グナワ音楽 & the firefly clan

1999年にマラケシュのフナ広場でゲンブリに選ばれて以来グナワの世界観、歌と音楽を学び、奏で続けるthe firefly clan。守るべき伝統は守り、破れる型は破りながらグナワとして日々精進中

グナワとは?

グナワに足りないものは何もない

私がモロッコを旅行した1999年当時は英語を話すモロカンはまず気をつけろというアドバイスのある時代でした。
なんとかアラビア語フレーズ、ジェスチャー、フランス語を使い最後の手段として英語でやり取りしてた当時が懐かしいです。


それから自分はアラビア語を勉強し、片言ダリジヤも辞書頼りで簡素な会話は出来る様になり、現地でも英語話す人が増えました。
グナワを習う身としては公的な情報開示について常に世論が気になるので、以前渡航した時も今でも機会あらばメールなどてグナワの家系の人、有識者、非グナワミュージシャン、普通の少年、などなど様々なモロッコ人にその是非を聞き回ってます。

気になるのは「無知で垢抜けないマーラムらが多くて自分らの家族を養う為に情報を共有したがらない。だからスクールが必要だ」という英語を流暢に話す肯定派の非グナワ世界の人たちの意見。そりゃそうだろ。あなたも職奪われたくないでしょ?
さらに非グナワのスクールや情報開示への肯定派はミュージシャンでなかったりもしますし、この手の人たちは近年のグナワ人気に敏感に反応しているだけで、「イスラムに対する正しい理解を〜」などなどと引用したり割とみんな同じ意見を言います。

当然、ガチなグナウィには怖くてスクールの是非はあまり頻繁に聞けないけど私が聞ける範囲で確認した限り、皆表情が曇ったり微妙で話をそらすかむしろ「誰しもかしこもグナワを名乗りだしてておかしい」と怒る人も。
そしてグナワは部外者には「ケチなマーラムがいる」なんて決して言わない。
みなお互いの気持ちと生業をリスペクトしている職人集団。

ここでWhose side are you on? どっちに付く?となる訳です。
Tourist目線なら当然、英語が堪能な非グナワの人たちの意見が楽しいと思います。
でも決して少なくない家族を養うグナワの世界の人にとっては部外者への情報開示は死活問題だし、グナワを習いたい部外者はスクールなんて無くてもチューバ奏者の高岡さん、私、Yasuさん、武さんのように門を叩きに行くでしょう。
今後も上述の人たちの様に身一つで飛び込む勇気のある外国人はドンドン現れると思います。
ある意味フナ広場のガディーリさんが本人は意図せずともその入り口役も担っているのかも知れません。
逆にいえばこの出会い方からグナワへの道が始まっているのですから。 

私が2度目にモロッコで訪れたタルダントの師匠の住居は決して大きくなく、今の自分の住居とさほど変わりませんでした。
どこかにスクールなんぞ作って観光客がグナワ習ったからって彼が爆発的にリーラのオファーを受けるとは思えません。
むしろ観光客が出入りするスクールで教えてるマーラムが潤うだけだと危惧してます。
一応、スクールを志している人にやるなら講師をローテーション制にと提案しましたがそれでも遠方の町のマーラムは教えれませんし逆にそちらへの町への足が遠のくことも有り得ます。

個人的にはどこかの都市にスクールを作るという行為はモロッコ全土にグナワがいるのに「グナワ文化の首都」を作ることに匹敵すると思っておりこれは何世紀もの流れを崩すほどのことと思っています。大袈裟かも知れませんが大きな木を倒すのも小さな斧。

グナワに関わりたい人のパッションに罪はないですがそれに対して取る行動には無実とそうでない結果をもたらすものがある気がしてなりません。

"If it ain't broke don't fix it" グナワはそれ自体で充足してます。宣伝、親善大使、スクールなんぞなくても必要な人へは確実に伝達されていく文化です。爆発的に演奏技術に対する情報が広まらないのは現地の次世代への神からの加護なのかも知れません。


 

グナワとは?

