原発のない社会をめざすグリーンテーブルのメンバーで南相馬市内の視察のほかに、南相馬市役所で復興の現状を伺い、桜井勝延市長からは震災時の様子や首長として何を思っているかなど貴重な話を伺った。

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 ■若い世代が戻らない

 南相馬市役所で現状について市の担当者から伺った。震災時の状況や対応などは昨年視察したさいにまとめた「復興は自治が試される  南相馬市視察から」をご参照ください。

IMG_1245 復興へ向けていろいろなことが進められているが、そのひとつに復興住宅の着工があった。完成が近い建物もあり、コンパクトシティを目指すために市街地の中心部に高層住宅や分譲住宅が建設されていた。まちづくりの観点からもこの手法は参考になる。

 しかし、住宅が建てられ避難されていた人たちが戻りつつあるとはいえ、まだまだ多くの課題が残されていることは実感する。そのなかでも大きな課題は、仕事はあっても人がいない。それも、年齢条件などのミスマッチが大きいことだという。コンビニの店員を募集しても人が集まらず年齢条件を75歳以下にしてもダメだという状況だそうだ。15歳以上65歳未満の生産年齢人口、いわば働き盛りの人の多くが戻ってきていないのだ。 

2015年01月26日グリーンテーブル南相馬視察資料 19

 公立保育園の保育料無料化。中学生には学習塾から講師を派遣してもらうことや18歳まで医療費は無料など市としてできることを行い、戻ってきている人は増えているそうだが、それでも元には戻ってない。視察時で、震災前の人口に対して戻ってきた人口を示す回復率は66%。1万2502人がまだ市外に避難している。これが現実だった。

 その結果として25.9%から33.5%になった急速な高齢化がある。生産年齢人口をどう増やすかが課題となっていた。どうすればいいか、アイデアをお願いしますと聞かれたが、返す言葉はなかった。

 戻らない理由には、避難先で仕事を始めていることもあるが、原発被害を懸念していることも少なくないからだろう。子どもたちへの学校給食で、保護者から賛成を得られないため地元産の食材を出せていないのがその象徴ともいえる。数値的には問題は少ないというが、不安は拭い去れていないのだろう。この気持ちは分かる。もしものことを考えれば、子どもに影響がでてしまってからでは遅いからだ。


■介護、除染。課題はまだまだある

 生産人口年齢が増えないことから医療関係への影響もでている。医師や看護師、スタッフが足りないので医療機関を再開したくてもできない。一方で震災から介護状態の人が増えた。対応がしきれなくなっているのも大きな問題とされていた。

 震災が起きたあと、このようなことは武蔵野市でもおきることだろう。対策を考えていく必要がある。
 
 昨年は課題となっていた除染については、市街地では終わっているが、これから中間処理施設への搬送が課題になりそうだ。運ぶさいに、家の前を通るなと言われるかもしれない。他の自治体からは通すなと拒否されるかもしれない。そうなると専用の道路を作らないとダメかもしれない。また、校庭に埋まっている除染土をどう掘り返し移動するかも分からないなど、まだまだ課題が残されていることも分かった。

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■終わったことにしたいのか

 視察では、行政の担当者以外に南相馬市議会議員の方々からも話を伺った。そのさい、行政は言えないだろうから、との前提でのいくつかの話があった。

 その中で、福島の復興なくして日本の復興はないと総理が言っていたが、どうなっているか。どても、復興したとは言えない。終わったことにしたいのが国の政策ではないのか。東京では、まだやっているのかと思っているのだろう。震災で企業がいなくなり雇用が失われた。不便なところに企業は来ない。東電がここに来て、関連企業も張り付けて雇用を生み出すべきではないか、との話が印象的だった。
 強い憤りを抑えながらの言葉だったが、多くの人たちの本音ではないだろうか。

 
■自ら考え判断しなくてはならない

 脱原発をめざす首長会議の世話人を務めている桜井市長からは、懇親会の席と市長室への訪問したさいに多くの話を伺った。

 東日本大震災直後、原発が爆発したことなどいっさい情報は入らなかった。爆発を知り、市が独自にバスをチャーターして避難を始めた。避難は、約7万8000人の人口が約8000人になったほどだった。原発事故があり放射能が怖いからメディアも来なかった。だから。南相馬市の窮状をYouTubeから訴え、米国タイム誌から2011年版の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれている。
 
 震災後、原発事故の対応についても、誰にも教えてもらうことはなかった。安全という人がいれば、安全でないという人がいる。どうやって信じていいか、自分たちで考えるしかなかった。これは住民も同じだった。線量については、どこが高いかどうかは情報を出して、同じ土俵で話し合わないと納得してもらえなかった。安全と言いたくても言えない。詳しいデータをきめ細やかに出して、納得してもらうしかない。


■これからは歴史に学ぶ

 原発事故の賠償金は、実態経済に全く回っていない。商売ができないかなどの賠償であって経済活動で得たお金ではないからだ。今では、賠償が平成28年で切られるのは許せないという意見がある。一方で震災後ここにやってきて一所懸命に復興へむけて頑張っている人には一銭もでていない。南相馬は、20キロ圏、30キロ圏が市内にあり賠償金も違う。住民同士でこの差から、いがみ合うことにもなってしまった。だから、独自で補償を行うなど市がやらなくてはならないことが多かった。

 今の国の姿勢については、民主党政権時代は、国会議員がどの政党も来たが、昨年のゴールデンウイークには自民党の国会議員は誰も来なかった。こんな暇でいいんですか? と聞きたい。政治家は言葉で示すのでなく、体で示すべき。

 川内原発については、いったいどうやって避難きるかを考えてもらいたい。南相馬の体験からはできないとしかいえない。せめてできることといえば、屋内退避しかないとされていた。

 これからは、歴史に学びたい。南相馬は、原発がなくてもやっていけた地域だった。海の恵みも山の恵みもある。交易などで古くから栄えていた。同じように原発がなくても復興したいと話されていた。

 原発に頼らないで復興する。それが自治の姿といえるのではないだろうか。
 

■情報の大切さ

 現地を訪れると津波被害だけではなく原発事故被害の奥深さ、罪深さを実感する。東京へ電気を送るための原発が起こした事故だ。この悲劇を繰り返さないために、市民、議員も含めて武蔵野市は何をすべきだろうか。

 少なくとも原発を推進すべきではない。省エネを進め電気を使う生活をあらためることは当然のことだろう。武蔵野市として、さらのこの施策を進めるべきだ。

 そして、震災当時の話を伺うと国を頼りにしていても立ち行かないことも分かる。自ら判断し行動しなくてはならいことを前提に非難計画などを作り、実行できることが求められていることも分かった。

 そのさいの情報の重要さも分かった。災害時にはデマも含めていろいろな情報が錯綜する。市民も独自に持つ情報もあるだろう。行政の持つ情報を開示し、市民とともに考え最善策を作ることが、結果としてまちの力になり混乱を少なくし、最善へと近づくことになる。このことは災害時だけではなく、平時から行っていくことは当然のことだ。当たり前のことと私は考えていたが、災害時にこそ意味を持つことも分かった

 そして、歴史に学ぶとことも大切さも教わった。何がを持ってくれば、あるいは人任せで良くなると考えずに、地域の特性を考えて活かすことで、何ができるか、何をすることが良いのかを考える視点だ。それも情報を元にして住民とともに。
 これらの視点は、大切であり常に忘れてはならない。あらためて実感した視察でもあった。

(視察は2015年1月26、27日に伺った)


【参考】
福島を忘れていないか? (1)
原発避難区域の食堂  福島を忘れていないか?(2)