★ 観光ガイド 豊玉中学校 

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万関橋もここ、姫神山砲台と共通していて『日露戦争』のロシア軍に対抗するため
当時の日本軍によって作られたものだったんです。
日本の歴史の中では『日本海海戦』と言われてますが、ロシアの教科書では、
『対馬沖海戦』とより具体的な地名が表示されてあります。..個人的にはそちらに
共感します。.....日本海は北海道までありますからね。
日本海海戦の2年半前頃より、日本とロシアには経済的にも国交も上手くいかず、
ギクシャクしていたんですね、そんな中、浅茅湾の一角には当時ロシアの軍艦が
入って来て、不法占拠してた場所があります。 防波堤とか井戸とかの残骸が残って
います。  当時そういった情報が伝わり、日本軍は危機感を抱き対馬を要塞の島に
するべく、あらゆる所に砲台の建設を始めた訳です。...勿論国益のため、国防のため。
......つづく

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対馬には戦争の歴史遺産が現在でも多数存在します。古くは600年代の
城山にある国の特別遺跡の『金田城跡』から、厳原町小茂田にある、蒙古軍
襲来の古戦場などなど、歴史的にも貴重なものばかりです。
日清、日露戦争、(中国、ロシア) 太平洋戦争(主にアメリカを含む連合国)当時に
建築、あるいは構築した砲台などが約、31か所存在します。
今日はその中でも、観光には適した場所でもある、美津島町緒方(おかた)に
築かれた『姫神山砲台』に案内しました。

明治時代に築かれたこの砲台は対馬の中でもすごくきれいで、原形をほとんど
残し、現在でも素晴らしいたたずまいであり、訪れる人達に様々な感動を与えて
いる。....この写真は5年前と、10年前に撮った写真です。



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右端、『西の漕い出』 美津島町小船越(こぶなこし) の町の入り口にある入江。

浅茅湾の東側(尾崎、郷崎方面) より対馬に入り、西の漕い出を目指していた。

当然のことながら、万関橋は明治時代に開通したわけで、北は鰐浦、南は豆酘崎

を通行していた。 おまけに帆船であり、更なる時間を要した。

その為には対馬の中心部であるこの地域を通るのが一番早かったとされます。

浅茅湾を突き進み、この西の漕い出に入り、陸地を船で渡ったのです。.........

すごいですね   遣唐使、随遣使達がこの航路を使っていたとは.......まさに歴史的

ロマンを感じますね。

※次は万関橋から姫神山へと向かいます。..万関は次に紹介します。......つづく


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