2009年05月16日
密室談合の民主党代表選挙で、鳩山由紀夫が選出された背景を読み解く。小沢一郎はキングメーカーなのか?それとも「使い捨て選挙屋」なのか?
はじめに
小沢一郎の辞職に伴う民主党の代表選は5月16日行われた。結果、当初の想定通り、鳩山由紀夫が124票、岡田克也が95票を獲得、鳩山由紀夫が民主党代表に選出された。選挙に当たり中堅・若手の国会議員からは「党員やサポーターに投票機会を与えるべきだ」等の意見が出されたが、「国会開会中」との理由で、現役国会議員の投票だけで選出することにされた。小沢一郎が「最後くらい言う事を聞け」と一喝して選挙日程を繰りあげたと報じられた。
今回の民主党代表選について自民党古賀誠選対委員長は「かっての自民党と同じ」と評した。今回の代表選が「各派閥の親分が密室談合し多数派工作を行った」ことを指している。
鳩山陣営は、小沢グループ(50人)、鳩山グループ(40人)、旧社会党グループ(30人)、民社協会(30人)で、岡田陣営は、前原・枝野グループ(30人)、野田グループ(20人)、菅グループ(30人)が主力となったとされる。基礎票は鳩山陣営が150票、岡田陣営が80票であるから、結果は選挙する前から決定していたに等しい。岡田陣営が基礎票に上乗せした程度で大勢に影響はなかった。(なお、各グループのメンバーは重複している者がいる。)
仮に、民主党代表選を党員・党友(サポーター)の選挙で地方票を決定する「自民党総裁選方式」で実施した場合、岡田克也が勝利した可能性が高いと想定される情勢にあった。だから、小沢一郎は「反小沢の旗頭」である岡田克也の当選を阻止するため、党員・サポーターの予備選挙を行う手続を省略したと見ることもできる。小沢一郎並びに小沢と同盟を組んでいる横路孝弘・興石東らが談合して「鳩山由紀夫を後継者に指名した」と見ることもできる。
このように解すると、小沢一郎は「キングメーカーとして復活した」といっても荒唐無稽とはいえない。小沢一郎が「親父」と仰ぐ田中角栄は贈収賄事件で逮捕された後、最大派閥の威力を活用して「キングメーカー」として政界に君臨した。小沢一郎も田中角栄方式を踏襲しているといっても誰も驚かない。小沢一郎は果たして「小角栄」になれるのか?
第1:小沢一郎が実権を失った「大連立合意→代表辞意表明→代表留任」と小沢一郎の「選挙対策専門の代表」という身分について
2007年10月30日、11月2日に行われた福田康夫と小沢一郎の党首会談(密室協議)で、自民と民主の大連立が合意された。小沢一郎は結果を民主党役員会で承認するよう提案したところ、圧倒的多数の反対で否決された。11月4日、小沢一郎は「自分が選んだ役員に不信任を突きつけられた」といって代表職を辞任する旨テレビで表明した。
民主党役員各位は「小沢一郎を野に放てば、小沢グループが民主党を離党し自公連立政権と組むかもしれない」と恐れた。自自公政権の再現を危惧した。原口一博民主党衆議院議員が「衆議院選挙が終わるまで、小沢一郎には代表職に留まってもらう。絶対に辞めさせない」とテレビで話していた。なお、原口一博(野田グループ)は今回の代表選で「鳩山応援団の旗手」を務めた。
(1)大連立合意破棄後の小沢一郎の身分
