シンプル生命の詩

いつから人は分離を体験し、いつから人はその違いに思い悩むのでしょう?初めからそんなものは無かった。人の文明は幻想の中にある。誰も何も独占することなど出来はしないのに、あーだこーだと理屈をつける。彼此の間の法華経の非二元の詩。ただ無限なる「今ここ」のために。

 居住区に対して、そこで生活する人たちが生きていく上で、得なければならないもののある範囲が充分に広く、かつ、季節や年ごとに変わり、知識がそれなりに役に立つ範囲で不安定で、勇気をもって行動範囲を広げれば、新しい発見に出会えるような未開さが残っていれば、きっと大人になってもずっと、子供のころに感じていたような生命の輝きを共有して、人々は手を取り合い尊敬し合えるんじゃないだろうか?

 王都パラケマの外交に住むゾウグシ・ソイブルは30代の時、親戚の金銭トラブルに巻き込まれるまでは牧場の経営が軌道に乗り始めていた。20代の時に両親の事故死によって引き継いだ牧場だったが、それはもう他人の手に渡ってしまったのだ。後になって、始めから牧場の経営権を狙った貴族の策謀であったと知る。近接する地で貴重な鉱石が発見されたことで目を付けられたらしい。新しい経営者は、王法上ごまかしのきく範囲で、良い牧草を生やすための地質改善だとか理由を付けて時折、土地をほじくり返している。

 哀れなものだな、ゾウグシは自分の身に対してではなく、どちらかと言うと個別の貴族や新しい経営者に対してでもなく、安定や便利さを追って生き急ぐ王都パラケマ全体に向けてそう呟いた。

 お前さんもそう思うかい?いつから居たのだろう、直視しても樹に話しかけられているんじゃないかと思うほど自然に調和した老人が尋ねた。

 「おじいさん、いつからいたのですか?こんな林の中で何をしているのですか?」

ゾウグシは、尋ねられたことの意味を受け止めるより早く、反射的に驚きから脱するための安心を得ようと試みる言葉が口を突いて出た。老人は少しも動揺するところなく答える。

「お前さんと同じじゃよ」

「昆虫の研究ですか?」

「そうではないが、同じことじゃ」

「や、これは奇遇です。昆虫などに興味を持つ者はそれほど多くはありません。ぜひ、様々な発見や、喜びや、時には失敗した話、注意点など教えてもらえませんか?」

 ゾウグシは牧場の経営権を手放して後、現在は金銭トラブルの親戚とは別の血縁の援助を得て、ファーブルよろしく子供のころから牧場の片隅で心躍らせていた昆虫観察記録を本格化して生業としていた。なのでむしろ、困惑しながらも継ぐしかなかった牧場を経営している時より、自由に、やりたい仕事が出来ていた。ライバルが少ないのは良いが、同時に、語り合える友も少なかった。

「なるほどな、お主はまだ、自身のことは深くは知らないか」

「どういうことです?」

「ワシは何も、昆虫に興味をもって観察しているということはない。昆虫や動物や自然をも通して自我でない自身を観察しておる。わしの瞑想と、お主の思索と、『哀れなものだな』という一言の上にその違いはなく、そこに結実されていたのじゃ。ワシはお主、お主はワシじゃ。ワシが静かに立って黙を解いたのは、そこにワシがあると出会ったからなのじゃ」

「修行者の方でしたか、悟りの智慧の福光、感謝します。その通りです」

 この辺りの信仰の作法に、その時すぐに意味が解らないなら、なおさら、感謝します、その通りですと受け止めよというものがある。質問などをしてはいけないということではなく、受容して丁寧に思索し噛んで含めようとする中で繋がらないと思う所を質問しなさい、そうすれば、本当に解るように噛んで含めた解明として説明され、自分で見いだせない部分を補ってもらえるので、完全な一つながりの法への道を歩いていけるという、智慧の連鎖のためのものだった。

 この辺りでは、まだ王都の支配下に無い時、一人の流れ修行者によって危機を乗り越え豊かさを実現した経緯もあり、また特に、ゾウグシの祖父はオオカミの襲撃による打撃を受けた時、直接に智慧の福光を与えられたこともあったので、ゾウグシには素直な信仰心が残っていた。

