2008年12月07日

<28>ライン

ひとことで言ってしまえば頭のおかしい人たちの見本市みたいなものである。ここに出てくる人たちはだれもどこか病んでいる、とかいうレベルではなく、明らかにおかしい。もちろん病みと正気との間に明確な境界がある訳でなく、それはグラデーション的に地続きなのだが、一方でプレッシャーやストレスを受けた人間がだれでも病む訳ではなく、正気から病みに移行する瞬間にあるはずの「踏み越え」のことを村上龍は描き続ける。

気になるのは物語の運びが直線的で話法が平板であること。多くの病んだ人たちのエピソードがリレー形式で語られて行くのだが、そこから多様な声が聞こえてこない。先を急ぐ余りひとりひとりの描写が説明的で、事例としての面白さはあっても小説的な付加価値は小さい。悲惨な生い立ちも病みが発現する瞬間の「踏み越え」も常軌を逸した行動も、どれもが通り一遍でコンパクトに収まっており、全体としての印象は散漫と言う他ない。

村上龍自身はこれを「近代の物語・個人史をテーマではなく背景とした」と説明しているが、ではその背景の手前で語られるべき物語とは何か。それこそは正気が病みに転ずる瞬間の「踏み越え」の個人的な体験に他ならず、それが起こる人間と起こらない人間の、起こる前と起こった後の、グラデーション的な連続性に生じた微細な亀裂を突き止めて描ききることではないのか。方法論として面白くはあるが決定的に食い足りない作品だ。

(1998年発表 幻冬舎文庫 ★★★)


going_underground at 22:46│Comments(0)TrackBack(0)書評 

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