辞意表明から2日目、小沢一郎は涙声で「辞意撤回」を表明した。以後、民主党は「何事もなかったかの如き」対面を保つことに努めた。筆者は当時「大連立合意の破棄→小沢代表の辞意表明の過程で小沢は、謹慎蟄居処分を申し渡され民主党代表としての実権を失った。選挙対策専門の代表に堕ちた」と推定した。
原口一博衆議院議員の言を援用すると「選挙対策以外の小沢一郎は必要なし」ということだ。事実、その後の小沢は、国会の審議や採決を途中退席して選挙運動に出かけ顰蹙をかった。インドのシン首相との会談をドタキャンして福岡や青森へ出向き選挙運動に駆けづり回ったこともある。小沢は全精力を選挙運動につぎ込んだといっても過言ではない。加えて小沢は、民主党衆議院議員や立候補予定者に「数か月以内に解散がある」と喧伝し煽り続けた。
「選挙運動」だけが小沢一郎の生き甲斐となった。本業である国会議員の職務を怠けたばかりではない。国権の最高機関たる国会を「選挙を有利に運ぶための手段」に変質させた。「政局本位主義者」と言われた。民主党系労組「全農林」では、組合専従職員が国家から給料をもらいながら、民主党の選挙運動に専念するなど公金横領、税金泥棒を行ってきたが、小沢一郎も国会議員の歳費や公設秘書3人分の給料など年間7000万円ほどの報酬を受けながら選挙運動に専念した。「全農林労組」と同じく公金横領、税金泥棒である。
なぜ、小沢一郎は「選挙運動」に専念せざるを得なかったのか?なぜ、選挙運動に淫したのかが問われねばならぬ。
好意的にみれば「衆議院選挙近し」と煽って民主党国会議員の分裂を防ぎ団結させたといえなくもない。大連立合意破棄後、自民と民主の国会議員による各種議員連盟が雨後の筍の如く誕生した。筆者は「大連立前行きバスは満員」と題して論じたことがある。民主党崩壊を防ぐべく小沢一郎は民主党議員が脇見をしないよう「衆議院選挙」というニンジンを鼻先にぶら下げて馬をコントロールしたと評したことがある。
以上の理由があったかもしれぬが、大局的に見ると小沢一郎には「選挙運動以外の代表の職務」を担うよう期待されていなかったばかりではない。とりわけ「自民党との連立合意に動かないよう」厳重に監視されていた。政界再編という「得意技」を封じられた小沢一郎は「腰縄手錠をかけられ座敷牢で監視されている気分」になり、鬱積した気分を選挙運動に精出すことで発散するほかなかったと解することもできる。
(2)小沢一郎の「今回の」代表辞任劇
小沢一郎は代表辞任の理由を「民主党の団結を維持すること並びに衆議院選挙に勝つため」と言った。「選挙対策専門の代表」らしい発言である。大連立合意破棄後「すべてを選挙に注がざるを得なかった」小沢一郎らしい言葉である。
大連立合意破棄によって、小沢一郎は事実上「代表職を解任されていた」のであるが、「選挙対策専門の代表」として名前だけは残してもらった。今回、名実共に「代表職」を奪われた。
小沢前代表を辞職に追い込んだのは誰か?世間では「東京地検特捜部が小沢の公設第一秘書大久保隆規を逮捕・起訴した結果、民主党や小沢個人の支持率が急落した」と考えている。東京地検特捜部の時宜にかなった?捜査が背景要因になったであろうことは否定できないが・・・。それだけか?
