「日本の夜明け」(政治・歴史評論)


引継ごう!『日本らしさ』を子や孫へ
”明日の日本”を真剣に考えるブログです。


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 本日6月23日は沖縄慰霊の日であります。
 この日は大東亜戦争沖縄戦における組織的戦闘終結の日であることに鑑み、沖縄県により記念日として定められました。
 まずはじめに、かの難き日々を我が国の為に闘ってくださった沖縄の先人に対し敬意と感謝の誠を捧げますと共に、犠牲と為られた人々に対しまして心より追悼の意を表します。
 終戦から72年経っているといえども、米軍基地問題という未だに終わらない戦後、そして現在日本はこの戦後体制からの脱却の兆しを期待できないという体たらくにありますが、ものの始まりの重要要素としての歴史に思いを致す意味合いを込め、大田実海軍少将(殉国後中将)「沖縄県民斯ク戦ヘリ」(電信文)を紹介したいと思います。
commanderroom これは本土決戦が行われた沖縄戦の終盤において、大田実少将が自決を前に忠勇なる沖縄県民の奮戦の様と、これらの報国の姿勢を加味し沖縄県民への後の格別の配慮を願い打電した電信文であります。
 そしてこの電信文の結語には沖縄県民斯ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲとの部分があり、私は沖縄の米軍基地問題を始め沖縄についてメディアが何らかの事を報じる度に、この冒頭に述べた大田少将の電信文が頭を過ぎります。
 そしてその時には、多大なる犠牲を出し国防に身艇を捧げた沖縄の先人への高配はおろか、その功績すらも蔑ろになっているのではないかという事を非常に強く感じます。
 政府も沖縄に関する問題を議論する場合は、沖縄の正しい歴史、国際法規を十二分に鑑みた上で、沖縄県民の報国に対する報いである「特別ノ高配」も考慮し議論をすべきであろうと強く思いますし、本当に米軍基地の存在が沖縄県民にとって大いなる弊害を被っているのであれば、自国は自国で守ると言う意志を明確にし、自国の軍隊を配備することを目指すことも視野に真剣に検討をするべきであることはいうまでもありません。(米軍に撤退を願うならば自衛隊の正式な国軍化、突き詰めた処は核武装が前提となるでしょうが・・・)
 追記:自国軍隊による沖縄太平洋地域の防衛、シーレーンの安全確保が保守的立場の方々から言えば理想という面があるかもしれませんが、サンフランシスコ講和条約を始め国際法規に鑑みれば、我が国単独での行動や制限、保守は難しい面があり、これを建前の下に否定するものではありません。
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私の所感が長くなりましたが、最後に大田実少将の電信文を紹介致します。

 
発 沖縄根拠地隊司令官
 宛 海軍次官

 左ノ電**次官ニ御通報方取計ヲ得度沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ県ニハ既ニ通信力ナク三二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ラザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ之ニ代ツテ緊急御通知申上グ
 沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト家財ノ全部ヲ焼却セラレ僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難尚砲爆撃ノ**ニ中風雨ニ曝サレツツ乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ而モ若キ婦人ハ卒先軍ニ身ヲ捧ゲ看護婦烹炊婦ハ元ヨリ砲弾運ビ挺身切込隊スラ申出ルモノアリ所詮敵来リナバ老人子供ハ殺サルベク婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セラルベシトテ親子生別レ娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ
 看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ身寄無キ重傷者ヲ助ケテ**真面目ニシテ一時ノ感情ニ駈ラレタルモノトハ思ハレズ更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住居地区ヲ指定セラレ輸送力皆無ノ者黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ是ヲ要スルニ陸海軍**沖縄ニ進駐以来終止一貫勤労奉仕物資節約ヲ強要セラレツツ(一部ハ兎角ノ悪評ナキニシモアラザルモ)只管日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ****与ヘ*コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形□一木一草焦土ト化セン糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ沖縄県民斯ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

 参考リンク
  {内閣府沖縄振興局・沖縄戦関係資料閲覧室}
    http://www.okinawa-sen.go.jp/

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 明治天皇(第百二十二代)御製

 「おのが身を 修むる道は 学ばなむ しづがなりはひ いとまなくとも」
                           (賤)

 (明治天皇御百首より訳)
  大意:
軽い身分のもの共は其の生業に追はれて少しの暇はなからうが、暇は無くとお自分の身を修める道は、怠らぬ様に学びたいものではあるよ。との御意と拝す。

kyotogosyo
 
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 日本人が日本人たる上で最も大切にしなけらばならないもの、また日本国が日本国として存在し続ける為に、守り続けると同時に後世に伝え引継がなければならないもの、これらのことを含めた上で”日本の要諦”とは何かということを考えますと真っ先に頭に浮んで参りますことは天皇陛下の大御心であります。
 また一重に大御心といいましても、御神勅、御詔勅、勅令、御製等々と国民が天皇陛下の大御心を拝する機会を得られるものには幾つか種類があり、その中においても歴代天皇〜今上陛下に至るまでの天皇の大御心を最も身近に感じられるものを考えますとやはり御製ではなかろうかと考えます。
 この意味におきまして、折に触れ諸処感じるところがある度に御製を紹介しています。

平成二十九年五月 詠草

 山里に遠く響かふうぐひすの声に誘はれ伸びる若竹
   〜初夏へ向かふ山里の景色を拝して
 
 赤心を燃やして挑む湊川信ずるものは大義のみかも
   〜楠公に思ひを致す

辰巳史浩 謹詠
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 本日は、先の日露戦争における日本海海戦勝利を記念し制定された海軍記念日であります。
 明治三十八年五月二十七日早朝、対馬沖・・・我が国連合艦隊がロシアバルチック艦隊に接し
「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動、之を撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し」
 作戦参謀「秋山真之」による大本営への打電を契機に、旗艦三笠にZ旗を掲げ帝国海軍連合艦隊の進撃を開始しました。

