2008年09月10日

<03>コインロッカー・ベイビーズ

悲しい小説である。いうまでもなく村上龍の最高傑作であり、日本文学におけるひとつの金字塔であることに間違いはない。生後すぐコインロッカーに遺棄され、仮死状態に陥りながらも生き延びた二人の孤児。兄弟として里親に引き取られた彼らがたどる二つの生。そして、破壊と崩壊の向こうに見える再生へのかすかな光。だが、この小説は悲しい。それはこの小説が、僕たちの生の輪郭をあまりにも簡単に露わにしてしまったからだ。

僕たちの生はみすぼらしく、惨めで、弱く、脆い。そして僕たちはハシのように狂うこともできなければ、キクのようにダチュラをまき散らかすこともできず、ただそのみすぼらしい生を生き続けるしかない。この物語はキクとハシの特権的な生を描ききることで僕たちの生の惨めな輪郭をあまりにもあっけなく露わにしてしまうのだ。考えてみればいい、僕たちはこの物語の中では確実に、ダチュラによって粛清されてしまう東京市民だ。

僕たちにできるのは、この物語を最後まで読み通し、この物語と渡り合うことだけだ。暖かな産婦人科で生まれた僕たちは、村上龍が突きつけてくる現実の、目のくらむような取るに足りなさ、凡庸さを全力で跳び越えるしかないのだ。この作品は村上龍からの挑戦であり、僕たちは否応なくこの物語と対決しなければならない。この作品とぶつかり合い、乗り越えて初めて、僕たちは悲しみの向こうの新しい歌を聴くことができるのだから。

(1980年 講談社文庫 ★★★★★)











going_underground at 23:49│Comments(0)TrackBack(0)書評 

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