読書の日々

読書についてのよしなしごと。小説とか、詩集とか、教科書とか。

2013年08月



お盆休みに読んだ本、4冊目。

本のたたずまいが気になって、書店でたまたま手に取った小説。吉住侑子、という作家名には見覚えがないので、調べてみると、作品社のデータベースに、次のようなプルフィールが載っていました。
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1928年、千葉県生まれ。早稲田大学国語国文科専攻課卒業。文芸同人誌「文学者」「きゃらばん」「三田文学」などに作品を発表。第20回北日本文学賞受賞。
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当年とって、85歳。75歳で芥川賞を受賞した黒田夏子さんよりも、さらに10歳年上です。しかし、その作風は、円熟や情緒といった枯れた言葉が似合うものではなく、かといって前衛でもなく、老いてなお身のうちに息づいている「生」の生々しさを、克明に描き出すものでした。

『歳歳年年』には、「入相(いりあい)待ち」「老友交歓」「つるうめもどき」「この秋」の4つの短編が収められています。

「入相待ち」は、かつて近辺の大地主で、今は凋落してしまった隣家のおばあさんと、主人公のかなえとの日々のつきあいを描いた小説。おばあさんは、落ちぶれても気品を失わない賢夫人と噂される人でしたが、まだら惚けの兆候が現れます。

かなえの家の土地も、元は隣家のおばあさんの地所だったのですが、「一等地をただみたいな値でお譲りした」などとあからさまな嫌みを言い出したり。時々ぼんやりと街角に立っていたり。もうこの世にいない誰彼に当てて手紙を書いたり。そして、ご祭礼の日に姿が見えなくなり…。

人間の中に折り畳まれている、さまざまな想いがほぐれて、あらわになっていく様を描きながら、老いの哀しみといった定型に落とし込まない。そんな物語が、きりりとひきしまった文体で書かれています。

気になる作家が、また一人増えました。



お盆休みに読んだ本、3冊目。

オーストラリアの児童文学作家、ソーニャ・ハートネットの作品。原著は2000年に出版されており、2002年にガーディアン賞(イギリスの児童文学賞)を受賞しています。この本がハートネット作品の初の邦訳で、2004年に初版が出ています。

舞台は、第一次世界戦後のオーストラリアの開拓地。そこで暮らす家族の物語が、ハーパーという小さな女の子の目線で綴られていきます。書名の「木曜日に生まれた子ども」というのは、ハーパーの弟ティンのことで、あることがきっかけとなり、ティンは家の床下にもぐりこみ、穴を掘り、地中で暮し始めます。

物語が進むにつれて、ハーパーの家族は、さまざまな困難や不幸にみまわれるのですが、そこには、大恐慌の頃の世相が色濃く反映されており、運命に翻弄されていく様子が実にリアリティのある筆致で描かれています。同時に、地中で暮らす少年というまったくリアリティを欠いた存在が置かれることで、見事な重層性が生み出されており、神話を読んだような読後感が残りました。

訳者の金原さんのあとがきによると、「木曜日に生まれた子ども」は、マザーグースの中の一節「木曜日に生まれた子どもはどこまでも歩いていく(Thursday's child has far to go)」からの引用だそうです。



お盆休みに読んだ本、2冊目。

帯には、「人の孤独を包み込むかのような気高い動物たちの美しさ、優しさを、新鮮な物語に描く小説集」とありますが、動物が主人公の寓話のような作品集ではありません。孤独感や喪失感を心に宿した人間の日々が綴られており、そのそれぞれに、動物たちが強い存在感をもって関わってくる。そんな物語が、8編収められています。

8編の物語の中で、いちばんいいなと思ったのは、冒頭に収められている「帯同馬」。

主人公は、スーパーマーケットで、実演販売を行うデモンストレーションガールとして働いている女性。もう、あまり若いとは言えない年齢のようです。最初のページに、こんな文章が記されています。

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デモンストレーションガールの業界で、彼女は独自の道を切り開いている。愛想のよさ、陽気さ、人懐っこさ、声の大きさ、押しの強さ等々、この仕事に必要だとされている資質のほとんどと、彼女は無縁だった。笑顔は貧相で、口数は少なく、声は店内放送に紛れてほとんど聞き取れないくらいにか細かった。にもかかわらず、彼女が紙皿を持って立てば、確実に特売品の売り上げは伸びる。それだけの技術を備えている。
(P9)
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なんと、魅力的な人物造形でしょう。どんな女性なんだろうと、ぐっと物語の中に引き込まれ、描かれている「彼女」の日々をともに生きているるような感覚で、最後の一行まで文字を追い続けました。

「彼女」は、「遠くへ行く」のが怖くて、電車に乗ることもできないという心の問題を抱えています。「帯同馬」というのは、ディープインパクトが凱旋門賞に出走するために渡仏するにあたって、ストレスを緩和するために同行させられた馬のことを指しているのですが、「彼女」は、自らの意思に関わらず「遠くへ行く」ことを強いられる帯同馬の運命に強く反応します。

そして、そんな「彼女」自身にも、遠くへの「帯同」を求める人が現れることになり、物語は思わぬ方向へ動き出していきます。

その他の7編も、それぞれ、まったく設定の違う物語が描かれているのですが、同じ空間感が濃密に漂う、充実した連作集となっていました。タイトルがとても魅力的なので、列挙しておきます。

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ビーバーの小枝
ハモニカ兎
目隠しされた小鷺
愛犬ベネディクト
チーター準備中
断食蝸牛
竜の子幼稚園
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3月に出版された、中森美方さんの新詩集。ずっと仕事が忙しく、落ち着いてページをめくる時間がとれなかったのですが、お盆休みにようやく読むことができました。さまざまな時代、さまざまな場所で生きた家族の記憶が幾重にも折り重なる、神話のような詩世界を堪能しました。

この詩集は、8章に分かれていて、それぞれ6~9編の詩がまとめられており、章ごとに語られる世界、時代、家族が変わっていく、重層的な構造となっています。

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滅びゆく家族の記憶の断片
伝言・二〇一二
黄泉の国
世界の片隅に過ぎてゆく
少し不幸な人々の一日に
二十世紀末の街角に確かにあった幻覚
わたしたちの物語
忘れられた声よ
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それぞれの詩は、とても濃密なイメージをはらんた言葉がつらなり、ともすれば「意味」を見失いそうになります。何かにとりつかれた者の語りのような、黙示録のような詩集の末尾には、次のような言葉が置かれています。それぞれの詩がやってきたという、さまざまなどこかの「誰かの記憶」。それを封印するようにページを閉じ、詩集を書棚におさめました。

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記述係

これらをわたしが書いたというのは正確ではない
わたしはただの記述係 それはどこからかやってくるものだった
どこかで誰かの記憶に残されていたものだろう
わたしが記したものはほんのわずかで
文章の網目からぬけ落ちたもの

(以下、略)
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