ぶり返したオタク

おもにマンガについての感想ブログです。リンクフリーです。よろしくお願いします。2011/11/06開設。

お慕い申し上げます

朔ユキ蔵『お慕い申し上げます』第6巻(完結)について

 ネタバレ注意でお願いいたします。
 完結巻である。ジャンプ改創刊号から始まり休刊号で完結。言っておかなくていけないのは掲載誌は休刊になったが話が急になったりしていない点だ。

 連載に夢中になっていたせいでここで何を書くべきか。まず、かえって死が怖くなった。ずっと怖かったが生-●と黒丸に隠蔽されていた「死」が、生-「「「「「死」」」」」と何重にもカギ括弧でくくられているが少しは見られるようになったとは思う。

 完結巻では清徹の死と彼亡き後の世界がある。克明に骨まで描かれるなど徹底している。追体験が可能な彼の死。清徹が亡くなったあと、「清徹の石」と冠されたシリーズが最終話まである。秀子、峰博、節子、清玄に清徹の残した影響が描かれている。どれも固唾を呑むエピソードばかり。
 
 清玄の母はそんなふうにお金のことに心を煩わせていただなんて。峰博住職も若い頃の悔いがあったなど想像しなかった。

 「清徹の石」節子編は、清徹のことがあるため感情に揺れがある。その心理描写がすごい。整理されていない感情だがその揺れこそが正しく確実なものだ。節子編は清々しい。

 最終話とうたれてはいないが実質最終話の第37話は清玄が登場。ちょっと立派になる。駆け出しの一人前になる。関係を持っていた(笑)檀家さんの言葉が予想外ですごく沁みる。寺から出て行った節子も帰ってきているけど、最後の最後まで交差することはないのだろうか……と思いつつ終わりは近づく。ロジカルに導き出された結末にもう入り込む余地はないように見えたのだが、わずかな可能性の亀裂を清玄は見出す。切ない終わりだが永遠が切り取られたような描写は納得している。

 清徹だけではなく、キャラクターは例外なく生涯を閉じる。この例外のなさは「キャラクター」ではなく人間は皆必ず死ぬと言っているのだと思った。
 物語は終わるが現実世界はまだまだ続くというわけで、次回作はどんなものになるのだろうか。読切の「黒の少年」みたいなのもありだなあと思ったり。連載でしんみりしていたんでこのへんで。
 
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ジャンプ改11月号 お慕い申し上げます第37話(最終回)を読む

 第37話 清徹の石~清玄
 ネタバレ注意でお願いいたします。単行本第6巻(完結)は11月19日発売予定。

 最終話という表記じゃなかった。でもここでおわり。物語は静かに閉じていく。時間軸は峰博さまが現世を歩き終えたあたりだからえーっとと思うけどそれは単行本で細々とした情報を拾うことにする。ただ前回からそんなに経っていない。清玄のモノローグや今回のコマ割りやその他キャラのセリフなど表現は全般的に抑制的に感じる。

 住職の葬式というか告別式というか、そこには清玄が関係を持っていた檀家さんもいたし、また前に清徹がいた寺の眼鏡のお坊さんもいた。ここで問題になるのは、妻帯のことだ。結局どうなるんだろうと思っていたけど、ここできっちり描かれる。ネタバレ注意としたものの書くことがためらわれる。

 清徹は手紙を残していた。それは峰博さまに託されていた。手紙は清玄のおばあさんから渡される。おばあさんとの絡みってこれが初めてじゃあ……そうではなくてもほとんどなかったはずだ。ワシが死んだら渡してくれと頼まれたって。淡々としている。手紙の内容は清徹の一周忌に清玄が説法をする中であきらかになる。そしてその手紙を介した清玄の「気づき」もある。で、手紙の内容は「生まれること 生きること 死ぬこと その全てを」と、前述の語にふつうは似つかわしくないような語がくっつく。やや伏せ気味にする。なにもかも受け止めるような印象だ。ただ清玄と同じように疑問がないわけではなかった。
 ここで清玄が言う「気づき」にかんする説法は、じつはこの漫画読んでいてかえって死ぬのが怖くなったあ!!!と思っていたのだけどすこし楽になる。「気づき」は実践的で現代的な悟りなのかも(詳しくないのであまり言えない)。「気づき」は情報のように伝達可能でありかつ人々を様々なかたちで動かす実践的な知識なのだとひとまずはそのように思った。
 この説法でようやく清玄は一人前のスタートに立ったかなと。清玄と関係を持っていた檀家さんが出ていますがこの人の話すことが清玄の俗っぽいところをくるりと転換させる。

 妻帯の問題はいままでのキャラクターの心情からロジカルに導き出された結果といえるだろう。けれどクライマックスには、わずかな亀裂に、瞬きに、濃密で長大なものを見ることができた。瞬間の悠久とでもいうべきラストシーンだった。

ジャンプ改10月号を読む お慕い申し上げます第36話(次号最終回!!)

