2008年09月19日

<05>テニスボーイの憂鬱

この本を最後に読んだのはたぶん10年以上前、いや、たぶん20年近く前のことだと思うんだけど、それ以来ずっと僕の中に残っていたフレーズがあった。「今夜本当にやりたかったことをしたのはこの小便だけかも知れない」。自分が混乱した状態でふと人を離れて一人小便をしていると僕はいつもこのフレーズを思い出す。自分の気持ちと身体的な実感が幸福に一致する瞬間、僕たちが手にできるリアルはせいぜい小便の快感なのだ。

この小説もこのフレーズのためだけにある。このフレーズは上巻の最後に出てくるのだが、それ以外の物語はすべてこのフレーズのリアルさを実感させるための後つけに過ぎない。小便の快感を僕たちに喚起するために、それ以外のすべてがいかにからっぽかを必死になって語っているに過ぎないのだ。テニスも、シャンパンも、美しい愛人とのセックスも、そんなものは全部からっぽだ、お前のリアルは小便だけだ、そう村上龍は言う。

小便の実感だけを除いて徹底的に空虚な恋愛小説、それがこの作品だ。この作品は何も越えて行かない。この作品は何も凌駕しない。だからテニスボーイは憂鬱なのだ。ダラダラと続いて行くからっぽで憂鬱な日々。どこにも、何にも越えて行かない小説にどこまで我慢強くつきあえるかという精神修養のような作品で、どこにも行き着かない物語に読んでいる自分自身が憂鬱になること請け合い。テニスという道具立てには意味はない。

(1985年 集英社文庫 ★★★)









going_underground at 23:58│Comments(0)TrackBack(0)書評 

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