2017年06月02日

  ルパン三世のTV第二シリーズの最終回『さらば愛しきルパンよ』をあらためて観る。
 宮崎駿が別人名義で脚本演出を担当した作品として有名。

 今更、内容について語るのは蛇足だから省略するが、宮崎駿が戦争映画とは何かということをよく理解していることがありありとわかる作品だ。

 物語は戦闘ロボット・ラムダを巡る兵器産業の巨悪と、ロボット開発者の娘がそれを阻止しようとする物語で、明らかに反戦を訴えている作品である。
 だが、ラムダと国防軍(自衛隊)の東京での市街戦の描写、特に74式中戦車が自動車を踏むつぶしながら公道を前進するところや、市街地でラムダに向けて砲撃をする場面などを観ると「戦争映画」のある種の快楽がそこにある。

 映画評論家の佐藤忠男は戦時中、日本は満州で中国人に『ハワイ・マレー沖海戦』を鑑賞させ、真珠湾攻撃ん場面で中国人たちが熱狂したということを紹介している。
 聖戦としての太平洋用戦争の思想のもと、中国人はアメリカが攻撃されていることに熱狂していると日本人は期待したが、中国人の熱狂は真珠湾攻撃という円谷英二特技監督による特撮スペクタクルに熱狂していたのだったのだ。

 戦争映画は時として思想や理想を圏外に押しやって破壊スペクタクルという「快楽」を強烈に観客に叩きつける瞬間を垣間見せる。
 『さらば愛しきルパンよ』にはそうした戦争映画の「快楽」が完全に計算されて組み込まれて観衆を悦ばせる事を忘れてはいない。
 宮崎駿が反戦主義者であり、平和主義者であり、左翼主義者であるにもかかわらず兵器や軍隊の礼賛をやっているという「矛盾」を指摘することは簡単だが、僕は宮崎駿が「ミリオタ」だというだけの理由で片付けることは出来ないと常常思っている。

 戦争映画が常に破壊という快楽を生産し続ける運命を持ち続けているものであるならば、宮崎駿はそれを皮肉なまでに忠実に実行しているだけなのではないか。

 結果的に『風立ちぬ』で宮崎駿は反ファシズムの立場を一貫して崩さず「反戦主義者であり、平和主義者であり、左翼主義者である」ことを愚直なまでに描き込んだのにも関わらず、左派は一斉に『風立ちぬ』を叩いた。
 何が原因かというと、叩いた左派の論客たちは「戦争映画」の本質を全く理解していないがために宮崎駿のラストメッセージを全く受け止めることが出来なかったのである。

 『さらば愛しきルパンよ』を見れば分かるが、これは戦争映画の快楽を知っている宮崎駿だから撮れた作品である。

 ミリオタ趣味に捕らわれて思想を置き去りにしたと思うファンや論者は多いかも知れない。

 しかし、皮肉な先入観を捨てて、戦争映画のセロリーを知り尽くしたがゆえの映画作りと理解すれば『さらば愛しきルパンよ』から『風立ちぬ』まで宮崎駿は何も変わっていないことが理解できるはずだ。

 『風立ちぬ』で宮崎がナショナリストに転向したと断じた左派系の論客は結局は戦争映画を解っていないのである。


執筆:永田喜嗣



2017年02月12日

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 チャン・イーモウ監督の日本未公開大作『金陵十三?~戦火の華たち~』が遂に初上映です!

 1937年12月、陥落前後の南京を舞台に教会に残された少女たちを巡って、彼女たちを日本軍から守ろうとする人びとの愛の物語です。
 南京事件を背景に描いた作品では最も美しい珠玉の傑作です。

日時:3月18日(土曜日)午後1時30分開場、2時上映
会場:茨木市福祉文化会館5階文化ホール)
入場無料(上映賛同カンパ募集)

★参加には申し込みが必要です★

(予約申し込み先)
サポートユニオンwithYOU 072-655-5415

私も参加させていただきます。
上映後、作品解説とお話をさせていただきます。

永田喜嗣



2017年01月19日

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 1969年のイタリア=ユーゴスラビア合作映画"GOTT MIT UNS"(邦題:『銃殺!ナチスの長い5日間』アンドレア・バルバート監督)は誤解されがちな作品。当時、イタリアではイタリア製西部劇マカロニウエスタンとイタリア製戦争アクション映画マカロニコンバットが乱作されていたので、この作品もそれらのB旧作品と混同されがちだった。

 主演がフランコ・ネロとバッド・スペンサーというマカロニウェスタンの常連ということもあってB級戦争映画と勘違いされがちなのが残念だが今観てもかなり重厚な見ごたえのある戦争映画だ。

