2005年07月29日

チェチェン語について

「いつかチェチェンで会いましょう」実行委員会宛てにチェチェン語に
関心のある方から、チェチェン語の教材についての問い合わせがありました。
実行委員会が現在把握している限りでは、日本ではチェチェン語の教材は
出版されていません。
アメリカで出版されているチェチェン語関連の本なら、Amazonで入手する
ことができます。
たとえば、以下の2冊。

(1)Chechen Dictionary & Phrasebook (Hippocrene Dictionary and Phrasebook)
Nicholas Awde (著) ペーパーバック (1996/05/01) Hippocrene Books

(2) Chechen-English and English-Chechen Dictionary
Johanna Nichols (著), その他 ハードカバー (2005/01) Curzon Pr

(1)は、ペーパーバックですから、価格も約1200円と手頃。
ただし、ムスリムとしての挨拶の言葉が、そのままチェチェンでの一般的な
挨拶の言葉として記載されていたりといった部分もあります。
私がそれを知ったのは、実際にこの辞書を使ってチェチェン人の友人に
メールでチェチェン語で挨拶をしたら、それは一般的な言葉とは言えない
と教えられたからです。
また、当然のことながら、この簡便な辞書でチェチェン語を操ることは、
到底無理です。
文法の説明もあることはあるけれど、正直、ちんぷんかんぷんです。
でも、発音すらつかめない単語群を眺めているだけでも、胸はときめきます。


(2)は、今年出版された新しい辞書で、価格も1万7千円強と値が張ります。
中身は未見なので、なんとも言えませんが、ペーパーバック版よりはきっと
充実しているのでしょう。

Chechen Dictionary & Phrasebook (Hippocrene Dictionary and Phrasebook)


Chechen Dictionary & Phrasebook (Hippocrene Dictionary and Phrasebook)
  
Posted by gogo_chechen at 00:38Comments(3)TrackBack(0)チェチェン情報

2005年06月10日

チェチェンの文化について

以下は、実行委員会メンバーの岡田一男さんが、ぶうの問いかけに応えて、
したためた一文です。
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チェチェンの文化や風習について知るということですが、やはり歴史や地理と結びついています。なかなか日本語では、良い参考書はありませんね。

コーカサスという場所は、北にはロシア、南にはトルコ、イラク、イランなどに挟まれています。周辺の様々な民族、地域の文化がチェチェンの文化に影響を及ぼしています。

チェチェチェン人は自分たちのことをノフチョ、ノフチと言った言葉で呼んでいますが、これはこの地域の伝説の主人公ノア、ヌフ、ノイと行った呼び名の人物の子孫であることを意味しています。「ノアの箱船」のことは聞いたことがありませんか?ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に共通する伝説の主人公です。神の怒りに触れた人類が大洪水で溺れ死んだとき、神の指示で箱船を作って唯一生き延びたとされる人物です。

チェチェン人は何よりも先ず、自分たちが神に忠実であったノアの直系の子孫であると自負しています。現在のチェチェン人は敬虔なイスラム教徒ですが、イスラムの教えを受け入れる前から、この地域で産まれた一神教を信じてきた伝統があるのです。

人種的には典型的なコーカソイド、白人系で、ロシアのスラブ系とも違うし、言葉も非常に古いインド・ヨーロッパ語系のナフ語属の言葉を話しています。ナフもヌフと同一語源の言葉ですね。

チェチェン人の生活を規定しているのは、「名誉の掟」という慣習法(不文律)です。この地域には世界最古の成文法であるハムラビ法典がありますが、そういう法の元になったものと軌を一にしているものです。「目には目を、歯には歯を」という言葉は有名ですね? チェチェンでこれに対応するのは、「血讐(けっしゅう)」です。一族の誰かが殺されることがあったら、一族の男性は連帯責任を負い、殺した相手本人か、その一族の男性一名を「殺さねばならない」とする決まりです。しかもこの決まりは七代にわたる義務だとされています。

この「血讐」によってチェチェン人は血なまぐさい野蛮な民族だと言われてきましたので、私は敢えてここで、皆さんにも考えていただきたいと思って書いているのです。

日本にも昔、「仇討ち」という習慣がありました。日本では江戸時代で終わりとなりました。野蛮な習慣だと考えられたのですね。でも「忠臣蔵」のような仇討ち物語が今も愛好され何回映画になったり、テレビドラマになったり、数え切れません。多分一つ一つあげていったら、チェチェン人が美徳としている多くのことは、日本人が義理人情としていることと共通することでしょう。ですから、チェチェン人は、日本の、古い文化には非常に憧れを持っています。これは、コーカサス全般なのですが、柔道、空手、その他、格闘技が非常に愛好されていますし、K−1の人気など驚くほどです。