 だからと言ってもやはり、悟りのようなものは難解に思え、落ち着いて見れば修行者であろうことがすぐにでも分かるその老人が発した言葉が、悟りから発されているのだろうとは分かっても、その内実がどのようなものなのかは、自分の生涯の内には、寸分も解らないのではないかと思えた。

「お主は、素直な信仰心を持っているな。そして自然の在り方を観察し、俯瞰の眼を持っている。その心の眼で王都の人間模様を思った時、哀れだと言ったのではないか?」

「はい、師よ、感謝します。その通りです」

と、ゾウグシは分からないからではなく、過大評価ではないかとも思ったが、本当にそうだという思いで受容して答えた。

「私は今、この辺りに生息しているパラケマオオアリの観察をしています。アリというものは真社会性を持っていますが、このアリは個々それぞれ、自分をも大切にしています。このアリのコロニーは周辺が豊かすぎると、それぞれが自分の部屋を作ってエサを独り占めしようとし、混乱し衰退します。逆に、変化が多く困難な場所にあるほど、強靭に協力し、充実した社会性を示します。師よ、人間の社会を観た時、未だ王都の支配の届かぬ、小さな自給自足の集落に住むのと、安定した物資や制度の行き届いた王都に住むのとでは、どちらが真に豊かなのでしょうか?」

「お主、名は何と言うのか」

ここで二人は初めて名を交わす。修行者の老人はハブル・ワーズラルという名で、あの流れ修行者も属していたサンガの現在の大僧正の兄弟子に当たるらしい。

「ゾウグシよ、豊かである方が豊かである。だが、蔵が豊かであっても身が病んでいては安堵とは言い難い。身が健康であっても、際限のない渇仰、隣人への怒り、強そうな者へのへつらいがあり怯えれば、それも安堵ではない。実にゾウグシよ、本来ならば心豊かに誇り高く人々が協力し合うならば、そこに調和された豊かさが実現されるのだ」

「師ハブルよ、 感謝します。その通りです。私は王都の民に、そのような誇り高き心の豊かさを見ることが出来なかったので、哀れだと思ったのです。何が彼らの心の豊かさを奪っているのか、お教えください」

「ゾウグシよ、アリはアリを騙しながら、別のことをすることが出来ず、結果がすぐに現れるので、その原因となったものは分かりやすいだろう。だが、人間は人間を騙しながら、いくつもの思惑を働かせて、別の何かを進めていく。結果はすぐに現れず、別に進められた見せかけに覆われるので、その原因を自ら見抜くものは少なく、教えられて知ったとしても、その本当の解脱は困難である」

「師ハブルよ、 感謝します。その通りです。王都の者たちは日ごと週ごとに寺院に通い自身の悪心を戒め、王法の制度にしたがって仕事をし社会性を実現していますが、本当には不満を抱えて騙し合っています。なぜ彼らは豊かになれないのでしょうか?」

「ゾウグシよ、彼らはそれが豊かでないことを忘れているから、本当は豊かになれるのだということをさえ知らないのだ。お主は知っているから、彼らが豊かになれないことに疑問を抱ける。ゾウグシよ、お主は何を知っているのか?」

「はい、師ハブルよ、私は流れ修行者が私のいた地を豊かにしたことを知っており、感謝し、素直な信仰心を持っています」

「よろしい、ゾウグシよ、彼らはそれを知らず、素直な信仰心を持っていないのだ」

「師ハブルよ、 感謝します。その通りです。どのような事をもって彼らが素直な信仰心を持っていないと言うのでしょうか。彼らは、しかと寺院に通っています」

「ゾウグシよ、信仰心は寺院にあるのではない。心とは素直な心以外のどこにあるのだろうか。仰とは観測する目なくしてどこに実現するだろうか。信とは伝える言葉を発する口なくしてどこに生まれるだろうか。足は観測対象を求め、耳は言葉を求め、意は心を求めるけれども、それは自身の中にある法を、一つなぎの美しさ、誇り高き心と身と地の豊かさとして実現するためであって、明け渡すためではないのだ。王都の彼らは心と目と口とを明け渡し、身と耳と意とのエゴのフィルターを濃くして正しい判断を失っているのだ」

