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 ローカルマニフェスト推進議員連盟の視察では、大船渡市など沿岸地域の状況以外にも復興支援の後方基地として重要な役割りを担った遠野市の対応について本田敏秋遠野市長からも話を伺った。遠野市が行った支援活動は「災害救援のモデルケース」としても注目されている。遠野市は武蔵野市の友好都市であり、武蔵野市の職員も災害復興へ職員の派遣を行うなど縁がある自治体だ。




 本田市長の話によると、地震が起きた14分後には照明機器や発電機などの設置や自衛隊など受け入れができるように市内にある運動公園を開放し支援基地の設置を行ったとされていた。他にも高校の体育館や市内のコミュニティセンターを含めた公共施設、民間施設などで警察や自衛隊などの受け入れが出来るように体制を整え、多いときには一日6000〜7000人もの支援者を受け入れることができたともされていた。

 瞬時ともいえるような支援体制ができたのは、遠野市が太平洋沿岸地域に車で一時間ほどの距離であり、これまでにも津波被害があったこと。遠野市の地盤には活断層がなく地盤も安定していたことから災害時には後方支援としての機能が求められている、いわば沿岸各地への支援を行う「扇の要」になると想定していたからなのだそうだ。
iwate02 そのため、「後方支援拠点施設整備推進構想」を2007年に作成し沿岸の7市町と協議会を設立。臨時ヘリポートや後方支援棟として活用できる運動公園の整備などを国や県の補助金を活用し整備する一方で防災訓練などを実施してきた。今回はその訓練どおりにできたことも大きいとされていた。

 実際の支援を開始したのは震災翌日の12日。地震発生後は情報がほとんどなく沿岸地域とも連絡が取れない状態だったが、12日の未明に大槌町から山を越えて1人の男性が助けを求めにきて、多数が避難しているが水も食料もないと伝えてきた。そのため、すぐに市職員を派遣。物資を届けるとともに戻ってきた職員から現地の惨状が分かり、13日には後方支援活動対策本部を立ち上げ支援活動を本格的に開始したのだそうだ。これらのことができたのは、これまでの計画や訓練が活かされたこと大きいとされていた。

 遠野市役所も地震で市庁舎中央館が全壊する被害を受け、市役所機能の一部を移転するなどもあったが支援活動は今もなお続けられている。


iwate01【視点】
 遠野市には津波被害が想定されていないのにもかかわらず、沿岸地域のために支援をしようと計画していたことには驚かされた。なぜ後方支援を重要視し実際に体制を整えてきたかを伺うと、本田市長の前職は岩手県職員で阪神大震災への支援活動を行った経験があること。消防防災課長時代にこのような体制が必要と認識していた背景があったとされていた。細かな課題は残っているとされてはいたが、遠野市が行ったことで、被災地支援だけではなく後方支援の重要性が全国的に認識されたのだと思う。

 また、職員を即座に派遣したことなどにはトップリーダーとしての市長の考え方もあったように思った。情報を整理してとか、関係機関と相談してなどで時間を費やしてしまうことをせず、助けを求めてきたのだからすぐに対応するように指示を出したという。何よりも支援を優先させるべきで、災害時にいちいち手続きとか法律を守るなんて言ってられない。時には超法規的な現場判断も必要。現場の判断は現場責任者にすべてを任せる、責任は市長が取ると伝え対応させたとの話には感銘を受けた。

 こと大震災が起きれば計画通りにはいかない。法律や規則任せでも対応はできない。その時にどのように判断し組織を動かし結果を出せるか。物資や施設整備、組織体制だけではない重要な要素が大きいということなのだろう。このこともどのようにすれば良いのか、計画や訓練だけで対応できるのか、とも考えてしまった。

 遠野市は武蔵野市の友好都市でもある。今回、武蔵野市を初め有効都市からの支援は心強く感謝したいとも話されていた。多すぎではないかと思っていた武蔵野市の友好都市だが、今後は新たな考え方での交流も必要になるとも思った。


 現地を見て、現地の人に話を聞く。メディアは人伝えではなく肌で感じて考えることの重要性を改めて認識した。視察を企画してくださった佐藤邦夫奥州市議、体験談を伺った現地の大船渡の市議の皆さん、本田市長、避難所自治会長など皆さんに感謝を申し上げたい。実りの多い視察だった。


(写真は上から)
・本田市長
・陸前高田市で。鉄道(ドラゴンレール大船渡線)の再開のめどはたっていない。
・地盤沈下が起こり海とつながっている地域もある


【参考】
遠野市災害対策本部
東日本大震災から半年(1)
東日本大震災から半年(2)