野蛮とされる「血讐」ですが、チェチェン人の側から見ると、「血讐」によってチェチェンの社会は逆にきわめて非暴力的な社会を創り出してきたということになるのです。人命の持つ重さを教えるものだとも言うことになります。

まず一族の成人男子は連帯責任を負います。共産主義者のスローガンにも「一人は全員のために、全員は一人のために」というのがありますが、チェチェン人のあり方は血族の中ではまさにそれなのです。一人が犯した過ちは、過去・現在・未来にわたる7代の一族が、全員で負わなくてはならないのです。孫が犯した罪をお祖父さんも問われるのです。自らが犯した殺人の咎を将来の子孫たちが負わねばならなくなるかも知れません。ですから、チェチェン人は、伝統的な習慣に通じている人々は極めて慎重です。逆に一人が打ち立てた功績も、一族の誉れとして記憶されて行きます。

こうした不文律は必ずしもチェチェン人独特のものではなく、コーカサスの多くの民族に共通のものです。現在キリスト教を信じている、イスラム教を信じている事とは、関係ありません。

私や姜信子さんの共通の友人であるザーラ・イマーエワは、ドキュメンタリー映画「踊れグローズヌイ!」
を見てこんな印象を漏らしました。主人公のダンス教師で少年少女舞踊団の指導者、ラムザン・アフマードフのことは、友人だしよく知っている。彼以上の踊り手がいないということも断言できる。しかし、彼を有名にした「短剣の踊り」を見ると、自分などは当惑を禁じ得ない。チェチェンの掟は、非常に厳しく武器の扱いを規制している。戯れにも軽々しく短剣(キンジャール)を扱ってはならないのだ。どうしても剣を抜くとき、血を呼ぼうとする剣の持つ霊力を鎮めるため、抜いた者はまず、自分の指を切って血を出し、その霊力が、他者を及ばないようにしなくてはならない。だから、公衆の面前の踊りの中に、抜き身の短剣をさらして、はらはらさせるというのは、古い不文律の厳しい掟が忘れられようとしている証拠を突きつけられたようなものなのだと。

「紛争は戦闘ではなく、話し合いの場で解決されるべきものだ」というチェチェン戦争が始まって以来、ずっとチェチェン側が主張している考えは、チェチェンの伝統的な掟と無関係ではないのです。しかし、一方で、一族の一員を殺された者は、当然その無法への復讐を果たすために武器を取って戦いに加わります。ロシア側がテロリストだと呼んでいる人々の大部分は、大切な自分の肉親が残酷な殺され方をした人々です。

ザーラさんは、戦争という手段を国が執ることを明確に拒絶した日本国憲法の9条規定に非常な共感を示されました。チェチェンとロシアが1997年に対等な立場で結んだ「平和条約」がありますが、ここでも両国は戦争にはよらないで解決すると、誓い合っています。この「平和条約」は無視され、ロシアは、1999年にチェチェン戦争を再開しました。日本の改憲論議の中で、日本国憲法の9条規定は風前の灯火と言えましょう。でも、世界で一番苛烈な植民地戦争を戦っているチェチェン人たちが、重要なのは戦争ではなく平和なのだと考えていると言うことを知っておいて下さい。

3月8日にロシアの特殊部隊によって殺害されたアスラン・マスハードフは、1997年に民主的な選挙で選ばれた大統領でしたが、まだ、チェチェン軍の参謀総長だった時代に、部下の結婚式でこんな挨拶をしていました。「戦争に綺麗な戦争などありえない。しかし、チェチェン人はそういう戦争を400年間も強いられてきた。小さな民族が殺され続けてきた。だから、殺され尽くされないよう、一生懸命子孫を残そうとしている。今日は、私のボディーガードの一人が結婚する。戦争は未だ続くだろうが、未来のために、今日は楽しく若者達の門出を祝おう・・・」私は、ジャーナリストの林克明さんの撮ってきたビデオの中で、この発言を確認しました。