 この映画のストーリーはオランダにあったカナダ軍管轄のドイツ軍将兵の捕虜収容所でドイツの脱走兵が軍法会議にかけられ処刑されたという実話に基づいている。

 処刑されたのはドイツ海軍の兵士2名で、処刑実行日がドイツが連合軍に降伏した5日後の1945年5月13日だった。
 しかも、その処刑のためにドイツ軍捕虜たちにカナダ軍が小銃とトラックを提供したということで今もなおカナダ軍の対応が問題視されている事件なのだ。

 映画ではカナダ軍の捕虜収容所所長がドイツ軍捕虜を統率できず、捕虜内で行われる軍法会議を容認し、しかも手を貸してしまうという内容だったが事実も凡そそういうことだったらしい。

 映画"GOTT MIT UNS"はそれをイタリアで制作して告発したものだったが世界的に注目されるまでには至らなかった。
 日本ではテレビで放送されるに留まり、その後ソフト化もされていない。

 この”13 May 1945 German deserter execution”(1945年5月13日のドイツ軍脱走兵処刑事件)はオランダ映画『ブラックブック』でも描かれたが、事件そのものを取り上げたのはこの"GOTT MIT UNS"だけだった。

 カナダ軍の所長役にイギリスの俳優、リチャード・ジョンソンとやはりイタリアB旧作品によく出演していた人なので、フランコ・ネロ、バッド・スペンサーと横並びになると、ついついマカロニコンバットと勘違いされてしまう。

 音楽はエンリオ・モリコーネで劇伴音楽は重苦しいもの。もリコーネの他のホロコースト関連の映画作品『裂けた鉤十字』や『赤と黒の十字架』の劇伴音楽と曲想がよく似ている。

 この辺りからも"GOTT MIT UNS"が大真面目な作品だと分かるのだが残念ながら戦争映画史の中に埋没してしまっている。

 原題の"GOTT MIT UNS"はドイツ語で「我ら神と共に」の意味。プロシアの軍隊の伝統で、ドイツ軍兵士のバックルにはこの言葉が刻まれていた。

 画像はドイツで発売されたDVDのジャケットだが現在は廃盤になっている。
 アメリカでも”The Fifth Day of Peace”のタイトルで公開されDVD化もされていたが現在では廃盤。

 埋没を許すには惜しい佳作である。



 執筆:永田喜嗣




 日中戦争と映画の研究の途上で戦前、戦中に多く発行された「支那人」本について調べたことがあった。

 本のタイトルに「支那人」(戦前の中国人の呼称、転じて現在では蔑称として使用されている)と付いたものを読んでゆくと9割の本には次のような共通点がある。


 まず、日本人と中国人は著しく違っているという点を強調すること、中国人の行動が非常識(あくまでも日本人視点で)であるということを強調すること、そして日本人の「優秀」さを改めて確認することである。


 「支那人」本の中にはごく僅かに中国人と日本人の相互理解を目標に掲げるものもあるが大多数は上記のような内容だ。


 これを過去の負の遺産だと思ってはならない。


 現在の日本ではテレビというメディア、NHKを除く殆どの局のワイドショーやバラエティ番組で中国人の非常識さを強調したレポートや映像を放送して盛り上がっている。

 共通しているのは「(優秀な)日本人ならこんな非常識なことはしない」というメッセージだ。


 私ははこうした番組を見るたびに戦前の「支那人」本を読んでいた時の不快感を認識する。


 使われている映像は中国で放送されている物のようで、もしそうなら中国のテレビ局は非常識な一部の中国人を報じているのだろう。


 日本人はその映像を切り取ってそれを「これが中国人だ」と言おうとしているかのように見える。


 このやり方を中国人や欧米人に向けて散々映画やマスコミは戦争中行ってきたのである。これが悪しき行為であることをどうして学べないのだろうか。


 昨今、テレビでは殊更「クールジャパン」を強調しているが「支那人」本レベルの報道を繰り返すメディアが示す「クールジャパン」など信頼に値しない。

 少なくとも私にはそう思える。

 「クールジャパン」は偏狭な日本人のナショナリズムへやがて結びついて行くことは容易に想像できる。
 それはかつての大日本帝国下で日本人が経験したものである。
 他の民族を軽んじ、他の民族を蔑んだ上での日本人の優位性を示すという行為が民族の威信や将来までも滅亡に追い込むのだという事を日本人は1945年8月15日以降、認識していたはずである。
 
 ところが現代において我々は大日本帝国の亡霊を知らず知らずの間に揺すぶり起こそうとしている。

 「クールジャパン」

 それが己に仇なす存在とならぬ間に、

 我々は自らの奢りを戒めなければならない。
 
 
 
 執筆:永田喜嗣
 

 
 
 

