2008年03月27日
また会える日まで
3月23日、ごんはは+アチャ+サーチの3人は、約5年の広州
駐在生活を終えて、日本に帰国しました。赴任時には、5歳に
なりたてと1歳後半だった子供たち。もうすぐ5年生&1年生に
なります。大きくなりました!
続きを読む
駐在生活を終えて、日本に帰国しました。赴任時には、5歳に
なりたてと1歳後半だった子供たち。もうすぐ5年生&1年生に
なります。大きくなりました!
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2008年03月22日
帰国前夜
いよいよ明日が帰国日。
引っ越し作業や手続き、友人たちとのお別れ、最後は時間がなくて
不義理もしてしまいましたが、とりあえず家族で過ごせる最後の日
である今日は、ごんちちと家族4人、一緒にのんびり過ごそうと
思っていました。
ところが(^^; 続きを読む
引っ越し作業や手続き、友人たちとのお別れ、最後は時間がなくて
不義理もしてしまいましたが、とりあえず家族で過ごせる最後の日
である今日は、ごんちちと家族4人、一緒にのんびり過ごそうと
思っていました。
ところが(^^; 続きを読む
2008年03月21日
サーチの学校
サーチ、インターへの通学最後の日です。
友達との別れが悲しくて、泣いてばかりいるアチャと正反対に
実に淡々と、「お別れの日」を迎えようとしているサーチ。
お誕生日も近いので、ちょっとは母心を出して
「お別れ会も兼ねて、ケーキ持って行く?」と尋ねても
「いらない〜!」
「じゃあさ、最後の日、お母さんも学校にお礼言いに行こうか?」
「それもいい。自分で言えるから」
と冷めた反応のサーチですが、実はクラスメイトに渡すカードを
1枚1枚、英語で丁寧に書いていたのを母は知っています。
1年生に上がってからは、お友達との関係で悩んでいる時期が
長かったサーチ。言葉や文化のギャップにこの年齢でさらされ、
時に涙する姿に、サーチにとって、果たしてインターという選択は
ベターだったのか?親として考えてしまうことも多かったです。
でも、本人はいつも前向きで、学校を辞めたいとはついぞ言い出し
ませんでした。とにかく今、英語と中国語を頑張りたいから、と。
勉強嫌いの母からすると、6歳児からこんなセリフが出るなんて
脳天殴られたような気分ですが(^^;本人、有言実行でコツコツと
努力してきたことは、我が子ながら本当にすごい!!頑張った!!
と誉めてやりたいです。
中国滞在5年の間、現地幼稚園に2年半、インターに2年半通い
日本も含めて3つ、いえ、それ以上のたくさんの文化を体感して
きたサーチ。習った言葉はこの先忘れてしまうかもしれないけど、
彼女の思考や行動の根っこになる部分に、大きな影響があった
ことは間違いないでしょう。いつかそれがどんな形で実を結ぶか
楽しみに待つことにしましょう。
友達との別れが悲しくて、泣いてばかりいるアチャと正反対に
実に淡々と、「お別れの日」を迎えようとしているサーチ。
お誕生日も近いので、ちょっとは母心を出して
「お別れ会も兼ねて、ケーキ持って行く?」と尋ねても
「いらない〜!」
「じゃあさ、最後の日、お母さんも学校にお礼言いに行こうか?」
「それもいい。自分で言えるから」
と冷めた反応のサーチですが、実はクラスメイトに渡すカードを
1枚1枚、英語で丁寧に書いていたのを母は知っています。
1年生に上がってからは、お友達との関係で悩んでいる時期が
長かったサーチ。言葉や文化のギャップにこの年齢でさらされ、
時に涙する姿に、サーチにとって、果たしてインターという選択は
ベターだったのか?親として考えてしまうことも多かったです。
でも、本人はいつも前向きで、学校を辞めたいとはついぞ言い出し
ませんでした。とにかく今、英語と中国語を頑張りたいから、と。
勉強嫌いの母からすると、6歳児からこんなセリフが出るなんて
脳天殴られたような気分ですが(^^;本人、有言実行でコツコツと
努力してきたことは、我が子ながら本当にすごい!!頑張った!!
