わらない景色なのかもしれません

達沢不動滝
さらにどーん
とそこから少し進んだところで手水舎が現れました
たぶん滝自体がご本尊でこの遊歩道は参道という位置づけなんすね

樽川
そしてまたこの天気の良さと時間帯とかも相まってかほんと絵画の中にいるような美しい空間でした
光の絵具を散らしたような絶妙な光景で、まさに自然の芸術っすね

達沢不動滝
途中、こんな岩に覆いかぶさるように根を張った木があるのも発見
まさに原生林ならではの光景というか、この滝周辺がパワースポットといわれるのも分かる気がしますね

達沢不動滝
そしてこちらもまたそんなパワースポットを感じさせるような一枚
川沿いの岩からたくさんの植物が所狭しと生え伸びてて、もはやここで一つの世界が形成されてるような感じです

樽川
ほんと息を飲むような光景の連続で、全然この世とはまた違う世界に来たような、まさにジブリの世界に来たような感じでした
この倒れて川に架かった木の上に乗って写真撮影してる人も何人かいましたうちの父親も含めて(・∀・)

達沢不動滝
時の狭間に忘れ去られたようなこの朽ちかけたベンチも、大自然の中にあってはすごいアートな光景の一つに溶け込んでます
この「達沢の不動滝と原生林」は「ふくしま緑の百景」にも選ばれてるそうです

で、そのベンチや倒木の架け橋があった付近からわりとすぐのところで、、、

達沢不動滝
どーん
と改めて「達沢不動明王」の鳥居が現れ、いよいよ滝も近いようです

達沢不動滝
ひとまず鳥居をくぐるとすぐその横にはまた歴史のありそうな社殿のような建物が鎮座してました
木材やポール、ほうきなどが置かれてたり、社務所的な建物すかね

達沢不動滝
そして鳥居から真っすぐ先のこちら側が祭殿のようです
剣がたくさん奉納されてて、今まであまり見たことのないような光景でした

達沢不動滝
また、この木の切り株の上には大量の積み石があるのを発見
信仰的な意味合いがあるのか、それとも観光客が記念に積んでくのか、どちらにせよ絶妙なバランスを保っててこれ以上自分が積んで総崩れになったら大変なのでそっとしておきます( ̄▽ ̄;)

で、ここからもうちょっと奥へ進んでいったところで、、、

達沢不動滝
どーん
とついに達沢不動滝とご対面です
もう滝の流れるこの豪快な美しさと周囲の緑と光の当たり具合とかすべてが完璧で、目を見張るような光景でした

さらにスロープを下ってもっと滝つぼに近づけるみたいだったので、、、

達沢不動滝
真正面からどーん
と滝を間近に感じます
まるで幻でも見てるかのような神秘的な景色で、この美しさは全国の滝の中でも有数の方なんじゃないでしょうか

ちなみにこの大きい方が「男滝(おだき)」で、、、

達沢不動滝
その左手にあったこちらの繊細に流れる方が「女滝(めだき)」なんだそう
両方合わせて達沢不動滝を形成してるみたいです

そんなこんなで存分に滝の景色を撮ってマイナスイオンを体いっぱいに吸い込んだ後は、また元来た遊歩道を戻って達沢不動滝を後にします

猪苗代町大字蚕養
ってことで、駐車場から車に乗り込んだら、今度は猪苗代湖畔の方へ向けて移動していきます
ほんと車窓から見る景色もすべてが美しくて感動

で、この後は湖近くにある「野口英世記念館」に行く予定だったんだけど、、、

道の駅 猪苗代
その前に記念館のわりとすぐ近くにあったこちらの「道の駅 猪苗代」にちょっと寄ることに
猪苗代湖畔にあるすごい綺麗な道の駅で2016年に開業したばかりなんだそう

道の駅 猪苗代
中も木のぬくもりが感じられる綺麗な造りになってました
確かここで会社へのお土産とかを買ったんだっけ

そしてこの道の駅は展望スポット的な庭も併設してて、、、

磐梯山
どーん
とそこからは磐梯山がかなり綺麗にすっぽり見渡せました
ほんと遮るものが全くない素晴らしき眺望で、野口英世も幼少期はこの付近からこの景色を見てたのでしょうか

