この間Mさんが編集した映像に映ったレクター博士、ではなくマトリックスのなんだったっけ、白鳥の舞の女の人、トリニティだ。マトリックスの公開は1999年。前回のブログもそうなのだが、最近の私は20年前の記憶をたどるようなテーマが自らの琴線に触れるようである。

マトリックスが描いた未来の世界は人間が電力として利用される未来だった。人間を電力とするのはもちろん非効率なんだろうけど、AIが種の保存という意味以上の何を人間に求めたか、という考察はいまさらどうでもよくて。

少なくともマトリックスでは、アナログとデジタルの境界が無くなることも、常時オンラインであることも「悪」として描かれていたのではないか。2019年現在よりも大幅に「未来」のような気がしたマトリックスの世界は、実は遠い未来ではないんじゃないかと思い始めたのがこの記事の発端。

2019年、人体とネットワークはデバイスを介さないと繋がらないとはいえ、もうほぼ常時接続だ。記憶媒体の容量だってテラバイト、なんだったらペタバイトだって遠くない。ムーアの法則がまだ保たれているかどうかは知らないが、きっとまだまだ増え続けることになる。私の脳の記憶容量は、きっと1テラバイトなんて無いんだろうな。

人類をただひとつの種という視点で捉えると、明るいだけではないかもしれない未来を無意識に感じていて、長期的には自分たちが「byte」になろうとしているのでは?なんて勘ぐったりしてみたり。