ご近所の日々

ご近所で出会った雑草や、古本のことなどを、少しずつ書きとめていきます。

2013年02月

昨日、新聞をめくると、こんな記事が載っていました。ふむ。うちのご近所だけではなく、あちこちのご近所の樹々が、過酷な運命を背負わされているようです。

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ムクドリの大量発生による周辺住民への被害が甚大で、住処になる樹を実験的に切ったそうなのですが、周囲の電線はそのままにされているため、「木を切った後も飛んできており、果たして効果があるのか」というご近所の方の声が載っていました。

そういえば、10年以上前、うちのご近所でもムクドリが大量発生して、押し合いへし合い、ギャーギャーと騒音をまき散らしていましたが、いつの間にか見かけなくなりました。
ご近所の世界 >ご近所の電柱 

というわけで、ムクドリが迷惑なのは重々承知していますが、もう少し、「樹」の身にもなって対策を講じてほしいなぁと思います。




先日、ご近所の雑草たちの様子を伺いに散歩に出かけて、唖然とする光景を目にしました。桜並木の根元の部分だけが立ち並んでいる。「ぶち切る」といった言葉がふさわしい乱暴なやり方で切り落とされ、切り口から幹の繊維の残骸がささくれ立っていて、それがまるで、樹の悲鳴のように見えました。


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市が進めている護岸工事の一環だそうですが、何十年もの間、花を咲かせ、花を散らし、人々の目を楽しませてきたあげく、最期はこの有様かと思うと、なんとも情けない気持ちになりました。住民の一人として、頭を垂れたいと思います。合掌。


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半分の木


自分が半分の木だときかされたとき、木は驚いた。
ではあと半分の木はどこにいるのか。
どこか遠くの野の真中に立っているのか。
野の果の空に倒立しているのか。
それともすぐそばに息をひそめて寄りそっているのか。
白く乾いた土に落ちた自分の影。
見つめる木のおもいはつねにあと半分の木のことになる。
木は考える。わたしの下枝にしがみつき花のように風に舞う
抜け殻のあと半分、蝉たちはいまどこにいるのか。
あと半分の木の木の下枝にしがみついて
けんめいに鳴いているのか。
木はさらに考える。わたしたちの根の先は
見えないところで触れあっているのか。
土のなかでからみあって同じ水に洗われているのか。

そうだよという声がする。
そうかなという声もする。
半分がぴくんと撥ねる。
あと半分もぴくんと撥ねる。

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『震える木』安水稔和 著(編集工房ノア)より



仕事場のご近所の公園の片隅に、20メートルくらいの高さのヒマラヤ杉が立っていて、昼食どきに、よく見上げていました。枝をだらんと垂らした姿が何ともだらしない感じで、はっきり言って見場のよい樹ではありません。「ここに、こんな樹が立っていることを誰も気にもとめていないんだろうなぁ。雑草と同じだなぁ」などと思いながら、いつか写真を撮っておこうともくろんでいたのですが…。

この週明け、このような変わり果てた姿になっていました。


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どういう理由があって、こんなひどい仕打ちを受けたのでしょうか。ヒマラヤ杉は明治初期に渡来した樹で、新宿御苑の樹齢130年のものが一番古いのだそうです。年輪を数えてみると、40ほどありました。ということは、この樹は、昭和生まれ。まだまだお若いヒマラヤ杉だったんですね。合掌。


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空と土のあいだで


どこまでも根は下りていく。どこまでも
枝々は上っていく。どこまでも根は
土を掴もうとする。どこまでも
枝々は、空を掴もうとする。
おそろしくなるくらい
大きな樹だ。見上げると、
つむじ風のようにくるくる廻って、
日の光が静かに落ちてきた。
影が地に滲むようにひろがった。
なぜそこにじっとしている?
なぜ自由に旅しようとしない?
白い雲が、黒い樹に言った。
三百年、わたしはここに立っている。
そうやって、わたしは時間を旅してきた。
黒い樹がようやく答えたとき、
雲は去って、もうどこにもいなかった。
巡る年とともに、大きな樹は、
節くれ、さらばえ、老いていった。
やがて来る死が、根にからみついた。
だが、樹の枝々は、新しい芽をはぐくんだ。
自由とは、どこかへ立ち去ることではない。
考えぶかくここに生きることが、自由だ。
樹のように、空と土のあいだで。

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『人はかつて樹だった』長田弘 著(みすず書房)より




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