2008年12月12日

<29>共生虫

引きこもりをテーマにした作品。他の作品のところでも書いたが、アップ・トゥ・デイトな題材を描くほどその有効期間が短くなるのは必然か。引きこもりの青年がネット上のコミュニケーションを通じて何かに目覚めるという設定はどこか決定的に古い気がするし、主人公が掲示板で示された「共生虫」というモチーフに触発されながら、最終的には外に出て肉体性を獲得するというストーリーは類型的で因襲的ですらあるのでないか。

引きこもりがネットで示唆されるものは「外へ出よ」というサインではない。彼らがそこで受け取るのは「より深くネットに沈潜せよ」というメッセージだ。村上龍がここで描きたかったのが引きこもりの覚醒なのか自壊なのかはよく分からないが、いずれにしてもそのモメントを森林公園での優れて肉体的な体験に求めるのは一種の退廃だ。村上龍であればその答えをネットの迷宮の奥の奥にこそ見出すべきではなかったのだろうか。

もちろんそこには時代的な制約もある。ホームページ、掲示板、アクセスカウンタの世界は、いつの間にかブログ、SNS、携帯メールへと移行した。今では、ネットに沈潜した結果、完全に社会からデタッチすることは珍しくも難しくもない。2ちゃんねるが引き受けるジャンク・コミュニケーションのオーバーフローの中にこそ因襲的な社会の共同性に変わる新しい人間関係のモデルがあるとか、それくらいのことは書いて欲しかった。

(2000年発表 講談社文庫 ★★★☆)


going_underground at 23:46│Comments(2)TrackBack(0)書評 

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この記事へのコメント

1. Posted by リリー   2011年02月27日 00:33
4 これも「限りなく〜」も「コインロッカー」もそうですが目茶苦茶な精神の解放に突き進めば突き進む程「純粋な清らかさ」に辿り着くんですよね。輝きがある、主人公を好きになりたくないのに。
ある種の不良マンガにもそれを感じますがスリリングな生命力を感じて憧れてしまうんですよ。
対照となる人物が虫けらである程そうなる。
古い家屋でグラビア撮影されるとより裸体が引き立つようなもんなのでしょうかね。
2. Posted by aritamethange   2013年12月04日 18:53
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