2008年10月26日

<14>フィジーの小人

大変胸くその悪い小説である。それはこの作品がホルモン異常でマゾヒストの小人がクソを食べる話だからでもあるのだがもちろんそれだけではなくて、ここに描かれた自分の人格を放棄し痛みや恥の中へ没入する行為の快楽と地獄が僕たちの日常的なバランス感覚とか凡庸なモラルとかをイヤな音を立てて無理矢理引っ掻くからだ。人格を剥ぎ取られ、恥を失って狂気に近づく描写がリアルで、何となく理解できてしまいそうだからだ。

それは不快で恐ろしい感覚だ。村上龍は圧倒的な熱量で恥という概念の内側と外側を書き尽くそうとする。視点は激しく入れ替わり、物語は幾重もの入れ子構造になって、だれが何の物語を語っているのかすら容易には分からなくなる。熱量はそうした多重構造のために拡散し、回収されないまま放置され、物語は加速度的に破綻して行くが、それは主人公であるフィジーの小人の精神の崩壊と性格に呼応している。僕たちはそれを経験する。

優れて観念的な作品でほとんど前衛小説であるが、それが具体的な細部への書き込みによって成立しているところが特徴的。恥という概念を際立たせるための他人の視線の存在を、南海のリゾートであるフィジーの小人の芸人という主人公の特殊性によって一足飛びに獲得する手法も鮮やか。力の入った作品だが読者にもかなりの消耗を強いる。この作品で救われたり解放されたりする読者はかなり少数派なのではないかと思ってしまう。

(1993年発表 講談社文庫 ★★★)

going_underground at 00:01│Comments(1)TrackBack(0)書評 

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この記事へのコメント

1. Posted by リリー   2011年02月26日 23:21
3 これも…また目茶苦茶にされた作品でしたねぇ。
作品に対して読み手は自分の中の「常識」をなぞりながら読むと思うのですが読む内にその辺の神経が悪夢に侵されてゆきおっしゃる通り、閉じ込めおきたい体験談となってしまった。地図でフィジーを見る度に「あそこには…」と思えてしまう。

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