辺野古の基地の建設予定地、キャンプシュワブの前で座り込みをしながら抗議活動をされている沖縄県統一連(安保廃棄・くらしと民主主義を守る沖縄県統一行動連絡会議)の中村司(まもる)さん現状について話を伺った。■200年先まで侵略基地はいらない
中村さんは、座り込みは一年を超えたが、全国に支援が広がっており力強い。24時間座り込みをしているがピークは朝の7時。基地建設変への工事車両が入るので止めさせることやできるだけ時間をかけさせることを行っている。このことで作業がかなり遅れている。
大事なのは、今月で県知事が設置した第三者委員会の結論が出でる。これに基づいて、承認取り消しか撤回を判断する。知事の権限をこれから行使する。さらに加えて名護市長の権限もこれから行使をするため、日米両政府が困難に直面することが目に見えている。戦いは第二ステージになるが、私たちは戦いに勝てると考えており、決して悲観していない。
沖縄県民は、地上戦が行われた後に70年間米軍基地が置かれていること。新しい基地は200年持つ基地、200年先まで侵略基地として沖縄のこの場所を使わせるには行かない、新しい基地を作らせるわけには行かないとの思いが強い。特に戦争法と直結した基地。日本の未来がかかった戦いと位置づけている。日本の憲法が花開く日本をつくっていくため引き続き全国から支援をいただきたいと話されていた。

■今以上の基地がいるのだろうか
沖縄に新しい基地が必要と政権は主張しているが、マイク・モチヅキジョージワシントン大教授とマイケル・オハンロンブルッキングズ研究所上級研究員は、普天間飛行場の名護市辺野古移設について再考すべきだとして米CNNのホームページに論文を寄稿している。
「建設を強行すれば、沖縄にある、より重要な米軍基地を抱える人々の意欲を損なう」ことや、基地が建設されると日米がそれぞれ負担する150億ドルは、予算緊縮の時代にあまりにも高額過ぎること。今後は海兵隊の縮小が避けられない状況であり、既存の基地に沖縄から移る海兵隊のスペースは作り出せるというのが主な主張だ(琉球新報2011年11月6日より。CNN原文はこちら)
他にも在日米海兵隊の無用論はある(JBPRESS「米国も実は不要と思っている普天間基地」2015.3.31)
そもそも普天間基地の海兵隊は、司令部機能しかない「幽霊部隊」。海兵隊は、上陸作戦をする戦隊だが、海兵隊員を運ぶ船や空中援護を行う航空隊など陸海空の総合兵力が必要だが普天間にはないとの指摘もある(dot.2015年5月11日「沖縄に駐留する米海兵隊の語られない真実 抑止力ない“幽霊師団”」/AERA 2015年5月18日号)。
同じように有事には一刻を争うため、立地の良い沖縄に軍隊を配備するために必要というのが一般的な認識だが、キース・スタルダー米太平洋海兵隊司令官のインタビューから沖縄から戦地へ運ぶ輸送手段がないことが分かり沖縄に海兵隊を配備する必然性はないとの指摘もある(『「日米安保」とは何か』藤原書店編集部編)。
さらに、沖縄県宜野湾市の伊波洋一市長が独自調査を行い、司令部だけではなく沖縄海兵隊のほとんどをグアム島に移転する計画があり普天間基地も辺野古もほとんど必要ないとすでに指摘している(宜野湾市の米軍基地独自調査 基地は外務省のため?)
■納得できることがない
安全保障は一言では表すのは難しく、正解は何かを言うまでに私は至っていない。日米同盟は必要とは思うが、県民の反対を押し切ってまで作る必要性と急ぐ理由が何なのか現状では理解できていない。
中国への脅威が背景にあるとされるが、現実に部隊として動けないとの指摘を聞くと、何のために基地を作るのかが納得できない状況だ。アメリカへのサービス増強で、日本がより偉くなれると思っているのだろうか。それとも、公にできないことが起きているのかだろうか。
『「日米安保」とは何か』で指摘されていることだが、持っているものを取り上げられたくないとの感情論が先走っていないか。基地の必要性は薄まっているが、日本が作ってくれるのだから断る理由がない、もらえるものはもらってしまえといったことで基地建設が進められているようにも思えてしまった。
2000年の地方分権一括法で、国と地方自治体は対等の関係になったとされている。国が自治体の意見に反して強行してはならないのだ。上から目線の政権と揶揄されることは多いが、政権の態度も問題をより複雑化しているように思えてならないが、このことは別問題として、そもそも必要なのかを考えていくことこそ必要だ。
沖縄の基地反対運動には左翼が煽っているとする人もいるが、右左ではなく、本当にここに必要なら納得できるように政府は説明すべきだ。安全保障上で考えれば佐世保に集中したほうが効果的との意見(「沖縄に駐留する米海兵隊の語られない真実 抑止力ない“幽霊師団”」)があることを考えると沖縄だけに基地を集中させて良いのかも議論すべきだろう。米国と約束したからとにかく基地拡張では納得はできない。沖縄で見て、聞いて思えたことだ。
