武蔵野市の学童クラブは、事業を市の外郭団体に委託する一方で指導員の正規雇用をはじめている。世の中の非正規化の流れとは逆光するこの手法で注目されているが、なぜこの動きになったか。まず歴史を振返ってみた。

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■「裏話」と歴史

 12月17日に東京の学童保育を充実させる会の定例会があり、そこで、武蔵野市の学童クラブの現状について報告してほしいとの依頼を受けての報告だった。

 武蔵野市は、平成29年度から市が出資している外郭団体、「武蔵野市子ども協会」に学童クラブ事業を委託している。
 一般的にいえば、市の外郭団体とはいえ、公設公営から「民間委託」になる。また、23区で問題となっている学童クラブと全児童対策事業(武蔵野市では「あそべえ」)と一体化の懸念もあった。多くの自治体ではこのような動きに反対の声が出てくるのだが、実際には皆無だった。

 その理由には、委託はするが、その一方で保育内容の質を大きく左右する指導員(支援員)を正規雇用することが行われていたからだ。また、学童クラブと全児童対策事業とは目的が違うとため連携はするがそれぞれに充実させ、一体化はしないと市が説明し続けてきたことが大きい。さらに市の外郭団体でもあるので、市の指導も行いやすいメリットもあったからだ。

 通常、このような事業内容を報告するのであれば行政職員や現役の保護者が適切だろうが、なぜこのようなことが行われたか行政職員では話せない「裏話」や現役が知らないこれまでの「歴史」も合わせての話を聞きたいとのオーダーもあってのことらしい。「裏話」はここで書くわけにはいかないので、これまでの「歴史」と、そのなかでも、もっとも気になるところをピックアップしてみた。

 武蔵野市の学童クラブの「歴史」は、文末に簡単にまとめてみた。ご覧いただきたい。



■収斂問題と土曜日問題

 振り返ってみると、反対運動が繰り返し行われてきたことが分る。私なりに大きな転換期は3つあると考えているが、第一の転換期が1991年の収斂問題だ。

 当時の「第3期長期計画」討議案に、学童クラブを "将来的には全児童対策に収斂"と書かれていたことだ。
 都内で現在問題となっている全児童対策事業へ学童クラブを統合し、学童クラブの機能をなくすことにつながる"先駆的な"な考えで、13万市民に対して4万6000筆となる署名を得た大きな反対運動を引き起こすことになった。このことで、収斂はいったん水面下に潜ることになった。

 その後、今度は土曜日問題が起きる。

 それは、2001年には小学校が週5日制になることから、土曜日を閉所すると一方的な方針を市が示したことからの反対運動が起きたことだ。理由は、土曜日に学校がないのだから、放課後はないというもの。学童クラブ事業は、法的には「放課後児童健全育成事業」と呼ばれているから、放課後がないという詭弁だった。当時、土曜日に完全に閉所する自治体は都内になく、武蔵野だけが行おうとしたことで起きたものだった。

 私が学童クラブに関わるようになったのは1997年頃からだ。この土曜閉所問題の中心的な役割をしていて体験してきたことだが、大きな反対運動が起きるとその反動で学童への"締め付け"がおき、さらに反発の繰り返しが続いていた。

 当時は、市役所に担当課長に面会に行くと会わないと拒否されることや、これ以上やると学童がどうなるか分らないよ、と脅しとも思える言葉を投げつけられたこともあった。

 そして、第2の転換期が2004年だった。


■長期計画審議と学童の統合

 2004年には、第4期長期計画・基本構想の検討が行われたのだが、その中に学童クラブ事業を全児童対策事業と統合することを諦めていないことが明らかになったからだ。

 2003年から私は市議になり、2004年にあった市議会の第4期長期計画・基本構想を審議する特別委員会の委員となり、第4期長期計画・基本構想について議会へ出される議案などを審議したのだが、議案として提出された案には、学童クラブについて「統合や連携について研究する」と書かれていたのだ。

 行政用語は、最初に書かれていることが主目的になるので、統合を優先的に目指していたことになる。

 この記述は市民説明会などで示されていた当初案には書かれていなかったことだ。それが、なぜ議会に提出する段階で記載されたのか? 
 特別委員会で追及すると、策定委員会と市長とが協議した上での記載との答弁だった。計画を執行する責任者として市長と協議することは理解できるが、なぜ書き込んだのか、その理由は明らかにはならなかった。