と誉めてやりたいです。
中国滞在5年の間、現地幼稚園に2年半、インターに2年半通い
日本も含めて3つ、いえ、それ以上のたくさんの文化を体感して
きたサーチ。習った言葉はこの先忘れてしまうかもしれないけど、
彼女の思考や行動の根っこになる部分に、大きな影響があった
ことは間違いないでしょう。いつかそれがどんな形で実を結ぶか
楽しみに待つことにしましょう。
2008年03月20日
引っ越し
船便・航空便、合わせて72箱の荷出しをしました。
あれもこれもといっぱい詰め込んでしまう赴任時と違って、帰国時は
本当に身の回りのものと中国でしか手に入らないもの、に絞れるぶん、
気持ち的には楽かも?でも、5年間ずっと、同じ部屋に住み続けて
いた我が家、やはり荷物は増えていて、子供たちも大きくなったので
幼児用グッズ、おもちゃ、服など、手放したほうがいいものも多々あり、
事前の選別がけっこう大変でした。ずいぶん捨てたり人にあげたりして、
贅肉を削ぎ落としたような、すっきりした気分です〜(自分の贅肉は
日々増えていくばかりですが(−−;)
家具やモノの形状に合わせて、ダンボールをカットし、折り、貼り、
オーダーメイドの箱をあっというまに作ってしまう引っ越し業者さん。
プロですな。。。その見事な手さばきに、思わず見入ってしまい、
自分の手は止まってばかり。素人が手を出すとかえってややこしい
ことになりそうなので、後半はアーイーと2人、横のソファに座って
おしゃべりしながら、職人技の作業の様子を眺めておりました(^^;
↑一応おまかせパックです。
1日かけて荷物を搬出したあと、ガラーンとした部屋は妙に物悲しい。
この部屋に、ごんちちがこれから1人で住むのかと思うと、可哀想で
涙が出てきます(本人の指示で、食器や鍋類、本に至るまで家財道具の
ほとんどを日本に送ってしまいました。もう部屋でお茶も飲めなければ
ラーメンも食べられません←多分ごんちち自身も、そう遠くない将来
本帰国するつもりなんだろうけど・・・延びたらどうするんだろう??)
ともあれ、今は、大きな作業が終わった解放感でいっぱいです。
夜はまたまたお友達の家で送別会の予定♪特別な、大騒ぎな日々。
あれもこれもといっぱい詰め込んでしまう赴任時と違って、帰国時は
本当に身の回りのものと中国でしか手に入らないもの、に絞れるぶん、
気持ち的には楽かも?でも、5年間ずっと、同じ部屋に住み続けて
いた我が家、やはり荷物は増えていて、子供たちも大きくなったので
幼児用グッズ、おもちゃ、服など、手放したほうがいいものも多々あり、
事前の選別がけっこう大変でした。ずいぶん捨てたり人にあげたりして、
贅肉を削ぎ落としたような、すっきりした気分です〜(自分の贅肉は
日々増えていくばかりですが(−−;)
家具やモノの形状に合わせて、ダンボールをカットし、折り、貼り、
オーダーメイドの箱をあっというまに作ってしまう引っ越し業者さん。
プロですな。。。その見事な手さばきに、思わず見入ってしまい、
自分の手は止まってばかり。素人が手を出すとかえってややこしい
ことになりそうなので、後半はアーイーと2人、横のソファに座って
おしゃべりしながら、職人技の作業の様子を眺めておりました(^^;
↑一応おまかせパックです。
1日かけて荷物を搬出したあと、ガラーンとした部屋は妙に物悲しい。
この部屋に、ごんちちがこれから1人で住むのかと思うと、可哀想で
涙が出てきます(本人の指示で、食器や鍋類、本に至るまで家財道具の
ほとんどを日本に送ってしまいました。もう部屋でお茶も飲めなければ
ラーメンも食べられません←多分ごんちち自身も、そう遠くない将来
本帰国するつもりなんだろうけど・・・延びたらどうするんだろう??)
