2008年10月22日
<13>エクスタシー
「イビサ」が限りなく自分と向かい合った女の物語だとするなら、この「エクスタシー」は極限まで自分を消し去ろうとした男の物語だということができるだろう。自分が何者でもなくただモノとして純粋にそこにある存在になりたいという欲求。モノのように扱われることによって自分の中の感情とか感覚とかいった面倒臭いものをひと思いに昇華させ、シンプルな、モノとしての自分を肯定することによって得る安定した視点の物語だ。
ありとあらゆる種類のドラッグを身体中に詰めこみ、それによって起こる純粋に化学的な変化を起爆剤にしてモノとしての自分に同化して行くプロセスは、決してメンタルなものではなくどこまでも物質レベルのこと。僕たちの身体や精神そのものが所詮タンパク質や電気信号からできていることがこの物語の核心をなしている。僕たちは化学反応の塊であり、そこに何か高貴なモノが宿っている訳ではないのだと村上龍は執拗に繰り返す。
そのことを村上龍は本物のドラッグを使う代わりに文章で示そうとする。伝達速度を超える電気信号を神経細胞に与えて誤作動させようとする。この物語の筋立てや道具立てにリアリティがあるかどうかなんてもはやどうでもいい。ただ、驚くべき高密度のまま驚くべき高速で回転して行く重金属のようなこの小説に脳細胞を毎秒削り取られながら、そんな世界もあるんだろうかとぼんやり考えるだけでいいのだ。それが、エクスタシー。
(1993年発表 集英社文庫 ★★★★)
ありとあらゆる種類のドラッグを身体中に詰めこみ、それによって起こる純粋に化学的な変化を起爆剤にしてモノとしての自分に同化して行くプロセスは、決してメンタルなものではなくどこまでも物質レベルのこと。僕たちの身体や精神そのものが所詮タンパク質や電気信号からできていることがこの物語の核心をなしている。僕たちは化学反応の塊であり、そこに何か高貴なモノが宿っている訳ではないのだと村上龍は執拗に繰り返す。
そのことを村上龍は本物のドラッグを使う代わりに文章で示そうとする。伝達速度を超える電気信号を神経細胞に与えて誤作動させようとする。この物語の筋立てや道具立てにリアリティがあるかどうかなんてもはやどうでもいい。ただ、驚くべき高密度のまま驚くべき高速で回転して行く重金属のようなこの小説に脳細胞を毎秒削り取られながら、そんな世界もあるんだろうかとぼんやり考えるだけでいいのだ。それが、エクスタシー。
(1993年発表 集英社文庫 ★★★★)
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この記事へのコメント
1. Posted by アイメイク 2011年08月28日 19:29