<107>恋はいつも未知なもの<109>白鳥

2009年03月11日

<108>村上龍映画小説集

さまざまな映画をモチーフに、1970年に九州から上京したばかりの少年のエピソードが11編つづられる連作短編集。村上龍の自伝的要素が強く、時期的には佐世保での高校生時代を題材にした「69」と福生での生活を描いた「限りなく透明に近いブルー」の間の位置することになる。時代背景もあるのだろうが、おそろしく無目的でどこにも行き着かない、ただ時間とエネルギーを徹底的に浪費し尽くすような若さのあり方が示されている。

主人公のヤザキは何度となく「オマエは無力だ」という声を聞く。意味のない放蕩、ドラッグ、セックスに果てしなく消耗しながら、村上龍は自分の内臓でただ「自分は無力だ」ということだけを確認して行くのだ。それは村上龍の10代の終わりが無力だということであると同時に、すべての若さは無力だということなのだ。若さとは本質的に意味のない消耗だ。その時期に人は自分が無力で無価値であるということだけを徹底的に学ぶのだ。

圧倒的にリアルで冷酷な現実を前に、自分の無力さ、無価値さをきちんと学ぶことのできた者だけが、若さという特別な時期を対象化することができる。あんな恥ずかしく、情けない時期にはもう戻りたくないというのがおそらくは若さに対する唯一の正しい認識で、この作品はその理由と、それにも関わらず僕たちはその時期から自由になることはできないということを鮮やかに描ききっている。最後の『ワイルド・エンジェル』がいい。

(1995年発表 講談社文庫 ★★★★)


going_underground at 23:59│Comments(0)TrackBack(0)書評 

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