ともあれ、今は、大きな作業が終わった解放感でいっぱいです。
夜はまたまたお友達の家で送別会の予定♪特別な、大騒ぎな日々。
2008年03月17日
次々やってくるお別れ
日本人学校が春休みに入り、帰国ラッシュが始まりました。
土曜日に一家族、日曜にまた一家族。今日月曜には、3年間の任期を
終えた学校の先生方を、空港までお見送りに行ってきました。
明日も明後日も、同じマンションの方のお見送り予定が入っています。
寂しい・・・・・なぁ。
実のところ、5年も広州にいるごんははですが、今まで、こんなにも
お別れを悲しいと思ったことはありませんでした。転勤族の定めで、
どんなに仲良くなっても、いつかは離れてしまう時が来るのなら・・・と、
意識的に、あまり深入りしないおつきあいを心がけてきたような気が
します。相手の存在が心の支え、という状態にまで仲良くなってしまうと、
別れた時の喪失感が大きくて辛いから。
でも、ここ1、2年はそんなことも言っていられないほどに、太く濃い
おつきあいが増えました。日本人学校とインター、それぞれの学校関係、
子供たちのサッカー、野球、ピアノ、音楽会。それにスポーツジムや
朝練関係、切り絵、コーラス、マンション内のおつきあい。いろいろな
場所で知り合った人たちから、さらに人間関係の輪が広がり、今では
道を歩けば知り合いに当たる(!?)ほどに。
最初は、ちょっと苦手かも?と思っていたタイプの人とでも、少し深く
おつきあいしてみれば、それぞれ素敵なところ、学ぶところが大きくて。
お別れが辛くなるからと、広く浅くじゃもったいない!と今は思えます。
心にぽっかり穴があいたようなこの寂しさも、自分が精いっぱい、
その人と接して来られた、という証かな?マイナスな気持ちも全部
受け入れて、今は、自分の新生活に向かってしっかり準備していかな
くちゃと思っています。
土曜日に一家族、日曜にまた一家族。今日月曜には、3年間の任期を
終えた学校の先生方を、空港までお見送りに行ってきました。
明日も明後日も、同じマンションの方のお見送り予定が入っています。
寂しい・・・・・なぁ。
実のところ、5年も広州にいるごんははですが、今まで、こんなにも
お別れを悲しいと思ったことはありませんでした。転勤族の定めで、
どんなに仲良くなっても、いつかは離れてしまう時が来るのなら・・・と、
意識的に、あまり深入りしないおつきあいを心がけてきたような気が
します。相手の存在が心の支え、という状態にまで仲良くなってしまうと、
別れた時の喪失感が大きくて辛いから。
でも、ここ1、2年はそんなことも言っていられないほどに、太く濃い
おつきあいが増えました。日本人学校とインター、それぞれの学校関係、
子供たちのサッカー、野球、ピアノ、音楽会。それにスポーツジムや
朝練関係、切り絵、コーラス、マンション内のおつきあい。いろいろな
場所で知り合った人たちから、さらに人間関係の輪が広がり、今では
道を歩けば知り合いに当たる(!?)ほどに。
最初は、ちょっと苦手かも?と思っていたタイプの人とでも、少し深く
おつきあいしてみれば、それぞれ素敵なところ、学ぶところが大きくて。
お別れが辛くなるからと、広く浅くじゃもったいない!と今は思えます。
心にぽっかり穴があいたようなこの寂しさも、自分が精いっぱい、
その人と接して来られた、という証かな?マイナスな気持ちも全部
受け入れて、今は、自分の新生活に向かってしっかり準備していかな
くちゃと思っています。
2008年03月14日
終了式・離任式
日本人学校の終了式・離任式でした。
アチャが入学から4年間、通った学校生活も今日で最後。
第一子で、親も子も若葉マークをピカピカ光らせながら、お付き合いの
濃そうな日本人社会に馴染んでいけるのだろうか、と不安でいっぱいの
入学当時でしたが、素晴らしい先生方、たくさんのいいお友達に恵まれ
今ではどっぷり、その濃〜い関係の中に心地よく浸かっています(^^;
毎年、離任式には帰国される先生に最後のご挨拶をするべく、親も一緒に
参加してきましたが、今年は特に、アチャが公私共にお世話になったり、
家族ぐるみで仲良くしていただいた先生が帰国されるのと、自分たちも
