ビストロ→ロマンス

ロマンスなんて単語を聞くと、

ベージュのトレンチコートとハットを決めた渋~いナイスミドルと、

真っ赤なドレスに何かしら羽織った踊り子みたいな人が、

夜、

町を流れる小さな川にかかった橋の上で抱き合うような、

そういった背徳的映像を想像してしまうのだが、

本来の意味は「ローマ的」、

そこから派生して大衆的、庶民的という意味を経て、

恋愛話、恋愛事件という使われ方に結びつくようだ。


色恋沙汰や恋愛話は得てしてゴシップ的に要素を含み、

そのおかげで愛の話は綺麗に語られる事が多いが、

恋の話は下世話な方向に傾くことも多々ある。

心が変になるのが恋とはよく言ったもので、

恋をすると周囲の事などには目もくれず、

ただただ祈願成就するまで、

時には周りの人をも巻き込んでそれでも尚、

人を衝き動かすやっかいな代物である。


特に思春期の恋はやっかいだ。

今日は少し話が出来た、

今日は出来なかった、

帰りに少し見かけることが出来た、

と、

相手の一挙手一投足に気もそぞろである。

これではおちおち勉強も手につかず、

成績がた落ち、

眠る間際も頭の中は悶々としてあくる日は寝不足、

目の下に隈を作って頬は痩せこけ、

それでも好きだ好きだと念仏の様に唱えながら歩き回る。

これを病気と言わずなんと言おうか。

ただ1つ、

こうした病的な恋愛は劣情と強く結びついている事が多いことを、

私めの経験から言わせてもらう。

テレビ→ビストロ

ビストロなる単語を知ったのはビストロSMAPであった。

マエストロと似たような意味なのかと思いきや、

フランス語で気軽に利用できるレストラン、

なる意味だそうだ。


まあそれはそれとして、

自他共に認める少ししか料理できない男子である私めにとって、

料理できる男子に対するコンプレックス、

料理できる男子を求めている世間に対する申し訳なさは尋常でないものがある。

得意料理を尋ねられて「ツナパスタ」と答えるあたりは、

大した事でもなくかといって外し切っているわけでもなく、

凡庸そのものである。


料理は女性の仕事、

なんて言われていた時代もあったが、

良く考えたら仕事として料理をしているのは男性ばかりである。

それに、

一度ハマってのめり込んでいるのも男性である。

私めの交友関係内にも、

料理にはまって何だか小難しい味の研究をしている人や、

何たらっていう食材が欲しい欲しいと叫ぶ友人は皆男子だ。

男子の方が何かにつけて凝り性になる性分であるため、

他人には良くわからない世界に入ってしまうことも致し方のないことであろう。


ともあれ、

料理にしろ音楽にしろ拘りを持って取り組むことはとても有益なことである。

ただ漫然とやるより理想の追求をテーマとしていた方が良い物が生まれるに違いない。

そうした中で何かに拘りを持って生活している人と、

元々拘れない性分の私め、

他人と衝突することを避けて生きてきた私めとが会ったとき、

私めはいつもコンプレックスと羨ましさを強く感じるのである。

テレビ

大学の頃心酔してああ俺もこんな風になりたいと思って止まなかった中島らもの真似をしてやったしりとりでつづるブログをやってみようと思う。

要はテーマをしりとりで連ねていくのだ。

取り合えず目に付いた「テレビ」から始めてみる。

我が家には番組が映るテレビが一台しかない。

家を建てた頃から現在に至るまで、

ただ一台リビングにあるっきりである。

だから自分の部屋にテレビが置いてあると言う同級生の話はかなり衝撃的であった。

今ではそもそもテレビ自体あまり観なくなり部屋にあっても無くてもどっちでもという心持ではあるが、

小さかった頃から父親がチャンネル権を独占していた時分にとっては非常に羨ましい話であった。

何故テレビが無かったのかと言うと、

まあおそらく勉強の妨げになるからであろう。

当時の我が家では毎日決まった時刻に自室に入って勉強するというルールがあり、

時間になったらさっきまで観ていたテレビに後ろ髪を引かれつつも上に上がっていったものだ。

まあそうしたところで勉強などせずほとんどはだらけることに時間は費やされたのだが、

もしその場にテレビがあったならば結果は火を見るより明らかだ。


テレビと言えば

当時はリアルタイムで詳しい情報を得られ、

バラエティに富み、

情報源・娯楽として最も発達したメディアであったに違いない。

テレビの普及により都会と田舎の情報格差がどんどん縮まり、

都会の流行がそうではない所でも流行る、

田舎の人の方がやけに東京に詳しい、

といった具合に情報伝達はおろか、

文化的な革命に近い現象が起こっていたに違いない。


昨今では、

今まで情報受信に止まっていた一個人が、

誰でも自由に好きなように情報を発信することができ、

さらにそれは多くの人、見知らぬ人と共有でき、

さらにそこから生身の関わりを生むことのできる世の中である。

震災の時はツイッターが大いに役立ち、

フェイスブックと密接に関わった政治的革命も記憶に新しい。

情報伝達能力の進化はあくまで構造上では社会の進化であると言えると思う。

もちろんそういった発達により退化した部分だってあるとは思うが、

それはまたいつか書こうと思う。

と、

今更私めが世界に向けて自分のメディア観語る必要なんてないよなと、

ラジオに耳を傾けながら思った。

さて、

新聞読むか。


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