旅日記2014年冬:喜如嘉の芭蕉布と自然布ツアー 2日目(1)



沖縄の朝は冬は特に遅い。 

そこに住んでいる人にすればそれが通常なのだろうが、
関東から来ると7時でも薄暗いことに驚く。

今朝は天気が崩れる予報だったためか雲も多く、
なおのこと朝の訪れが遅い印象だった。
sP1260825



















泊まっているコテージがレストランから一番遠い位置にあったので、
夕べに続いて、のんびり歩きながら空を見上げる。

青空が見えるところには、月もあった。
sP1260826












あわただしくない朝って嬉しい♪



バイキング方式の様々な沖縄料理をガッツリ食べたら、バスで喜如嘉へ移動。

道中、西側の空がすでに怪しくなってきた。
sP1260832












Mさんに「雨が降りますねぇ」と言うと「そうだね」とMさん。

本部半島の方はすでに雨が降っているようだった。

空が広いと、天気の移り変わりがよくわかる。

スコールの多い沖縄に旅を重ねるごとに、
雲や風の変化を感じられるようになってきている気がする。

「自然とともに生きる」ことに少しは近づけているのかな。



今日は、終日「芭蕉布今昔展」の会場で過ごす。
sP1260834



















まずは芭蕉の展示会場を、平良美恵子氏の解説により見学。

昨年東京で開催された「芭蕉布の今と昔展」よりもかなり大規模展示で、
見ごたえがあった。

平良敏子氏の戦後の芭蕉布復興時代に模索した数々の作品や、
他の芸術家との交流で生まれたコラボ作品、
芭蕉紙や他の芭蕉への貢献者の歴史の資料などもあった。

モノクロ写真のアルバムには、
敏子氏の若かりし頃の姿が留められており、
それもまた貴重なものだ。

手仕事、染織に興味があるだけでなく、
それに携わってきた人の「生き方」にも関心があるので、
美恵子氏による解説と一緒に資料を見られたのはよかった。



大切に保管された古い着物の中でも献上布の糸の細さは素晴らしく、
確か14ヨミ(上糸40本、下糸40本)と聞いた。

現在は、11〜12ヨミだそうだ。

(うーん、その場でメモをしっかりとってないと、ちょっと数値があいまいだな)

献上布は、糸は細いが柄は大柄。

御殿柄(うどぅんがら)といって、1つか2つの大きな柄が入っている方が
身分が上の人の着物だったという。

提灯の明かりや遠目に見ても柄が大きくはっきりしていて見やすいからだとか。

絣柄は小さい方が細かくて難しくて面倒に思ってしまうが、
そういう小さくてたくさんの種類の柄が入っている方が庶民の着物だったそうだ。



また、沖縄の紺地の着物は祝い事の着物(内地は労働着が藍染めだった)。

確かに、小浜島でもお盆のお祭りで紺地の着物を身に着ける。

芭蕉も紺地はめでたい着物だが、
紅型の世界では多彩な色合いがあってこそ素晴らしく、
藍型(いぇーがた)は単色なのでヒンスー(貧乏)とされるのだそうだ。

藍型好きの私としては、寂しい(苦笑)。



芭蕉保存会では、着物は現存保存の形ではなく、
洗い張りしなおしたり、修繕して保存しているのだという。

言われてみると、古い着物に当て布をして修繕しているものもあったし、
どの着物もきれいにされて喜んでいるようにも思えた。

そうだよね、確かに今はそれらを着ないかもしれないが、
遺跡や遺物というものとも違うように思う。

喜如嘉の人々の暮らしの中にあたりまえのようにあった芭蕉の着物を
今も生活の中にあるとしたらこんな感じ、と、
その着物が活かされていた時代で時を止めて展示しているように見えた。



戦後敏子氏が
周囲の人にも働きかけ巻き込んで行った商品開発の数々からも、
いかに芭蕉の復興に心と力を注いだかが伝わってきた。

座布団やバッグ、ベルト、財布など、
芭蕉布を様々な形にアレンジした作品が置かれていた。

座布団に至っては、太めの糸でざっくり早く織り、
たくさんの人に見てもらい、知ってもらうということもされたそうだ。

まるで今でいうモニターによるマーケティングみたいだと思った。

やわらかく撚った太めの糸によるかぎ針編みのセカンドバッグもあった。

昭和村のからむし織の里でも、
かぎ針編みの製品がいろいろ売られていたことを思い出した。



民藝の世界の方だったか、どなたかが、
沖縄のやちむんで人間国宝になられた故金城次郎氏には
「次郎は外を見るな」と言ったが、
芭蕉の敏子氏にはそうは言わなかったと聞いた。

芭蕉は、伝統を守りつつも時代に合わせて行けということだろうか?

日常の中で使われている物に対する「用の美」を旨とした方が
もしそれを言ったのだとしたら(柳宗悦)、
金城次郎氏は、ご本人でなければ作り出せない芸術性があるが、
芭蕉は日常で美しく進化してきたものでもあるので、
着物離れをしている現代の日常の中でも
形を変えて生き続ける道も模索することが必要ということかもしれない。

美恵子氏が、
「芭蕉布には作家の名前が残っていない」と
いうようなことをおっしゃったのとも
なんとなくつながるような気がした。

一方で、これもまた識者の方から、
「あれこれしないで、(伝統的な)芭蕉布に絞れ」という
サジェスチョンもあったと解説で聞いたような気がする(記憶があいまい)

伝統工芸品としての芭蕉布と、
伝統工芸品というある種の縛りにとらわれない
現代の暮らしの中で息づく芭蕉布と、
二つの両輪を回していくことが大切なのかもしれないと思った。

伝統工芸技術保持者の方は、
その技術を守っていかなければいけないだろうから、
なかなか自由な表現はできないのかもしれないけれど・・・。