道の駅 猪苗代
そんなこんなで道の駅猪苗代にも別れを告げて、この後は満を持して野口英世に会いにいきます
ってことで、次回は野口英世記念館編ですー

gn47idra9z at 09:31|PermalinkComments(0)  | 福島県

2020年07月31日

'18那須旅行記 X (那須野が原公園、那須ガーデンアウトレット)

#2134.
「那須旅行記」のシリーズなのに那須のことが全然出てこなかった感があるけど、いつもの那須を拠点に色々巡ってったってスタイルだったんでご了承ください
でも今回は(唯一?)那須関連のエントリーになります

那須町大字高久乙
2日目の観光を終えて飯盛山から帰ってきたところからでしたね
辺りはそろそろ陽も暮れそうで、この後姉家族がログハウスに来ることになってたんだけど、それまでの間ちょっとこの近辺も久々に散歩してみることにします

那須町大字高久乙
ちょっと細い道を下ると舗装された道に出てきます
この辺りもよくプラプラ散歩したり、学生時代はジョギングしたりしたものでした

下黒尾川
こちらはそこからすぐのところを流れてる「下黒尾川」っすね
この川も、今は天国にいる愛犬の翔と川遊びしたりしたなー

那須町大字高久乙
また、この辺りは別荘地だからところどころにこういったログハウスなどが点在してます
将来はこういうところで穏やかに暮らすってのが夢です

清流台
一方、単発な別荘とは別にこちらには「清流台」という別荘群のエリアも
近くからは人の声も聞こえたりして、どこかの別荘でバーベキュー的なことをしてる感じでした

那須町大字高久乙
さて清流台に別れを告げて、その後木々の中を抜けるとほどなくしてすごい視界がひらけた山中腹の台地のようなところに出てきます
ここまで歩いてくるのはかなり久々っすね

那須町大字高久乙
周りをぐるっと木々に囲まれた大きな広場みたいになってるんだけど、そんな中でこの大きな一本杉がポツンと中央に建ってるのも昔から印象的な光景でした

で、徐々に辺りも暗くなりつつありこれ以上行くとまた帰り登って来るのが大変そうだったので、そろそろ引き返そうかとしてた時に、ちょうど一台の車が通りかかって姉家族の車であることが判明!
普段この道を人が歩いてることは滅多にないので、姉たちも車の中から誰か人が歩いてるともの珍しく見てたら俺だったと判明したわけで、思わぬところで再会したけど、ちょうどそこで車に乗せてもらって楽々ログハウスへと帰れました

その後は姪や甥とちょっと遊んだり、夕食を食べたりして、ほどよきところで就寝し那須2日目が終了ー
そして翌3日目は一緒にテニスをしにいくことになってて、朝出発して車で30分ほどのところの、、、

那須野が原公園
どーん
と「那須野が原公園」にやってきましたー
ここも子どもの頃からものすごい数訪れてたスポットで、このテニス場も一時期何度も来てたけど、最近はご無沙汰でこの時は10年ぶりくらいでした

那須野が原公園
そんなこんなで、2時間半くらいみんな交代でテニスをやって汗を流します
こちらはテニスボールを入れてたカゴだけど、右の方にナナフシがいたので撮っといたのでした
ほんとにパッと見、木の枝に見えますね