2017年01月12日

  ここ最近の日韓問題を見ていて強く思うこと。


それは日韓合意が国と国との合意であって市民と市民、国民と国民の合意ではなかったということでしょう。

 どういうことかというと中国も韓国もその国民の苛立ちは反日教育の有無の問題を超えて、日本人が一般的に加害の歴史を知らないということなのです。


 こういう事態に至ってもなおメディアは国民に向けてその日本の加害の問題には一切触れない訳です。こういうことに中国人も韓国人も常に苛立ちや腹立たしさを感じるのですね。

 僕は戦争における加害と被害の問題を映画を通じて語っているのですが、こういう話は歓迎されません。日本では歓迎されない空気が完全に定着しているのです。


 もし、市民や国民のレベルで歴史の加害や被害(それは南京事件など加害だけでなく、原爆や空襲の戦争犯罪も含めて)をはっきりと意識しているなら今回の様な問題は起きなかったでしょう。

 もっと突っ込んで言えば国民の代表として安倍首相が日韓合意の際に韓国を訪問して謝罪していたなら韓国国民の感情も随分違っていただろうと思います。


 かつての西ドイツの首相ヴィリー・ブラントがポーランドで謝罪した様に国民の代表の謝罪はその国の国民だけでなく世界的に強い影響を与えるのです。それを日本はしなかった。恐らく日本国内のナショナリズムに配慮しているのでしょう。そうした中途半端さが結局、国際市民間の相互理解や歴史的和解を阻害してしまったのです。


 日韓合意で直接的謝罪があれば間違いなく日本は歴史問題について国際的に評価され尊敬されたと思います。それが出来ないのは国内的に戦争における加害と被害の問題を放置して扱ってきたからです。その傾向は1990年代後半から積極的に行われるようになってしまいました。もし、真逆の流れに日本国内が向かっていたなら今回のような問題も起きなかったでしょう。


 メディアは今回の日韓問題についての原因について韓国の反日教育に問題があるという論調が多いです。反日教育は内政を安定させるための政府の道具だと言います。国と国との取り決めを守らない韓国が悪いのだと断罪しています。しかし、僕には違和感を感じるのです。そもそも反日教育が何故存在するのかということを問題にしないからです。それを視聴者に解説しようとしないからです。


 これは加害と被害の歴史に対して避け続けてきた日本を作り出した行為が今もなお健在であることの証明に他なりません。


 政府もメディアも知らせないのなら日本国民は百年先まで知らない状態、一方の中国や韓国は知らされる一方。これではますます双方のギャップが大きくなるばかりで今回のような問題は延々と繰り返されるでしょう。それどころか将来、戦争に発展することすら考えられます。


 戦争における加害を認めることを「自虐」だという人が多いです。僕がこうして書いているような内容を書いたり話したりすると「自虐的」だと必ず批判されます。


 もしそうなら、ドイツという国は世界最大の自虐国ということになります。ドイツは自虐国になって国家の威信を失ったでしょうか?弱腰の三等国となったでしょうか?

 実際は全くの逆です。それどころか歴史問題については世界から評価され敬意をもって扱われています。そして信頼を勝ち得て欧州では強いリーダーシップを発揮しています。そして他の欧州諸国よりもポピュリズムの影響を受けない国家として認識されています。


 加害を認めれば被害について問題にすることだってできます。自ら戦争加害を認めて謝罪するならば、中国で起きた通州事件や広島、長崎の原爆、各地への無差別爆撃に関しての中国やアメリカの戦争加害に対して批判することだって出来ます。


 しかし、今のままではそれを行っても説得力がないし理解もされません。


 過去の苦しみには耐えて忘れて水に流すというのは日本人が日本の風土の中で育まれた考え方、あるいは生き方です。しかし、そうした日本人の生き方が他国にそのまま適応させることなど不可能なことです。
 

 日本の美徳は時として他者からは理解されないものです。


 日本人はそれをまず理解しなければならないと思うのです。


 政府もメディアも何も知らせないなら、我々市民がすべきことは戦争での加害と被害の問題を積極的に取り上げて市民に伝えてゆくことです。

 

 そして、子供たちに伝えてゆかなくてはなりません。


 今こそそうした市民による市民のための拡散活動が必要なのだと思います。



執筆:永田喜嗣





2017年01月02日

 ここに恐るべき歴史の記録がある。
 1937年11月に発行された読売新聞社編の『支那事変実記』の第三巻。この本は日中戦争をリアルタイムにカレンダーのように時系列に何が起こったのかを記録した書物である。日中戦争が起こっていたその時点での最新のニュースをリアルタイムで伝えている書物だ。第三巻は十月一日から十月三十一日までを記録している。