本帰国になる、ということで、また格別な思いを抱いての式参加でした。
子供たちと保護者でいっぱいになった体育館は、式が始まってすぐから
涙の嵐。子供たちが先生との別れを悲しんですすり泣く姿には、つい
涙腺を刺激されてしまいます。去年まで、仲の良い友達が次々に帰国
しても平気な顔をしていたアチャが、今年は目を真っ赤にして戻って
きたのにもグッときました・・・お別れの意味が少しわかるようになって
きたんだね。
最後のスクールバスに子供たちと一緒に乗り、校門を出ていく瞬間、
入学式の時の、クラスで一番ちっちゃくて弱々しかったアチャの姿を
思い出し、心も体もここまで大きく育ててくれた学校に、心の中で
深々と頭を下げたごんははでした。
アチャが入学から4年間、通った学校生活も今日で最後。
第一子で、親も子も若葉マークをピカピカ光らせながら、お付き合いの
濃そうな日本人社会に馴染んでいけるのだろうか、と不安でいっぱいの
入学当時でしたが、素晴らしい先生方、たくさんのいいお友達に恵まれ
今ではどっぷり、その濃〜い関係の中に心地よく浸かっています(^^;
毎年、離任式には帰国される先生に最後のご挨拶をするべく、親も一緒に
参加してきましたが、今年は特に、アチャが公私共にお世話になったり、
家族ぐるみで仲良くしていただいた先生が帰国されるのと、自分たちも
本帰国になる、ということで、また格別な思いを抱いての式参加でした。
子供たちと保護者でいっぱいになった体育館は、式が始まってすぐから
涙の嵐。子供たちが先生との別れを悲しんですすり泣く姿には、つい
涙腺を刺激されてしまいます。去年まで、仲の良い友達が次々に帰国
しても平気な顔をしていたアチャが、今年は目を真っ赤にして戻って
きたのにもグッときました・・・お別れの意味が少しわかるようになって
きたんだね。
最後のスクールバスに子供たちと一緒に乗り、校門を出ていく瞬間、
入学式の時の、クラスで一番ちっちゃくて弱々しかったアチャの姿を
思い出し、心も体もここまで大きく育ててくれた学校に、心の中で
深々と頭を下げたごんははでした。
2008年03月13日
さらばピアノよ?
広州でレンタルしていたピアノを、今日返却しました。
品質の問題か、技術の問題か??調律が全然うまくいかず
常に音が狂っていたピアノ。鍵盤のタッチも安定していなくて、
弾いていて首を傾げることも多かったピアノ。なのに。
いつのまにか、愛着が湧いていたみたいです。
それまで、日本から持ってきた電子ピアノを使っていた我が家に
黒のアップライトがやってきたのが2年前。そろそろ子供たちに
しっかりタッチを身につけさせたい、と思ってのことでした。
その頃から活発になってきた、我が家の音楽活動。
このピアノで、子供たちが小さな手で、バイエルを一生懸命練習
していた姿、サーチと親子連弾したこと、わたしの伴奏で童謡を
大声で歌ったこと、思い出がいっぱい詰まっています。
最後の方には、ママコーラスの伴奏を冷や汗かきつつ練習したり
偉大なる音楽友達Aさんと連弾した、ラフマニノフのピアコン。
自分の音楽センスのなさを実感させられたのも、このピアノと
向き合っていた時でした。でも、ちょっと狂った音で、わたしが
弾いたとおり、忠実にそのまんま音を返してくれた黒いピアノ。
かわいい奴でした。
さよなら。またどこかのお家で、楽しい音楽を響かせてね(^^)
2008年03月12日
リッツ・カールトン
昨日オープンしたばかりの「リッツ・カールトン広州」。
今行かなければいつ行く!?とばかりに、見学がてら
お友達と6人でランチビュッフェを楽しんできました。
コストパフォーマンスがかなりよかったので、ほんとは
あんまり教えたくないんですが(笑)
お勧めですよ〜!味もサービスもよかったです。
今なら、オープン記念価格で1人158元(=2252円)+15%。
(4月の交易会前まで)一緒に行った友人の総評によると
スイーツのレベルが高かったです。もちろんお料理も
和洋中エスニック、一通り揃ってます。大きなボイルエビ、
花蟹には思わず歓声をあげてしまいました。
ここを去る前に、またひとつ進化した広州を垣間見られて
よかった!