中村さんは、座り込みは一年を超えたが、全国に支援が広がっており力強い。24時間座り込みをしているがピークは朝の7時。基地建設変への工事車両が入るので止めさせることやできるだけ時間をかけさせることを行っている。このことで作業がかなり遅れている。大事なのは、今月で県知事が設置した第三者委員会の結論が出でる。これに基づいて、承認取り消しか撤回を判断する。知事の権限をこれから行使する。さらに加えて名護市長の権限もこれから行使をするため、日米両政府が困難に直面することが目に見えている。戦いは第二ステージになるが、私たちは戦いに勝てると考えており、決して悲観していない。
沖縄県民は、地上戦が行われた後に70年間米軍基地が置かれていること。新しい基地は200年持つ基地、200年先まで侵略基地として沖縄のこの場所を使わせるには行かない、新しい基地を作らせるわけには行かないとの思いが強い。特に戦争法と直結した基地。日本の未来がかかった戦いと位置づけている。日本の憲法が花開く日本をつくっていくため引き続き全国から支援をいただきたいと話されていた。

■今以上の基地がいるのだろうか
沖縄に新しい基地が必要と政権は主張しているが、マイク・モチヅキジョージワシントン大教授とマイケル・オハンロンブルッキングズ研究所上級研究員は、普天間飛行場の名護市辺野古移設について再考すべきだとして米CNNのホームページに論文を寄稿している。
「建設を強行すれば、沖縄にある、より重要な米軍基地を抱える人々の意欲を損なう」ことや、基地が建設されると日米がそれぞれ負担する150億ドルは、予算緊縮の時代にあまりにも高額過ぎること。今後は海兵隊の縮小が避けられない状況であり、既存の基地に沖縄から移る海兵隊のスペースは作り出せるというのが主な主張だ(琉球新報2011年11月6日より。CNN原文はこちら)
他にも在日米海兵隊の無用論はある(JBPRESS「米国も実は不要と思っている普天間基地」2015.3.31)
そもそも普天間基地の海兵隊は、司令部機能しかない「幽霊部隊」。海兵隊は、上陸作戦をする戦隊だが、海兵隊員を運ぶ船や空中援護を行う航空隊など陸海空の総合兵力が必要だが普天間にはないとの指摘もある(dot.2015年5月11日「沖縄に駐留する米海兵隊の語られない真実 抑止力ない“幽霊師団”」/AERA 2015年5月18日号)。
同じように有事には一刻を争うため、立地の良い沖縄に軍隊を配備するために必要というのが一般的な認識だが、キース・スタルダー米太平洋海兵隊司令官のインタビューから沖縄から戦地へ運ぶ輸送手段がないことが分かり沖縄に海兵隊を配備する必然性はないとの指摘もある(『「日米安保」とは何か』藤原書店編集部編)。
さらに、沖縄県宜野湾市の伊波洋一市長が独自調査を行い、司令部だけではなく沖縄海兵隊のほとんどをグアム島に移転する計画があり普天間基地も辺野古もほとんど必要ないとすでに指摘している(宜野湾市の米軍基地独自調査 基地は外務省のため?)
■納得できることがない
安全保障は一言では表すのは難しく、正解は何かを言うまでに私は至っていない。日米同盟は必要とは思うが、県民の反対を押し切ってまで作る必要性と急ぐ理由が何なのか現状では理解できていない。
中国への脅威が背景にあるとされるが、現実に部隊として動けないとの指摘を聞くと、何のために基地を作るのかが納得できない状況だ。アメリカへのサービス増強で、日本がより偉くなれると思っているのだろうか。それとも、公にできないことが起きているのかだろうか。
『「日米安保」とは何か』で指摘されていることだが、持っているものを取り上げられたくないとの感情論が先走っていないか。基地の必要性は薄まっているが、日本が作ってくれるのだから断る理由がない、もらえるものはもらってしまえといったことで基地建設が進められているようにも思えてしまった。
2000年の地方分権一括法で、国と地方自治体は対等の関係になったとされている。国が自治体の意見に反して強行してはならないのだ。上から目線の政権と揶揄されることは多いが、政権の態度も問題をより複雑化しているように思えてならないが、このことは別問題として、そもそも必要なのかを考えていくことこそ必要だ。
沖縄の基地反対運動には左翼が煽っているとする人もいるが、右左ではなく、本当にここに必要なら納得できるように政府は説明すべきだ。安全保障上で考えれば佐世保に集中したほうが効果的との意見(「沖縄に駐留する米海兵隊の語られない真実 抑止力ない“幽霊師団”」)があることを考えると沖縄だけに基地を集中させて良いのかも議論すべきだろう。米国と約束したからとにかく基地拡張では納得はできない。沖縄で見て、聞いて思えたことだ。