 その十月十四日の外交欄にはローマ法王庁が世界中及び東アジアのカトリック教会と伝道師部に対して「共産運動の危険が事実存する限りにおいては日本の行動に協力すべき」との通達を布告したという。

 その通達の内容として次のように記している。

「今回の日支間の紛争に対するカソリック教の立場はこれに介入せざることと、負傷者に対しては公平、均等に努むべきも、同時に日本の迅速な行動これを妨げることなきを期すること。蓋し今回の日本の直接の関心は共産勢力のアジア浸潤駆逐に他ならないからである。」

 日中戦争における被害者などの救済は日本、中国双方を均等に行うことを原則とするが、共産主義勢力のアジア進出を阻むものとして日本の行動は重要であるからそれについては阻害しないようにとの通達である。

 これが事実ならばローマ法王とカトリック教会は日中戦争を支持したことになる。
 その後の第二次世界大戦勃発に際しても、欧州における共産主義勢力の防波堤としてナチスドイツの侵略行為を黙認したローマ法王の行動から考えても、日中戦争に対するこの態度は日本側のプロパガンダだけではなさそうだ。

 ローマ法王のピウス12世はナチのホロコーストの事実も把握していたにも関わらず非難することもなかった。

 ナチズムは汎ゲルマン主義、反ユダヤ主義、そして反共産主義が三本柱だったからである。宗教を否定する共産主義や社会主義はカトリック教会にとっては当時、最大の難事であり、それを阻むならば人権侵害を行うイデオロギーや戦争も支持するという政治的な判断をローマ法王庁は下していたと言われている。

 日中戦争で日本が共産主義のアジア侵入の防波堤となることを暗に期待していたことはこうした歴史的な事実を見れば信憑性がある。

 カトリックは日本軍がアジアの共産主義に対する防波堤となることを期待し、その行動を容認し、協力しようとさえしたわけだ。

 人間の尊厳や幸福を願うことが本義であるはずのキリスト教会が政治的利権と保身から戦争を支持するなどということはあってはならないことである。

 ローマ法王は日本の中国侵略を認めていたのだ。

 しかし、実際はカトリックの末端の聖職者たちはローマ法王の通達には従わなかった。ジョン・ラーベやミニー・ヴォートリンらの日記が記録しているように南京陥落前後に際してカトリック聖職者は日本軍に抵抗する形で中国人民衆を救う行動を採ったのである。

 先に述べた通り第二次世界大戦においてもローマ法王庁はナチスドイツに親しい態度をとっていた。
 だがローマ法王庁のそうした態度とは裏腹に戦争における弱者に最も近かった聖職者は異教徒であるユダヤ人を救い全体主義に抵抗を重ねた。
 アッシジでレジスタンス活動を行いユダヤ人を親衛隊から守ったルフィーノ神父やローマでユダヤ人を守り通したヒュー・オフラハーティ司教、障害者を安楽死作戦に真っ向から反対したフォン・ガーレン司教などなど・・・ナチと戦争に抵抗した聖職者は弱者の身近にいてローマ法王庁の政治的利権で判断する道を採りはしなかった。

 より真実に近いものは社会的あるいは歴史的な弱者の傍にこそ存在している。

 私たちはそうした真実らしきものを探しつつ、ローマ法王庁が日中戦争を支持した様な欺瞞には決して欺かれないようにしなくてはならないと思う。

 2017年というかつてない困難が予想される新年にあたって、このことは特に肝に銘じておきたいと思う。



執筆:永田喜嗣

 


2016年11月29日

ご注意:ネタバレは含まれますのでご了承ください!

第3回:すずたちの戦い

 映画『この世界の片隅に』には執拗に食べるシーンが登場する。
 調理法であるとか、食材であるとか、食物に関するアイテムがいくつも登場し、また、実際に家族が食事を共にするという場面が何度も形を変えて反復される。

 この家庭劇的な展開は一見、観客に笑いを誘ったり、ほのぼのとした感覚を与えるたのではないか。

 しかしながら、食べるという行為が戦争に対する抵抗の表れであると読み取ることも不可能ではないだろう。

 2015年に公開された塚本晋也監督の戦争映画『野火』はフィリピン戦で戦線を彷徨う一兵士、田村一等兵が飢えに苦しみながら生存してゆく物語であった。過去にも市川崑監督で映画化されたものであるが、大岡昇平の原作同様、人肉を食ってでも生き抜くこと、「生存」そのものが戦いの主題となっている点において変わりはない。

