武蔵野市の市民参加は、どの段階にあるのか。アリバイ参加なのか、市民が決定できるまでの自治と言える参加なのだろうか。


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 どの段階にあるのかは、先の一般質問で行ったもの。この質問をするのは、先の厚生委員会で「第三期武蔵野クリーンセンター(仮称)施設・周辺整備協議会―報告書」の行政報告が行われたさい配布された報告書に、『クリーンセンターが周辺住民と徹底的に話し合ってきた協働の歴史、そこで培った信頼関係を否定するものとして受け止める』と書かれていた付属資料が付けられていたことを重く受け止めたことからだ。

 このことだけでなく、第五期長期計画・調整計画での市民意見の反映、市民との協議手法について課題があったと考えていること。これから行われていく小中一貫教育についても、たんなる説明会、アリバイ作りにならないようにと思っての質問でもあった。

 武蔵野市政の大きな特徴は市民参加にあり、それが市民自治という言葉へ結びついている。しかし、時代は変わる。今までのような市民参加でいいのか、これからの時代を考えた新たな市民参加を実現すべきではないかとも考えているかこともあった。


■参加から参画へ

 武蔵野市は、邑上市長となり市民参加の機会は多く増え。無作為抽出によるワークショップやタウンミーティングの実施、説明会ではなく意見交換会としての会は多くなったことは評価をしたい。
 しかし、参加する機会は増えても、情報を説明するだけで精一杯という状況ではないでしょうか。現状では説明と質問で終わってしまい、この機会を活用して、市民が自ら考えてみること、行政が市民同士の議論を橋渡すこと、あるいは、行政は一歩引いてみての市民同士で議論することができていないのが実情だろう。

 市民は主権者だ。主権者が判断できるように場を整えることが本来は必要ではないだろうか。最終決定は、議会の役目だが、決定したことを執行するのが執行機関であるのに、執行機関が決定した後で、主権者である市民に伝えているような印象を受けることが、最近は少なくない。

 これまでは、なるべく多くの市民が参加できるようにしてきたとすれば、これからは、参加するだけでなく、市民が議論できる場をつくる、そして、判断を行う、決定にかかわるような新たな場をつくるべきだと私は考えている。
 参加することを目的化するのではなく、市民参加から市民参画へとステップアップすべきなのだ。


■無作為抽出ワークショップの評価

 武蔵野市だけでなく、多くの自治体で無作為抽出市民によるワークショップが実施されている。この評価はどうのようになっているのだろうか?

 私が考えてみたのは以下のメリット、デメリットだ。

○メリット
・これまでに参加できなかった人、興味を持っていなかった人へ参加への扉を開ける
・小グループで議論するため話す時間が多く、参加した人の満足感が高まる
・市政への関心が高まる

●デメリット
・平均的な市民層に参加してもらうことで、平均的な意見になってしまう
・市が持つ情報しかないため、市への批判的な意見が出にくく、市が意図した議論になりやすい
・確率の問題としてマイノリティの方が参加できる機会が低くなり、結果として多数意見が結果へ結びつき、個性的な政策が作りにくい。弱者への配慮が難しい

 特に参考になる情報が行政側しかない場合、よほどの人でないと理論的に反論できなくなる。論点・争点がどこにあり、選択肢はこのようにあると例示して上で議論できるならいいのだが、そのようなことはほとんどないのではないか。
 論点・争点を明確にするのは議会の役目でもあるが、市民に意見を聞くのであれば行政も示すことも必要だ。それが、市民が考えるきっかけになるからだ。結論を決めておいての説明では、納得する市民よりも不信感を持つ市民が増えてしまう可能性が出て規定しまう。


■市民参加の梯子

 アメリカの社会学者のシェリー・アーンスタインは、8段階になる「住民参加の梯子」を示している。市民参加、市民協働のバイブル的な考え方だが、ここには、次の階段が示されている。


1段階目 操り 操り参加(趣旨や役割の不明確な市民が操られた参加)

2段階目 セラピー お飾り住民参加(利用された参加)

 ----------ここまでは、住民参加とは言えない----------

3段階目 お知らせ 形式的住民参加(限定された参加)

4段階目 意見聴衆 与えられた役割の内容を認識した上での参加

5段階目 懐柔 行政主導で住民の意思決定のある参加

 ----------ここまでは、印、あるいは形式としての住民参加----------

6段階目 パートナーシップ 住民と行政との協働、決定権の共有

7段階目 委任されたパワー 住民主体の活動

8段階目 住民によるコントロール 住民主体の活動に行政を巻き込む

 ----------住民参加の力が生かされる住民参加----------


 6からは、参加だけでなく参画となり、意思決定や行政と協働をしている段階と言える。
その分、市民もたいへんになるが、だからこそ自らのまちを考え、行動へ結びつくのだ。

 武蔵野市の市民参加はどの段階だろうか? 


■参加はあたりまえ
 
 答弁では、答えはなかった。

 確かにどの段階と線引きするのは難しいのは分かる。
 しかし、どの段階にあるのか、この先はどこをめざすのか。そのことを考えていないと市民参加は進化しない。いつの間にか、どうせ市民には分からない。市民が参加すると面倒だから行政でお膳立てして参加だけさせておけばいい。説明をやっておけば議会からは文句を言われないだろうと階段を下りてしまうことにもなりかねない。それが、気が付けば市民参加の後退となってしまうのだ。

 私が感じているのは、4〜5段階目あたりでは、ということ。6段階以上の意思決定となると、参加した市民にどのような権限があるのかなどの資格要件、市の意思決定機関である議会との関係を整理する必要性が出てくるので、そう簡単ではないとは思うが、ここをめざしていくべきだと思う。じつは、それが自治基本条例ではないのか、とも思っている。

 市民が参加するのはあたりまえ。オリンピックでさえ、参加することに意義があるという時代ではなくなっている。どの段階の参加であり、どこを目指しているのか。右肩上がりに税収が増える時代ではない今だからこそ、考えなくてはならない。市民も行政も議会も、だ。


写真は、静岡県牧之原市の市民参加、協働についての研修会。詳細は後日