小沢一郎は「東京地検の国策捜査との全面戦争」を覚悟し戦い抜くつもりであった。「やましい事は何もしていない」と繰り返し弁明した。だが、ゼネコン各社から7億円、西松建設から10年間で3億円の政治献金を受領しながら「清廉潔白」を主張しても説得力はない。「西松建設やゼネコン各社に便宜を図っているはずだ。民間企業が金を出すのに見返りなしということはありえない」と考えるのが世間の常識である。政治資金の収支報告書の記載が適正であるかどうか以前の問題である。
民主党の事実上のオーナーは「小沢一郎は選挙対策用に使えなくなった」と判断した。小沢の盟友藤井裕久や渡部恒三が小沢に向かって「そろそろ潮時だ。覚悟したらどうか」と諫言したことで「外堀」が埋まった。事実上のオーナーは最後まで「小沢一郎を支えるポーズ」を崩さなかった。周囲が「そろそろ猫の首に鈴をつけたらどうか?」と催促しても動かなかった。最後まで「小沢代表の判断次第です」を貫いた。我慢しながら「外堀が埋まる」のを待った。短気な小沢の性格を読み込み「そろそろ限界かな」と機を窺った。そして想定通り小沢を「代表辞任」に追い込んだ。
第2:奇怪な民主党代表選の構図
今回の代表選の特徴は、小沢一郎のシンパである小沢軍団と小沢の盟友である旧社会党グループ(横路・興石)ら、鳩山由紀夫との関係が希薄なグループが中心となって鳩山を応援したことにある。「親中派」の面々である。鳩山由紀夫はダライ・ラマを支援している。
岡田克也を応援したのは、鳩山由紀夫との関係が濃密な前原・枝野グループ、野田グループ、民社協会、菅グループ他である。もっとも、野田グループの原口一博(松下政経塾出身)や民社協会の松原仁らは鳩山支持に回った。つまり、鳩山と近いグループの大半が岡田克也を応援し、鳩山と距離があるグループが鳩山を支持するという「ねじれ現象」が起こった。「裏に何かある」と考えるのが常識というものだ。
鳩山由紀夫は選挙前から「小沢前代表もいうように全党が一致結束して」を繰り返した。そして、代表に当選する以前に「小沢さんと、岡田さんには重要な役割を担ってもらう」と表明した。民主党代表選の前に民主党代表就任は既定路線という態度を示した。
鳩山由紀夫の「全党一丸」「小沢・岡田の取り込み」というのは、小沢や岡田が、独断先行して連立策動を行わないように歯止めをかける意図と読むこともできる。鳩山は小沢について「従前通り、選挙対策で使える」とは考えておるまい。「小沢」という名前と顔は知名度はあるが、票につながらないことを理解しているはずだ。鳩山は又「小沢院政は認めない」と断言した。小沢との距離感を如何に保つか?小沢が民主党から離脱しないよう繋留するにはどのような役職が適当かと策を練っているはずだ。
小沢一郎が不祥事を起こすたびに鳩山由紀夫は「釈明と尻拭い」に追われた。「可哀想な女房役」を演じた。筆者は小沢と鳩山由紀夫の関係を「共依存」の倒錯した関係と評したことがある。アル中で放蕩癖のある亭主を支え尽くす「できた女房」と評した。
大連立合意破棄直後に民主党の実権は小沢から鳩山に移行した、又はもともと小沢一郎には実権はなかったと考えてみる。今回の代表選は「最高実力者が誰であるか」を追認した儀式ではないかと考えてみる。鳩山由紀夫は余裕綽々で代表選に臨んだこと、盟友岡田克也の陣営に一定の兵力を分け与え代表選を盛り上げる戦術を採用したと考えてみる。