 戦闘を強いられない立場にある「戦わざるを得ない民」の熾烈な戦いは「生存」であり、生存のために食することとなるのは当然である。

 『野火』の田村一等兵はフィリピン人の女を射殺した後、小銃を投棄して彷徨うが、戦う武器を持たない民となって戦う方法は捕食しかない。

 『この世界の片隅に』のすずたちの戦いも『野火』の田村一等兵同様に食べて「生存」することが戦うことと同義になっているのである。

 だから、思わず笑いを誘う食べ物を巡る多くの場面は実際のところはすずたちには熾烈な戦いであることが隠されているのである。

 それを端的に表しているのは、砂糖を求めて街で道にまよったすずが、偶然出会った廓の女性、りんに食べ物の絵を描いてやる場面である。

 何故、食べ物であったのか。

 すずは右手の先から自由に絵を書いて人に対して幾分かの幸福を与える。
 もちろん、すずの手から人びとが食する、生存するための料理も作られているのである。
 すずの食べ物の絵を描いて見せるという行為は、すずが自らの手で戦っていることを意味している。だから、すずはりんに食べ物の絵を描いて見せるのである。

 そのすずは絵を紡ぎ出す右手を爆弾の爆発によって失う事になる。

 その後、すずは絵を書く事も米を研ぐことさえ出来なくなる。

 これはすずが戦う力を失ったことを意味している。
 すずは実際に料理をすることも食べ物の絵を書く事すらできなくなる。

 しかし、すずは「暴力に屈しない」という精神力でもって左手で米を研ぎ、左手で野草を摘む。これはすずの戦いなのである。

 最終的にすずは終戦の日に暴力と戦争は何処から来ていたのか、誰に支配されていたのかを知る事になる。

 終戦の後、闇市で進駐軍の残飯雑炊を食べ、道を尋ねられた米兵にチョコレートをもらって食べる。

 それらのシーンはほのぼのとしたものだ。

 しかし、よく考えて欲しい。

 生存のための食べるという行為はアメリカによってすずの失われた右手は救われているのである。

 この点と線を繋いでゆくと、最終的にすずたちが「食べる」という行為で戦っていた対象が明らかになってくる。
 生存を許さない状況に追い込んでいた「戦っていた」対象が明らかになる。

 『この世界の片隅に』は反戦イデオロギーが希薄なために受け入れやすいという鑑賞者が実のところは多い。

 しかし、鑑賞者たちが微笑んで見つめていたすずたちの食べるという行為が実は反戦イデオロギーと直結していることは明らかで、そこから逃れることはできないわけである。

 我々は最も熾烈な「生存」の戦いをほのぼのとした感覚で見守っているが、実のところは最も残酷な戦闘描写の連続性であったことに気づかされるだろう。

 それはすずが映画の前半で「調理法」を延々と説明する一見、戦争とは無縁なあの一連の場面が、その後やってくる戦争の暴力の威力を増大させる一つの仕掛けと見ることも不可能ではないからだ。


執筆:永田喜嗣




2016年11月27日

ご注意:ネタバレは含まれますのでご了承ください!

第2回:すずと暴力

 映画『この世界の片隅に』の主人公、すずは呉を襲う米軍艦載機の攻撃に耐え続ける。広島に原爆が投下されてもなお、すずは言う「そんとな暴力には屈するもんかね」。

 すずの暴力への抵抗は既に少女時代にあった。
 それは暴力で支配をしようとする兄に対する抵抗だ。
 すずは兄から受けた暴力に対して空想物語を造り、絵を描くという行為で昇華し続ける。映画で字幕版をご覧になった方はお気づきと思うが、すずが兄を「お兄ちゃん」と呼んでいるが、字幕では「鬼いちゃん」と表記される。

 これは原作でも同じだ。
 ずずにとって兄は心の中では「鬼」であるのだ。

 すずの幼年期から少女時代の暴力の記憶は「鬼いちゃん」の記憶としてトラウマとなって残っている。彼女は暴力を嫌い、暴力に屈しない精神的な強さを持っているものの、暴力支配から呪縛から逃れることができない。

 最も嫌った兄が戦死したとき、すずは心の中で安堵を覚え、その安堵する自分を嫌悪する場面がある。兄が死んで存在しなくなったことを喜ぶ一方ですずは倫理的にそう考えることが良くないのだと、なおも信じ込もうとする。

 兄の暴力への抵抗から、すずは激しく戦争の暴力に精神的に抵抗する。
 その抵抗の対象は兄と同じ「鬼」であるも「鬼畜米英」なのである。
 すずが米軍を憎悪するのは国策に則っているだけではない。
 米軍の呉への攻撃という暴力は兄の暴力支配がトレースして、パラレルな関係になっているだけなのである。