マリ帝国、ソングァイ帝国が衰退していた 16世紀後期に旧スーダン西部、ニジェール川沿いの地域からモロッコへと連れてこられた奴隷の子孫達、その音楽や儀礼を行いそれに参加する人々、グナワ・コミュニティーの親方的存在で師匠でもあるマーレム(意:教わった者)の元に集う人々のことを大きく「グナワ」と言います。マーレムは”知る人”的なニュアンスもあるようで最近は誰でもゲンブリ(ギンブリ)を少し弾ければ即”マーレム”と呼び合うご時世ではありますが奴隷時代からの伝統を継承して一団を引っ張っていく真の”マーレム”はそれなりの過程があってモカデマなどからザウイーヤなどの聖域でのリーラ等で決定されもののようです。実際、競争心からか継承の観点からか、若者マーレムが年長者のグナワを”やつはマーレムじゃない”ということもありました。

グナワの歴史を明確に記録している書物は無く、代々口頭で伝えられて行く伝統といわれております。その軌跡と世界観はグナワの儀礼、歌、踊り、憑依するジン(精霊)の中に集約されており、意味の失われたものや隠喩も少なくありません。

また、グナワとは完全に統制された団体ではなく各地域に著名な師匠はいるものの、儀礼や歌、音楽の様式を確定する書物もなれば、全てのマーレムやグナワ音楽奏者らに通ずる最高権威の人などはいません。各町や師匠ごとに歴史があり、儀礼に対する独自のアプローチがあります。大まかなリーラ儀礼などの流れは一緒ですが細部ではそれぞれ異なったりもします。(意:リーラ=夜)

”グナワとしての日々の生活表現そのものが生きた歴史。そしてそれは客観的に計れる「量」ではなく主観的に経験すべき「質」だ”

グナワという名は?

「グナワ」という名前の由来に関しては数々の説があります。

【ギニア説】
この説は「guinia(ギニア)」という言葉からきたとも言われており、一方では古代トゥンブクトゥの言葉で「黒人達」という意味から来ているとも言われている説です。

【ベルベル語による星の名称説】
こちらは人類学者Viviana Pasqueの調査によるもので、ベルベル語で「曇った空の平原」という意味
である「igri ignawen」から来ているという説。この言葉は azmil(鍛冶屋) と呼ばれているアルデバラン星を表すものでもありグナワはこの星から来たとされているものです。少しスケールの大きな説ですが、奴隷の多くが鍛冶職人であったことは事実ではあります。

【古代ガーナ人の名称ジナワ説】
古代ガーナの人々がDjinawa(ジナワ)と呼ばれていたからという説になります。

【ハウサのカノ説】
エッサウイラの師匠ら数名による意見とのことで一番信憑性があると言いたいのがハウサ・フラニ首長国の首都であった「カノ」から来た人をあらわす「カナワ」という言葉から来たという説です。モロッコではKがGと訛ることもありナワがナワになったとのこと。グナワの歌唱法にはハウサ的の歌に見られる節回しがあるのも象徴的です。
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何はともあれ「グナワ」とはモロッコ国内での呼び名でありアルジェリアでは「ビラーリ」や「ウースファン」、チュニジアでは「スタンバーリ、スタンベリ」(オスマントルコ人によりイスタンブールから連れてこられたためという説)、リビヤでは「スダーニ」などと呼ばれております。

ただ、やはり他の国もイスラムの配下であり、モロッコ以外の国々ではこのような同胞集団の存在は認められておらず活動が禁止されている場合もあるようです。

グナワいわく、”己を知るには名前の由来は重要では無く、真のグナワの智慧とは理論では無く行動から来るもの”だと。

グナワの過去

預言者ムハンマドの死後632ADにイスラムが拡大して行き、トゥンブクトゥ王国が滅亡した1591年頃にはアフリカ大陸の半分以上にまでとイスラム教が広まっていました。

この拡大はスーフィズムというイスラム神秘主義が大役を買ったのは言うまでもなく、何よりもスーフィズムのおかげで、火の上を歩く、聖者崇拝、歌、踊りなどといったそれまでにあった土着的な風習が失われずにイスラム教とうまく融合された結果となりました。

当時、サーディ王朝マラケシュのスルタンであったアル・マンスールのベルベル系軍隊は大量の黒人奴隷をサハラ以南からモロッコにへ連れて来てはその奴隷たちをスルタンの近衛兵として起用しました。

それに続き、アフメッド・エル・マンスール、メクネスのムーレイ・イシュマイル、エッサウィラのムーレイ・アブデラも同様に旧スーダン地域からの黒人奴隷達による警護団を結成しました。

その頃は数千人の黒人奴隷達がモロッコ王朝のスルタン達によりエリート近衛兵部隊として雇われていたと言われていおり、この警護団はアル・ブハーリのハディース(イスラム法)に誓いをたてたことにより、abid l-boukhariすなわち「ブハーリに従う者」と呼ばれておりました。