 私からは、策定委員も「学童クラブとスタートしたばかりの地域子ども館を統合させるのは急である」「(統合の)方向だということを決めているとか、そういう意見を持っているというふうにとらえられるようなことがありましたら、そういう趣旨ではございません」と発言している。策定委員が考えていないことを計画に入れるのか? いつ誰が書き込んだのか? と質問をしつこく繰り返したが最後まで明確にはならなかった。だが、最後には「統合ありきでない」との市長答弁へとなっていった。(2004.11.05 : 平成16年第四期基本構想審査特別委員会議事録より)。

 武蔵野市は長期計画に書かれていることを進めていく「計画行政」を自負している。そのため、想像でしかないが、ここにそっと書き込んでおき、統合を進める「裏づけ」。議会も承認したという「証」にしたかったのではと思えてならない。

 この質疑の攻防の後、議会の議決(賛否)が必要な「第4期長期計画・基本構想」について、このようなことを書かれては会派として反対(否決)しようとなっていった。


■「統合と連携」から「連携と統合」で統合が止まる

 この流れのなか、それこそ「裏話」的なことになってしまうが、審議の最終日、採決の日に「議案第44号 武蔵野市第四期基本構想についてに関する付帯決議」を川名他から提出し全会一致で可決されることになる。

 この決議が担保となり私の所属している会派、民主・市民ネットも第四期基本構想の賛成へとなったのだ(賛成は自民、市民クラブ、公明。共産党と市民の党が反対。会派名は当時)。

 決議文は下記で、ごく普通の当たり前の内容だが、ここには、学童の統合を進めるなとの意味を含めていたものだった。

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  平成16年議案第44号 武蔵野市第四期基本構想についてに関する付帯決議

 第四期長期計画策定に当たっては、策定委員会を中心にこれにかかわる各種各層の議論の積み上げがあったことを踏まえ、同時に武蔵野市第四期基本構想審査特別委員会でさらに提起され議論された多様な意見を十分勘案の上進められたい。

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 この決議の可決後、第四期基本構想・基本計画が製本される時に「統合や連携について研究する」と書かれていたものが「連携や統合について研究する」と順番が入れ替わっていた。このことで、統合よりも連携を先に研究するとなり、統合は進まなくなった。


■時代が大きく変わる
 
 ここでは記載しないが、議会への陳情も毎年のように提出されていたこともあり、この頃までのことを「暗黒時代」という当時の保護者がいるが、言いえて妙な表現だろう。いつかは、なくされるだろうと常に危機意識を保護者は持っていた時代だった。

 それが大きく変わったのが、2005年(平成17)だった。

 この年の夏に衆議院議員選挙が行われることになり、当日の市長、土屋正忠氏が出馬。その後継市長を決める選挙が行われ、学童クラブ保護者出身であり、武蔵野市学童クラブ連絡協議会副会長であった邑上守正氏が市長に当選したことで、政治的な軋轢が多かった学童クラブが大きく変わることになった。

 例えば歴史年表にあるように、市長への要望書へ初めて正式に回答が出てきたことや担当課長と父母との意見交換会が初めて実現したことなどだ。今では当たり前に行われていることが、この時になって始まったことは非常に意味深い。

 その後、学校外にあった学童クラブの小学校内への移転が進み、土曜日の開所、時間延長など次々に改善が進んでいった。


■指導員の大量離職

 それまでのマイナス方向から他自治体ではごく普通に行われている事業内容へと改善されてきた武蔵野市の学童クラブだが、歴史上の大きな転換期が2007年(平成19)に訪れる。

 この年、学童クラブ指導員の大量退職が起きてしまった。全部で32名いるなか、3分の1となる10名が退職してしまったのだ(うち定年退職4名)。そのため、新年度草々から指導員が入れ替わり各クラブで混乱が起きてしまった。

 また、この頃は教員の採用が決まるまでの一時的な仕事先としていた指導員が少なくなく、教員採用が決れば退職してしまうことや他自治体の学童クラブを運営している社会福祉法人やNPOで正規職員の採用があると退職してしまうなどがあり、指導員に長期間働いてもらえない雇用環境でもあった。

 学童クラブの質を考えれば、一定のスキルを必要とする指導員が短期的に入れ替わるのは好ましくないのは明らかだ。このことを当時の担当部長が認識し、雇用条件を改善すること。つまり、正規雇用が必要となり、市として正規雇用するには公務員としての道しかないことから、市ではない事業所での雇用との道が動き出すことになった。
 ここには、試験を受けて正規公務員になるか、非正規雇用の嘱託職員、もしくは臨時職員(アルバイト)しかない法的な課題が背景にはある。