民主党の事実上のオーナー鳩山由紀夫は、幹事長として若年の前原誠司を支え、問題行動が多い小沢一郎を支えた。常に2番手として、民主党を支えてきた。鳩山由紀夫の実弟邦夫(総務大臣)は「民主党は兄貴と二人で創った」と発言したことがある。鳩山一族が創り上げた民主党はこれまで菅直人、岡田克也、前原誠司、小沢一郎に代表職を任せてきたが「政権奪取」「政界再編」という大事を前にしてオーナー自らが登場してきた。不可解な事は何もない。創業以来最大の危機に遭遇しているトヨタ自動車でも創業者一族が社長に返り咲いた。
第3:鳩山民主党と麻生自民党の関係
麻生太郎が捲土重来を期して無役であった昨年、麻生と鳩山由紀夫は勉強会(定例)を立ち上げたことがあった。いずれも、我が国を代表する名門である。「3代目は破産して貧乏になる」というが、この一族は例外らしい。祖父の隔世遺伝なのか、一方は総理、他方は総理を狙える地位になった。麻生太郎の母方祖父吉田茂は米国占領軍の統治下にあった日本国首相としてサンフランシスコ講和条約に署名し独立国家日本を回復した。鳩山由紀夫の祖父鳩山一郎は日露国交回復を実現し、安倍晋三の祖父岸信介と保守大合同を実現、戦後保守政治の安定した基盤を整えた。
麻生内閣を支えているのが安倍軍団、麻生総裁・総理を実現した選挙対策責任者が鳩山邦夫、鳩山由紀夫と邦夫は政治塾「友愛」の共同経営者である。いずれも「親中派」ではない。親米派を称する民族自立派だ。「ロシアとの平和条約締結を推進すること」でも一致している。
当面、衆議院選挙で対決する宿命であるから「違い」を強調するほかはない。相手を非難することも仕事の内だ。鳩山由紀夫は当初「自民党を超える議席を獲得する」といった。代表就任後は「民主党単独過半数」と目標を引き上げた。要するに「自民党より1議席でも多く獲得し第1党になる」と宣言した。第1党から総理を出すことになろうから負ける訳にはいかない。
政界再編となれば、第2党は協力させられる立場だ。第1党と第2党では「天と地」ほどの差が出る。政権樹立と政界再編の主導権をどちらが握るかという戦争なのだ。第1党と第2党では待遇に大きな差が出るから「手加減する」ことはできない。
まとめ
脇役である小沢一郎、福田康夫、森喜朗の時代は終わった。いよいよ麻生・安倍・鳩山という政界再編の主役が舞台に勢ぞろいした。
2009年補正予算も衆議院を通過した。参議院で審議しなくとも、日本国憲法第60条第2項の規定により、参議院送付後30日で自動的に成立する。そろそろ外交問題も種切れである。後は、海賊対策の自衛艦の派遣関連法案と消費者庁設置法案を参議院が否決するか、法案を60日間放置するのを待って衆議院で再可決する手続きが残っている。麻生総理がいつ「衆議院解散」に踏み切っても不思議ではない。
いずれにせよ我が国の政治は、衆議院選挙→政界再編を経なければ安定しない。麻生内閣は「大恐慌対策を初め積み残しの法案」を成立させて、解散すべきである。
自民党も、民主党も、衆議院選挙のマニュフェストには「衆議院選挙後の政権の在り方」つまり、連立政権構想を掲げ国民の信を問うべきである。
自民と民主の大連立政権なのか?自公連立政権なのか?民主党・国民新党・社民党連立政権なのか?を明確に示して選挙を戦うべきだ。
「政界再編については国会議員に一任してくれ」といっても選挙民は納得しない。各政党は連立政権構想を衆議院選挙の争点とすべきである。どのような連立政権を選択するかを主権者たる国民の判断に委ねるべきである。