この「ブハーリに従う者」である彼らは北アフリカのイスラム神秘主義に基づく同胞集団を形成し、
預言者ムハンマドの仲間であったBilal bin Raubaことビラールを精神的な先祖としました。

後にこの近衛兵の多くは後続のスルタン達により解散されていく運命をたどりました。

民族的な過去

今日のモロッコにて活動しているグナワ達の歌詞や踊りからの分析によると彼らの先祖とは以下と推測されていうようです。

バマコのバンバラ族、
ソコトのフラ二族、
ナイジェリアやニジェールのハウサ族、ボリ族
セネガルのセレレス族、
ブルキナファッソのモッスィ族、
チャドやボルノウ王国のバルマ族やボッソー族

上記の部族にルーツを持つ人々だと言われていますが、時とともにベルベル人、アラブ系との混血も増え、今日はグナワだからと言っても必ずしもサハラ以南の人々の外見的特徴を持つ人ばかりではないです。

また今日のグナワの歌詞には著名なグナワ師匠たちも意味を知らないような他言語の言葉が数多く含まれております。それらは一時、古代バンバラ語から来ているとも言われておりましたが実際に古代バンバラ語でもないようです。この文化的・ルーツ的に”謎”な一面もグナワの魅力の一つといえましょう。

”理で説明つかぬならそれを信仰するしかない”

治癒能力とビラールとグナワ

グナワは他のイスラム神秘集団とは異なり、創始者となる聖人の存在もなく、その様な人物との直接的、歴史的なつながりは見られませんがこの”空白”はグナワの途絶えた歴史に影響されているようです。

ただ、グナワは自分たちの統制を取るためにイスラムでは最も有名な奴隷であったビラールとの象徴的な関係性を作り上げました。

歴代のグナワの師匠達いわく、ビラールを精神的な先祖とすることによりイスラムに改宗する前の彼らの多神教的な風習を維持することができたとのことです。

彼らによれば、グナワ儀礼とその文化の原型は既にビラールの生前、すなわちイスラム教が北アフリカに広まる前からアビシニアのハバシャット(現エチオピア)にて広く行われていたものだといいます。

一方、グナワとビラールは全く関係無いわけではないようで、とあるグナワ伝説は以下のように語っております。
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「預言者の娘、ファーティマが深い鬱病にかかっていた。彼女は部屋に引きこもり、夫であるアリーすらにも会わないと言う。その頃はご子息もいなく、預言者の家系の存続すらも危ぶまれていた。誰も彼女のことを救うことが出来なかったようなので、預言者はビラールに頼んだ。ビラールは木でカスタネットを作り、髪の毛を一つのドレッドにし、貝殻で飾り付け、ファーティマの部屋に入った。彼はその一本ドレッドをくるくる回しながら歌と踊りを披露した。するとファーティマは心の底から笑い出し、次第に鬱状態から戻って来れたと。その後しばらくしたらファーティマはアリーの子をみごもったという。」
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笑い、踊り、歌、生命力はグナワ・アイデンティティーの中心的な要素でもあり、それら全てはグナワのリーラ儀礼や日々の活動に溢れています。(意:リーラ=夜)

一部の旅行記や文献などでは「悪霊信仰」と書いてあるものも見かけましたがグナワは悪霊信仰などでは無くどちらかと言うと古くからある伝統的な音楽療法ともいえましょう。

女性が激しく髪を振り乱しトランスに入っては痙攣しながら倒れていくリーラ儀礼の模様は日本で多様されている”ヒーリング”や”癒し”という言う言葉が当てはまるほど涼しい光景ではないかもしれませんが、そんな”憑依”された方もリーラ儀礼後にはすっきりした顔して帰っていかれるそうです。

リーラ儀礼の色と意味合い

(意:リーラ=夜)

グナワはブラジルのカンドンブレ、キューバのサンテリア、ハイチのヴオドゥンと同様に、歌う内容や対象物により色が決まっております。

人の病とはそれぞれのジン(精霊)の悪戯によるものとみなされ、下に書かれているような精霊達の介入や憑依した精霊を歌、踊り、お香などで満足させることにより病める人は治療されます。最近では簡略化されたリーラ儀礼も多いようですが各色には10曲前後ほどあり、まともに行えば日没から明け方までと続きます。タンジェのとあるマーレムによれば”昔はまる3日かかっていた”とも。

『リーラ儀礼の進行(参考:カサブランカ流)』

アーダ(太鼓と鉄カスタネット、カルカバによる練り歩き)

ウラド・バンバラ(バンバラの子たち、ゲンブリ、歌と手拍子でグナワのルーツに関する歌集)