今行かなければいつ行く!?とばかりに、見学がてら
お友達と6人でランチビュッフェを楽しんできました。
コストパフォーマンスがかなりよかったので、ほんとは
あんまり教えたくないんですが(笑)
お勧めですよ〜!味もサービスもよかったです。
今なら、オープン記念価格で1人158元(=2252円)+15%。
(4月の交易会前まで)一緒に行った友人の総評によると
スイーツのレベルが高かったです。もちろんお料理も
和洋中エスニック、一通り揃ってます。大きなボイルエビ、
花蟹には思わず歓声をあげてしまいました。
ここを去る前に、またひとつ進化した広州を垣間見られて
よかった!
2008年03月11日
FUN RUN
サーチの学校の「FUN RUN」=スポーツ大会の日。
いつもながら、直前に日程が決まったので、引越し作業に追われる
身としては、親のフル参加は無理(;;)親子で一緒に楽しむという
ランチタイムに合わせて、ちらりと見学に行ってきました。
市内の大学のグラウンドを借りて行われた、FUN RUN。
サーチは地元幼稚園時代の3、4歳頃に、この同じグラウンドでの
運動会を何回か経験しています。その時は、臆病で、泣き虫で、
みんなと一緒に競技に参加できなくて、先生にだっこされて泣いて
いたサーチ。
もうすぐ7歳の今、こんな晴れやかな顔で走れるようになりました。
小さい頃から、ずっと異文化の中で育ってきたサーチ。
母国語は日本語ですが、しぐさや表情、ものの感じ方などが日本人
じゃないな〜と感じることも多々あります。4月から日本の小学校に
入学するけれど、何よりも協調性を重んじる日本人社会の中で、
はみ出さず、個性をつぶされず、やっていけるのかな。。。
たまには娘の心配もしてみる母でありました(^^;
2008年03月10日
粥城
2008年03月09日
毋米粥ではじけた!
連日連夜、送別会が続いています。
今夜は、お父さんもまじえた5家族で「毋米粥」でのお別れ会。
母たちはいつもの遊び仲間ですが(^^;お父さん同士、面識は
あるものの、こんなふうに一緒に食事をするのは初めてのこと。
果たして会話は盛り上がるんだろうか?と心配しましたが、
なんのなんの。しょっぱなから、帰国前ならでは?のぶっちゃけ
トークあり、爆弾発言あり、夫婦漫才?あり。そのままのペースで
最後まで笑いっぱなしの楽しい会になりました。
こんなに楽しいなら、もっと早くから家族ぐるみで遊んでいたら
よかったね、とも言い合ったけれど、もうすぐお別れだからこそ
盛り上がる空気や、勢い、っていうものもあるよね、きっと。
皆さんの意外な一面が垣間見られて、面白かったです(爆)
笑いすぎて、翌日も腹筋が痛かった。特に夫婦の力関係(バランス?)
については、よくよく学ばせていただきました〜。わたしはまだまだ
青いです。日々精進ですな(^^;
今夜は、お父さんもまじえた5家族で「毋米粥」でのお別れ会。
母たちはいつもの遊び仲間ですが(^^;お父さん同士、面識は
あるものの、こんなふうに一緒に食事をするのは初めてのこと。
果たして会話は盛り上がるんだろうか?と心配しましたが、
なんのなんの。しょっぱなから、帰国前ならでは?のぶっちゃけ
トークあり、爆弾発言あり、夫婦漫才?あり。そのままのペースで
最後まで笑いっぱなしの楽しい会になりました。
こんなに楽しいなら、もっと早くから家族ぐるみで遊んでいたら
よかったね、とも言い合ったけれど、もうすぐお別れだからこそ
盛り上がる空気や、勢い、っていうものもあるよね、きっと。
皆さんの意外な一面が垣間見られて、面白かったです(爆)
笑いすぎて、翌日も腹筋が痛かった。特に夫婦の力関係(バランス?)