最後に、ロシアとチェチェンの和解はありえるのでしょうか? 私自身は十分にあり得ると考えています。戦争を仕掛けたロシアが国際社会とチェチェンの前できちんと謝罪すること、戦争犯罪人にである人物たちをきちんと処罰することです。きっぱりと戦争という手段では解決できなかった。無法は裁かれるべき、と当然のことを言えば良いのです。しかし、これで政治生命が終わってしまうしまう人々、出世街道から外れてしまう人々が出ます。代表的な人物は、ロシアのプーチン大統領です。ロシア連邦軍の将軍達、シロビキと言われている軍・治安当局の幹部にも未来はなくなります。私と姜信子さんが1年前にカザフスタンで会ったチェチェン人の指導者は、血讐の実行以上に罪を潔く認めた相手を赦すことが、チェチェン人の間では評価されるのだと語っていました。

ロシアではこれまで数十年間、政治的な過ちの結果、数千万の人々が犠牲になりましたが、その過ちの精算が行われていないのです。そうした矛盾の中でチェチェン戦争は発生しました。ロシアの民主主義の実現と、チェチェン平和は切っても切れない関係にあるのです。

ちょっと忙しいのですが、ザーラさんにも ぶーふーうーの質問をぶつけてみましょう。少し待ってくださいね。
  
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2005年06月06日

自分が思うコト

ぶーふーうーのぶぅデス!!
自分が今までチェチェンのことを調べるにあたって、歴史などは自分の力でなんとか調べる事ができるのですが、なかなか文化については、難しいです・・・。
そこで!!ぶぅはチェチェンの文化を知ってみたい!!と思いました。
まず、チェチェンの文化や風習の何を知りたいのかというと、
・紛争によって失われたもの。
     ↓
    ・原因
    ・自分達も現在、他の人に対して似たような事をしていないか?!
     (自分の気づかないところで人を傷つけてしまったり、その人の嫌がるようなことをしたり・・・etc.)
    ・日本も戦争を体験して、戦後失われたこと、ものはないのか?!

・紛争があってもまだ根強く残っているもの
     ↓
    ・理由(上記のこととは違う何かがあったから残ることができたのか?)
    ・日本もあるかなぁ??(敬語、システムは変わったけど学校、??)

・紛争によってできたもの
     ↓
    ・in 日本:・平和に対する思い?
          ・日本国憲法?
          ・ODA?
          ・天皇に付いての考え方?

ぶぅの考えるコトを書いてみました。色々な意見を聞いてみたいです!!
教えてください!!        

2005年05月31日

『春になったら』(熊本日日新聞「きょうの発言」より)

5月7日のイベント『いつかチェチェンで会いましょう』に参加された
慶田勝彦さん(熊本大学文学部教授)が、熊本日日新聞に寄稿した文章を
以下に紹介します。

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春になったら(上)

 5月7日、私は学生たちと「いつかチェチェンで会いましょう」という集いに参加してきた。第1部で映画を2本観たのだが、「春になったら」という10分足らずのアニメは圧巻だった。現在も終焉してないチェチェン戦渦を生きる子どもたちが描いた膨大な絵をもとにコラージュされた作品である。子どもたちは母親に「いつになったら戦争は終わるの?」と尋ねるのだが、春が来ても戦争は終わらない。彼らは夢みる「春」を描く。そこには私も知らない素敵な「春」が描かれていて、私は映像に釘付けになっていた。

 私の脳にはリアルな戦車の絵、人が撃ち殺された時の鮮血の赤、悲しみと混乱においても生きようとするチェチェンの「国旗」の色を纏ったキュートな羊がいまも焼きついて離れない。チェチェン戦争で何が起こっているかを淡々と暗示していることがかえって現実の恐怖を喚起する。季節は春になっている。子どもたちの身体は弾け、踊っている。過剰なまでの明るい色使いがまぶしいが、それは子どもたちが切実に願う未来である。いつかチェチェンに遊びに来てね、と子どもたちはいう。私は今すぐにでも、といいかける。

 チェチェンの現状について知り始めたとき、人はその過酷さに驚き、悲惨さに絶句する。「春になったら」は永遠の夢のようにも思える。子どもたちの夢も過酷な現実を前に醒めるのだろうか。醒める夢ならば、見ないほうがいいという考えさえ頭をよぎる。だが、夢は見ない限り、決して現実にはならないという子どもたちの意志に私は驚嘆する。希望が夢ならば、絶望もまた悪夢という夢なのかもしれない。私は子どもたちが描き、私たちを待っているチェチェンに行ってみたいと思った。

