ホッホチャンとケンンチャンについて
2008年02月27日
「ホッホチャンとケンチャン」について
「ホッホチャンとケンチャン」は僕の母(ホッホチャン)と父(オジイチャマ)がつくった絵本仕立ての作品集です。
母とその孫との会話の中からうまれた「花遊び」を写真にとって、父が文章をそえています。
母は4年前の夏に他界しましたが、「伝える」「育てる」ことにとても熱心でした。
「母の花」と「父の文」を見ていただきたい。
花を通じた親子の会話を育んでほしい。
たくさんの人に親しんでいただきたいという願いから、僕のブログで紹介していきたいと思います。
もともと撮影日の順番に編集されていましたが、それとは別に、季節にあったものをのせていきます。
父(オジイチャマ)のあいさつ文より
「ホッホチャンとケンチャン」は、妻(ホッホチャン)と孫(ケンチャン)の会話から生まれた、いわば「花遊び」のスケッチである。
そして、その「花遊び」を通じて、いけばなに深い関心を持ってもらいたかったのである。
ケンチャンは三才になった頃から、ホッホチャンにいけばなを習いはじめた。
稽古場に入ると同席の皆さんにご挨拶させ、花の名前、どんな形にいければいいのか教えるのだが、子供が受け入れやすいように説明するのは難しいことである。
時にはきびしく躾けられていたが、それでもケンチャンは風邪をひいたときぐらいしか休んだことがない。
そして教えられたことはかなり前のことまでよく覚えている。
この本の表紙に使った「ブーツと薔薇」、そこで「このブーツで花を踏んづけては駄目」と云われた四年前のことをしっかり頭に入れているらしい。
今、夏休みで岡山の私の妹の家に、母子三人で泊まりに行っているが、そこで弟が、庭の花を踏みつけそうになったとき、大声で「花踏んだらアカン」と叫んだそうである。
妹が感心して電話で話してくれた。
この本は、妻(ホッホチャン)が生前、「私が死んだら、一冊にまとめて皆さんにお配りしてね。」との願いで作った。
一作一作が私にも妻にも、それぞれに思い入れがある。
妻がケンチャンとの会話の中から、その時の興味を抱いていることに目をつけ、それにどんな花をとり合わせようか相談しながら一作づつでき上がっていった。
二人のイメージをスケッチしたもので、いけばなになってはダメと云っていた。
健一郎は自分の提供した絵や工作、オモチャ、そんなものがどんな写真となっていくのか、撮影の時は、いつも横で、頬杖をついて見つめていたり、カメラの宇佐美さんのまわりでウロウロしたりしていた。
発病から三年間、辛くてたまらない日もあっただろうが、皆さんへの責任感の強さで、2004年の9月号の写真まで作って逝った。
「ホッホチャンとケンチャン」の頁は「スパイダーマン」で最後になった。
ケンチャンのためにと作った頁は、1996年からのも入れると50以上になる。
その約半数をまとめたのがこの一冊である。
絵には童画がある。
文学には童話、
音楽には童謡。
いけばなにも子供が何かを想像し、心をふくらませるようなものが、あってほしい。
御愛読下さった皆様に御礼申し上げますとともに、妻の冥福を祈らせて頂きたい。
2004年 8月 15日
「ホッホチャンとケンチャン」へ
母とその孫との会話の中からうまれた「花遊び」を写真にとって、父が文章をそえています。
母は4年前の夏に他界しましたが、「伝える」「育てる」ことにとても熱心でした。
「母の花」と「父の文」を見ていただきたい。
花を通じた親子の会話を育んでほしい。
たくさんの人に親しんでいただきたいという願いから、僕のブログで紹介していきたいと思います。
もともと撮影日の順番に編集されていましたが、それとは別に、季節にあったものをのせていきます。
![]() |
父(オジイチャマ)のあいさつ文より
「ホッホチャンとケンチャン」は、妻(ホッホチャン)と孫(ケンチャン)の会話から生まれた、いわば「花遊び」のスケッチである。
そして、その「花遊び」を通じて、いけばなに深い関心を持ってもらいたかったのである。
ケンチャンは三才になった頃から、ホッホチャンにいけばなを習いはじめた。
稽古場に入ると同席の皆さんにご挨拶させ、花の名前、どんな形にいければいいのか教えるのだが、子供が受け入れやすいように説明するのは難しいことである。
時にはきびしく躾けられていたが、それでもケンチャンは風邪をひいたときぐらいしか休んだことがない。
そして教えられたことはかなり前のことまでよく覚えている。
この本の表紙に使った「ブーツと薔薇」、そこで「このブーツで花を踏んづけては駄目」と云われた四年前のことをしっかり頭に入れているらしい。
今、夏休みで岡山の私の妹の家に、母子三人で泊まりに行っているが、そこで弟が、庭の花を踏みつけそうになったとき、大声で「花踏んだらアカン」と叫んだそうである。
妹が感心して電話で話してくれた。
この本は、妻(ホッホチャン)が生前、「私が死んだら、一冊にまとめて皆さんにお配りしてね。」との願いで作った。
一作一作が私にも妻にも、それぞれに思い入れがある。
妻がケンチャンとの会話の中から、その時の興味を抱いていることに目をつけ、それにどんな花をとり合わせようか相談しながら一作づつでき上がっていった。
二人のイメージをスケッチしたもので、いけばなになってはダメと云っていた。
健一郎は自分の提供した絵や工作、オモチャ、そんなものがどんな写真となっていくのか、撮影の時は、いつも横で、頬杖をついて見つめていたり、カメラの宇佐美さんのまわりでウロウロしたりしていた。
発病から三年間、辛くてたまらない日もあっただろうが、皆さんへの責任感の強さで、2004年の9月号の写真まで作って逝った。
「ホッホチャンとケンチャン」の頁は「スパイダーマン」で最後になった。
ケンチャンのためにと作った頁は、1996年からのも入れると50以上になる。
その約半数をまとめたのがこの一冊である。
絵には童画がある。
文学には童話、
音楽には童謡。
いけばなにも子供が何かを想像し、心をふくらませるようなものが、あってほしい。
御愛読下さった皆様に御礼申し上げますとともに、妻の冥福を祈らせて頂きたい。
2004年 8月 15日
「ホッホチャンとケンチャン」へ
gonchan43 at 22:30|Permalink│