については、よくよく学ばせていただきました〜。わたしはまだまだ
青いです。日々精進ですな(^^;
サッカー
ひとつ、またひとつと広州での行事や活動が終わりの日を迎えています。
今日の「最後」はサッカー。
2年前に、父兄を中心に立ち上げた、日本人のサッカーチームで
ごんははも初期の頃から運営に関わってきたので、とても思い入れが
深い活動でした。アチャもサーチも発足時からのメンバーだったし
ごんちちも、ボランティアコーチとして参加。「サッカー」のある日は
家族総出でグラウンドに向かう、週末の一大イベントでもありました。
特にアチャは、ここでサッカーの楽しさに目覚め、家でもサッカー、
学校の休み時間もサッカー、クラブ活動もサッカー、と夢中になって
いきました。仲良くしているお友達も、ほとんどがサッカーがらみ。
決して上手なわけでも、動きがいいわけでもないけれど、ボールと
戯れることが大好き!という気持がひしひしと伝わってくる、いい
プレイを見せてくれるようになりました。
こうして考えると、いろいろな場所で成長させてもらっているんですね
子供たちって。つくづく、周囲の人や環境に感謝です。
いえ、子供だけではありません。わたし自身も、ボランティアのお世話係
をさせてもらって、それまで見えていなかったことが見えたり、知り合え
なかった人と仲良くなれたり、ぐーんと世界が広がりました。
今までの人生、サッカーとはまったく無縁でしたが、思い切って新しい
扉を開いてみて、ほんとによかったな、と思います。
今日の「最後」はサッカー。
2年前に、父兄を中心に立ち上げた、日本人のサッカーチームで
ごんははも初期の頃から運営に関わってきたので、とても思い入れが
深い活動でした。アチャもサーチも発足時からのメンバーだったし
ごんちちも、ボランティアコーチとして参加。「サッカー」のある日は
家族総出でグラウンドに向かう、週末の一大イベントでもありました。
特にアチャは、ここでサッカーの楽しさに目覚め、家でもサッカー、
学校の休み時間もサッカー、クラブ活動もサッカー、と夢中になって
いきました。仲良くしているお友達も、ほとんどがサッカーがらみ。
決して上手なわけでも、動きがいいわけでもないけれど、ボールと
戯れることが大好き!という気持がひしひしと伝わってくる、いい
プレイを見せてくれるようになりました。
こうして考えると、いろいろな場所で成長させてもらっているんですね
子供たちって。つくづく、周囲の人や環境に感謝です。
いえ、子供だけではありません。わたし自身も、ボランティアのお世話係
をさせてもらって、それまで見えていなかったことが見えたり、知り合え
なかった人と仲良くなれたり、ぐーんと世界が広がりました。
今までの人生、サッカーとはまったく無縁でしたが、思い切って新しい
扉を開いてみて、ほんとによかったな、と思います。
2008年03月08日
海南料理
ごんちち・旧知のお友達
K家とのお別れ会です。
場所は海南料理の「大椰豊飯」。
正佳広場にある人気店です。
Kさんがコテージ風の個室を
予約してくれました(^^)
海南料理は、海産物や野菜類が多く使われ、薄味でヘルシー、
日本人の舌にもよく合う料理です。海南産文昌鶏の「白切鶏」や
広州ではなかなか見ない「四角豆」とタニシの炒めもの、紫芋を
ふかしただけのシンプルな一品、などなど、子供たちにも好評
でした。しかもここのお店、1時間ごとに店内が真っ暗になり、
雷が鳴り響き、スコールが降るという、趣向を凝らした演出が
あって、まるで熱帯雨林?の中の小屋でごはんを食べている気分。
楽しいんですよ♪
広州に住んでいる間に、海南島に2回、行きました。
一度は家族で、もう一度はお友達と母子で。ゆったりと時間が
流れる、素朴で美しい島です。またいつか、あの青い海を見に
小さな飛行機に乗って出かけてみたいなぁ・・・・・
最後の野球教室
今日が今年度最後の野球教室=我が家にとって広州で最後の野球、
ということになるわけで、1年生から4年間、通い続けたアチャと
一緒に参加してきました。
低学年の頃は、バットを振り、ボールを追う体力もないほど
小さくて弱々しかったアチャ。みんなのランニングについていくのも
大変なら、なかなか野球のルールが呑み込めず、ヒットを打っても
走る方向がわからず、大慌てでピッチャーに向かって全力疾走!!