 しかし、やがて、すずは「そんとな暴力には屈するもんかね」と米軍の暴力に抵抗することが正義であると信じてきたことが幻想であったことを知る。

 8月15日の終戦の日、玉音放送を聴いて、日本が敗北したことを知ったすずは怒り慟哭する。すずの怒りは米軍の暴力に屈したからではない。

 画面には祖国解放の象徴たる朝鮮民族の太極旗がはためいているカットが挿入される。すずは自分が暴力によって服従されていたことに気づく。

 大日本帝国はすずを始め、諸民族を暴力によって服従させていたのであることにすずは気づかされるのである。

 暴力によって服従させてたのは「鬼いちゃん」だった。
 すずにとって「鬼いちゃん」は祖国、大日本帝国であったのだ。
 暴力によって服従させられていた自分が、その暴力支配が生んだ戦争という暴力に屈せず闘って来たことの無意味さを知ってすずは悔しさの大粒の涙を落とすのである。

 しかし、すずは兄が死んだことに安堵したのと同時に、大日本帝国が死滅したということにも安堵する。そして、今度はそのことにやましさを感ずることもない。

 すずは大東亜新秩序建設や聖戦を信じていたのかどうかは分からない。
 ただ、兄から受けた暴力の記憶と支配から本能的に暴力を否定し、抵抗していた個人であった事は確かだ。

 終戦によってすずの暴力システムへの抵抗は終わりを告げる。

 「そんとな暴力には屈するもんかね」

 すずの暴力への抵抗は貫徹し昇華したのであろうか。

 「鬼いちゃん」の暴力支配の呪縛が終戦によって消滅したのであろうか。

 その答えはない。

 この映画の特徴でもある、受動的な時間の連続性の中にその答えはかき消されてしまう。

 しかし、それもまた日本の敗戦の時代的リアリティの表象であるのも確かなことである。



執筆:永田喜嗣



2016年11月26日

ご注意:ネタバレは含まれますのでご了承ください!

第1回:戦争は何処より来たれり

 映画『この世界の片隅に』が全国で63館の小規模な公開にも関わらず、大きなヒット作となりつつある。
 何故、ヒットしているのかについて筆者は知る由もない。
 原作が既に長く読まれてきた漫画作品であり、ドラマ化もされていることもある。
 主人公すずの直向きな戦時下における「生」に共感をおぼえ、感動をおぼえる人が多いことは確かだ。

 そうした考察は他の方にお任せすることにして、筆者は『この世界の片隅に』を一つの戦争映画として捉えて観察したいと思う。

 原作は広島の被爆者二世代の「悲劇」と「生」を描いた『夕凪の街・桜の国』を漫画という手法で描いたこうの史代氏によるもので、昭和9年から昭和21年の12年間を一人の女性、すずを主人公として戦時下の生活を淡々と描いた作品だ。

 原作ではすずの広島での少女時代を『冬の記憶』、『大潮の頃』、『波のうさぎ』という3編の作品で「前史」として昭和9年から昭和13年までを描いており、表題の『この世界の片隅に』はすずが18歳になって嫁入り話が来る昭和18年12月から始まっている。
 原作では物語の本編は昭和18年12月から昭和21年1月までの主人公、すずの物語が語られる。

 映画化作品は前史3篇を含めて『この世界の片隅に』という1本の映画作品にまとめあげている。前史と本編では描かれていない5年の時の流れがあるのだが、映画ではその5年間の空白を全く感じさせずにスムーズに連続させてみせている。
 この戦争映画の第1に挙げる優れた点はこの連続性にある。それは既存の邦画の枠の中での戦争映画が描くことが出来なかった一つの大きな発明でもある。

 少女期を広島で過ごし、広島から呉に嫁にいったすずの生活は毎日の家事を淡々と描いたもので、その単調さは少女期と何ら変わることがない。話題となるのは物資が少なくなってきた中での食事を如何にして作るかという苦労談、小姑との関係、そうしたある意味「ほのぼの」とした情景が前半から中盤まで延々と続くのである。

 歴史を知っている我々にとってはずずの少女期から嫁入り、嫁としての家事の生活の時間枠では日本は既に後に十五年戦争と呼ばれる戦争の中にあった。
 実際は物語の初めから終わりまでずっと戦時下であるのに、物語の連続性は悪い言い方をしてしまえば「退屈」なものだ。
 実際、映画の鑑賞者もドラマティックな出来事の無い前半から中盤までは退屈な日常の中に映画的退屈さを感じてしまうかもしれない。
 
 しかし、その単調な連続性は昭和19年のサイパン陥落による絶対国防圏喪失あたりから目に見えない形で加速度的に変化し始める。

 米軍の艦載機が呉を初空襲する辺りから突然、すずや私たちが目にしていなかった「戦争」が一気に眼前に現れる。

 前半に延々と繰り返された単調な日常風景の連続性が後半では恐ろしい戦争の連続性に支配される。

 これは内地にいた日本人そのものの体験である。

 外地では中国大陸や太平洋で血みどろの戦いが行われていることはほとんど想像もつかないまま日常を淡々と生きていた日本人が突然やってきた戦争の災禍にそのまま「連続性」を持って受け入れるしかないという運命の光景である。