ヌグシャー(上にカルカバと、パントマイムによる歴史劇的な踊りが加わる)

フティ・ラウバ(ビラールに対する歌、色レパートリーの序曲集)

白の歌集(ビヤド)
(関係要素:光、中心、貧しき者、家無き者の守護精霊、ムハンマド、ジラーリ、ブデルバラー、ブハーラ)

青の歌集(ムサウィーン)
(関係要素:水・海、東、船乗り、聖ムサ)

水色の歌集(サマウィ)
(関係要素:空、北、天に住める者全て、サマウィ、ブー・ヤンディ)

白(ムハンマドの歌に戻る)

赤の歌集(フモル)
(関係要素:血、野生、西、生け贄、儀礼の主と付き人、聖ハンムー、ハムダ、ハンムラビに由来)

緑の歌集(ショルファ)
(関係要素:預言者とその子孫達、中心、男性的、ムハンマド、アブデラ・ベン・フセイン、イブラヒーム、アリー)

白(ムハンマドの歌に戻る)

黒の歌集(クハル)
(関係要素:森・土、南、グナワの守護精霊ミムーンとミムーナ、グマーミ等)

黄色やマルチカラー
(関係要素:中心、女性の精霊達、アイシャ・カンディシャ、アイーシャ・グナウィア、ララ・ミーラ、ララ・ルキヤ等)

白(ムハンマドに戻る)

なお、各色の場面ごとに踊りは続くが、(例:青では頭の上に水を入れた器をのせて泳いでいるような振り付けで踊るなど)例えば過去にあった赤の場面での血を飲んだり、生肉を食べたりなどといったハマッドシャ特有な強烈なものは既に省略されているそうです。ただし黒のグマーミでは未だに少年などがナイフで自分の舌を切りつけるのはあります。

奴隷からバラカある特別な存在へ

グナワのレパートリーの中には強制連行に関する内容の歌詞もあります。

彼らは我々をスーダンより連れて来た
彼らは我々をギニアから連れて来た
彼らは我々をアラブ人にへと連れて来た
神の人々が我らを連れて来た
彼らは我々を穀物の袋に入れて
我々を奴隷として連れて来た
だが彼らは我々にバラカ(神の恵み)があったとは知らなかった

この最後の行がグナワ自身が持つモロッコ社会でのスタンスを表しているとのことです。

ーー「グナワには特別な力があり、バラカ(神の恵み、智慧)がある。」ーー

一部の文献や書物などに、北米のブルースとグナワを同一視する様な文章も見られますが、実際には北米の奴隷事情とモロッコの奴隷事情には大きな違いがあったと言う人類学者の意見もありました。

その説によりますと、まず当時のモロッコの奴隷達はエリート軍部隊として起用されたのがほとんどで「雇い主と奴隷」と言うより「上司と部下」という関係のほうが的確だったとのことです。強制連行により売買されたという所までは同じですが、その後の地位には北米の奴隷とは多いに異なるとのこと。当時のモロッコでの奴隷は我が子のように扱われていた者もいれば、主人の娘との結婚が許されていたり、主人のお金により教育を受けることすらも許されていた者も多くいたと記録されており、イスラム教に改宗した後は、自分たちの音楽や風習を自由に追求出来る環境が整っていたとのこです。

また、他方ではカルカバ(クラケブ)の音は連行されていた時の鎖の音を象徴しており、それを忘れぬように作ったという人もいます。Gnawa DiffusionのAmazigh Kateb氏は奴隷の過去を持つグナワを”アフロアフリカン音楽”と表現していたのも印象的でした。

当然、私自身が当時を生きたわけでもなく、学者などでもないのでこの様々な説のどれが有力なのかとは言えませんが、とにかく
ディアスポラが生んだ特別な伝統ということは確かで、その独特でミニマルなグナワ音楽の完成度は驚くほどモダン。いつの時代でも聴くものを開放する”即効性”のあるものだと感じます。

ビラールについて

レゲー、ラスタファリアニズムなどに関する知識がある人などには「ビラールとは預言者ムハンマドにより最初に解放されたエチオピアからの黒人奴隷」と言えば彼がいかに象徴的な存在であるかと感じていただけると思いますが、それだけではもったいないのでここではビラールについてもう少し詳しく述べておくことにします。

---【Bilal Ibn Rabah】----------------------------------------------------------------------------------------------
Bilal Ibn Rabahは一般的にはBilal Habashi(ハバシャットのビラーリ)としても知られており、イスラム教初のムエズィン(礼拝時を歌で知らせる人)であると同時に、
預言者ムハンマドにもっとも信頼されていた仲間でもあった。

