2007年08月30日

山崎金次郎さんと千歳(チトセ)号

メルマガでお伝えしました盲導犬・千歳号
今日は山崎さんと千歳号について詳しくご紹介します。

千歳号_1

山崎金次郎さん(1917〜1980)は旧陸軍の通信兵。
1939(昭和14年)に、ノモンハン事件で火炎放射器により全身に火傷を負いました。

ノモンハン事件は、旧満州に駐留していた大日本帝国の関東軍が、
旧ソ連・モンゴル軍との間で起こした国境紛争です。
日本側の壊滅的な打撃で終わりました。
山崎さんはかろうじて生存していたところを見つけ出され、国内に搬送されて
臨時東京第一陸軍病院(新宿区)に入院しました。

同病院では当時、盲導犬の訓練が行われていました。
旧陸軍が、戦傷で視覚を失った兵士の社会復帰のために、盲導犬を支給しようと試みていたのです。

1939年にドイツから4頭の盲導犬(シェパード)を輸入したのを手始めに、
国内でも独自に育成するなどし、病院で兵士と共同訓練を行っていました。
千歳は最初に輸入されたボド(オス)の子供だったと言われています。
山崎さんは1943年に退院。
千歳を伴って大阪に戻りました。「2人」は評判のコンビでした。

戦後、山崎さんは豊中市でラジオ修理業を営みますが、
部品を買いに行くのはミナミの日本橋電気街でした。
お供はいつも千歳です。
「2人」は阪急電車で梅田に出て、そこから大阪市営地下鉄に乗りかえて日本橋電気街へ。
千歳の案内で店を巡り、部品を買いそろえると、また同じ道のりを戻ってきます。
大阪の南北二つの繁華街をさっそうち通過して電車を乗り継ぐなど、驚くべきことでした。

また、当時の道路は舗装されておらず、雨が降ると大きな水たまりが至るところにできていました。
千歳は自分が水たまりに足を突っ込んでも、山崎さんが濡れないよう誘導していたといいます。
 
「東京のハチ公、大阪の千歳」。
千歳の忠犬ぶりは、人々にそう表現されることもありました。
力強く生きる山崎さんと千歳の姿は、「戦後の暗い世相に差し込んだ一筋の光のようだった」と語る人もいます。

そうしたことから、千歳は1951年の3月21日、大阪動物愛護協会から表彰されることになりました。
ところがその前日に山崎さんご一家に看取られてフィラリアのために亡くなってしまいました。
山崎さんに尽くし、山崎さんに愛された一生でした。

千歳号_2

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gomoudouken at 19:06│Comments(2)TrackBack(0)




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この記事へのコメント

1. Posted by No.9658   2007年10月17日 11:49
私は1951年8月生まれです、私の生まれる前から日本に盲導犬が活躍していたのには驚かされました。
千歳号の一生はきっと山崎さんと一緒で幸せだったと思うととても愛おしく思います。
昨年我が家では23歳まで頑張った猫が極楽に行きました、きっと千歳号とめぐり合っている事でしょう。
2. Posted by 盲導犬支援センター さや   2007年10月19日 12:57
コメントありがとうございます

この時代から盲導犬の育成がされていたとは本当に驚きでした。

猫ちゃん、長く生きられていたんですね。
千歳号とどんな話をしているのかしら?

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