ある2人の壮絶な会話
A:
神棚なんかは要らないよ。
そこに神がいるわけじゃないでしょ。
そんなもの、早く捨ててしまえばいいんだ。
B:
人のおもちゃを取るな!(≧▽≦)
これは2人の聖者の会話であります。
聖者Aは、神棚に神はいない、と。聖者Bは、神棚をおもちゃだ、と。この短い会話ですが、真理を学べるかと思います。
反論がある人は、聖者の元を訪れてみてください。肉体を自分だと思い雑念だらけの人が行くとどうなるのか。もう1つ、お話しします。
後頭部を掴まれ、水の中に顔をぶち込まれます。もがいても押さえられたままであります。意識が遠のき始め、意識がなくなる寸前に水から顔を出してもらえます。
顔を出してスグ、質問されます。
「あなたは苦しい思いをしました。息が出来ずに苦しかった今、あなたが一番欲しかったものは何ですか?」と。
空気であり、酸素であります。この時、空(くう)を悟ったわけであります【悟空】 どうでもいい知識ばかり詰め込み、本当に大切なものを詰め込んでますか?? 酸素と水がどれほど大切なものか、本当に理解できていますか??
神というのは、固定化したものではなく、無限であり、全てが神なのであります。これを神一元と申します。この世は生命一元であります。神社や神棚に向かわないといない神様を『自我の神様』と言うのであります。
今、あなたがいるところにも神はおります。どこを見渡しても神しかおりません。生命のみが実在しているのであります。
真の神は五感を超えておりますので、見えたり、聞こえたりはいたしません。でも、見える・聞こえるという人がおりますよね。それは、幽界の幽霊のみが五感を通して来るのであります。そのことを知りませんので、神や高次元の存在とコンタクトを取っていると勘違いしているのであります。
悟り人と迷い人の違いはたった1つしかございません。
悟り人は神を想っている時間が長いだけで、迷い人は人間を思っている時間が長いだけであります。悟り人も迷い人も1日24時間でありますので、平等なのです。
迷い人は、人間として成長はしておりますが、生命としての自覚・成長がないのであります。生命としての種を撒かない限り、いつまで経っても芽は出てまいりません。
知識を得ることは種を撒いたことにはならないのです。実践してみてはじめて、芽が出始めます。これについては、誰も助けてくれません。自分しか自分を救う方法はないのであります。いつ種を撒くのか?
人生は、人間的に成長していくためのものではございません。このことを勘違いなさらぬよう、お気を付けなさってください。
最後までお読み頂いて、ありがとうございますm(__)m