ヒジラ歴43年前のイェメンとアビシニアの中間にあるサラットという町にてアラブ人の父とアビシニア人の母の間に生まれた。
ビラールは、アブー・ジャマーという有名なクライーシュ族により育てられたと言われているが、その中でも誰がビラールの父親で、誰により奴隷として雇われていたかは不明。
実際には父親がアラブ人だったか、アビシニア人だったかですら明確ではない。
元来正直者で、心が澄んでいたビラールはバヌー・ハシーム家によるイスラムへの呼びかけにはすぐ答えたと言われている。
当時のメッカでは最も高貴な地位にあったバヌー・ハシーム家のものが、自らの立場をも犠牲にしてまでもイスラムの教えを抱いたことと、
預言者ムハンマド自身による人類平等のメッセージそのものに心を強く打たれたと言われている。

初期のイスラム教徒らは言うまでもなく迫害されていたが、記述によるとビラールもイスラム信仰を受け入れてしまったがために度々主人らから残酷な拷問を受けていたと言われている。

そんなある日、アブー・バクル・スィディックがビラールの苦労を見て
預言者ムハンマドに相談したところ、預言者は金23グラムでビラールを主人から買い取ることを提案された。

もちろん買われた後に、
預言者はビラールのことを自由の身にされた。

その後ビラールは
預言者ムハンマドとともに行動をし、ともに最後まで戦ったとのことです。

また、ビラールはとても美しい歌声を持っていたと言われており、もともと彼が
預言者ムハンマドに礼拝時を知らせるために歌っていた旋律と節が今日のアザーンとなっている。
アザーンとはイスラム教の礼拝時にモスクの塔から流れる呼びかけで、今日でも礼拝時になると、ビラールが歌っていた頃のままの形のアザーンがほとんどのモスクから流れているとのこと。
ムエズィンとはこのアザーンを行う人のことを言う。
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預言者ムハンマドの死後はアザーンを一切行わないようになってしまったビラールですが一度だけダマスカス在住時にとあるカリフによる依頼に答えてアザーンを再び歌ったと言われております。

その時には多くの人が集まり、それを耳にした全ての人が涙を流したとのことです。

ビラールには子孫がおりませんでしたがブラック・アフリカとイスラムを結ぶ象徴的な存在となったと同時にアザーンという貴重なものを後世に残していかれました。

グナワの楽器など

グナワ音楽ではtbel(トゥベル)という太鼓、ゲンブリというベース三線のような弦楽器、カルカバ(クラカブ:複数)という鉄製のカスタネットのような楽器が主に使用されます。

tbelとカルカバや、ゲンブリとカルカバが一緒に演奏されることがあるが、tbel(トゥベル)とゲンブリが一緒に演奏されることは殆ど無いようです。唯一、メルズーガなどの地域でベルベル系やアラブとの混血を避け、奴隷の子孫の流れを維持して来たグナワ・ハムリアに関してはゲンブリとtbel、さらにはジェンベなども一緒に演奏している動画がありましたがこの時はバチではなく手でやさしくたたいておりました。

(tbel,tbola トゥベル、トゥボラ)

tbelとは片面に雄ヤギの皮、もう一面には雌ヤギの皮を張った両面太鼓です。叩くのは片面だけでその音域は近代的なドラムセットに例えるとlow tomすなわちドラマーから見て右側の地面に直接置いてある中太鼓のものに近いです。カルカバと共に儀礼の前の練り歩きなどに演奏されるので紐で肩からかけ、手ではなくバチが使用されます。バチは片方が太めで弓状に曲がっているsahlaと呼ばれるもので材料はイチジクの木です。低音を出すためにこのsahlaで太鼓の中央を叩きます。もう一方のバチはtarrashと呼ばれ、しなるほど細くて真っすぐな棒です。こちらはオリーヴの木から出来ております。このtarrashで太鼓の端を叩くことにより高音域を出します。こちらはグナワではなくガンガという人たち特有の楽器だったそうで、つい最近キューバのとある村の人口の殆どがシエラ・レオーネのガンガにルーツがあるという興味深い記事がありました。このガンガが使用している太鼓もこのtbelと同じでした。
【参考記事(英語):http://www.bbc.com/news/world-latin-america-25876023


(Guembri,Guimbri,Hajouj,Sintir 
ゲンブリ、シンティール、ハジュージ、ギンブリ、グンブリ)

