2007年12月17日
今日という一日
2ヶ月ぶりになるかな?
長女が泊まりに来てくれました。
2週間前から来てくれる事をわかっていましたが、計画してどこかに連れて行ってあげようとかは全く考えませんでした。
離れているから「たまに会うのに、いいことをしてあげよう」とか思わなくなりました。
一緒に暮らしていた時のように、ありのままの自然体で接しようと思ったからです。
昨日の夜、僕が撮り貯めていたお笑いのビデオを見ながら一緒に笑う。
今朝から、二人でネット検索、そしてビデオ鑑賞、そしてお互い馬鹿笑
はたまた他愛もない会話
そんな時を夜、8時まで過ごしました。
外は寒いです、だから出かける気持ちもありませんでした。
でも、僕アパートの中はとてもあたたかったです。
2007年10月23日
コメント返しです。
コメント欄が長文でいくつもエラーになったのでここでお返しさせていただきます。
更新乙さん「・・・元気だせよ!」の言葉になんだか一瞬ジーンときました、本当です、ありがとうございました。
すんじさん、「自分の幸せ」のご指摘ありがとうございます、意味も充分理解しています。
今、決して不幸ではありません。
それはたまに子供が土曜から日曜日にかけてですが、夜は外食せず、家で簡単に料理を作り食べます。
そしてテレビを見ながら、他愛もない会話をします。この時ものすごく幸せを感じます。たぶん夜の家での会話に僕が飢えているのでしょう。
そして朝、目が醒めた時に隣に子供がいる、子供が目を覚ませば「パパお腹すいた」と言われ、急いで朝ごはんを作ります。
この瞬間も滅茶苦茶に幸せを感じます。
「寂しい幸せ」と思うかも知れませんが、一緒に暮らしていたらこんな事で幸せを感じる事はなかったでしょう。
まあ、こんな幸せを喜んでいたのではいけないでしょうが。
みゃーさん、ありがとうございます。レモンティーの香りというのは知りませんでした。
コメントについては僕がブログを立ち上げた理由がいろいろな人の意見を聞きたいと思っていたので、どんなコメントでも真剣に読みましたし、かなり参考になりました。たださすがに、リアルタイムに近い状態でブログの内容が近づいた時はコメントのの意見にかなり心が揺れた事は事実です。
チャッピィさん、お久しぶりです。
そうなんです、学校だけは駄目なんです、それは他にも理由がありまして、妻の仲良かった友人(子供のクラスメートの母)とかにも会いたくないとの気持ちもあるんです。今はそちらの方が大きいかな。大人げないですが。
2007年10月09日
1年8ヶ月
コメントありがとうございます。
ついひとつき程前に、僕が誘い、4人で食事をしました(詳しくは書けないのですが、妻と会わなければならない理由がありました)
長女とは1ヶ月ぶり、次女とは4ヶ月ぶりかな。
子供には近況の質問、妻とは事務的な話だけでしたが、前にも書いた通り子供の成長は驚くほど早いのですね。
その場ですぐに僕が出て行った時の過去を思い出しました。あの時の子供たちの幼さの感じと今日の成長は驚くほどでした。
確か当時彼女が言った「あなたがいなくなってもすぐに子供はなれるわよ」 それをこの時、実感しました。
そして綺麗事で思う事でなく、今日現在まで必死に育ててくれてる事に少し感謝の気持ちも思いました。
ここからが本題です
今回久しぶりに書いたのは次女に申し訳ないとの気持ちから気持ちからです。
長女は中学で休日に体育祭がありました、そして普通に行われました。
次女の体育祭は別の日でしたが、行きたい気持ちが・・・・本音は行きたくなかったのです。
体育祭 当日の日曜日は雨でした。そして平日に振り替えになると知りました。
僕は次女の勇姿を見たかった、でもほっとした自分がいました。
情け無い話、相当時間も過ぎているにもかかわらず、未だ小学校に行きたくない自分がいるのです。
この部分だけ全く成長していないのです。
2007年04月22日
長女の卒業
3月某日の夜、長女にメールではなく電話をかけた。
僕 「卒業式は何時からなの」
長女 「パパ来てくれるの?」
僕 「行くよ」