鳩山・民主党は選挙協力を維持するため「民主・国民新党・社民党連立政権」の旗を掲げざるを得ない。我が麻生・自民党は「自民・民主を軸にした大連立政権」の旗を掲げて戦場に臨むべきである。そうするならば「勝利の女神」は必ずや自民党に微笑む。民主・社民・国民新党の連立政権を願う国民は4分の1(25%)以下である。自民・民主を中軸とする大連立政権(自民中心の連立政権と合わせると)を期待する国民は50%を超えている。
以上、自民党が連立政権構想をマニュフェストの第1に掲げて戦うならば敗北することはないと断言できる。国民の政治への期待は「ねじれ国会を解消して、機動的に動ける安定政権を樹立すること」である。3年後の消費税導入とか、集団的自衛権問題などは当面の関心事ではない。枝葉末節にこだわる場合ではない。
麻生・自民党は、国民大衆の心理を深く理解し、国民の不安心理を払拭する時宜にかなった政策を打ち出すべきだ。これまでの慣例を打ち破る革新的な発想で戦に臨むべきだ。
小沢一郎の辞職に伴う民主党の代表選は5月16日行われた。結果、当初の想定通り、鳩山由紀夫が124票、岡田克也が95票を獲得、鳩山由紀夫が民主党代表に選出された。選挙に当たり中堅・若手の国会議員からは「党員やサポーターに投票機会を与えるべきだ」等の意見が出されたが、「国会開会中」との理由で、現役国会議員の投票だけで選出することにされた。小沢一郎が「最後くらい言う事を聞け」と一喝して選挙日程を繰りあげたと報じられた。
今回の民主党代表選について自民党古賀誠選対委員長は「かっての自民党と同じ」と評した。今回の代表選が「各派閥の親分が密室談合し多数派工作を行った」ことを指している。
鳩山陣営は、小沢グループ(50人)、鳩山グループ(40人)、旧社会党グループ(30人)、民社協会(30人)で、岡田陣営は、前原・枝野グループ(30人)、野田グループ(20人)、菅グループ(30人)が主力となったとされる。基礎票は鳩山陣営が150票、岡田陣営が80票であるから、結果は選挙する前から決定していたに等しい。岡田陣営が基礎票に上乗せした程度で大勢に影響はなかった。(なお、各グループのメンバーは重複している者がいる。)
仮に、民主党代表選を党員・党友(サポーター)の選挙で地方票を決定する「自民党総裁選方式」で実施した場合、岡田克也が勝利した可能性が高いと想定される情勢にあった。だから、小沢一郎は「反小沢の旗頭」である岡田克也の当選を阻止するため、党員・サポーターの予備選挙を行う手続を省略したと見ることもできる。小沢一郎並びに小沢と同盟を組んでいる横路孝弘・興石東らが談合して「鳩山由紀夫を後継者に指名した」と見ることもできる。
このように解すると、小沢一郎は「キングメーカーとして復活した」といっても荒唐無稽とはいえない。小沢一郎が「親父」と仰ぐ田中角栄は贈収賄事件で逮捕された後、最大派閥の威力を活用して「キングメーカー」として政界に君臨した。小沢一郎も田中角栄方式を踏襲しているといっても誰も驚かない。小沢一郎は果たして「小角栄」になれるのか?
第1:小沢一郎が実権を失った「大連立合意→代表辞意表明→代表留任」と小沢一郎の「選挙対策専門の代表」という身分について
2007年10月30日、11月2日に行われた福田康夫と小沢一郎の党首会談(密室協議)で、自民と民主の大連立が合意された。小沢一郎は結果を民主党役員会で承認するよう提案したところ、圧倒的多数の反対で否決された。11月4日、小沢一郎は「自分が選んだ役員に不信任を突きつけられた」といって代表職を辞任する旨テレビで表明した。
