2008年10月05日

<07>愛と幻想のファシズム

これはもちろん経済小説ではないし政治小説でもない。ここにあるのは僕たちの日常を充たす曖昧さ、生暖かさへの強烈な拒絶反応であり、それがこの小説のすべてだ。自然の中では飢え、淘汰されるべき弱者が、民主主義の中では大切に生かされている。彼らを生かすためにシステムは無用に複雑化し、洗練されて、僕たちは生の実感からどんどん遠ざかってしまう。僕たちはシンプルで美しい生の論理を取り戻さなければならないのだ。

その主張は明快である。しかしそれは多分にロマンティックなものだ。システムを嫌い、日常を憎悪して狩猟社を始めたはずのトウジはやがてそれ自体がひとつの反復、日常に堕して行くのを見る。革命を起こすことは簡単だが継続することは難しいという古典的なパラドクスがここでも繰り返される。しかしここで村上龍が書きたいのはたぶんそのことではない。重要なのは、革命はロマンティックで、感傷的なものだということだ。

そこにあっては政治も経済も中心的な契機ではあり得ない。生の実感、快楽や痛みを自分の実感として取り戻したい、すべてを直接自分の感覚として実感したいという欲求は、政治的なものでも経済的なものでもないからだ。それは優れてロマンティックで感傷的な感覚であり、文学的にこそ語られ得るものだ。「愛と幻想」というタイトルはその文脈で理解されるべきであり、ゼロの死によって物語が終息するのも必然なのだ。必読の名作。

(1987年発表 講談社文庫 ★★★★☆)







going_underground at 00:28│Comments(0)TrackBack(0)書評 

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