 海戦直前に旗艦から発せられた信号があの名句です。
 「皇国ノ興廃、之ノ一戦ニ在リ 各員一層奮励努力セヨ」

2564c6f7.bmp奮闘の結果、完全勝利を成し遂げました。
  露国の被害 : ロシアバルチック艦隊(ほぼ全滅)
  日本の被害 : 帝国海軍連合艦隊(水雷艇三隻の沈没)

 この日本海海戦に勝利していなければ、現代の世界地図に「日本」は無かったとさえ言われる有事(出来事)であり、日本国の為に奮闘頂いたご英霊への感謝の気持ちを末代まで持ち続けなければならないと改めて考えさせられます。
 付け加えて言いますと、この露バルチック艦隊から奪取した完全勝利は、当時の有色人種(植民地支配下にあった有色人種)らに相当なる勇気を与えました。
 また現世を鑑みますと、明治の御代に露と闘ってくれたご英霊は、かの決戦の地、また一命を賭して守ってくれた現在の対馬(対馬領土問題)をどうご覧になられているのかと考えると申し訳なさが込み上げてくる次第です。

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 当時の情景が意気揚々と歌われております軍歌 「日本海海戦」 を以下に紹介します。

   1.海路一万五千余浬 万苦をしのび東洋に
     最後の勝敗決せんと 寄せ来し敵こそ健気なれ
   2.時これ三十八年の 狭霧もふかき五月末
     敵艦見ゆとの警報に 勇み立ちたる我が艦隊
   3.早くも根拠地後にして 旌旗堂々荒波を
     けたてて進む日本海 頃しも午後の一時半
   4.霧の絶間を見渡せば 敵艦あわせて約四十
     二列の縦陣つくりつつ 対馬の沖にさしかかる
   5.戦機今やと待つ程に 旗艦に揚れる信号は
     皇国の興廃この一挙 各員奮励努力せよ
   6.千載不朽の命令に 全軍深く感激し
     一死奉公この時と 士気旺盛に天を衝く
   7.第一第二戦隊は 敵の行く手を抑へつつ
     其の他の戦隊後より 敵陣近く追ひ迫る
   8.敵先頭「スワロフ」の 第一弾を初めとし
     彼我の打出す砲声に 天地も崩るるばかりなり
   9.水中白く立ち騰り 爆煙黒く漲りて
     戦愈々酣に 両軍死傷数知れず
  10.されど鍛へに鍛へたる 我が艦隊の鋭鋒に
     敵の数艦は沈没し 陣形乱れて四分五裂
  11.いつしか日は暮れ水雷の 激しき攻撃絶間なく
     又もあまたの敵艦は 藻屑と消え失せぬ
  12.明くる晨の晴天に 敵を索めて行き行けば
     鬱陵島のほとりにて 白旗を揚げし艦四隻
  13.副将ここに降を乞ひ 主将は我に捕はれて
     古今の歴史に例なき 大戦功を収めけり
  14.昔しは元軍十余万 筑紫の海に沈めたる
     祖先に勝る忠勇を 示すも君の大御稜威
  15.国の光を加へたる 我が海軍の誉こそ
     千代に八千代に曇りなき 朝日と共に輝かめ

 本日5月15日は国内において二・二六事件等とともに昭和維新と称される五・一五事件について記載し致します。
 五・一五事件(5・15事件)というのは海軍青年将校らが発起し、護憲派で知られる当時の首相犬養毅氏らを殺害した一種の政治的クーデター(未遂)事件です。
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 古賀清志海軍中尉、三上卓海軍中尉らを中心にして昭和7年5月15日、昭和維新を目指し決起、今年はそれから数えて84年の歳月が経ちます。
 決起の2年前、「民族的暗闇を打開し、開顕しうるものは、青年的な情熱以外にはない」との確信に基づき三上卓海軍中尉が佐世保の軍港で作ったのが「青年日本の歌」(昭和維新の歌)です。

 当時の時代背景としては、世界恐慌の波及による大不況・企業の倒産・社会不安を国内が覆っており、現在の世相を見てみると、国内の株式市場、為替相場だけを見ると多少の改善が見られているものの、一般国民にとっては未だ不況の真っただ中にあると共に、国内では殺人、強盗や詐欺、また凄惨ないじめ事件といった刑事事件の増加に歯止めがかからずセーフティーネットの脆弱性の露出という社会不安が相まっています。
 国内における豊かさの面を考えると当時より決して過酷とはいえませんが、多少なりとも当時の状態と似通った面を感じる事と思います。

 またこの様な現在の危機を打開するために今ほど青年的情熱が求められる時代は無いといっても過言ではありませんし、またこの先も国内情勢に改善が見られるまで求め続けられる性質にある事と推察します。

 事件自体の功罪(善悪)は別にし至純の心で国を憂い立った五・一五事件の青年将校らに対しまして心より追悼の意を表し「青年日本の歌」(昭和維新の歌)を掲載致します。

「青年日本の歌」(昭和維新の歌)

汨羅の渕に波騒ぎ 巫山の雲は乱れ飛ぶ
混濁の世に我れ立てば 義憤に燃えて血潮湧く

権門上に傲れども 国を憂うる誠なし
財閥富を誇れども 社稷を思う心なし

ああ人栄え国亡ぶ 盲たる民世に踊る
治乱興亡夢に似て 世は一局の碁なりけり

昭和維新の春の空 正義に結ぶ丈夫が
胸裡百万兵足りて 散るや万朶の桜花
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