「日本政治再生を巡る権力闘争の謎」 


 先日、友人のブログの中で紹介された論文を読み、いたく感銘を受けたので、数回に分けて感想も含め紹介させて頂きます。

ウォルフレン論文  より

オランダ出身のジャーナリストで、アムステルダム大学教授、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、ベストセラー「人間を幸福にしない日本というシステム」の著者として知られる。 

ウォルフレン氏は日本の現状について、国民自らの選択で初めて歴史的な政権交代を成し遂げたこの日本で、古い日本を守ろうとする官僚、検察、メディアが、新しく誕生した政権を潰そうとしている動きに対し、中央公論の最新号に寄稿した論文で重大な懸念を表明している。 

 今
日本はきわめて重要な時期にある。真の民主主義をこの国で実現できるかどうかは、これからの数年にかかっている。
内閣中心政権を確立することができるならば、あらゆる国々に対し、重要な規範を示すことになる。それを実現させるためには、険しい関門を突破しなければなるまい。国際社会で、真に独立した国家たらんとする民主党の理念を打ち砕こうとするのは、国内勢力ばかりではない。アメリカ政府もまたしかりである。 
この世界に、望ましい政治のあり方を示そうとしているのが、他ならぬこの日本である。わずか数年前、筆者を含め誰に予測し得たであろうか。予測しがたいことが現実に起きた。 

 民主党政権発足後の日本で起こりつつある変化には、実は大半の日本人が考えている以上に大きな意味がある、と筆者は感じている。
民主党が行おうとしていることに、どのような意義があるのかは、明治時代に日本の政治機構がどのように形成されたかを知らずして、理解することはむずかしい。 当時、選挙によって選ばれた政治家の力を骨抜きにするための仕組みが、政治システムの中に意図的に組み込まれたのである。 
山県有朋は、表向きに政治家に与えられている権力を、行使できなくなるような仕組みを導入したのだ。山県が密かにこのような仕掛けをしたからこそ、日本の政治システムは、1930年代になって、軍官僚たちがこの国をハイジャックする方向へと進化していったのである。山県の遺産は、その後もキャリア官僚と、国会議員という、実に奇妙な関係性の中に受け継がれていった。そして今、民主党は、山県有朋によって確立された日本の官僚制度という、この国のガバナンスの伝統と決別しようとしているのである。 いま民主党が自ら背負う課題は、生易しいものではない。この課題に着手した者は、いまだかつて誰ひとり存在しないのである。手本と仰ぐことが可能な経験則は存在しないのである。 

民主党の閣僚が、政策を見直そうとするたび、激しい抵抗に遭遇する。彼らに抵抗するのは、有権者ではない。旧態依然とした非民主主義的な体制に、がっちりと埋め込まれた利害に他ならない。明治時代に設立された、議会や内閣といった民主主義の基本的な機構・制度は日本では本来の目的に沿う形で利用されてはこなかった。 そして現在、政治主導を可能にするような機構を、民主党はほぼ無から創り上げることを余儀なくされている。 
これを見て、民主党の連立内閣の大臣たちが手をこまねいていると考える、人々も大勢いることだろう。 たとえば外務省や防衛省などの官僚たちは、政治家たちに、従来の省内でのやり方にしたがわせようと躍起になっている。それは、明治以来存続してきた日本の政治システム内部には自らを守ろうとする強力なメカニズムがあるからだ。

 <五百羅漢>
 私は、この論文は日本の現状を日本人よりよく把握し、日本人の心理をも分析していると思う。
国民は、今まで続いた自民党政権に見切りを付け、国民をなえがしろにしてきた政治家に対する不信感が高まり、政治腐敗・官僚主導からの脱却を望んだ。 そして新しい政治を期待し民主党を選んだ、それは新しい日本を国民が選択し、国民が官僚政治との戦いを選んだにほかならない。
しかしながら、民主党内も自民党時代の古参の政治家が淘汰できず、引っ掻き回されているのが現状であるように思える。
古狸たちは、狡猾で計算高く変り身が早い。 いつの間にか民主党の立党精神まで蝕んでしまった。既存の政治を変え、官僚と戦うには、まずこういった志のない政治家と決別し、官僚の心の中にある「国民を導き、日本を守る」という志をよみがえさせるべきであろう。