民主党役員各位は「小沢一郎を野に放てば、小沢グループが民主党を離党し自公連立政権と組むかもしれない」と恐れた。自自公政権の再現を危惧した。原口一博民主党衆議院議員が「衆議院選挙が終わるまで、小沢一郎には代表職に留まってもらう。絶対に辞めさせない」とテレビで話していた。なお、原口一博(野田グループ)は今回の代表選で「鳩山応援団の旗手」を務めた。
(1)大連立合意破棄後の小沢一郎の身分
辞意表明から2日目、小沢一郎は涙声で「辞意撤回」を表明した。以後、民主党は「何事もなかったかの如き」対面を保つことに努めた。筆者は当時「大連立合意の破棄→小沢代表の辞意表明の過程で小沢は、謹慎蟄居処分を申し渡され民主党代表としての実権を失った。選挙対策専門の代表に堕ちた」と推定した。
原口一博衆議院議員の言を援用すると「選挙対策以外の小沢一郎は必要なし」ということだ。事実、その後の小沢は、国会の審議や採決を途中退席して選挙運動に出かけ顰蹙をかった。インドのシン首相との会談をドタキャンして福岡や青森へ出向き選挙運動に駆けづり回ったこともある。小沢は全精力を選挙運動につぎ込んだといっても過言ではない。加えて小沢は、民主党衆議院議員や立候補予定者に「数か月以内に解散がある」と喧伝し煽り続けた。
「選挙運動」だけが小沢一郎の生き甲斐となった。本業である国会議員の職務を怠けたばかりではない。国権の最高機関たる国会を「選挙を有利に運ぶための手段」に変質させた。「政局本位主義者」と言われた。民主党系労組「全農林」では、組合専従職員が国家から給料をもらいながら、民主党の選挙運動に専念するなど公金横領、税金泥棒を行ってきたが、小沢一郎も国会議員の歳費や公設秘書3人分の給料など年間7000万円ほどの報酬を受けながら選挙運動に専念した。「全農林労組」と同じく公金横領、税金泥棒である。
なぜ、小沢一郎は「選挙運動」に専念せざるを得なかったのか?なぜ、選挙運動に淫したのかが問われねばならぬ。
好意的にみれば「衆議院選挙近し」と煽って民主党国会議員の分裂を防ぎ団結させたといえなくもない。大連立合意破棄後、自民と民主の国会議員による各種議員連盟が雨後の筍の如く誕生した。筆者は「大連立前行きバスは満員」と題して論じたことがある。民主党崩壊を防ぐべく小沢一郎は民主党議員が脇見をしないよう「衆議院選挙」というニンジンを鼻先にぶら下げて馬をコントロールしたと評したことがある。
以上の理由があったかもしれぬが、大局的に見ると小沢一郎には「選挙運動以外の代表の職務」を担うよう期待されていなかったばかりではない。とりわけ「自民党との連立合意に動かないよう」厳重に監視されていた。政界再編という「得意技」を封じられた小沢一郎は「腰縄手錠をかけられ座敷牢で監視されている気分」になり、鬱積した気分を選挙運動に精出すことで発散するほかなかったと解することもできる。
(2)小沢一郎の「今回の」代表辞任劇
小沢一郎は代表辞任の理由を「民主党の団結を維持すること並びに衆議院選挙に勝つため」と言った。「選挙対策専門の代表」らしい発言である。大連立合意破棄後「すべてを選挙に注がざるを得なかった」小沢一郎らしい言葉である。
大連立合意破棄によって、小沢一郎は事実上「代表職を解任されていた」のであるが、「選挙対策専門の代表」として名前だけは残してもらった。今回、名実共に「代表職」を奪われた。
小沢前代表を辞職に追い込んだのは誰か?世間では「東京地検特捜部が小沢の公設第一秘書大久保隆規を逮捕・起訴した結果、民主党や小沢個人の支持率が急落した」と考えている。東京地検特捜部の時宜にかなった?捜査が背景要因になったであろうことは否定できないが・・・。それだけか?
