それから二ヶ月間、私は東京の雀荘を打ち歩いた。
 橋健に聞いた歌舞伎町の東風戦の店、沿線の雀荘、大手チェーンのフリー店なんかにも行った。

 幸い、都内は幼少の頃から頻繁に訪れていたので、多少の土地勘があった。
 雑誌や看板を頼りに、毎夜雀荘を打ち歩いた。

 麻雀を早く切り上げた日は同郷から東京に出てきている友人の家に泊めてもらう。
 深夜まで及んだ際は勝てばカプセルホテル、負ければ駅や公園でどうかして雨露を凌いだ。

 ここ数年台頭してきている漫画喫茶というものはまだ無かった。
 歌舞伎町のはずれに漫画の置いてある深夜喫茶が一軒だけあり、落ち着ける場所を探り当てることが出来なかったときはそこを寝座にした。


 懐中の所持金はそこまで余裕がある訳ではない。
 何よりも長期間の逗留には色々と出費が嵩む。
 
 それでも最初に行った東風の店で3日連続浮いたので、その分が目減りする程度だった。


 強い奴や痺れさせてくれそうな打ち手も居た。
 だが、当たり前のことだが市井を這いずり回っているだけでそう簡単に強敵に出会えるわけはない。

 判りきったことだが、どこの土地へ行っても同じ事だろう。
 これならば地元の選抜メンバーと打っている方がマシだ。

 知人の紹介で麻雀プロ、と名乗る人間とも打ったし、専属の店にも行った。
 だが、残念ながら麻雀プロの世界に私が惹き付けられるような打ち手とめぐり合う事は出来なかった。

 仕方のないことだが、もしもこの時に私が後々出会う麻雀界の男たちと知り合っていたならば、私の人生は変わっていただろう。
 その男たちの話はまた別の機会に綴ろう。


 かくして、私は自分の根を見つけ、地元で牌と戦う事を選んだ。


 私は、誰かに麻雀を教わるという事が一度もなかった。
 

 しかし、前橋という土地は昔から勝負事が盛んで、強い打ち手も多く流れ着いていた。
 前出の主任やマネージャーも元は歌舞伎町の住人である。

 そういった人間の全員が私の師匠だった。

 しかし、師といっても別に私と橋健は師弟の関係ではないし、麻雀の打ちスジや技術について教えを請うたことも教わったことも一度も無い。
 
 打ちたいから、この男が強いから何百回も勝負し、私が勝手に彼の勝負事に対する考え方や姿勢に師事しているだけだった。







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