「忍法十番勝負」という漫画をご存知でしょうか。
大坂夏の陣を控え、大阪城抜け穴を記した絵図面の巻物を狙う
忍者達の争奪戦を描いた漫画です。
昭和39年に秋田書店の「冒険王」に連載されました。
この漫画は漫画史の中でも唯一無二の存在となっています。
その理由は当時の人気漫画家によるリレー形式による連載での
10話構成となっていたからです。
その漫画家は以下の通りでした(連載順)。
堀江卓、藤子不二雄(安孫子素雄)、松本あきら(松本零士)、古城武司、
桑田次郎、一峰大二、白土三平、小沢さとる、石森章太郎、横山光輝

今見てもすごい面子ですね。
昭和41年にサンデーコミックス刊行と同時に単行本化され、
現在に至るまで一度も絶版とならず刊行され続けています。

さて、昭和34年の皇太子ご成婚から昭和39年の東京オリンピックにかけて
テレビが爆発的に普及し昭和40年代はまさにテレビの普及期となりました。
そのため多くの新しいドラマが作られ、また輸入されて放送されました。

この同じ時期に子供向け漫画雑誌も急速に売上が拡大していました。
読者層に合わせて大人気のドラマのコミカライズが多く作られたのは
当然だったのだと思います。

「タイムトンネル」は昭和42年の4月からNHKで放送が始まりました。
まさに宇宙時代、NASAのアポロ打上げを思い起こさせるタイムトンネルという
国家プロジェクトのリアリティと圧倒的に巨大なタイムマシンの存在感、
主人公たちが飛ばされる過去や未来の歴史的事件が
(それが20世紀FOXの映画からの流用であっても)
大規模なスペクタクル映像で描かれ大人気となりました。

「冒険王」編集部はNHKで放送され高視聴率の人気番組であった
「タイムトンネル」に眼を付け漫画化権を獲得しました。

しかもコミックス化された「忍法十番勝負」の人気の影響でしょう、
「冒険王」編集部はコミックス発売の翌昭和42年に連載する「タイムトンネル」を
新たにリレー連載のとして企画を立ち上げました。

漫画は昭和42年9月号から昭和43年3月号まで全7回連載されました。
あまりネットでもこの漫画の事をみかけないので
全7話を7回に分けてご紹介します。
(7日連続でアップできるようがんばります)

※2022/2/16追記
本記事公開後、別冊冒険王秋の号に読切が掲載されていたことがわかりました。
掲載号を入手したので追加記事をアップしました。

読切(増刊号掲載)「未来SOS」久松文雄


1 タイムトンネル 第1話 小沢さとる








第1回「第7騎兵隊の最後」小沢さとる

連載第1回は小沢さとるさんでした。
内容は有名な第7騎兵隊の全滅とカスター将軍のお話です。
日本放送順第5話「カスター将軍の最後」を基にしていると思われます。

漫画はカラー扉含む全46ページ。
扉絵の裏ページで簡単にドラマの設定が説明されています。

第1話Story
トニーとダグがタイムトンネルから抜けると
周りには騎兵の死体がたくさん倒れており
二人はインディアンたちに捕まってしまう。
3 タイムトンネル 第1話 小沢さとる








インディアンたちは虐殺を繰り返すカスター将軍を攻撃するために集まっていたのだった。
2 タイムトンネル 第1話 小沢さとる








カスター将軍のスパイとの疑いを晴らした二人は
インディアンの部落を脱出して戦いを止めるためカスター将軍のもとに向かう。
4 タイムトンネル 第1話 小沢さとる








途中インディアンに捕まっていたワシントンからの伝令を助けた二人は
カスター将軍に戦争をやめるよう説得する。
5 タイムトンネル 第1話 小沢さとる








伝令はワシントンからの戦争中止の命令書を届けに来たのだが
カスター将軍は命令を無視して進軍を始めた。
6 タイムトンネル 第1話 小沢さとる








しかし史実通りインディアンに囲まれ、第7騎兵隊は全滅しカスターも殺された。
7 タイムトンネル 第1話 小沢さとる








トニーとダグはかろうじてタイムトンネルの移動操作により脱出するのだった。

長いこと「タイムトンネル」本編を見ていないのですが
漫画では虐げられたインディアンに同情的で
カスターの尊大さと傲慢が描かれています。
「リトルビッグホーンの戦い」と主人公二人の絡みもうまく合っており
史劇としても面白い漫画です。

連載されたタイムトンネルの漫画のうち
この小沢さんの回のみ、
平成3年にアップルBOXクリエートから発売された
「小沢さとる復刻名作全集5 アストロD」に収録されています。
読みたい場合はこの本の入手も一つの方法です。

小沢さとるさんは「サブマリン707」「青の6号」が有名です。
この漫画の同時期に「少年キング」で「丹下左膳」を連載しています。
しかしこの年の春、「ジャイアントロボ」事件で横山光輝さんと絶縁して以降
体調悪化もあり作品数が激減し昭和50年代はほとんど漫画執筆はなく
むしろ今井科学から発売された「ロボダッチ」の方が有名です、
その後、昭和63年に発表された「黄色い零戦」で
絵のタッチが横山調から手塚治虫風に変わったのを見て驚きました。
後にジャイアントロボの件を知って納得したのですが。