「師ハブルよ、 感謝します。その通りです。信仰心は寺院には有りません。自身にあります。彼らは何に心と目と口とを明け渡したのでしょうか?」

「もし、ゾウグシよ、ワシが簡単には分からないように嘘を混ぜて話し、だんだんとお主を騙していくとしたら、お主はいつ気づくだろう」

「師ハブルよ、 感謝します。その通りです。と、一度は受容するよう教えられています。その上で、自身にある法に照らし、疑問に思う所は伺います」

「ゾウグシよ、ワシが疑問を投げかけられた時、法は寺院にある。寺院にいる僧の言葉こそが尊い真実の言葉であり、従わなければならない。寺院のために尽くすことは正しい。と答えたら、お主は見抜けただろうか?」

「師ハブルよ、 感謝します。その通りです。真実を見抜いていなければ、すぐには見抜けません。見かけに覆い隠されてしまいます。私の心は晴れず、疑問の言葉を繰り返すでしょう」

「ゾウグシよ、王都では疑問の言葉は打ち切られるのだ。それはお主の信仰心や精進が足りていないからそのような疑問が起きるのだと取り合ってはもらえないのだ。それでも疑問を呈するものは見せしめとして仕打ちを受ける。そのような所に豊かさは実現されるだろうか」

「師ハブルよ、 感謝します。その通りです。そのような所に豊かさは実現されません。晴れない疑いによって、哀れな姿を呈していきます。寺院という所において、なぜそのようなことが起こってしまうのでしょうか?」

「ゾウグシよ、寺院というものの始まりは、サンガという共同してそこを豊かにしていく時の連帯そのものであって、必要上、大きな建物があれば便利であったし、司令塔がいれば、活動の方向性が安定した。最初、それは純粋な信仰心によってなされ、豊かさが実現していった。そういうことが実現されたことは、遠くまで聞こえ及び、人々の希望や憧れとなった。そうした時、権威ある寺院と聖職者という、形から入る、形だけ真似るということがあったらどうだろう。在家の人びとが法話を聞きにくるようなタイプの寺院の場合、実には悟っていない、なった者勝ちの聖職者たちのエゴによって、そこに集う人々が上辺の教えでジャッジされていくことになる。次に、そこに集まる供養を、どうにか自分のものにできないかと、聖職者たちに良い顔をし、権力の有力者と話を付けて、自分についてくれば寺院も保護されて未来は安泰だと主張したとしよう。彼は悟っていないだけでなく、教えなんて供養を集めるための道具にしか過ぎないとまで思っていて、彼は、スマートに供養が集まるためのシステムを整え、それに沿って教えの方を合わせていけばいいと考えている。当然、自身の法に照らすことを知っている者は疑問を呈するが、取り合わず、かえって見せしめをする。その、民衆を黙らせてやりたい放題やることを、権力の側も利用し見習い結託していく。抜け出せないスパイラルの中で、実には誰も本当の豊かさを手に入れられないのだが、それは人々にとって、豊かさを実現できない原因として、すぐに発見できるものだろうか?」

「師ハブルよ、 感謝します。その通りです。だんだんに嘘を混ぜられ騙された者にとって、自身の法に照らす精進を知らないならば、発見するのは困難であり、自身の法に照らす精進を知っていても、その言葉を発するには、とても勇気がいりそうです」

「ゾウグシよ、その勇気だけが、法において重要な、慈悲を輝かせていく方法なのだ。お主は、流れ修行者が種を蒔いた地に育ち、素直な心を持ち、正しく見抜く目を使って観察することが出来る。勇気を持つならばゾウグシよ、何を訴え法の種を蒔くか」

「師ハブルよ、 感謝します。その通りです。私は勇気を持ちましょう。信仰心は寺院にあるのではないということを、法は自身の内に繋がっていくことなのだということを、それによってしか本当の豊かさは実現されないのだということを訴え、実現させて法の種を蒔きましょう」

「ゾウグシよ、人々の毒は深い。智慧を持ちなさい。親身になって順々にほどいていかなければ、ただの一人だって本当には救えない。敵ばかり探し、自身を知ることを見失っては何も叶わない。悟りだけを求めても、打って出る行動性を持たない。一息に、一心に、その瞬間に、あらゆる両面を包括して誇り高き心の豊かさで一人立つのだ」