ゲンブリはイチジクの幹などを船の様な形に削り出し、その表面にラクダの首の皮を太鼓のように張り、先端にネックとして細い棒を挿した三味線やバンジョーのような弦楽器です。弦は三本で、羊の腸を乾燥させて縒ったものが使用されます。最低音の音域の幅はちょうどギターのもっとも低いF#から、その下のCの音に調律されているものがありますが、数々の音源から見るとベストな音程はE♭やDのようです。

言い伝えによれば、もともとは2本の弦しかなかったゲンブリですが現在のは弦が3本あります。また、他の弦楽器のように地面に向かうにつれて音が高くなっていく様に調律されているのではなく、最高音の弦が2つの低音弦の間、竿の中央に括られております。調律は弦を棒に括り就けてある皮のヒモを動かして行うもので、天気、温度などによって音程が狂いやすいです。この紐の結び方や滑らないようにする秘密はグナワのみぞ知ると語られて来ましたが、最近はより正確な調律が可能になるようにペグを装着されたものが多く見られます。弦についても特殊なナイロン弦などを探して工夫されてる奏者も増えています。

ゲンブリは弦を指ではじきつつ、同時に皮を叩いて演奏する高度な技術を要するもの。なお、ネックの先端にはセルセラという鉄製の槍頭みたいなものが刺されますが、これに付いている幾つかの小さなピアスのようなリングがゲンブリの弦の振動を捉え、ロックギターのようなディストーション(歪み音)効果を出します。セルセラはジュヌン(精霊:ジンの複数系)をおびき寄せるために付けるもです。

(Qarqaba,Qraqeb カルカバ、クラカブ、カルカベ、ゴロ、クラカッシュ、クロタール)

カルカバは両手に一組ずつ持つ鉄製のカスタネットですが各自に円盤が二つあり、かなり音が大きいです。軽量なものから重いもの、大中小とサイズがあり材料は車のバンパーだったりもします。一見簡単そうなカルカバですがいざ握ってみるとその”不自由さ”が分かります、、、難しい上にリズムパターンが複雑なので慣れが必要な楽器です。さらに合いの手の歌も歌うわけですが、間違えるとものすごく目立つ恐ろしい楽器でもあり、マスターしたら集中力とリズム感が何倍も良くなる楽器でもあります。通常でも十分に難しいのに時折、ゲンブリを弾く師匠がリズムがひっくり返ったように聞こえる節を反復し、カルカバ隊の力量を試したりします。

(ゲンブリのエレキ化)

ゲンブリ奏者はいつでも基本的に一人ですが、カルカバ奏者は常に3、4人いるのでゲンブリをアンプなどに通さないとその音がかき消されてしまうこともあります。ゲンブリの”エレキ化”は当然、伝統的なことではなくゲンブリは「演奏者本人と精霊達に聞こえれば良い」と見なされている一面もあるので、今まではカルカバにかき消されてもさほど問題と見なされていなかったようです。憑依したジンがをその音をよく聞くためにトランスに入ったダンサーをゲンブリ奏者の目の前に四つん這いにさせている光景がよく見られます。
一方、最近のゲンブリはステージのみならずリーラ儀礼の動画などでもアンプに繋いでいるのも良く見ます。ゲンブリの音量についてはモロッコの部屋のつくり、壁や床の材質などによる影響もあり、木造が多い日本だとゲンブリの音がよりいっそう小さく埋もれてしまう場合もあります。

またカルカバに変わるものですが、正式な儀礼の状況ではない時の演奏や音量を出せない時間帯にはカセットテープやCDのケースを使うことも好まれているようで、これがまたゲンブリの大人しい生音としっくりとはまって心地よいです。時折出てくるマーレムの”オフ時”の演奏音源などでこのカセットテープ、CDケースカルカバが聞けたりします。

グナワの町と著名なマーレムなど


モロッコでは何種類のグナワの流派があります。

ガルバウィーと言われる内陸グナワ、
マルサウィーと言われる沿岸グナワ(エッサウィラ)、
マラケシーと言われるマラケシュ流、
北部グナワ(メクネスやタンジール)、
スースィと言われるベルベル形、
ハムリーンと言われる南部系グナワ(メルズーガ、エルラシディア)など、、、

