2009年02月10日

<36>半島を出よ

退廃とは何か。多数のために力のない少数者が犠牲になることだ、と村上龍は言う。そうかもしれない。だが、僕ならこう言う、退廃とは思考停止の別の名前だと。本来向かい合うべき物事の厄介な本質から目をそらし、最も重要な問題を棚に上げたまま目先の些事にかまけることが退廃だ。この物語で村上龍は日本と北朝鮮という二つの大きな退廃について語る。何も決められない日本と、異物を排除することしか知らない北朝鮮の物語だ。

この物語は決して日本の官僚や政治家の無責任さを嗤っている訳ではない。嗤われているとすれば、それは僕たちが主体的には何も選び取ろうとせず、最後の最後に追い詰められて他に選択肢がなくなるのを待つ以外に意思決定の手段を持たないことである。そしてそのような意思非決定のシステムは僕たちの周りのあらゆるところにある。問われているのは僕たち自身の非決定であり、告発されているのは僕たち自身の退廃なのである。

自己決定の欠如という問題は「最後の家族」でも指摘されていた。今作ではそれが北朝鮮反乱軍の自動化された意思決定のプロセスと対比される形で明らかに示される。そしてそのいずれもが巨大な退廃である。最後に社会不適応の少年たちが高層ビルの爆破を成功させる美しすぎるシーンは多分に寓話的であるが、僕たちを曖昧に、穏やかに包んでいる退廃の本質を描ききった点では村上龍のキャリアの中でも最も重要な作品のひとつ。

(2005年発表 幻冬舎文庫 ★★★★☆)







going_underground at 00:57│Comments(0)TrackBack(0)書評 

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