長女 「10時からだけど、お父さんおかあさん達は9時50分までに席についてくださいって言ってたよ」
僕 「そうかわかった、しっかり見てるから卒業証書授与の時に名前が呼ばれたら堂々と大きな声で返事してな」
長女 「わかった!」
当日の朝、時間に間に会うように自転車で小学校に向かった。だんだんと学校に近づくにつれ少し憂鬱になった(学校が見たくない)
到着してみると時間はちょうど50分、急いで体育館に入ろうとしたときに受付で呼び止められた。
受付 「何組のお子さんでいらっしゃいますか?署名お願いします」
僕 「6年○組のYOWAIです」
名簿を見ながら
受付 「あっ、YOWAIさんですね、先に奥様が署名されてますから結構です」
僕 「そうですか」 少し複雑な気持ち
体育館に入るとすでに父兄は着席していた。そして僕も一番後ろの席に座った。辺りを見回すと、1人で来ている親は以外と少なく夫婦そろって座っていた。
卒業式が始まり、入場の時、多くの親がビデオ、カメラを持ち出し、席から立ち上がり各々ちらばった。まばらに空いた空席のおかげで前の方に座っていた妻を見つけた。
式典もいよいよ最後になり卒業証書授与。
長女の名前が呼ばれた、そして約束通り大きな声で返事をしていた。 長女は僕の約束を守ってくれて少しジーンとした。
そして卒業生退場。
長女と次女のふたりが幼稚園の卒園式の時、かなりのお母さんたちが泣いていたのを覚えているが、以外に小学校だと泣く人もいないのかと感じた。かくいう僕も感動という事もなかった。ただ、もう中学生か、早いなと強く感じただけだった。
式が終わってから僕の近くを通った長女と仲の良い友達のお父さん(Fさん)が僕と目があった。
Fさん 「あれ!YOWAIちゃん久しぶりだね、どこ行ってたんだよ、噂じゃ刑務所に入ってたって?(笑)
僕 「全く、いろんな事言われてるな」
Fさん 「いやーでもほんと久しぶりだよな」
Fさんは結構毒舌だが家族で遊びに行ったこともあり打ち解けていたが久しぶりだな以外にはつっこんでこなかった。(知ってるのかな)
僕は妻の座っている方に向かった。
その時、Fさんの奥さんとも会った。僕を見るなりびっくりした顔をして小さな声で「お久しぶりです」と言ってくれた。この時点でFさんが僕の近況を聞いてこなかったのを理解した、全部知ってるようだ。
挨拶もそこそこに妻に近づいた、以前より髪が茶色くなってる変化を感じた。
僕 「よう、久しぶり」
妻 「あっ・・・ああ」
僕 「○○に(長女)これを渡しておいてくれるかな」
お祝い袋を渡した。
妻 「・・・わかりました」
それだけ言い、僕は体育館を後にした。
通路ではまだ卒業生たちが順番に教室に戻るためにごったがえしていた。そこに顔見知りの女の子がいたので長女はどこにいるか聞いてみると、「あそこにいるよ」と言われ指差す方を見てみると長女が笑顔で大きく僕に手を振っていた。
この瞬間に、今までまったくなんともなかった心が乱れた。そして僕も手を振り返して、仕事に向かうため学校を出た。
自転車に乗り駅に向かう途中に久しぶりの涙が出た、それは自分でもどんな意味の涙かわからなかった。ただ何故か泣いていた。
後から思えばその時の涙は、長女と別居する前に話した「また家族で暮らせる日が来る事を願っている」と言った事の実現が出来なかった事の思いと、次女も転校せざるを得ないのかとの複雑な思いからかなとも思った。
全てが複雑に思い、また別の悩みが出来た。
結局僕は弱い人間だ、なんだかんだ言っても、その時々の直面にまたまた揺らぐ心を持つ自分がいる。
第三者から見れば僕は、優柔不断である、でも・・・こういう生き方(考え方)しか出来ない男なのだろうと思っています。
2007年02月11日
次女の成長
別居(引越し)をして1年が過ぎた日「今日で1年か、あっという間だったな」と思いながら眠りにつきました。
そしてその夜夢を見ました。
その夢は2005年4月の頃の夢。そして深夜3時頃に目が覚め、なぜか思い出し悔しくなり朝まで眠れませんでした。
翌日寝不足で仕事をして、またその夜、偶然に同じような夢を見ました。恐らく1年が過ぎたなと感傷に浸っていたので、そんな夢を見たのでしょう。ただ、ここ数ヶ月なんとも考えていなかったのに、その夢を見た後は悔しいという気持ちが残る嫌な夢でした、