グナワはモロッコ全土に点在しておりますが、主なる町の特徴は以下の通りになります。

エッサウィラ:15世紀にポルトガル人により確立。次第に衰退したが、1756年に再び
モロッコの交易拠点として復活。唯一知られているグナワ聖所がある町でもあり、最もグナワ人口が高い。
著名な奏者などは:Mahmoud Gania, Mokhtar Gania, Abdellah Gania等からなるゲンブリ作りでも有名なガニア家や、他にはAbderrahmane Paco, Alla Soudani, Abdelslam BelghitiとChérif Regragui、今は亡き
Abdellah Ghaniaの後継者となるSaid Boulhimas、Mokhtar Ghaniaの娘達からなる2015年あたりから増えてきてる女性グナワグループBnat GaniaのRiima Gania, Sana Gania, Hasna Ganiaなど。

マラケシュ:”モロッコ”の国名の由来となるマラケシュは1062A.D.に「サハラへの入り口」として確立。当時はイスラム文化の中心地でもあった。
多くの奴隷はここを通り、その多くはここの宮殿にて召使いやエリート近衛兵としての仕事に就いた。
著名な奏者などは:Jil Jilalaで一世を風靡したMustapha Bakbou や Ahmed Bakbou,他には Abdelkebir Merchane, Abbas Baska, Mahjoub Khalmous, Abdelatif el Makhzoumi, Mohamed Kouyou, ハンマムのお湯を沸かす火の管理人でもあり数々のドキュメンタリーに登場するMohamed Hamada, 他にはAbdellah Nait Mau, Nass MarrakeshのAziz Arradi, Said Damir, 若い頃に渡米し、グナワを世界に広めた第一人者のHassan Hakmoun など。私が1999年に出会い、そのゲンブリを譲ってもらった Hassan el Gadiri "Zoughari" (アガディールからという意味) はこの当時マラケシュにいたが現在はベルギーにも行き来をしているとのこと。Gadiri一団で活動しているSimo Lbahja, Abidin Zoughari, Jamal Zoughariなども期待の次世代。

カサブランカ:モロッコの大都市。1960年には経済的な理由により多くのグナワがマラケシュから移住した経緯がある。著名な奏者などは:Abdenbi el Gadari, Mohammed "Sam" Zourhbat, Hmidah Boussou, Abdelkader Benthamiなど。

タンジェ:ビート世代が大量に訪れた60年代には悪名高い「interzone」と呼ばれ、
密売業者、娼婦、ギャンブラーちなどの聖地として栄えた。今日は静かな港町。
著名な奏者などは:北米出身のジャズ・ピアニスト、Randy Westonとの交流でも有名な Abdenbi el Gourd, 他にはHamid el Kasriを指導したAbdelwahab "Stitou", Maalem Mahmoud El Filali Asilah など。


メクネス:グナワの資料が意外と残っている地域とのこと。著名な奏者は:Hadri Hamid,や Abdenbi el Meknassiなど。

ラバト:モロッコ王国の現在の首都。伝統的にはグナワの町では無かったが近年はレベルの高いマーレムもたくさん出て来ている注目の町。著名な奏者などは:Si Mohammed Chaouqi, その歌声の美しさでしられるKsar el Kebir出身で幼少期をタンジェで過ごした大スターHamid el Kasriや重厚な ゲンブリなAbdelkader Amlil、若い世代だと今注目の Seddik Qannarouch, Zakaria Houaoura, Fattah Bajaddi など。

メルズーガ他:砂漠地帯のメルズーガなどにはGnawa Khamlinと称されるベルベルやアラブとの混血を避け、伝統の商業化を避けて来たグナワの一派がいるが、近年はその反動かなんとも言えないオープンな姿勢でツーリストなどに向けての演奏も始めているようだ。特徴的なのは他のグナワのようなカラフルな衣装ではなく、純白の衣を着ていることなど。残念ながらこちらの奏者情報は個人名ではなくPigeons Du Sableというアーチスト名のみ。

タルダント:実はあまりグナワの街としての認知度は低いが、実力のあるグナワが多数在住しており、グナワ・ベルベルというベルベル系のグナワ伝統もあると言われている街。歴史的な経緯からマラケシュという街はそもそもタルダントから移住した人の街という意識を持つ人も少なくない。マラケシュで有名な音楽、ドゥカもタルダントが誇る伝統音楽。グナワの著名なマーレムと言えば著者も2015年に師事していただいたMaalem Abdelmajid Kardoudi
(元はサーフィ出身)を始めその息子のMehdi Kardoudi, Yassin Koyo、他にはMaalem Abdellah Roudani(この苗字は地元のもの)、イギリス在住のBujmaa Bulbulの息子、Monsif。他にはFahd Rhandour、今やタルダントが誇る世界的大スターMehdi Nassouliや素晴らしい装飾をほどこしたギンブリを作る家具職人でもあるMaalem Sami Mohamedなどといったレベルの高いグナワが多数いる街。またベルベル系グナワとしてガンブリという楽器で奏でる本来のグナワとは若干異なる曲もあり興味深い地域。