春になったら(下)

 先週、このコーナーで「春になったら」という映画について書いた。制作者はザーラ・イマーエフさんとティムール・オズダミールさん親子である。この映画は「いつかチェチェンで会いましょう!」という、アムネスティー熊本が事務局になって5月7日熊本国際交流会館で開かれたイベントの第一部で「金色の雲は宿った」とともに上映された。

 第二部では姜信子さん(作家)と本橋成一さん(写真家・映画監督)が語ったあと、「ブー・フー・ウー」と姜さんに命名された熊本の高校生3人組が、どのようにしてチェンチェンを自分の問題として考えるようになり、また、社会的な問題に自らを参加させていくようになったのかを正直に、けれどもいまだに戸惑いつつ、集まった200人くらいの人々に語った。どうしたら「チェチェンで会えるのか」という問いを会場の参加者全員で考えながら「トーク」は進んでいった。

 この集いに行けばチェチェンが理解できるわけではなかった。逆に、戦争とは?平和とは?敵とは?味方とは?チェチェン人とは?ロシア人とは?そして日本人とは?という境界が曖昧になり、これまで以上に分からないものになった人もいるかもしれない。「知らない」こと以上に「分かったことにする」危険が浮き彫りになっていった。高校生たちの「分かったことにしない」姿勢がそれを教えてくれていた。大人は子どもよりも世の中を分かっていると思いがちだが、本当は多くのことを「分かったこと」にして安心し、それ以上は知る必要すらないという無関心を作りだしてはいないだろうか。

 「春になったら」のチェチェンに行くためには、「分かったことにしない」エネルギーが大人にも必要とされていると私は思った。
  

2005年05月23日

「スカースカ(おとぎ話)」場面集02

「スカースカ」に出演するのは、アゼルバイジャンのバクーに暮らしているチェチェン難民の子供達です。年内には「スカースカ」は完成して、私たちはスクリーンのなかで動く彼ら彼女らに会うことができるでしょう。

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2005年05月22日

「スカースカ(おとぎ話)」場面集01

現在、アゼルバイジャンでザーラ・イマーエワが製作中の史上初のチェチェン語による子ども映画「スカースカ」の場面集です。

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ザーラ・イマーエワ 新作ビデオ作品についての手紙

「いつかチェチェンで会いましょう」のメンバーである岡田一男さん宛に、アゼルバイジャンからザーラが送ったメールをみなさんにご紹介します。

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今晩は、一男さん! 今の仕事について書いてみようと思います。

最初、チェチェンの子供たちに自国語の映画を作ってやろうと思ったのが、始まりでした。そんな事を考えつくまで、私たちの国には、子供のためのアニメーションも映画も一つとしてなかったなどということを考えても見ませんでした。でもそれは本当のことです。もっと酷いことに、そういうものが必要なのだという自覚さえ持たず、考えもしていなかったのです。私たちは(共産)党とレーニンを称える歌、「コサックと反乱者」ごっこ、「ドイツ兵と我が兵士」ごっこで遊んで、テレビの番組に出てくる子豚の「フリューシャ(ブ−ブー)」とウサギの「ステパーシャ」に見入っていたのです。

私は一つも!チェチェン語の子供の歌を覚えていません。それらは、まるで昔から存在もしかったように忘れ去られたのです。そのことを以前の私は自覚もしていませんでした。息子のティムールが、多分4−5歳だったか、それとも、もっと小さかったか、はっきりはしませんが、外から家に駆け戻ってくるなり聞いたのでした。「ねえ、疲れた玩具たちが眠っているよって、チェチェン語では、何というの?」これは、ロシアのテレビの子供番組で流れている歌の一節でした。私は答えました。「それは、ロシアの歌だからチェチェン語の歌詞は無いのよ。」と言うと、ティムはとても当惑していました。まだよくロシア語を覚えてはいなかったので、訳を聞いて納得したかったのです。こうして、私はティムールのために歌を考え出すことを始めました。しばらくして、ティムだけでなく、周りの子供たちも、みんなそれを歌うようになりました。

今私は、15年ぶりに、同じことをやっているのです。今、アゼルバイジャンにいるチェチェン人の子供たちが、私が作った歌を唄っていますが、他の国々に散らばった子供たちも唄うようになってくれたらと思っています。