結局消えていない記憶が心のどこかにあるのでしょう。
2月のある日、何気に「次女が泊まりにきてくれないかな」と思い、まず長女の携帯に夕方電話をした。その時は電話にでなかった。
1時間後くらいに電話がかかってきた。
長女 「ごめん、遊んでて気がつかなかった」
僕 「いいよ、今家?」
長女 「うん」
僕 「じゃあ、R(次女)に電話変わってくれる?」
しばらくして次女の声がした。
僕 「元気か?」
次女 「元気だよ」
僕 「急なんだけど、今週末に○○につれて行ってあげようとおもうんだけどRは泊まりにこない?」
次女 「うん、行く!」
僕は正直びっくりした、次女が泊まることを二つ返事で返してくるとは思わなかった。
僕 「本当?」
次女 「泊まりでしょ、行くよ」
僕 「お姉ちゃんも一緒にどう?」
電話口の向こうで長女と話合っているようだ
次女 「おねえちゃんはお友達と約束があるからいけないって」
僕 「Rは約束ないの?」
次女 「大丈夫」
僕 「じゃあその日、家の近くまで迎えにいくからね」
と約束をした。僕の中では、次女はたぶん泊まりにこないと思っていただけに拍子抜けした、同時にかなりうれしくなりその日まで待ち遠しかった。
そして当日、なぜか自分の子供なのに、次女を迎えにいくのにドキドキしていた。「家に行ったら今日はやっぱり無理」なんて言われないかと。
約束の時間に次女は自転車に乗って待っていてくれた。 「良かった」
そしてすぐに食事に出かけた後、僕のアパートに行った。
寝る頃
僕 「Rさ、まさか泊まりにきてくれるとは思わなかったよ」
次女 「どうして?」
僕 「いつもお姉ちゃんばっかりだけど本当は2人で来て欲しかったけど、たぶん来ないかなと勝手にパパは思ってた」
次女 「パパは1人で泊まりにおいでって言ったことないよ、いつもお姉ちゃんと一緒においでってばかりで。Rは1人でも泊まれるのに」
うかつだった。確かにいつも長女と一緒にとしか言っていなかった。次女も、もう右左のわからない子供ではなかった。自分ひとりでも行動出来る年令だ。
当時住んでいた頃、毎日見ていた次女はまだ幼い小学1年生。妻との言い争いの時、どうしていいかわからずに悲しそうな顔をしていた頃の次女のイメージしかなく、別居後何度か会ってはいるが、僕には幼い子供としか見ていなかった。
次女も長女経由ではなく直接言葉をかけて欲しかったに違いない。
でも・・・・僕がそばにいない間もどんどん成長していってた。
そんな中僕は、離れて暮らしてる事をいいことに長女ばかりで次女に目が届かないのではなく届かせようとしていなかった事に次女の言葉で気づいた。
僕 「Rごめん、これからは直接Rにも声かけるね」
次女 「うん♪」
次女はいつも寝る時間が早いらしくしばらくして寝てしまった。
翌日、次女をつれ行楽地に行った。そしてまたいつものように時間が早く過ぎた。帰りの電車では最初から最後まで次女は寝ていた。
かなり歩かせたので相当疲れたようだ。
次女を家まで送り別れた後のアパートまでの帰り道、以前はよく涙が出たが、今は違った。なんか晴れ晴れしたような、うれしくも充実した気持ちでいっぱいだった。またいつでも会える・・・・その時を楽しみにしようと思った。
2007年01月23日
ご無沙汰いたしました。
年が明けてもう間もなく2月になってしまいます。更新しなかったのは特に大きな変化もトラブルもなかったものですから。
昨年の終わり頃に僕の状況を知った義理の兄の息子と実家で偶然に会いその時飲んだのですが、気分転換にスノーボードに行ってみないかと誘ってくれました。僕は無理だと断ったのですが、弟が「兄貴はサーフィンやってたんだから大丈夫だよ」と言われて酔った勢いもあり「行くよ」と軽く返事をしてしまいました(翌日いい年してスノボかと後悔しました、サーフィンなんてちょっとしかやってないから。)
しかしその3日後に弟から、1月行くからねと、電車の予約も入れたからと電話がありました。僕は「わかったありがとう」と言ったのですが心は「いやー失敗したな」という感じでした。