「師ハブルよ、 感謝します。その通りです。誇り高き心で口に師子吼をもって進みましょう」

「ゾウグシよ、法界の心というものは人間が心として住んでいる所よりも充分に広く、言葉の景色が少し違うだけで嵐を呼ぶ不安定さを持っており、真実の教えは少しは役に立つけれども、語り尽くせるものではなくまだまだ未開だ。このようなところで、同じく豊かさを実現させていこうという同志に出会えたならば、何よりの励ましとなるだろう。彼を尊敬し、彼にとっての最大の友となれるよう努力せよ。そうして人間王者になった頃に、その人間コロニーは無上道という始まりも終わりもない豊かさの中にあるのじゃ」

「師ハブルよ、 感謝します。その通りです。法界を仰ぎ、そこに智慧をもって友を尊敬し進みます」

 そして交わした握手の温もり、誇り高き優しい微笑み、ゾウグシの熱い涙が頬を伝った。

 始まりの無い生命の懐かしさを思い出したかのようだった。

感動をジャッジされたら傷付く。
感動を押し売られたら閉塞する。
感動を奪い取られたら絶望する。
感動をすり替えられたら憎む。
感動に混ざりものがあると腐る。
感動の意図が合っていないと怒る。

言葉なんて必要ないほどに美しい一輪の花があったとして

花は裁くだろうか?押し付けるだろうか?奪うだろうか?
すり替えるだろうか?混ぜるだろうか?思惑するだろうか?

似たような言葉が並んでいたとしても
魂の次元にはちょっとしたスタンスの違いさえ

それは致命的になる。

だから当然傷付くし
だから当然閉塞するし
だから当然絶望するし
だから当然憎むし
だから当然腐るし
だから当然怒る。

ありがとう。

今まで私の魂を守ってくれた愛すべきエネルギーたち。

花のように透明な愛の中で
純粋で清浄で素直な魂は

透明な私で気づき愛し受容し
感動で震わせて表現した分だけ

壊れることのない
失われたことのない
本当の強さであったことを思い出し

どこまでも高く
私を飛翔させてくれるのだ。

生命という元初の愛に触れて共に震え共に感じ
ほとばしり律動する魂のメロディー。

誰が言う言葉のそれでもなく

私だけの私自身の

一宇宙がそこにある。

思いに感情が乗っているから
思いと感情は区別しにくく

その区別しにくさという
有るのでも無いのでも
ないようなものを
世界から分離させて

自分と認識している。

ありのままの中に
あるがままにあるだけのものは
何ら取り出して永遠に
手元においておけるものは無い。

行為をする肉体も
思考をする精神も
ありのままには
変わらずに留まってはいない。

行為に生まれた思いと感情
思考に生まれた思いと感情
その区別しにくさという
有るのでも無いのでもないものを束ねて
分離した自分のストーリーにして

インナーワールドのカクテルに酔う。

本当にあるのではない
ある事にしているカクテル。

本来、その時々で流れ消えていく感情を
思いにしみ込ませて長く味わう幻想。

人はなぜ
このようなデリケートな代物を
後生大事に自分のものとするのだろうか?

それは一つ一つ
愛に還るための道しるべだからだ。

ではなぜ、
そんな思いを積み上げてまで
愛の存在から自分を分離させていったのか。

それも愛だからだ。

愛に基づき愛に帰す。
行為をする肉体と思考をする精神は
別々のものではない
別々の面でさえない
同じ一つであるものを

人間は愛ゆえに
思いを形成するために

讃え奏でる
感情のオーケストラのために

思考を分離させ
自分を分離したのだ。

そこにあったのは
人間たる魂であり

魂とは神との合意である。

くだらない嘘で
感情を押し付け合えば
それを不意にするのだ。

どのような感情の紋様なら
これは神のそれではないと
幻想のあなたに
判断できるだろうか。

あなたが愛の魂にあって
その思いの一つ一つにタッチしていくならば

魂は妙音を奏で
愛は光明で照らす。

それらを調和させるのは
他ならぬそこにあった感情なのだ。

感情の調和の自発蘇生。

あなたは生命を発見するのだ。

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