那須野が原公園
こちらは途中、トイレに行った際に撮った、テニスコートの隣りにある「そり遊び広場」で、ここも子どもの頃よく滑りに来てました

そんな懐かしの光景に囲まれつつ、やがて昼前くらいになったところでテニスを終了し、、、

那須野が原公園
ひとまずテニス場の管理棟的なこの建物内に入ります
ちょっとお盆時期を過ぎてたってのもあってどこも人は少ない感じっすね

那須野が原公園
中はこんな感じー
昔もよくテニス終わった後、この自販スペースのある休憩所で休んだりしてました

那須野が原公園
で、汗も結構かいたので、更衣室でシャツを着替えたり
こちらが更衣室なんだけど、半ば倉庫的な感じになっててソリ滑りの道具とかも置かれてました

那須野が原公園
そんなこんなでちょっとひと息ついたところで、やがて那須野が原公園を後にします
テニスもやっぱ久々にやると楽しいっすね

さてその後は姉家族とはいったん別行動になり、、、

ココス 西那須野店
どーん
とひとまず昼食を食べるべく、車でちょっと西那須野駅の近くまで行ったところにあったココスに入りました

ココス 西那須野店
一見コーヒーっぽいけど、こちらはスープバーのスープっすね
これがまた異様に美味しいんです

ココス 西那須野店
そして注文はお得な日替わりランチのセットにしました
わりと出てくるのに時間がかかったけど、モリモリ食べてさぁ午後も出発です

で、途中ガソリンスタンドに寄りつつお次に向かったのがココスから車で20分ほどのところにあった、、、

那須ガーデンアウトレット
どーん
とこちらの「那須ガーデンアウトレット」です
2008年にオープンしたアウトレットでここはこの時が初めてでした

那須ガーデンアウトレット
サウスエリアから入ったんだけど、でも人の少なさからか少し寂しげな感じです
ちょうどこの時が10周年記念のようでした

那須ガーデンアウトレット
この直近で各所アウトレットにてたくさん買ってしまって倹約中の時だったので、ここで購入することはなかったけど、だいたいお決まりの店をいろいろ見て回ってました
一瞬、革靴に心惹かれたけど我慢がまん

那須ガーデンアウトレット
こちらはノースエリアの端っこの方まで来たところの写真っすね
10周年記念でコナンとコラボしてたようです

コールドストーンクリーマリー 那須ガーデンアウトレット店
その後ぐるっと回ってミドルエリアにあったコールドストーンでクールダウンっす
どこもガラガラな感じだったけど、やっぱコールドストーンは若干の列ができてました

コールドストーンクリーマリー 那須ガーデンアウトレット店
どーん
とこちらは店内の様子っすね
店員さんが歌いながら軽やかにアイスを作ってます

コールドストーンクリーマリー 那須ガーデンアウトレット店
やっぱチョコにしちゃいますね
ここでテニスからずーっと火照ってた体を冷やして回復したところで、その後ほどよきところでアウトレットも後にしました

ダイユー 那須高原店
こちらはログハウスに戻る途中に寄ったスーパーのダイユーです
で、3日目は結構ゆったりでこれにて外出は終了し、あとはまた姉家族と合流してみんなで団らんしつつまったりー(´∀`*)
甥と一緒に風呂入ったり、ものすごい辛いスナック食べながら酒盛りしたりと、また良い思い出になりました

そして翌4日目は再び観光復活で、今度は猪苗代方面をいろいろ巡ってくことになります
ってことで、次回はまず達沢不動滝編からのスタートですー

gn47idra9z at 11:32|PermalinkComments(0)  | 栃木県

2020年07月29日

'18那須旅行記 IX (飯盛山 さざえ堂)

#2133.
飯盛山後編っすね
白虎隊関連の史跡を巡り終え、続いて「さざえ堂」の方へと向かっていきます

飯盛山
ってことで、白虎隊十九士の墓があった広場から少しだけ階段を下りて、この右手から分岐してる小道に入っていきます
左に続いてるのがここへ来る時に延々と登ってきた階段なんだけど、またここからの眺望も素晴らしいっすね

で、小道から山の中腹に沿ってぐるっと歩いていったところで、、、

さざえ堂
どーん
とほどなくして「さざえ堂」に到着しましたー
さざえ堂とは江戸時代後期の東北から関東にかけて見られた、らせん構造や外観がサザエのような独特な建築様式の仏堂のことで、現存する中ではこの「会津さざえ堂」が最も有名なものになってます

宇賀神堂
そのすぐ手前には「宇賀神堂」という神社もあり、自刃した白虎隊十九士の霊像が祀られてるようでした
17世紀後半に会津藩第3代藩主「松平正容(まつだいらまさかた)」によって建立されたんだそう