そしてつい先週の週末に夜行電車で福島県会津高原のスキー場に行きました。(電車とバスの乗り継ぎ、スノボー関係一式レンタル+講習の格安パック)
朝到着して寒くて眠い状態でしたが僕は緊張してました、そしてゲレンデを見て後悔してました(僕には無理だ)と。
その後1時間インストラクターの講習(本当に簡単)を受けていざゲレンデへ。
何度も転倒してるうちに、コツをつかめて午後には緩やかなところでは滑れるようになったのです。
弟とは別行動だったのですが、たまたま弟が僕をみつけて僕の滑りを見たらしく「さすがだね、やっぱサーフィンやってただけあってバランス感覚があるんだね」と感心してましたが、事実は違います。弟が休憩しながら滑ってるのに必死に僕は練習してたのでした。
ちなみに僕はサーフィンとスノーボードは全く別ものと感じました。
その日、本当に何年ぶりでしょうか、僕は我を忘れて帰る時間まで、何度もリフトにに乗り、子供のようにはしゃぎました。
そして最後に弟が「最後に一番高い所で滑って帰ろうよ、兄貴は大丈夫だよ」と言われて「そだね」なんて返事をしてリフトにのってその場所に着きました。
いざ現地は・・・簡単に滑れるようになった僕はスノボをなめてかかりました。下を見たらとてもじゃないけど滑れません。怖い。
ただ降りるしかありません。恐る恐る滑りますが、駄目です。ブレーキすら出来ません、時間かけて緩やかな所に到着しても、さっきまで滑れてたのに恐怖心で滑れなくなってしまいました。
スノーボード及びスキーは奥深いものがあると痛感しました。
話は元に戻りますが、僕はこの日、無我夢中でした。なんて時間が早く過ぎたことでしょう。何も忘れられる時間がこの年令になって経験するなんて思った事すらありません。
疲れきった帰りの電車で弟は眠ってましたが、僕は眠れず考え事をしてました。この日を作ってくれた弟にありがとうの気持ちでした。
揺られる電車の中で外をボーっとみながら、そしてやっぱり考えます。
言い訳じみますが僕は転職してから家族に「無我夢中」にさせられるような旅行などつれて行ってあげていません、気持ちの余裕もありませんでした。買ったばかりの家の維持と生活の為の為しかなかった。
必死に働いてる自分に満足と自分に酔っていたのかも知れないなと。
これは正直なところ未練とかじゃないんです、なんか・・冷静に思ったんです。
この後、疲れきって家に帰り、もう即布団にはいり熟睡でしいた。
翌日、全身が痛い、特に首筋が。
食事を作るのもやっとでしたが、心地よいむちゃくちゃな痛みでした。
最後に人気ブログランキングにポチっと一票だけしていただければ。
2006年12月25日
けなげな2人
いまだに、一つの悩み。
休日の前日の夜に長女から必ず届くメールは
「明日の○時から○時まではお友達と遊んでるから、電話はしないでね」
これは僕らが別居してる事を友達に知られたくない為。
ずいぶん前にも書きましたが、友達などには、僕が出張と言う事にしておきなと長女に言いました。
あれからは特に僕は何も言ってはいないのですが、長女も次女も同じように今でも友達には説明してるようです。
子供は2人とも、僕らはもう完全に駄目だと言う事も充分わかっていると思います。それでも友達にはごく普通の家庭をよそおっています。 僕の勝ってな気持ちからすると今となってはオープンにしてくれてもいいのですが。
実家に今回の事がばれてから、僕はよく実家に遊びに行きます、当然子供の事などを聞かれますが、最近は笑いながら答えられるようになりました。別居を隠していた頃に比べると雲泥の差であり、気持ちが楽です。
よく言われるのが、やはり 「なんとかならないのかい?」
僕 「あー無理無理」とまあこんな具合です。
その楽さを考えると子供たちの、けなげに隠し通してる気持ちを考えると心苦しいです。
だったらスパッと離婚届けだして割り切りさせてあげればと言われそうですが、諸事情もあるものですから。
2006年12月24日
お詫びです。