小沢一郎は「東京地検の国策捜査との全面戦争」を覚悟し戦い抜くつもりであった。「やましい事は何もしていない」と繰り返し弁明した。だが、ゼネコン各社から7億円、西松建設から10年間で3億円の政治献金を受領しながら「清廉潔白」を主張しても説得力はない。「西松建設やゼネコン各社に便宜を図っているはずだ。民間企業が金を出すのに見返りなしということはありえない」と考えるのが世間の常識である。政治資金の収支報告書の記載が適正であるかどうか以前の問題である。
民主党の事実上のオーナーは「小沢一郎は選挙対策用に使えなくなった」と判断した。小沢の盟友藤井裕久や渡部恒三が小沢に向かって「そろそろ潮時だ。覚悟したらどうか」と諫言したことで「外堀」が埋まった。事実上のオーナーは最後まで「小沢一郎を支えるポーズ」を崩さなかった。周囲が「そろそろ猫の首に鈴をつけたらどうか?」と催促しても動かなかった。最後まで「小沢代表の判断次第です」を貫いた。我慢しながら「外堀が埋まる」のを待った。短気な小沢の性格を読み込み「そろそろ限界かな」と機を窺った。そして想定通り小沢を「代表辞任」に追い込んだ。
第2:奇怪な民主党代表選の構図
今回の代表選の特徴は、小沢一郎のシンパである小沢軍団と小沢の盟友である旧社会党グループ(横路・興石)ら、鳩山由紀夫との関係が希薄なグループが中心となって鳩山を応援したことにある。「親中派」の面々である。鳩山由紀夫はダライ・ラマを支援している。
岡田克也を応援したのは、鳩山由紀夫との関係が濃密な前原・枝野グループ、野田グループ、民社協会、菅グループ他である。もっとも、野田グループの原口一博(松下政経塾出身)や民社協会の松原仁らは鳩山支持に回った。つまり、鳩山と近いグループの大半が岡田克也を応援し、鳩山と距離があるグループが鳩山を支持するという「ねじれ現象」が起こった。「裏に何かある」と考えるのが常識というものだ。
鳩山由紀夫は選挙前から「小沢前代表もいうように全党が一致結束して」を繰り返した。そして、代表に当選する以前に「小沢さんと、岡田さんには重要な役割を担ってもらう」と表明した。民主党代表選の前に民主党代表就任は既定路線という態度を示した。
鳩山由紀夫の「全党一丸」「小沢・岡田の取り込み」というのは、小沢や岡田が、独断先行して連立策動を行わないように歯止めをかける意図と読むこともできる。鳩山は小沢について「従前通り、選挙対策で使える」とは考えておるまい。「小沢」という名前と顔は知名度はあるが、票につながらないことを理解しているはずだ。鳩山は又「小沢院政は認めない」と断言した。小沢との距離感を如何に保つか?小沢が民主党から離脱しないよう繋留するにはどのような役職が適当かと策を練っているはずだ。
小沢一郎が不祥事を起こすたびに鳩山由紀夫は「釈明と尻拭い」に追われた。「可哀想な女房役」を演じた。筆者は小沢と鳩山由紀夫の関係を「共依存」の倒錯した関係と評したことがある。アル中で放蕩癖のある亭主を支え尽くす「できた女房」と評した。
大連立合意破棄直後に民主党の実権は小沢から鳩山に移行した、又はもともと小沢一郎には実権はなかったと考えてみる。今回の代表選は「最高実力者が誰であるか」を追認した儀式ではないかと考えてみる。鳩山由紀夫は余裕綽々で代表選に臨んだこと、盟友岡田克也の陣営に一定の兵力を分け与え代表選を盛り上げる戦術を採用したと考えてみる。
民主党の事実上のオーナー鳩山由紀夫は、幹事長として若年の前原誠司を支え、問題行動が多い小沢一郎を支えた。常に2番手として、民主党を支えてきた。鳩山由紀夫の実弟邦夫(総務大臣)は「民主党は兄貴と二人で創った」と発言したことがある。鳩山一族が創り上げた民主党はこれまで菅直人、岡田克也、前原誠司、小沢一郎に代表職を任せてきたが「政権奪取」「政界再編」という大事を前にしてオーナー自らが登場してきた。不可解な事は何もない。創業以来最大の危機に遭遇しているトヨタ自動車でも創業者一族が社長に返り咲いた。