なんてこともありましたっけ(笑)練習時には、毎回必ずごんちちか
わたしがグランドに一緒に入り、至近距離でキャッチボールの練習を
させたものでした。今ではもう、危なっかしさを感じることもなく、
みんなと一緒に声を出しながら、楽しくプレイしているアチャの姿に、
年月の流れを感じます。
なかなか運動の機会に恵まれない、広州の子供たちが少しでも体を
動かせるように、と、父兄のボランティアによって運営されている、
この野球教室。小さい子も、女の子も、誰でも気軽に参加でき、
みんなで野球を楽しむことができる、貴重な場でした。
4年間お世話になりました。
ということになるわけで、1年生から4年間、通い続けたアチャと
一緒に参加してきました。
低学年の頃は、バットを振り、ボールを追う体力もないほど
小さくて弱々しかったアチャ。みんなのランニングについていくのも
大変なら、なかなか野球のルールが呑み込めず、ヒットを打っても
走る方向がわからず、大慌てでピッチャーに向かって全力疾走!!
なんてこともありましたっけ(笑)練習時には、毎回必ずごんちちか
わたしがグランドに一緒に入り、至近距離でキャッチボールの練習を
させたものでした。今ではもう、危なっかしさを感じることもなく、
みんなと一緒に声を出しながら、楽しくプレイしているアチャの姿に、
年月の流れを感じます。
なかなか運動の機会に恵まれない、広州の子供たちが少しでも体を
動かせるように、と、父兄のボランティアによって運営されている、
この野球教室。小さい子も、女の子も、誰でも気軽に参加でき、
みんなで野球を楽しむことができる、貴重な場でした。
4年間お世話になりました。
2008年03月07日
お泊まり会
アチャの広州での思い出作り?のため、今週末も我が家でお泊まり会です。
集合した時から、子どもたちはハイテンションで、手がつけられない状態。
最低限、ごはんとお風呂の時間だけは死守し、あとはもうご自由にどうぞ(^^)
というスタンスで、ごんははは自室にこもっておりました。
・・・・・どこからともなく聞こえてくる、楽しそうな歌声。
ダンスィーズお得意の、下ネタ満載の替え歌です・・・・・(−−;
3人一緒に湯船につかり、大声を張り上げるから、さあ大変。
うちのマンションのお風呂、上下の階に物音が筒抜けなのよ〜。
よくまあここまで、くだらないことを思いつくものよ・・・と
感心するくらいの、駄ジャレとおやじギャグの連発に脱力しつつ、
この、替え歌にかける情熱っていうのも、それはそれでなかなか
特殊な才能?なのかも。と思ったり(笑)
「キミたち、学校でもそんな調子なの?」
「学校ではもっとすごいよ!!オレたちのギャグ、超受けてるし!!」
布団に入れば、これまた怪談で盛り上がり、サーチも含めた4人で
「キャ〜!!」「たーすーけーてー!!」「うふふ」「ギャハハ」
・・・素直に寝るわけがありません(^^;結局、夜中12時過ぎまで
漏れ聞こえてきた、楽しそうな話し声をBGMに、引越し作業に精を
出したごんははでした。賑やかで愉快な一夜でありました。
2008年03月06日
送別会、そして・・・
アチャの学年のお母さんたちの送別会がありました。
4年生62人中、実に15人がこの春、帰国や転校で学校を去ります。
わたしも送られる立場の1人のはずなのですが、今年はクラス役員を
お引き受けしているため、送別会の幹事は、年度最後の大きなお仕事。
また、帰国に対する気持ちがきちんと整理できていないのもあり、
みんなにお別れする、という実感もないまま、会場に向かいました。
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4年生62人中、実に15人がこの春、帰国や転校で学校を去ります。
わたしも送られる立場の1人のはずなのですが、今年はクラス役員を