宇賀神堂
また、宇賀神堂の傍らには「供養車」が建っており、この車を廻すことで白虎隊の霊魂を慰めるというものらしい
土台の石像は中国の伝説上の生物「獏(バク)」だそう

さざえ堂
さて、ではチケットを買ったらいざ!さざえ堂の中へと入っていきます
入口も木彫りの装飾が見事な感じっすね
この会津さざえ堂は正式名称を「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」といい、1796年に建立され、国の重要文化財にも指定されてます

さざえ堂
まず入口入った真正面のところには、このさざえ堂を建立した「郁堂禅師(いくどうぜんし)」の像が祀られてました
かつてこの地にあった「正宗寺」というお寺の住職だった方で、その正宗寺の仏堂としてさざえ堂を造ったんだそう

さざえ堂
そしてここから右回りに螺旋状の登り通路が始まります
階段ではなく滑り止め用の枕木的なものが置かれてたんだけど、建物全体がかなり年季の入ってる感じで、足を踏みしめるたびに結構な音でミシミシいうし、窓側の外壁もところどころすき間や穴が空いてたりして、現存するお堂としては貴重なんだけど、ちょっと実際登る身としては若干不安感もありつつ歩を進めてました

そんなこんなで、その後もぐるぐるミシミシ登ってったところで、、、

さざえ堂
どーん
とほどなくして最上部にたどり着きましたー
特に平らな部屋とかになってるわけではなく、弧を描いた太鼓橋があるのみの不思議な空間でした

さざえ堂
そしてさらにその不思議さを際立たせてたのがこの天井
おびただしい数の御札が貼られてて、ちょっと圧巻の光景でした
ここに登ってくる途中も御札を多く見かけたけど、江戸の創建時からずーっと貼られてきたもので、当時の商店などの名が書かれてるんでしょうか

さざえ堂
また、こちらは頂上部の太鼓橋のところにあった棚のようなスペースで、これまでの登りスロープにもところどころで設けられてたこういった棚にはかつて「三十三観音像」が安置されてて、このさざえ堂を登り降りすることで巡礼を終えるという仕組みになってたんだそう
明治以降に像は他所へ移され、代わりに「皇朝二十四孝」の額が置かれてるとのことです

さざえ堂
一方こちらは頂上の窓から見た外の景色っすね
下の方にはさっきの宇賀神堂と、その先には会津の街並みも見渡せます

なんだけど、やっぱなんとなく傾いてる感があり、風か何かで微妙に揺れてる感もあったので、ほどよきところでそろそろ下りていくことにします(・∀・)
でも東日本大震災の時も特に大きなダメージは受けなかったというので、この年季の入った見た目とは裏腹に結構頑丈なんすかね

さざえ堂
ではでは帰りのスロープを下りていくんだけど、こちらは行きに登ってきたスロープとは別の通路で、この会津さざえ堂は全国的に見てもかなり珍しい二重らせん構造の仏堂となってるらしい

なので人とすれ違うことは一切ないわけだけど、この近代以前の建築で二重らせんってのは世界的にも珍しく、ダヴィンチ設計といわれるフランスのシャンボール城の二重螺旋階段の情報が、オランダ経由で江戸時代の日本にも入ってきて会津のこの地まで伝わったという説もあるけど、結局なぜここに二重らせんが存在し得るのか詳しいことはまだあまり分かってないんだそう

さざえ堂
そんな稀有な二重らせんを下りていき、やがて地階まで戻ってきたところで、出口付近には「残夢大禅師」の像が置かれてました
さきほども話に出た飯盛山正宗寺の開祖の方だそう

その後外に出て、お堂の周りの縁側的な廊下をぐるっと回ってったところで、、、

さざえ堂
どーん
と、正面入口に戻ってきて、飯盛山参拝順路的にお次はこのさざえ堂正面から続いてた石段を降りていくみたいだったので、そのままぐんぐん下っていきます

さざえ堂
そして降り立った先で後ろを振り返り、改めてさざえ堂をパシャリ
石段左手前には「激水は 白虎のごとし 山の春」という落合水尾(おちあいすいび)の句碑も置かれてました

