2008年11月22日

<22>メランコリア

ヤザキとケイコ、レイコをめぐる三部作の中間に位置する作品。ここではジャーナリストのミチコが聞き手となりヤザキからホームレスになった経緯をインタビューするという形で、例によって過剰とも思える独白が延々と続いて行く。そして冷静でクレバーなはずのミチコはやがてヤザキの抱える真空に吸い込まれるように引き寄せられて行く。そう、ここで明かされるのはヤザキの抱えるのが結局のところ真空であり空白だということだ。

それは自意識から自由になるということで、もちろん容易なことではない。すべての社会性や共同性をいったんすべてかなぐり捨て、何者でもない自分をそこに見出すことからしか何も始まらないということなのだが、何者でもない自分と向かい合うのは非常にエネルギーの要る作業であり、ドラッグの助けを借りずにその場所に降り立つためには大変な消耗を強いられる。だからたいていの男は自意識とともに社会的に生きて行くしかない。

ヤザキが魅力的なのだとしたら、そのような自意識から自由になった後の地獄を、ドラッグに頼りながらではあれ生き抜いたからなのであり、そこに必然的に生まれる憂鬱(メランコリア)を引き受けているからなのだと思う。そして物語のラストではミチコもまたヤザキの憂鬱の慰み物に過ぎないことが示唆される。小説的バランスからは完全に逸脱しているが、三部作の中では最も直接的であり、村上龍の世界観がはっきり出た作品だ。

(1996年発表 集英社文庫 ★★★★)



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