(女性グナワグループ)
2015年あたりから増えてきてる女性のみグナワグループだが、Mokhtar Ghaniaの娘達からなるBnat GaniaのRiima Gania, Sana Gania, Hasna Gania、他にはAsmaa Hamzaoui率いるBnat Timbuktuなど。

グナワの近代

グナワもモロッコのエンターテインメント業界や西欧資本主義がもたらす様々な変化との競争・協業を強いられ、さまざまな要素がグナワ音楽の近代化・体系化に大きく影響しているように見えます。

主なる影響は西欧へのグナワ文化の輸出、観光業などによるグナワ文化の成長と変貌などで、今日のグナワは今後よりいっそうにグローバル化による近代化と古くからのアイデンティティー維持とのバランスという課題に直面していくようにも思えます。

この大成長への第一歩ともいえるのが1970年当時Jil Jilala と Nass el Ghiwane がグナワ音楽の商業科に成功したこととも言えましょう。両グループともスーフィー・フォークとモロッコポップスを混ぜた音楽を作り上げ、カルカバとゲンブリサウンドの人気を高めました。

突然に今まで伝統の中にいたグナワの楽器がモロッコの若者文化の前線に現れ、この現象は若いグナワ達にとっても、そうでない人にとってもグナワに関する感心を高める結果となりました。

同時に70年初期には、1961年のマーレム・ボッソウの移住をきっかけにマラケシュに住んでいたグナワの師匠らがカサブランカや他の都市へ移住するという流れもあったようです。

理由は経済的なものでマラケシュにグナワが増えすぎており、カサブランカにはまだグナワ儀礼などに多くの金を払える中流階級がいたからとも言われております。

歴史的にみてもカサブランカがグナワ文化的に象徴的であったころはなく、Antonio Baldessare氏によると今でもカサブランカが持つグナワ文化への立場に関しては賛否両論だと書かれております。ラバトなどが盛り上がっている今日でも「グナワの中心地は?」と聴くとやはりマラケシュとエッサウイーラと答える人が未だに多いような気がします。

当然ながら近代化とともに、ここ40年ではグナワ自身が持つ外界に対する態度の変化なども見うけられます。経済的、社会的地位向上、文化交流の理由より新しい世代のマーレムは西欧人、モロッコの中流・上流階級に対し以前よりオープンになりつつあります。以前は関係者のみで行われていたリーラ儀礼なども公的にオープンな状態で開催しているマーレムもいるようです。

もちろん、このような時勢でも頑なに観光目的の外国人などにはリーラ儀礼やグナワ文化を開放しないマーレムも存在するようです。

いずれにせよ、このグナワ文化を取り巻く環境の近代化が急ピッチでの伝統見直しを手伝っていることも事実で、外国で活動しているグナワ音楽家らにも自分達の伝統を見直す良いきっかけとなっていることでしょう。このグナワ・ブームは今までばらつきのあった曲のスタイルの見直しや歌詞の固定化・更新を手伝っているような気がします。

一方、30年以上グナワと共にモロッコに暮らしている画商のFrederic Damgaard氏は異なる意見をもつようで、彼はこのグナワ流行は流行にすぎず、それを追ったマーレムは行き場を失わないだろうかと危惧しているようです。残ったもののみが伝統とのつながりを維持出来るのではと、、、

また20数年前のモロッコでは若者達の表現手段は少なく、多くはグナワやアフリカ文化にへと目を向けることによって「正規」のアラブ文化へのフラストレーションを表現する手段として利用していたという説もあります。近年特に目立つのはグナワ音楽とレゲーとの関連付けや、ボブ・マーリーの外見的なスタイルなどと取り入れたラスタ風な”グナウィ”たち。個人的な意見ですが、ここの境界線ががぼやけると何か両者にとってもったいないなと思ってしまいます。

今となれば毎年エッサウイラでは大きなグナワ・フェスなるものなどもあり、世界各地でグナワの音楽をインスピレーションとして活動している音楽家も増えました。このブログを書いている私も含め、アメリカではClub D'Elfの Mike Rivard氏、欧州のJaya Deva氏、Tim Abdellah氏などとモロッコ人グナウィ以外にもゲンブリでグナワ音楽を演奏する人も年々増えているようです。
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