■子ども協会へ委託の意義

 市ではない雇用となると民間に委託して、民間事業者に雇用をしてもらうのが一般的だが、武蔵野市は、市の外郭団体である武蔵野市子ども協会へ事業委託することになった。

 それは、第2期武蔵野市小学生の放課後施策推進協議会の報告書に下記が記載されたからだ。

『子ども協会へ委託を行い、委託することで保育園から地域子ども館あそべえ・学童クラブまでの世代のおける縦の繋がりに加えて、子ども協会の専門的なノウハウや一貫した情報共有など横のつながりも十分に発揮できるようにすべきである』

『子ども施設として必要な機能及び地域子ども館事業と学童クラブ事業の共通の課題を踏まえ、地域子ども館事業と学童クラブ事業の運営主体の一体化により、さらに総合的で連携のとれた効率的な運営形態を展開していくことが望まれる』

『地域子ども館あそべえとの連携も視野に入れた職として必要な職員の正職員化(人材確保。賃金、身分の安定。)の検討』

『少人数職場の閉そく性の解消のための組織内における多様な異動の活用』
 
 子ども協会に委託することで、市の公立保育園が移管され運営しているため、保育園との連携ができること。全児童対策事業との連携ができること。さらに、単一クラブだけの委託では、閉鎖的な職場になり異動ができないなどの課題があることから、市内12のクラブを一括して委託することで異動ができるようにすることなどが書かれていたからだ。

 この推進協議会には、学童クラブ保護者が委員として参加し、子ども協会への委託には反対しないが、正規雇用が必要との主張もあり報告書に満点とはいえないまでもほぼ主張どおりに書き込まれたことから、保護者の反対もなく今年度から委託化と指導員正規化へとつながっていったのだ。


■保育園の先例

 この流れには子ども協会が学童クラブに先行し、市の保育園を運営してきたことも大きい。保育園は、当初は民営化反対のステレオタイプの反対運動が起きていたが、公設公営でも非正規保育士が増えていることを考えれば、子ども協会で正規雇用したほうが保育士の安定した職場になり結果として質へつながる。事業費的にもメリットが大きいことが分り、次第に反対運動はなくなっていった。

 当時、子ども教会へ移すことを私は主張し、民営化反対グループには何かといわれてきたが、今となれば誰も子ども協会の保育園運営を批判することさえなくなっているほどだ。時代の移り変わりを知る身としては、感慨深い。

 現在では行われていないが、今後、学童クラブ指導員と保育園保育士との異動、学童クラブと保育園の連携なども行われてくるのだろう。そうなれば、また歴史に加えてみたい。



 

 

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  武蔵野市学童クラブの歴史(概要)
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▼1963年(昭和38)
・鍵っ子対策としてボランティアによる学童保育「友だちの家」誕生。

▼1964年(昭和39)
・「友だちの家」運営難により市に移管。市は社会福祉協議会に委託。以降、市内の小学校区に開設が続く。

▼1976年(昭和51)
・市のコミュニティ構想により学童をコミセン委託化、指導員のボランティア化を市が打ち出す。【反対運動】

▼1977年(昭和52)
・武蔵野市学童クラブ連絡協議会(学童協)結成
・「市直営化、指導員正職員化、施設改善等」の請願提出

▼1980年(昭和55)
・武蔵野市「児童福祉行政調査研究委員会」報告書(5月)
・市直営化・指導員正職員化、保育料徴収、小学校単位の設置・教育委員会所管へ等を提言(市職労、定数調整範囲内で正職員化の回答を得る)

▼1981年(昭和56)
・全入問題(待機児問題)で市と交渉(3月)
・学童保育事業、社協委託から市直営に、指導員は市嘱託職員

▼1989年(平成1)
・「子ども問題懇談会」で改革案(措置児専用施設充実か全児童対象施設への改組か)について検討していく、と記載

▼1991年(平成3)
・武蔵野市「第3期長期計画」討議案(10月)。 学童保育を"将来的には全児童対策に収斂"と提案。【46,000筆の反対署名運動】

▼1992年(平成4)
・第二、第四土曜閉所に(学校週5日制) 95年には、多摩地区で唯一の完全閉所に。
・市が突然「おばけ大会」、地域との交流行事、土曜日の行事、生き物の飼育栽培、
・手作りおやつなど「禁止」事項を相次ぎ指示
・児童課へ要望書提出、受取り拒否(11月)