厳島神社
また、句碑といえばこの少し左手の方には「天高し ピサの斜塔と さざえ堂」という成瀬櫻桃子(なるせおうとうし)の句碑があるのも発見
同じようにちょっと傾いてる塔としての対比でしょうか

厳島神社
で、今降り立ったこのさざえ堂より一段階下のエリアは「厳島神社」の境内となってて、いくつか社殿も建ってたんだけど、右手に見えるのは「子育地蔵尊」のまた歴史ありそうな木造建築っすね
そしてその左手にあるこの水路は、境内に流れる戸ノ口堰の水路なんだけど、穏やかな神社に流れてる水路とは思えないほどのかなり激しい急流となってて、別にそこまで高低差も無いようなのに異様にザーッと速い流れですごい印象的だったのを覚えてます

厳島神社
そんな流れに沿ってちょっと進むとすぐに橋が架けられてるところに遭遇しました
その右奥にあるのは神社の手水舎っすね

厳島神社
そしてどーん
とこちらは橋の先のたもとから鳥居も含めて厳島神社境内を撮った一枚
奥には本殿が見えるけど、この厳島神社は元は14世紀後半に正宗寺の別当として「宗像神社」という名で建立されたかなり歴史のある神社で、明治初期に厳島神社と改名されたんだそう

厳島神社
本殿の左手には大きな御神木も鎮座してました
宗像神社といえば福岡の宗像大社が思い浮かぶけど、この飯盛山の社殿も宗像三女神の一人「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」を祀っており、言い伝えではその昔多数の童女を従えて現れた美しい霊妃のお告げによりこの地に神社を建立することになったけど、その社殿の建築中も童女たちが現れて、人夫たちが小豆飯を彼女たちに振舞ったものの、いくら食べても減らなかったことから「飯盛」の地名ができたと言われてるそうです

戸ノ口堰水神社
そんな境内をさらに奥へと進んでくと、さっきの水路の先にちょっとした池があるのを発見
この水路は猪苗代湖から会津若松へ水を通すため江戸時代初期に工事着手されたものだそうだけど、この池の奥に見える小さな穴が「戸ノ口堰洞穴」で、あれが猪苗代湖から繋がってるんすね

ちなみに猪苗代湖畔の戸ノ口原で敗れた白虎隊が、潜ってここまで抜けてきた洞穴でもあるんだそう

戸ノ口堰水神社
そんな数々の歴史の舞台となった洞穴のすぐそばには「戸ノ口堰水神社」が鎮座してました
この用水堰を祀ってる神社のようです

厳島神社
さて!そんなこんなで厳島神社界隈もぐるっと見て回ってきたところで、そろそろ境内も後にすることにします
こちらは神社表参道に出る辺りにあった「弁財天像」で、祭神の市杵島姫命は弁才天と習合していたことから飯盛山は「辯天山」とも言われてたそうです

で、その後は表参道の緩やかな坂を下っていき、、、

厳島神社
どーん
とこちらの一の鳥居をくぐったところで境内から出てきました

そしてそのまま少し住宅地に入るような形でどんどん坂を下りていき、飯盛山も完全に降り切ったところで、、、

まちの駅 飯盛山
駐車場の方へと戻ってきました
こちらは駐車場に隣接してた「まちの駅 飯盛山」で観光案内所になってるようだったけど、こちらでちょっとトイレを済ませつつ、やがて車に乗り込み那須のログハウスの方へと帰っていきます

この後は那須に戻ってちょっと周辺を散歩したり、姉家族と合流して翌日はテニスしたりアウトレットに行ったりするので、次回はそれらについて一気に書いていきたいと思いますー

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2020年07月27日

'18那須旅行記 VIII (飯盛山 白虎隊自刃の地)

#2132.
さて鶴ヶ城を後にして、お次に向かうのは白虎隊で有名な「飯盛山」です
なんだけど、その前に昼食を食べるべく向かったのがお城から車で数分のところにあった、、、

