昨日に続いて車のお話をします。というのは、昨日付の朝日新聞にこんなレポートが載っていたからです。

 61歳のKさんが、「もう疲れた。仕事もないし、金もない」との遺書を残   して自殺した。その数ヶ月前、貧困相談に取り組む市民グループと面会し、生活保護受給を勧められた。しかし、車の処分が必要と聞くと申請を拒んだ。グループの担当者は、「年金も預金も家族もない。彼には車が唯一の財産だった」とみる。

冷静に考えれば、車を持つことに固執して生活保護を拒否するより、さっさと車を手放して生活保護を受けた方がいいに決まっています。生活が安定して職が見つかれば、また車を買うチャンスもできたかも知れません。なぜKさんは、車を持ち続けることにこだわったのでしょうか。「車が唯一の財産だった」というだけでは説明しきれない何かがあるように思えてなりません。
仕事も家族もお金もなかったKさんは、「唯一の財産」だったその車で、どこに行こうとしていたのでしょうか。助手席には、運転用の黒いサングラスとともに求人情報誌が置かれていたそうです。でも、求職先の面接に行くだけなら車以外の方法も考えられますし、就職活動のための交通費を支給する制度もあります。
Kさんにとって車とは、移動などの手段ではなかったのかも知れません。運転席に座った瞬間、どんなに狭くても車の中はKさんが主人として君臨する空間になります。ドアを閉めてロックすれば、そこに誰も入ってくることはできません。人間としてのプライドをわずかでも満たすことのできる最後の砦が、車だったのでしょうか。