▼1998年(平成10)
・武蔵野市学童クラブ条例施行。有料化(5,000円)

▼2000年(平成12)
・大野田クラブで17名の保留児。武蔵野初の学童2クラス制
・地域子ども館(仮)検討委員会始まる。全児童対策(地域子ども館)と学童クラブとは、「別事業である」と明記

▼2001年(平成13)
・第1,3,5 土曜の開所時間を11 時30 分との方針示す。【反対運動】
・「学童クラブの充実と土曜日開所の改善を求める陳情」を18.429 筆の署名とともに提出。全会一致採択され3月29日に閉所時間は15時30分の前倒しの9時からの開所となる

▼2002年(平成14) 
・学童協ニュースがクラブ室内での配布禁止に。
・前例のない障がいを理由に入所を拒否された新一年生発生。入所署名運動がおきるも入所できず。
・全児童対策事業として「地域子ども館(あそべえ)」が3校(三小・井之頭・境南)でスタート(10月)
・土曜開所の陳情が採択されるも(3月)一学期で全土曜日を東京で唯一閉所(7月)。説明会が3回開催されたが、保護者からの賛同・理解は得られなかった。

▼2004年(平成16)
・第4期長期計画・基本構想が出され、その中で「地域子ども館と学童クラブ事業との連携や統合について研究する」と記述(※)

▼2005年(平成17)
・市長交代。土屋正忠氏の衆議院選挙出馬に伴う市長選で邑上守正氏へ

▼2006年(平成18)
・市長への要望書提出。初めて正式な文章での回答を受領
・課長と父母との意見交換会が初めて実現(2007年1月)

▼2007年(平成19)
・市長と父母の意見交換会が初めて実現(11 月)
・指導員の大量退職。32名中10名退職(うち定年退職4名)

▼2009年(平成21)
・第三次子どもプラン武蔵野の中間報告に「学童クラブとあそべえの運営の一体化」と記載。パブリックコメントやヒアリングでの意見などで最終案では「運営の一体化」は「運営主体の一体化」に書き換わり、「土曜開所について検討」の記載と職員の正職化を図るため「財政援助団体への委託の研究」と記載

▼2010年(平成22)
・「武蔵野市小学生の放課後施策推進協議会」設置。土曜開所など学童事業を検討開始

▼2011年(平成23)
・土曜開所の試行(翌年本格実施)
・12の全クラブが小学校内、隣接地に移転完了

▼2014年(平成24) 
・第五期長期計画 「地域子ども館あそべえ事業と学童クラブ事業は運営主体の一体化による連携の強化と機能の充実を図るため、『小学生の放課後施策推進協議会」と協議しながら子ども協会への委託化を図る。また両事業の特色を踏まえながら、子どもの視点に立った放課後の居場所としてのより効果的な運営のあり方についても引き続き検討していく』と記載

・第2期武蔵野市小学生の放課後施策推進協議会 報告書に下記が記載される
『子ども協会へ委託を行い、委託することで保育園から地域子ども館あそべえ・学童クラブまでの世代のおける縦の繋がりに加えて、子ども協会の専門的なノウハウや一貫した情報共有など横のつながりも十分に発揮できるようにすべきである』
『子ども施設として必要な機能及び地域子ども館事業と学童クラブ事業の共通の課題を踏まえ、地域子ども館事業と学童クラブ事業の運営主体の一体化により、さらに総合的で連携のとれた効率的な運営形態を展開していくことが望まれる』
『地域子ども館あそべえとの連携も視野に入れた職として必要な職員の正職員化(人材確保。賃金、身分の安定。)の検討』
『少人数職場の閉そく性の解消のための組織内における多様な異動の活用』

▼2014年(平成26)
・保育園保護者から「学童クラブの時間延長制度導入」に関する陳情が提出され採択

▼2016年(平成27)
・19時まで開所(希望者対象)
・育成料をおやつ代込の月額7000円に

▼2017年(平成29)
・学童クラブ、あそべえ事業を子ども協会に委託
・子ども協会採用による指導員正規化
・夏休みなどの開所時間が8時からに
・育成料を月額8000円に(第二子以降減免あり)



【参考】
武蔵野市の学童クラブ 指導員正規化と事業費の変化

※写真はイメージ