とん亭
どーん
とこちらの「とん亭」になります
会津若松名物ソースカツ丼の超有名店で、テレビ取材常連でもある行列必至の人気店っすね

お昼時を少し過ぎてから行ったんだけど、それでも駐車場に入るところからもう大変で、、、

とん亭
なんとか店内に入り順番待ちの表に名前を書き込みます
さすが色紙が壁一面にびっしり飾られてますね

とん亭
そんな中で、安倍首相がここで食べてる写真があるのも発見
総理も来るほどのお店ってことで、ますます間違いない感じっすね

とん亭
待ってる間は列に並ぶ必要はなく、2階のこちら待合室でくつろぎつつ待つことができるようになってました(´∀`*)
最初来た時はこの部屋も待ってる人でいっぱいだったんだけど、自分たちは昼の部が終わるギリギリ間に合った客だったみたいで、みんな次々と放送で呼ばれていき最後は待合室も貸切状態でした

で、やがて自分たちも呼ばれ、1階のボックス席に着き、、、

とん亭
どーん
とついにソースかつ丼とご対面です
会津ブランドの桜肉を使った「八重うまっソースかつ丼」にしたんだけど、甘いソースが染み込んでなおかつ馬肉だからサッパリ食べれて、結構ボリューミーだったけど待ったかいのある満足の一品でした

さて!お腹もいっぱいになったところで、改めて飯盛山へ向けて出発っすね
とはいえそちらも近くて、とん亭から5分ちょっとくらいのところで、、、

飯盛山
早くも「飯盛山(いいもりやま)」に到着でっす
さっきの鶴ヶ城天守閣からも見えましたよね

飯盛山
ってことで、さっそく駐車場から山の登り口の方へと歩いて向かっていきます
こちらは「飯盛山入口交差点」のところにあった木で、その根元のところにはそれぞれ方位ごとに、玄武、青龍、朱雀、白虎という表示が書いてありました
悲劇の部隊となった白虎隊が一番有名だけど、戊辰戦争で会津藩は年齢によって玄武、青龍、朱雀、白虎の4隊を編成し、白虎隊が一番若い15〜17歳くらいの少年兵部隊だったんだそう

飯盛山
また、こちらは交差点渡ったところの「民芸むとう」という土産物屋の前にあった自動販売機で、白虎隊のラッピングがされてる粋なものになってました
他にも左右に普通の自販も並んでたんだけど、ここで買うとしたらやっぱこの白虎隊の自販の方に目がいきますよね

飯盛山
そしてどーん
とその自販たちを過ぎたところで、飯盛山参道入口にやってきましたー
両脇には商店が建ち並んでて、その先に山の上へと続く階段が延びてますね

飯盛山
それでは参道の商店を通り抜けたところで、さっそくここから登山開始です
右手には「飯盛山動く坂道」と題して有料のエスカレーターも付随してるようだったけど、やっぱここは歩いて踏破していきたいと思います

左手に見える白い建物は「白虎隊記念館」なんだけど、そのそばから登り始めて一気にどんどん登っていき、、、

飯盛山
3分の1くらいまで来たところで、一本の水の流れに出くわしました
戸ノ口堰の水路から続くものすかね

飯盛山
さぁそこからさらに登って3分の2くらいのところまでやって来ましたー
ずーっと上まで一直線の階段なので先を見ると心折れそうになるけど、この中腹付近には「飯盛分店」という土産物屋もありトイレ休憩とかも行けるみたいでした
白虎隊墓守の方のご自宅でもあるようです

そしてあとはラストスパートで気力と体力を振り絞って登っていき、、、

飯盛山
どーん
とやっとこさ、階段てっぺんの広場までたどり着きましたー
この広場にはいろいろ像や石碑が取り囲んでて、写真右手の大鷲が翼を広げてる背の高い像は「ローマ市寄贈の碑」で、白虎隊精神に感銘を受けたローマ市により1928年に贈られたものなんだそう