 第36話 清徹の石~節子
 今回は40ページもある。最終巻は厚くなりそうだ。ネタバレ注意でお願いいたします。

 清徹亡き後の世界は半月経っている。往くものがあるのなら来るものもあるはずで、それが「石」シリーズで描かれているものなのだとほとんど断言出来るような気持ちだ。

 詳願寺に電話がかかってくる。山本恵からである。話しているのは清玄だ。彼に用はない。節子へ「繋いでいただけますか」と山本恵は言う。「繋いで」は深い読みへいざなわれる。清玄は内心繋ぎたくはなかったのだがそんなわけにもいかない。この電話に節子は動かされるだろうと清玄は考える。「山本恵と話す彼女の姿がとても美しかったからだ」と逆説的だがなんだかすっと腑に落ちる。

 節子は清徹の49日後に寺を出ることになる。清玄の怖れは、節子の心が「寺」や「僧侶」から気持ちは離れてしまうだろうということだ。だが「寺」や「僧侶」のあとに「俺が離れてしまうだろう」とつづき、彼の奥底の怖れも垣間見える。

 5巻第26話に出ていた監督の誘い。そこに今回は接続されるのだ。競技場での節子と山本恵との握手は手もとよりも距離感に目がいく。近すぎずと遠すぎず、かといってそれが適切な距離とも思えない。読者として居心地がいいとは言えない。取材陣も来ている。密着番組を作るというのだ。そこに節子の兄がいるのは必然だった。兄の前で清徹の死について節子は語る。「ふっきれた感覚」はよく聞く。でも悲しい感情もまたやってくるのだという。それが何度も往復するうちに一緒になって欲しいと願っている。悲しさは実体があり、かつ執着のあらわれともとれる。一方でふっきれるのは忘れようとする感覚なのかもしれない。どちらに留まってもならないということなのだろう。今のところの理解である。激しく揺れる感情は見ていて辛い。心理描写としてはすごい。

 レースが始まる。詳願寺では住職と清玄の妹琴美がテレビを観ようとするところだ。テレビに映る山本恵とあれっと思う姿の節子だ。以降コマは大きく使われ節子の内面が描かれる。新しい節子。新陳代謝する自己の先頭を踏みしめる節子。これからはずっと先頭を維持し続けるにちがいない。

 最後は「節子さんが久しぶりに寺へ戻ってきた」と清玄のモノローグ。主人公の坊主が問題だ。清玄は節子のように変われるのか。次号にて完結そして休刊というのもまた無常なのだからなんら動じることはないのだ。

 

ジャンプ改9月号を読む お慕い申し上げます第35話

 第35話 清徹の石~峰博

 先月号は休載。今回は載っていた。この回を見るともう終わっちゃうんだなと思わせる。「石」についてはいったいなんだろうと想像するしかなかったけれど、今回でなんなのかよくわかる。
 
 ずっとこの回では雨が支配的だ。時間は清徹の一周忌のひと月前である。峰博さまは清玄のことを「和尚さん」と呼ぶにいたっている。清徹のことも忘れているというか、住職の若い頃の記憶と結びついていく。住職は雨が上がる気配がないと天に怒りをぶつけている。山へ連れて行ってくれと不思議なことを言う。なるほど戦争でジャングルにいたんだ。身近な山がジャングルとして見立てられ悔いが思い起こされる。僧侶でありながら死んだ仲間にお経を上げられなかった悔い。その仲間は清徹そっくりの顔をしているがじっさいに清徹のような顔ではなかったと個人的には思う。峰博さまのなかでは、清徹の死と彼の死に呼び覚まされた過去の記憶とは混じり合う。
 
 旅の終わりに、あちらとこちらのあいだで、どちらかといえばあちらよりで、「石」のことが語られる。「石」は、人々の生き死にがひとに与える影響を表していた。影響は「波紋」と表現される。さまざまな投げかけられた「石」に峰博さまが思うこと。はたして自分がそうなったらそう思えるのかという。「石」は出会いでもあると思うがたくさんの「石」が投げかけられる場にいなくては…と思わせる。

 次号は節子。唐突な休刊発表はほんとにびっくりした。この作品にはうまく終わって欲しい!最後の号は清玄だろうか。

ジャンプ改8月号 「お慕い申し上げます」は休載だった&ジャンプ改休刊について思うところ

 お慕い申し上げますは休載である。いろいろと考えてしまうのはジャンプ改が10月発売の号をもって休刊になるからだ。なぜというのが率直な感想である。で、お慕い申し上げますは今月休載であるから残りは3号分しかないのだ。増ページで終わらせるのか。移籍か(これはこの作品に限らずタイミングが悪い)。残りは単行本でという方法もあるか。

 連載だから読んでいたものもあり、移籍しても続きを追わない作品も当然あると思う。強制終了させられる話もありそうだ。連載で漫画との戯れを楽しんでいたのがごっそりと失われる。作家の発表の場、読者の戯れの場がなくなる。休刊にする重さを偉い人にはしっかり刻んで欲しいと思うがそう認識しているのであればこんなことにはならなかっただろう。儲からないからしょうがないのだと真っ当な考えもあるだろうが読者がその部分で物わかりがよくても仕方がない。

 今月号の巻末、編集部のコメント。「今回の無念」と悔しさが文面に滲む。なんだかなんだか…なんだかなあ。言えることは少ない。創刊号から読んできたこの雑誌。最後まで看取るよ。今月号も他の作品にふれるけどそこでも休刊についてぐちぐち言っていきます。

 

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