今朝の新聞各紙は、安全保障法制に関する政府の有識者会議が提出する予定の報告書最終案について報道している。自民、公明両党は、この報告書をうけて集団的自衛権行使をめぐる協議を始めるという。集団的自衛権への見解は別として、時の政権が解釈によって「改憲」してしまうのでは法治国家、立憲主義という日本の政治のあり方を根底から変えてしまうことになる。  
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 国会は5月9日、衆議院本会議で国民投票法の改正案を可決し、参議院に送っている。現在の情勢では、今の国会で成立する見込みだ。今の憲法に課題があり変更すべきと考えるのなら、なぜ改正手続きを経て改正するという表玄関から入って行わないのだろうか。憲法第96条にあるように衆参両院の3分の2以上の国会議員が賛成し、国民投票で過半数の賛成を得ることをしないのか、と思う。  何事にも万能なものはない。憲法についても同じだ。まずは、課題があるというのなら、課題を整理しどのように改憲が必要なのかを国民に示し議論すべきだと思う。例えば環境権がないなど課題などだ。  改正したいから、決められている手続きを行わない、横道、裏口からやってしまうのでは、あまりにもオカシイ。閣議決定で決めてしまうのであれば憲法の意味も国会の意義をなくしてしまうことになる。これが許されてしまうのであれば、国会はいらないとなってしまう。    憲法についての考え方は、国民も含めていろいろある。改憲したい人も少なくはないのだろう。国会政党の自民党や民主党、公明党、他の政党を含めて、すべての国会議員がどのように考えているのかまでは分からないが、多様な意見や考えがあるはずだ。  その意見や考えを持ち寄り、公の場で課題と論点を明確にして最善策を話し合い決める。それが議会ではないだろうか。地方議会ではそのように議会を定義する議会が増えている。議会がそうではないとなれば、国会という議会の存在を否定することにもなるのが解釈「改憲」だ。  これを許す、許さないは国会の存在意義を示すことにもなる。すべきではない。