これらの歌は全部で10曲です。オンドリの歌、子猫の歌、カササギの歌(この黒と白の翼の鳥には中傷屋というあだながあります)、小雨の短い歌、キツネの歌、オオカミの歌、クマの歌、友情についての短い歌、子守歌そして「お客様を招く」というおとぎ話の主人公6人による楽曲からなりたっています。ということで、戯曲と言うよりは、30人ほどが登場するミュージカルになりました。

おとぎ話のテキストは、民話の文体を使った詩で書かれています。私の書いたままのテキストは、歌に残っているだけで、台詞に関しては、有名な詩人でも、作詞家でもあるジャーナリストのアブドゥル−ハミド・ハトゥーエフが原形をとどめないくらいに書き直しました。歌につけた音楽は、チェチェンの基本的に舞踊のための非常にリズミカルな民族音楽のメロディーをモチーフに作られました。そのアレンジメントは、アゼルバイジャンの音楽家たちがやってくれました。

その筋は大変単純なものです。
森の端の小さな小屋にネコ、ニワトリ、仔牛という、おとなしい家畜たちが暮らしています。それを知ってキツネとオオカミとクマが彼らを捕って食おうとします。ところが、この小屋は高い石塀に囲まれているので捕まえるのは簡単ではありません。そこで彼らはだまし討ちを計画します。お祭り騒ぎを始めて家の住人たちをお客に来いよと誘います。そうやって誘い出して餌食にしようと言うのです。
しかし、招待状を持ってきた者には、次のように告げられます。「ネコは猟に行ってキツネを捕まえてきた。先ずそれを平らげてからお客に行くと言っている。」同じようなホラ話が、オオカミとクマに対しても語られます。猛獣たちはびっくりして、小屋に贈り物を届けに来ます。ネコには肉、オンドリにはトウモロコシ、トウモロコシの茎だか、麦わらが仔牛に贈られました。そしてオオカミは、干し草の中に隠れます。クマは木に登りました。一方、ネコは干し草の中で、ネズミが駆け回ってると思いこんで、オオカミの尻尾を掴まえます。オンドリは怖がって樹に飛び上がりますが、逆にその勢いに樹の上のクマは転げ落ちます。原作では、こうして猛獣たちは、この森から、逃げ出して2度と戻ってきませんでしたとなります。

私たちの作品では、主役6者だけでなく、加えてその隣人たちが登場します。森の住民たちで、事件の進行を見守り、同情したりするシカ、ヤマネコ、ウサギ、リス、小鳥たちなどです。それから狂言回しのパーソナリティーとして、カケスが登場します。カケスは何かにつけてパニックを引き起こすように騒ぎ立て、状況を明らかに猛獣たちに有利なように解説します。作品では、猛獣たちは隣人たちの前に連れてこられて、非を認めます。そうやって、最後は仲良く友情が確かめられてハッピーエンドとなっています。

こうしたおとぎ話は、昔ならおばあさんが孫たちに夜ごとに語り聞かせたものです。作品のおしまいには、子守歌が聞こえてきますが、これは、おばあさんに代わって歌われるものです。チェチェンの子供たちは、もともと老人たちとの強い結びつきの中で成長したものですが、今日では、多くの子供たちが、両親ですら満足にいなくなっていますから、子守歌のメロディーには、非常にアクチュアルに響くものがあるかと思います。

作品の長さは40分を超すことはないでしょう。残念ながら野外撮影、オープンセットの経費は捻出できず、象徴的なセットをヴァーチャルに作るに留まりました。もっと良くできたのにと悔しい部分は沢山あります。撮影班の技術水準にも問題があって、固定カメラ1台、事実上決まった1点から静的な画面として撮ったに過ぎません。ですから自分の置かれた状況で最善を尽くしたとしかいえないものです。

私の課題は、何か非凡な作品を創作することでも、主観的な観念を映像化するということでもなく、とにかく前例を創りだすということです。どうにかして、子供たちのために多くのことができるはずの我が同胞の詩人や作曲家を何とか刺激したかったのです。もし、一人ひとりが、一曲の歌、一場の戯曲、あるいは一本の映画やアネメを子供たちのために創るか、せめてやろうと思い立ってくれるなら、そこから文化再生の始まりという希望が湧いてくると思うのです。 