 渦中にある者には何が何かわからない。
 戦争中であることは分かってはいるが、戦争が何かわからないまま数年間、淡々と延々と暮らしてきたのである。

 そこへ来て、空からの猛爆を体験して初めて戦争が始まったと自覚せざるを得ない。
 『この世界の片隅に』の圧倒的な衝撃はこの空襲が始まる部分から終戦に至るまでの緊張状態の連続性の体験にこそある。

 前半から中盤にかけてまでの牧歌的な戦時下の風景の退屈なまでの積み重ねは、鑑賞者にその後は耐え難い、逃げることのできない、何処より来た戦争の圧倒的な暴力の連続性に恐ろしいまでの力を与えるのだ。

 筆者のように戦争や戦争映画を専門に研究している者にとってはどの時点で日常の中に戦争が出現するのかは遡って予期できる。しかし、アジア・太平洋戦争についての知識が乏しい現代の若者たちがこの映画を観賞するとき、その衝撃は更に大きいものになることに疑う余地はない。

 原作漫画では描写に限界があった戦争の圧倒的な暴力は映画の持つ力、動く映像と音響によって更に我々を圧倒する。その耐え難き逃れようのない苦しみに落涙した観客も多かったのではないかと筆者は想像するのだ。

 戦時下の生活を淡々と描くということが、こうの史代氏の創作構想であったことはコミック版のあとがきからも知れるが、映画化されるにあたって、その構造が従来の戦争映画が持ち得なかった効果を生み出したのである。

 従来の戦争映画は戦火を事件として切り抜いてみせた作品が多かった。いや、それが通常であった。

 ところが『この世界の片隅に』はその構造を全く叩き壊して見せたのである。

 戦争の暴力が大きけば大きいほど、それまでの日常が夢であったかのように感じられる。しかし、突然、世界が何の前触れもなく変化したのではない。だが、ずすも鑑賞者もそれが理解できない。理解できないまま、恐ろしい戦争を受け入れたたまま、なおも淡々と連続性を守らねばならない。

 ここに戦争の姿の本質の一端がある。

 戦争は何処より来たれり・・・・『この世界の片隅に』にはその具体的な説明は一切ない。しかし、それは日常の連続性の中で増殖して増大してはちきれて、破裂するのだ。破裂して血だらけになったまま、全く受け身なまま、ずずも鑑賞者も連続性から逃れえる事ができない。

 『この世界の片隅に』という戦争映画の最も優れた点は日常の連続性の中に戦争を出現させ、鑑賞者を捉えて逃がさない点にある。

 この様な手法の戦争映画がかつて存在しただろうか。

 『この世界の片隅に』は間違いなく戦後日本の戦争映画史に一つの金字塔を打立てた作品である。

 それは原作の長大さと映画という時間枠と特性が組み合わさって出来上がった賜物であると筆者は考える。

 (つづく)

筆者:永田喜嗣




 

2016年11月21日

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 神戸新開地の「パルシネマしんこうえん」でオランダ映画『孤独のススメ』を観る。

 物語は妻を交通事故で失い、息子を追い出して、独居している初老の男、フレッドの家に自分が誰なのかも分からず、言葉も失った髭ぼうぼうの男がやって来て、ひょんなことから同居するようになる。

 フレッドは敬虔なキリスト教の信者であり、時間厳守、食事の前にはお祈りを欠かさず、日曜日には必ず教会への礼拝へゆく生活を送っている。
 
 男は殆ど言葉を発することがなく、お祈りもしなければテーブルマナーも分からない。ヤギの群れを見ればその中へ入ってゆき自らヤギの鳴き声を真似て戯れる。
 フレッドには理解できない存在だったが、男は孤独なフレッドにとって何故か離れがたい存在だった。
 男のヤギになりきる奇行が子供たちに喜ばれ、フレッドと男は子供たちの誕生日会やパーティーの余興に呼ばれるようになる。

 フレッドが童謡を歌い、男が動物になりきっての余興は喜ばれ、いつしか、フレッドは日曜日の教会の礼拝へも行かなくなる。

 フレッドと男の奇妙な同棲に教会の牧師や信者たちは如何わしさを感じ、矯正しようとするが、フレッドは従わないため、やがて激しくフレッドを批判するようになる。

 フレッドは言う。

「神が私に何をしてくれたというのだ?自分のことは自分で決める」と。

 フレッドは男の住所を自分の住所に移転させるために役所へゆく。
 男は結婚しており、身元が分かる。
 フレッドと男は男の妻を訪ねる。 

 男はテオという名前で、交通事故の負傷のため障害を負い、記憶や言葉を失い、施設に収監されたが抜け出しては徘徊していたのだ。

 フレッドはテオを受け入れて、一緒にマッターホルンへ行く計画を立てる。フレッドはテオにマッターホルンは最も神に近い場所だと説く。

 マッターホルンはフレッドが亡き妻にプロポーズをした場所だった・・・・。

【解読】(ネタバレあります)

