2008年11月04日

<17>昭和歌謡大全集

何だかよく分からない作品。村上龍が書きたかったのはおそらくある種のディスコミュニケーションが特別な種類のコミュニケーションに転化して行く瞬間の奇跡みたいなことで、その転化の瞬間における暴力の必要性というか、そのような聖なる転生のためには血が流されなくてはならないということなのではないかと思うのだが、ここで描かれているディスコミュニケーションは今となっては説得力の乏しいものになってしまっている。

物語は社会に適応できない不幸な青年たちと、社会に足場を失いつつあるおばさんたちとの血で血を洗う抗争譜であり、お話としてはバカバカしいくらい単純で明快なのだが、このような社会からの「はぐれ方」の認識が、秋葉原通り魔事件を経験した2008年の現在においてどれだけ有効であり続けているのかは疑問だ。トカレフや燃料気化爆弾を介してですら、そこにコミュニケーションが成立するという奇跡を僕たちは期待できるのか。

そこにリアリティが決定的に欠けているため、僕たちにとってこの作品はもはや歴史的意義しか持ち得ないように思える。現代のディスコミュニケーションは絶望的に個別的であり、それがいかなる種類であれコミュニケーションに転化し得るということは考えられず、その行き着く先はダガーナイフによる殺戮のように陰惨で、この物語のどこかにあるような、最後の最後に笑えるようなカタルシスとは無縁の、息苦しい密封容器なのだ。

(1994年発表 集英社文庫 ★★★)




going_underground at 23:14│Comments(0)TrackBack(0)書評 

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