お引き受けしているため、送別会の幹事は、年度最後の大きなお仕事。
また、帰国に対する気持ちがきちんと整理できていないのもあり、
みんなにお別れする、という実感もないまま、会場に向かいました。
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2008年03月05日
ちと低空飛行です
引越し用のダンボールが大量に我が家にやってきました。
午前中や夕方は、荷物の仕分け作業に忙しく動き回り、
お昼は、連日送別会や食事会と、出歩いている毎日です。
何だか、否応なしに時間だけがどんどん流れていく感じ。
実はまだ自分の中で、いろんなことが整理できていないのに
ゆっくりと考えをまとめる余裕がまったくないのです。
内部事情に関わることなので、詳しくは書けませんが
帰国を決めた当初と、今現在ではずいぶん事情が変わって
きてしまい、大きな戸惑いを感じています。
自分で決めたことだから、その決断に自信を持って前向きに
いきたいと思うのに、周囲の状況が変わってしまったことで、
結果「後ろ向き」な決断にしか思えないところが、ブルーに
なってる理由、かな。
「広州生活、頑張りました!」と充実感いっぱいに爽やかに
帰国していった先輩諸氏のようには、なれそうもないのが
辛いところです。
午前中や夕方は、荷物の仕分け作業に忙しく動き回り、
お昼は、連日送別会や食事会と、出歩いている毎日です。
何だか、否応なしに時間だけがどんどん流れていく感じ。
実はまだ自分の中で、いろんなことが整理できていないのに
ゆっくりと考えをまとめる余裕がまったくないのです。
内部事情に関わることなので、詳しくは書けませんが
帰国を決めた当初と、今現在ではずいぶん事情が変わって
きてしまい、大きな戸惑いを感じています。
自分で決めたことだから、その決断に自信を持って前向きに
いきたいと思うのに、周囲の状況が変わってしまったことで、
結果「後ろ向き」な決断にしか思えないところが、ブルーに
なってる理由、かな。
「広州生活、頑張りました!」と充実感いっぱいに爽やかに
帰国していった先輩諸氏のようには、なれそうもないのが
辛いところです。
2008年03月04日
トラバしていただきました
先日、両親のボランティアリタイアについて書いたところ、今まで接点の
なかった方からのブログアクセスもいただくようになり、つい先日には
父のお友達が日々を綴られているブログの中で、わたしの記事を紹介
してくださったようです。
「川越だより」
遠く離れて暮らしていても、温かくさりげなく見守ってくださる友人を
たくさん持つ両親。本当にありがたいことだと思います。
わたしは今、こんなふうに何十年経っても、お互いを思いやれるような
お付き合いの基礎を、自分の周囲にいる人たちと築けているのだろうか、
と、思わず自問しているところです。
なかった方からのブログアクセスもいただくようになり、つい先日には
父のお友達が日々を綴られているブログの中で、わたしの記事を紹介
してくださったようです。
「川越だより」
遠く離れて暮らしていても、温かくさりげなく見守ってくださる友人を
たくさん持つ両親。本当にありがたいことだと思います。
わたしは今、こんなふうに何十年経っても、お互いを思いやれるような
お付き合いの基礎を、自分の周囲にいる人たちと築けているのだろうか、
と、思わず自問しているところです。
2008年03月03日
ひな祭り
昨夜は、飲めないくせにビールをがぶ飲みし、何年ぶり!?というほどの
前後不覚に陥ったごんははです。子供たちに、引きずられるように家に
着いたのは覚えているけれど、帰りの記憶があやふや。。。。。
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