画面左にフリーメールアドレスを公開してますが、一日に30前後の広告メールが入り、ほっておくと凄い数にになり一斉に削除してしまうのですが、今回誤って普通のメールまで消してしまいました。出来るだけ返信してたのですが、一部の方のは出来なくなりました、大変申し訳ございませんでした。
2006年12月17日
あれから一年
今日でブログを始めて1年となりました。
途中で終わりにするつもりが、づるづるとやってしまいました。
毎年のように、年末近くになると1年なんてあっという間だと感じてましたが、この1年だけは僕の生涯の中で一番短かったような気がします。
悲しく辛かった1月30日。このときの事は4月16日、17日に書いたのですが、今回読み返してみて、当時自分自身がかなりきつかったのだなと思います。今まであまりコメント以外読み返しはしなかったのですが、読み返せるようになったのは時間が過ぎたのと、多くのみなさんの励ましのおかげだと思ってます。
以前は常に一緒にいた家族。別居してから今日まで妻と会ったのはパソコントラブルの時、車の処分の時、4人で食事をした時の計3回
長女とは泊まりや食事で8回くらい、次女とは5回かな。
365日ほぼ毎日顔を会わせていたのが・・・・。
ときに、悲しくなり、寂しくなり、前向きになろうとしながらも挫折したりの今日まででした。間もなく書類上での家族は終わりにしなければなりません。ただみなさんのことば通り、僕は子供の父であり、今後例え遠くに行ってしまったとしても父として見守って、協力できる事はしてあげようと思ってます。
また今後も書いていきますので気が向きましたら応援ポチっとお願いします。 人気ランキング
2006年12月05日
時が未だ解決しないもの
ブログを始めてから途中まで、コメントが入ればひとつひとつに返信してました、ところが最近はひとまとめに「ありがとうございます」で終わらせてます。それは面倒とかではなく、重複した答えを書いてしまう事もあると思ったので控えていますのでお許しください。
これもまた重複の内容です。
話は飛びますが、長女は、ほぼふた月に一度くらいのペースで泊まりきてくれます(残念ながら次女はまだ泊まってません)
最近は、僕も特に気を使わずに泊まりにきたからといってどこかにつれていこうとは考えずにのんびりとビデオみたり、ちょっと買い物に一緒に出たりするような感じでいます。
長女もそれだけでも楽しんでいるように僕自身は受け止めています。
いつものように泊まりに来た翌日の夜、長女を家の前まで送り届けます、しかし慣れでしょう、最初の頃のようにお互いその場で涙が出るようなことはありません。
でも・・・送り届けた後
僕はアパートに着き、片付けなどをして一段落をして、ふっとした瞬間に強く感じます。
この家は今は僕しかいない。
ついさっきまでそこに長女がのんびりとテレビを見ていた。僕が食事の洗い物をしていても隣の部屋でテレビを見ながら笑っている。
長女 「パパ、なんかやろうか?」
僕 「いいよ、すぐ終わるからテレビみてろよ」
そして長女の笑い声をききながら、自然と鼻歌まじりに安心しながら皿を洗っている自分がいた、終われば近くに座り、一緒にテレビを見ながら同じようなところで2人で笑っている楽しいひと時。
しかし
今は誰もいない。さっきまで・・・・やっぱり・・うっすらと涙がでました。
僕が弱い男と名づけているのは性格的に引きづるタイプだからです、多くの方は「男のくせにウジウジするな、」と思うかもしれません、
ただ、子供に対する気持ちだけは当分かわれそうもありません。子供に関しての気持ちは、時が解決するまで時間がかかりそうです。
追記
ブログ始めてもうすぐ1年になります。当時はみなさんに読んでもらおうと必死に毎日更新してました、ランキングもべたべた沢山貼りました(今も貼ってますが)
あの頃と変わった事、特に成長はありませんが、家族と離れてみて、自分の欠点や至らなかった事などがよく見えて来るようになりました。それも人間としての成長になるのかな?・・・
懐かしく最初はこうしてべたべた貼ってました。
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