第3:鳩山民主党と麻生自民党の関係
麻生太郎が捲土重来を期して無役であった昨年、麻生と鳩山由紀夫は勉強会(定例)を立ち上げたことがあった。いずれも、我が国を代表する名門である。「3代目は破産して貧乏になる」というが、この一族は例外らしい。祖父の隔世遺伝なのか、一方は総理、他方は総理を狙える地位になった。麻生太郎の母方祖父吉田茂は米国占領軍の統治下にあった日本国首相としてサンフランシスコ講和条約に署名し独立国家日本を回復した。鳩山由紀夫の祖父鳩山一郎は日露国交回復を実現し、安倍晋三の祖父岸信介と保守大合同を実現、戦後保守政治の安定した基盤を整えた。
麻生内閣を支えているのが安倍軍団、麻生総裁・総理を実現した選挙対策責任者が鳩山邦夫、鳩山由紀夫と邦夫は政治塾「友愛」の共同経営者である。いずれも「親中派」ではない。親米派を称する民族自立派だ。「ロシアとの平和条約締結を推進すること」でも一致している。
当面、衆議院選挙で対決する宿命であるから「違い」を強調するほかはない。相手を非難することも仕事の内だ。鳩山由紀夫は当初「自民党を超える議席を獲得する」といった。代表就任後は「民主党単独過半数」と目標を引き上げた。要するに「自民党より1議席でも多く獲得し第1党になる」と宣言した。第1党から総理を出すことになろうから負ける訳にはいかない。
政界再編となれば、第2党は協力させられる立場だ。第1党と第2党では「天と地」ほどの差が出る。政権樹立と政界再編の主導権をどちらが握るかという戦争なのだ。第1党と第2党では待遇に大きな差が出るから「手加減する」ことはできない。
まとめ
脇役である小沢一郎、福田康夫、森喜朗の時代は終わった。いよいよ麻生・安倍・鳩山という政界再編の主役が舞台に勢ぞろいした。
2009年補正予算も衆議院を通過した。参議院で審議しなくとも、日本国憲法第60条第2項の規定により、参議院送付後30日で自動的に成立する。そろそろ外交問題も種切れである。後は、海賊対策の自衛艦の派遣関連法案と消費者庁設置法案を参議院が否決するか、法案を60日間放置するのを待って衆議院で再可決する手続きが残っている。麻生総理がいつ「衆議院解散」に踏み切っても不思議ではない。
いずれにせよ我が国の政治は、衆議院選挙→政界再編を経なければ安定しない。麻生内閣は「大恐慌対策を初め積み残しの法案」を成立させて、解散すべきである。
自民党も、民主党も、衆議院選挙のマニュフェストには「衆議院選挙後の政権の在り方」つまり、連立政権構想を掲げ国民の信を問うべきである。
自民と民主の大連立政権なのか?自公連立政権なのか?民主党・国民新党・社民党連立政権なのか?を明確に示して選挙を戦うべきだ。
「政界再編については国会議員に一任してくれ」といっても選挙民は納得しない。各政党は連立政権構想を衆議院選挙の争点とすべきである。どのような連立政権を選択するかを主権者たる国民の判断に委ねるべきである。
鳩山・民主党は選挙協力を維持するため「民主・国民新党・社民党連立政権」の旗を掲げざるを得ない。我が麻生・自民党は「自民・民主を軸にした大連立政権」の旗を掲げて戦場に臨むべきである。そうするならば「勝利の女神」は必ずや自民党に微笑む。民主・社民・国民新党の連立政権を願う国民は4分の1(25%)以下である。自民・民主を中軸とする大連立政権(自民中心の連立政権と合わせると)を期待する国民は50%を超えている。
以上、自民党が連立政権構想をマニュフェストの第1に掲げて戦うならば敗北することはないと断言できる。国民の政治への期待は「ねじれ国会を解消して、機動的に動ける安定政権を樹立すること」である。3年後の消費税導入とか、集団的自衛権問題などは当面の関心事ではない。枝葉末節にこだわる場合ではない。
麻生・自民党は、国民大衆の心理を深く理解し、国民の不安心理を払拭する時宜にかなった政策を打ち出すべきだ。これまでの慣例を打ち破る革新的な発想で戦に臨むべきだ。