 難しい映画である。
 簡単に言ってしまえばフレッドがそれまでの「こうでなければならない」という環境から、奇妙な男の出現によって解放されてゆく話である。
 公式ホームページでは日本人の著名人の人々がコメントを寄せている。
 そのほとんどが「しがらみ」からの解放と捉えている。それは正しい見方であるけれども、それは日本人の「世間」としての「しがらみ」である。
 この映画はオランダの映画であることをまず最初に注視しておかなければならない。
 ここで、フレッドを縛っているのは「世間」の「しがらみ」ではなく、キリスト教文明社会における教会のシステムによる社会という存在だ。
 フレッドが守っているのはキリスト教の教会が作り出した規範である。
 より人間らしく、より自分らしく生きることはフレッドには許されない。キリスト教会の規範があるからである。フレッドはこの規範の中で生き続けてきた。
 それは妻を失い、息子を失ったこと、自分が孤独であること、それが教会の規範に従わなかった(少なくともフレッドはどかでそう信じている)ことに起因していると考えて、自らを罰するように縛っているのである。

 そしてフレッドは自らを束縛し、支配するばかりか、最初は同居を始めた男にも食事の前の祈りや時間厳守、礼拝を強要しようとする。支配される者がまた誰かを支配しようとする。その背後にあるものはキリスト教会が形成している社会だ。

 しかし、彼は男の出現によって規範から徐々に逸脱し始める。
 過去に追い出した息子を赦し、また息子もフレッドを赦す。
 最後にはフレッドはマッターホルンに男と行き、包容する。

 フレッドは髪に最も近いマッターホルンで真の神に出会うのである。神とは男、テオである。

 徘徊する言葉を持たないテオはイエス・キリストの隠喩である。
 彼は全く不敬虔で、フレッドの家を訪ねた牧師がお祈りを唱えても知らぬ顔で食事をしている。
 男は教会にあたかも反発しているいる様にも見える。それはもちろん無意識で、男が奇人であるからだ。
 男はヤギの群れを見ると近づき、ヤギを抱きしめ可愛がる。そして自らヤギになる。
 ヤギを羊に当てはめてみれば、男は迷える子羊と同じ羊である。
 男がキリストの隠喩であるとして、男にあるものは愛情しかない。差別も人を支配することもない。
 男はフレッドと結婚するのだとも言う。
 そして、フレッドはキリスト教会への敬虔さを捨てて自らを解放するのだ。
 ここのところは、ちょっと説明するのが難しい。
 つまり、キリスト教文明社会は教会によって支配されて進歩し、西欧文化を形成したが、それはキリスト教ではなくキリスト教会のための社会であるというアイロニーだ。

 そのキリスト教会社会がなん世紀にもわたって個人を束縛し支配している。また、信者も自らを支配されるに任せている。
 しかし、キリストはそれを望んだであろうか?

 そこで、登場したのが徘徊する髭ぼうぼうの男、テオなのである。
 彼は教会が見失ってしまった根源的なキリスト教の理想の化身なのである。

 フレッドとテオの男性同士の結婚は「ゲイ」の問題ではなく、フレッドの教会の支配や権威主義との決別を意味しているのだ。
 フレッドが神に最も近い場所だと信じるマッターホルンで男と包容を交わすことは亡き妻への愛の再会であり、男=キリスト=神との出会いであるのだ。

 フレッドの解放は単なる「しがらみ」からの解放ではない。
 それは愛と赦しというキリスト教の根源的な発見にほかならないのだ。

 だから、この映画を日本人が理解することは難しい。

 我々にとっての教会的支配を見出すのであれば「世間様」による「集団主義」なのかもしれない。

 日本人がそこから解放されることは困難なことだ。

 それを考えるとフレッドの自らの解放は奇跡である。

 奇跡を起こせる者にとって必要なことは愛情と赦しと勇気である。
 それは我々、キリスト教会社会に支配されいない日本人とて同じことであるのかもしれない。

 最後に付け加えると、近年、欧米ではキリスト教会が作り上げた社会システムに批判を加える作品が多くなってきた傾向がある。
 教会という権威の力は堅牢だが、真に人びとが憧れるものは純粋な「神」(その招待がなんであれ)による心の解放と自由なのであるという抵抗の表れなのではないかと私は考えている。



執筆:永田喜嗣