太平洋戦争の記憶が残る場所に新たな公園が5月19日に開園するが、開園式など式典はないという。これで良いの? と疑問の声が上がっている。

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■戦争の記憶が残る場所

 公園は、都立武蔵野中央公園の東側、以前都営住宅があった場所に都が公園を拡張して新たな樹林公園として開設する。

 都立中央公園は、もともと旧中島飛行機武蔵製作所の工場があり、ゼロ戦や隼のエンジンを造っていた。そのことから、昭和19年11月24日にはこの工場を目標に大規模な初空襲があり、以降、何度も空襲が行われ被害が広がった。このことから武蔵野市は11月24日を『犠牲になられた多くの方に哀悼の意を表すとともに、戦争の記憶を風化させることなく、平和の大切さを伝えていくため』(武蔵野市HPより)に「武蔵野市平和の日」を制定したほどだ。

 工場に関する資料は武蔵野市としても収集をしているが、工場の現物となるものはほとんど残っていない。唯一残っていたのが、この公園にかつてあった工場の変電所跡だった。そのため、戦争の記憶を後世に残すために変電所跡を残してほしいとの意見が市民から出さされていたのだ。


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■武蔵野市の要望

 中央公園は都立だが武蔵野市にあることから、武蔵野市としても公園をこの地で拡張する場合には以下を都へ要望していた。


1:市が掲げる水と緑のネットワークの拠点として、魅力ある公園づくりをしてほしい。生物多様性にも配慮した公園づくりをしてほしい。

2:都の提案されている樹林ゾーンに当たっては、武蔵野のイメージを伝えるような雑木林、あるいは屋敷林などのイメージも配慮してほしい。

3:当該地の過去の歴史を踏まえて、場所性を重視するとともに、平和のとうとさや戦争の悲惨さを次世代に伝えていく拠点となるよう整備をお願いしたい。

4:拡張区域については、広域避難所としても位置づけられていることから、防災施設の導入とともに、多世代の利用を可能とした良好なコミュニティ空間としての整備をお願いしたい。
 
 また、公園をどのようにするかのパブリックコメントを受付けたところ、中島飛行機と空襲に関する説明板の設置、記念碑が欲しいなどの意見があり、公園を管理する都からも、「御意見を参考に、旧中島飛行機の変電室跡と言われる建物の位置などを考慮した説明板等の設置について、地元市とも協議の上検討してまいります」と回答を得たことから、市としても強く働きたいと市長は答弁している(2014年6月12日。平成26年第2回定例会、内山議員の一般質問への市長答弁から)。


 しかし、市には公園の開設などの情報はないままとなっている。


■誰のための公園か

 中央公園か拡張され広がることは良いことだろう。しかし、完成近いようだがいつ開設するのか? 中島飛行機工場の記念碑などは結局どうなったのか? などの問合せがあることを考えると、この公園の意義はどこにあるのだろうと思えてならない。

 開設すればいいのではなく、どのような経緯あっての開設なのか。地域住民や市との協力関係を続けていきたいと都が考えるのであれば、式典にはこだわらないが、なんからの働きかけが都からあってもいいのではないだろうか。

“しれっと”開設でなく、周辺住民や都民にこの公園の意味やこれまでの経過を知らせて愛される公園にしていく努力が必要だ。


※写真上 手前は空襲を受けた樹木の切り株。奥に変電所跡があtt
 写真下 拡張される公園を中央公園側から見る


【参考】
武蔵野市 11月24日は「武蔵野市平和の日」です

武蔵野市に残る戦争の記憶(2007年12月18日)
中島飛行機変電室跡の保存に黄色信号(2011年03月02日)
都立中央公園拡充へ 中島飛行機の変電所跡はなくなる? (2012年11月21日)
旧中島飛行機変電室の存続を求める署名始まる(2013年08月08日)
中島飛行機変電室跡をどうすべき? 都立武蔵野中央公園パブコメは16日まで(2014年01月13日)