この作業を続けるに当たって、台詞を子供たちにチェチェン語からロシア語に訳して理解させ、そこからまたチェチェン語に戻ると言うことを繰り返すのは本当に憂鬱なことでした。でも、そのおかげで、出演者の子供たちは、我が同胞の大人たちにも、かなり難しい言葉を逆に教えられるほどになりました。

この映像作品を創ろうというアイデアと制作の過程は、次第に祖国チェチニアにも、他国に散らばったチェチェン・ディアスポラの間にも類例が存在しない、ユニークな文化センターを形成する試みに発展しました。その中で、9歳と11歳の若い女優さんたちが、舞踊学校に招かれ、もうすぐバレー学級のコースを修了するまでになりました。幾人かの子供たちが音楽や声楽に、そして芸術の歴史にまじめな関心を寄せています。週に2度、職業的な先生が自発的に無料で子供たちに、真剣な演技指導をしてくれています。私自身も、児童心理学に基づいた西欧専門家の開発したアート・セラピーの方法論を学ぶことになりました。

私は、私たちのアート・センターに通っている子供たちと、そうでない子供たちを比較してみて、子供たちが闊達で、自信にあふれ、明るさがあって、目が光り輝いているように思え、その意義を重要なことだと確信しました。

子供たちは自分たちで自らのグループを「ディディ」と呼ぶようになりました。ディディとはチェチェンの児童語で、「手のひら」、「素晴らしいこと」といったニュアンスの言葉です。最近では、ディディには、アゼルバイジャン人の子供や、トルコ人の子供たちがやってくるようになり、この国(アゼルバイジャン)在住のアメリカ、ポーランド、アラブ首長国連邦、ノルウェーの父兄から子供を参加させられないかと、問い合わせを受けるまでになりました。参加している子供の中には、病気の子供や、精神的に障害を持った子供もいます。しかし、中心になっているのはチェチェン人の子供たちで、年齢的には4歳から12歳までの子供です。一人例外的に14歳の女の子が入っていますが。新しい子が、加入を希望してくれば、誰でも喜んで受け入れたいと願っています。が、「ディディ」には恒久的な場所も、財政的、技術的インフラも無いのですべての希望者を受け入れることができないでいます。

現在のグループは、私がカザフスタンから戻って間もない、昨年の8月に結成されました。それから今までに、音楽の収録が行われ、未だ編集が残されていますが、おとぎ話(スカースカ)「お隣」が撮影されました。また3つの難民学校においてコンサートを行い、国立劇場「イウグ」において、新年の夕べに出演し、ノルウェー大使館主催の催しに招かれ、ノルウェー語の歌を唄いました。子供たちは2度ほどラジオリバティーのコーカサス向け放送の番組「リバティー・ライブ」に紹介されました。

もう一つ、こんなことがあったので、一男さんには知らせておきましょう。
撮影の時カメラマンの一人がこんな事を私に聞きました。「あなたは、意識的にこういう筋書きの話を選ばれたのですか?」私は「どういう事が?」と聞き返しました。「ああ、隣人というのが、現在進行中の戦争を連想させるんですよ。」
正直言って、私はびっくりしてしまいました。というのも私には、そんな地政学的な隣国関係など念頭になかったからです。もしそんな意識で筋書きを選んでいたら、私は捕食者たちの森からの追放という原作をそのまま残したことでしょうから。でもこの作品では、とにかく友情と誠意が勝利するのです。そして私にとっては、画面を通じて家を、祖国を、近親者を失ったチェチェンの子供たちの幸せを感じ、喜ぶ顔を見ることが第一なのです。

ですから、作品の技術的水準といったものについては二の次だと哲学的に考えようと思っています。いろんな「利口者」が飛び出してきて、出来が悪いの、ものごとを知らない、力不足とか言い立てるかも知れませんが、この作品は、本当の意味でのチェチェン語で語られる最初の映画です。台詞を散文で書いたり、普通の筋書きでドラマツルギーを展開すれば話は簡単でした。でも、子供たちには辛い悲劇的な内容になってしまったことでしょう。もしかしたら、将来我々のところに加わった子供たちには、本当の職業的映画人の手になる本格的な映画作品に出演する機会を手にする者も出てくるかも知れません。

6月1日の「児童擁護デー」に向けてディディは、いろいろな言葉による歌を含めた大規模なコンサートを準備しています。既にノルウェー語、トルコ語、フランス語の歌は、もう手許にあります。是非とも日本語の歌がほしいのです。歌詞の意味とか、発音についてはエカさんに指導を頼みたいと思っています。カラオケみたいになったMP3音声ファイルは手に入りませんか?子供たちが歌を唄ってる振りをして口をパクパクさせると言うのではなく、本当に歌を唄わせたいのです。

