2008年11月01日
<16>音楽の海岸
中上健次に捧げられた作品。何しろ主人公の名前がヤマガミケンジだからな。ストーリーは単純だがディテールがきちんとリアルに書き込まれているので説得力、喚起力はあるし、登場人物の役割がはっきりしているから読む方としてはすごく楽である。一応屈折した性衝動やマゾヒズムを扱ってもいるが、それらが実存の本質に関わるような問題としては立ち現れず、もっぱら現象面での描写なのでストレスなく読み進めることができる。
いや、それなりにもっともらしいことは語られるし、ワルでありながらインテリの主人公が物語をドライブする。だがそれは村上龍の作品ではいつものことであり、僕たちはあまり代わり映えのしないいつもの歌を聴かされているような気分になる。面白いのは「言葉」についての省察がかなりの分量を割いて語られていることだ。ケンジは言う。「力を持つのは言葉そのもので、その言葉を発する人間の気持ちなど、何の役にも立たない」。
最後にケンジの妹の口から語られる「この国は生きていく希望を必要としていない」という認識はおそらく正しくて、村上龍としては本当はそれだけを中上に捧げたかったのではないか。希望がなくても生きて行くことのできる国に生まれたことを、僕たちは喜ぶべきなのか唾棄するべきなのか。だが、それを言うために書かれたにしてはそこにたどり着くまでの物語がいかにもこれまでの作品の焼き直しであるのがもったいないと思う。
(1993年発表 講談社文庫 ★★★)
いや、それなりにもっともらしいことは語られるし、ワルでありながらインテリの主人公が物語をドライブする。だがそれは村上龍の作品ではいつものことであり、僕たちはあまり代わり映えのしないいつもの歌を聴かされているような気分になる。面白いのは「言葉」についての省察がかなりの分量を割いて語られていることだ。ケンジは言う。「力を持つのは言葉そのもので、その言葉を発する人間の気持ちなど、何の役にも立たない」。
最後にケンジの妹の口から語られる「この国は生きていく希望を必要としていない」という認識はおそらく正しくて、村上龍としては本当はそれだけを中上に捧げたかったのではないか。希望がなくても生きて行くことのできる国に生まれたことを、僕たちは喜ぶべきなのか唾棄するべきなのか。だが、それを言うために書かれたにしてはそこにたどり着くまでの物語がいかにもこれまでの作品の焼き直しであるのがもったいないと思う。
(1993年発表 講談社文庫 ★★★)