飯盛山
一方こちらにあったのは「フォン・エッツドルフ氏寄贈の碑」です
こちらも白虎隊精神に感動した、1934年にこの地を訪れたドイツ大使館書記官エッツドルフが贈った像で、「若き少年武士へ 一ドイツ人」とドイツ語で刻まれてるそう

あとこの広場には白虎隊のお墓もあるんだけど、そちらを参拝する前に、、、

飯盛山
この広場から続く道を伝って、先に「白虎隊自刃の地」へ行ってみることにします
まずはこちらの木々の中を抜けていく形で歩を進めてくと、、、

飯盛山
その途中にも石碑群が置かれてるエリアがあり、こちらは「飯沼貞雄翁の墓」となってました
飯沼貞雄は白虎隊の一員としてこの地で自刃したけど、まだ息のある内に発見され救出された唯一の蘇生者となり、その後明治政府下で活躍し日本の近代化に貢献した人物となったんだそう
今はこの山でかつての白虎隊の仲間たちと共に眠ってるんすね

さぁそこからやがて木々を抜けて、少し階段を下りていったところで、、、

白虎隊自刃の地
どーん
とほどなくして「白虎隊自刃の地」に到着しました
この地で少年たちは城下が燃えて火と煙に包まれてるのを落城したと錯覚し、城に一礼してから各々自刃していったそうです

白虎隊自刃の地
そんなこの地には慰霊塔などの石塔が置かれてました
今は穏やかな山の中腹って感じだけど、ここがかつて激動の歴史の一舞台になった場所だったんすね

白虎隊自刃の地
そしてここからは会津の街並みを一望することができました
この眺望の中央から少し左奥にある木々に覆われたエリアが鶴ヶ城なんだけど、ちょっと肉眼じゃ天守閣の姿もあまりはっきりとは確認できないほどなんで、もうこの眼下全体が炎に包まれてたら落城したと思っても当然っすよね

飯盛山
さて、その後はまた階段を登って元来た道を引き返し、最初の広場の方へと戻ります
こちらは広場手前にあった「凌霜隊之碑」で、凌霜隊(りょうそうたい)は郡上藩の部隊だったけど17歳の朝比奈茂吉を隊長とするこちらも少年兵たちで、鶴ヶ城の籠城戦にて白虎隊と協力して最後まで戦い抜いた部隊だったんだそう

白虎隊十九士の墓
そしてどーん
と広場まで戻ってきたところで、満を持してこちらの「白虎隊十九士の墓」を参拝していきます
このお墓には年間200万人ほどの観光客が訪れるんだそう

白虎隊十九士の墓
石段を上がると正面に白虎隊十九士の墓が並んでました
戊辰戦争時、会津藩は旧幕府勢力の中心とみなされ、新政府軍の猛撃の末劣勢に立たされ、白虎隊のような少年兵までが半ば焼け石に水のような感じで投入されたといわれてます

白虎隊十九士の墓
また、墓所の左手には「少年武士慰霊碑」も建ってました
石碑には「14歳より17歳」と記載があるけど、敵に捕まり生き恥をさらすよりは、自刃して武士の本分を明らかにすることを選んだ彼らの、その歳でその置かれてる状況下とそして決断と行動、、改めて胸を打たれます

白虎隊十九士の墓
あとさらに奥の方には「松平容保公弔歌の碑」も建っており、会津藩最後の藩主となった松平容保(まつだいらかたもり)が白虎隊に対して詠んだ弔歌「幾人の涙は石にそそぐとも その名は世々に朽じとぞ思う」が刻まれてます

飯盛山
一方、こちらはこの広場にあったおそらく一番大きいと思われる石碑で「会津藩殉難烈婦の碑」とありました
戊辰戦争で自刃または戦死した女性たちの霊を弔うため、元白虎隊の山川健次郎らによって建てられたそうで、ほんと老若男女問わずの壮絶な総力戦だったことが窺えます

さて、この後は同じ飯盛山にある「さざえ堂」の方へと移動していきます
ってことで、飯盛山編次回も続きますー

gn47idra9z at 14:58|PermalinkComments(0)  | 福島県