この他、サン・テクジュペリの「星の王子様」を同時にチェチェン語、英語、アゼルバイジャン語、フランス語、トルコ語などで上演してみること、戯曲「子供と人形」、そしていつものことですが、費用の工面がついたら、様々なチェチェン子供舞踊団の記録を集めて、儀礼、遊び、歌や踊りなどを紹介するスペクタクルなビデオコンサートを企画してみたいと思っています。

話が脱線してしまいましたね、そして何だか一番大事なことを落としてしまったかしら?...

さようなら。

ザーラより。

2005.4.22.

訳: 岡田一男  

2005年05月21日

ごあいさつ

お待たせしました!5月7日のイベントの成果を出発点に、新生「いつかチェチェンで会いましょう」実行委員会ブログが立ち上がりました!チェチェンに春が訪れるまで、このブログ上でおおいに語り合いましょう。

5月7日に熊本で行なわれたイベント「いつかチェチェンで会いましょう」の様子はここで。

http://moon.ap.teacup.com/frances/62.html

http://210.128.247.29/newsfile/view_news.php?id=5299  

あなたも「いつかチェチェンで会いましょう」のメンバーに!

2005年5月7日に熊本で行われた「いつかチェチェンで会いましょう」というイベントを出発点として生まれた会です。

この会は、戦火を逃れて異郷の地で難民となっている私たちのチェチェン人の友人たちとともに、チェチェンに平和を取り戻すために、語り合い、行動することをめざしています。それは、大上段に<支援>というようなことではなく、ひとりひとりが自分の足元、自分の日常のなかでできることを考え、実行していくことを基本としています。

チェチェン人の友人たちは、その避難先で、自分たちができることを模索し、私たちはここ日本で、自分たちができることを模索し、そして、双方からチェチェンと日本を結ぶ平和の道を開いていく。

私たちは、チェチェンを知り、チェチェンの平和を考えることは、日本を知り、日本の平和を考えることと重なりあうことだと感じています。平和憲法を持つ日本に夢と希望を託しているのだというチェチェンからの声を聞いた時、私たちは、その日本の平和の内実というものを問い返さずにはいられませんでした。

私たちは、いつの日か平和なチェチェンに必ず行きたい! そのためには、どうやら、日本社会もそこに生きる私たちも変わらねばならないらしい、動かねばならないらしい。さて、どんなふうに?

そんな気づきと問いかけを出発点に、ひとりひとりが自分ができることをやっていく。そんな人々の対話と行動の足場が、「いつかチェチェンで会いましょう」実行委員会です。

合言葉は、「いつかチェチェンで会いましょう」!

チェチェンについてもっと知りたい、考えたい、誰かと一緒に語りたいというあなたも、会員になりませんか。

チェチェンっていったいどこにあるんだろうというあなたも、興味があるのなら大歓迎です♪

「いつかチェチェンで会いましょう」実行委員会
(共同代表:遠藤隆久、姜信子、ザーラ・イマーエワ)
入会金:500円
入会を希望する方は、下記にご連絡ください。
someday_chechen@hotmail.co.jp  

DVD『春になったら/子どもの物語にあらず』のご案内

春になったら/子どもの物語にあらず

●春になったら…第2次チェチェン戦争を目撃した子どもたちが描いた、膨大な量の絵を元にアニメ化した作品。地下壕に息を潜めた子どもは母親に聞いた。「いつになったらこの戦争は終わるの?」「春になったら」という母親の答えに子どもは平和な春の訪れを夢見た。日本語字幕。

●子どもの物語にあらず…第2次チェチェン戦争で難民となった4歳から12歳まで15人の子どもたちの、自らが体験した爆撃、肉親の死、兵士の略奪、辛い逃避行についての証言を集めたドキュメンタリー。現代の植民地戦争の全てを見た子どもたちは、何を考え、何を夢みるのか?チェチェンを代表する女性ジャーナリストの細やかな視線が、見る者の胸を突く。日本語字幕。

dvd
監督/ザーラ・イマーエワ、
作者/ ティムール・オズダミール

価格/\2000 (特別パッケージ版)

お問い合わせは、
「いつかチェチェンで会いましょう」実行委員会
someday_chechen@hotmail.co.jp