ちょっと待って、ラ・テ

オジサンのこころに響いた番組の、あの場面、あの言葉、あの人の表情。 毎日、放送される多くのラジオ、テレビ番組の中から、選りすぐって取りあげ、 聞いていない人、見ていない人が自分のなかで再生して、その番組の感動や楽しさを味わうことができる、そんなことの役にたてればと思います。 ついつい流される日々のなかで、ちょっと立ち止まって、日常を一歩離れて、考えてみるためのラジオ、テレビ。だから「ちょっと待って、ラ・テ」。

たった今、知ったのだが、今夜10時30分からNHKFMで「ラジオ歌舞伎 胸キュンナイト」が放送される。
これは、以前、歌舞伎俳優の中村壱太郎がパーソナリティをつとめていた、やはりNHKFMの番組「邦楽ジョッキー」で、壱太郎自身が企画し、台本を書き、音楽の選曲まで担当して制作した「歌舞伎予告編」を、あらためてラジオドラマ風にリメイクして何本か放送する、というものらしい。

出演は、中村壱太郎はもちろん、声優の古谷徹と三石琴乃という
実力派ふたり。このキャスティングに関係者の、この番組にかける期待と意欲が伝わってくる。
関係者の中には、そもそもの企画立案者である中村壱太郎も含まれる。
当ブログでは、昨年の4月25日に「『歌舞伎予告編』で披露した壱太郎の創造力」と題して、その短い「予告編」の面白さを紹介したが、残念ながら実際の音声を聞いてもらうことはできなかった。

その傑作ぞろいの作品を、まとめて、しかも人気、実力文句なしのベテラン声優の応援を得てラジオドラマとして聴けるというのだから、これは聞き逃せない。

「邦楽ジョッキー」のなかで壱太郎が言っていたが、この企画の発想は、
映画に予告編があるように、歌舞伎にも予告編があってもいいではないか、
というところから始まり、ラジオ番組で放送するのだから音だけで作る、
それはBGMや効果音まで凝って、ときにはクラシック音楽まで使い、
予告編のナレーターは、当然、壱太郎が担当、歌舞伎ファンにはよく知られた演目、「俊寛」「加々見山旧錦絵」「一本刀土俵入り」の予告編を、昨年の番組で放送した。

その日のゲストの市川染五郎が、心の底から感心したといった様子で、
「いやあ面白いですねぇ。ほんとにおかしい人です、あなたは」
「いやあ見たいねぇ、見たくなるねえ、この予告編を聴いていると」
「これ、なんか展開したいねぇ、展開できないかなあ」
「いやあアカデミー賞だね、これ。面白いねぇ、スゴイですねぇ」
と、1本聴くごとにもらした感想を並べてみても、
この「歌舞伎予告編」の面白さが伝わってくる。

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もううんざりなので、この話題は触れたくないのだが、「選挙で投票する」
ことについての責任ということを、腹におさめていられず、このブログに書いて、
少しの人でもいいから読んでもらうことで、自分が多少はスッキリするのではないかと
いう気持ちで、書く。

結論から言うと、「2014年の都知事選で、211万票を与えて、
舛添氏を当選させた有権者の責任は問われないのか」ということだ。
辞職に至る前の報道では、選挙で舛添氏を推薦した自民、公明(正確には、それぞれ
都連、都本部)の責任を問う声云々、ということが言われていた。
両党にすれば、舛添氏の政治哲学や地方自治についての考え方に賛同して推薦した
わけではないだろう。それは、当時の経緯を振り返ってみれば分かる。

猪瀬知事の辞職のあと、自民党は都知事選に向けて有力な候補者を選びあぐねていた。
(このあたりの事情は、当時の新聞やテレビニュースで報道されたことを
 私の記憶にもとづいて書いている。政界の裏事情に詳しい人間が、どこかの
 週刊誌で話したことを受け売りで書いているのではない)

そのとき、「舛添」という名前が、たしか自民党内部ではないところから出てきた。
そこで自民の中に、「舛添でいいのではないか」という反応が出た。
この時期の舛添氏が、そういう動きをどう思ったかは分からない。
彼は、その数年前に自民党を離党、除名処分を受けている。そういう自分に対し、
自民党が推薦、支持をしてくれるのか、最初はそう思っていたのではないかと
想像する。
事実、党内で公然と反対の声を上げる人たちがいた。

しかし、これも当時の、知事選が終わったあとの新聞記事で読んだ記憶があるが、
自民が独自に世論調査をした結果、「舛添なら勝てる」ということが見えた。
当然、自民は東京都連として推薦することを決め、党本部も、「勝ち馬に乗る」
ことになった。
党内にいるときに言いたいだけ言って、総選挙に負けて政権与党の立場から
落ちた途端、離党し、党として除名した人物を東京都の知事として推薦する、
この点ひとつとっても、前回の知事選に対し、あるいは都の行政というものに対し、
候補者の資質、人生観などは、自民党にとってはたいした問題ではなかったことが
わかろうというものだ。続きを読む

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世界女子カーリング選手権で見事、銀メダルを獲得した日本。そのチームのメンバーのひとり、吉田知那美選手の試合中の笑顔がとても印象的で、決勝戦でも、王者スイスを相手に接戦を展開しているというのに、いいプレイが出たあと思わずこぼれる笑顔は、彼女の根っからの明るさを象徴しているのだろうと思った。

だから、試合が終わってしばらくしてから、選手一人ひとりに対してのインタビューが始まったとき、彼女はその笑顔で、銀メダルという、日本のカーリング史上初めての快挙の喜びを言ってくれるだろうと思った。

ところが、4番目に画面にあらわれた彼女は、予想とはまったく違った。
試合終了直後は、スイスにもう一歩のところまでいきながら惜敗した悔しさで、
チーム全員がはばかることなく泣いていたが、このときは、その感情も
おさまっていていい時間だったから、彼女の前に出た、本橋麻里、
吉田夕梨花、鈴木夕湖の三人は、目に涙のあとを残しながらも、
微笑みが浮かぶこともあるといった様子でインタビューに答えていた。

そのあとに吉田知那美が画面のフレームの中に出てくるとき、
先ほどの試合中に見せた、あの笑顔で、金メダルは逃したけれど、
精一杯やったから満足です、そんな気持ちを顔に出して登場するものと
勝手に想像していたら、実際の彼女は、目にはまだ、今にもこぼれそうな涙が残り、
笑顔どころか、真剣な面持ちであらわれたのだ。

これには少々驚いた。
大げさに言うと、不意をつかれた、といった感じに近いものがあった。
しかし、もっと驚いたのは、アナウンサーの質問に答える彼女の、その言葉だった。

以下、文字おこしで再現してみる。

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「週刊文春爆弾」は、芸能界、政界、プロ野球界と広い分野で炸裂し、その威力の
すごさは、これまで週刊誌によって暴かれた数々のスキャンダルとは
比べものにならない破壊力を見せている。

その週刊文春の標的になったのが、ショーンK氏。
学歴、経歴を詐称していたことを文春がスクープして、本人も認め、
すべてのラジオ、テレビ番組の出演を取りやめ、4月スタートの予定だった、
フジテレビの「ユアタイム ~あなたの時間~」の司会も辞退、ということになった。

「報道ステーション」のコメンテーターも週刊文春発売の日、
16日の夜の放送に出演せず、古舘氏から、今後の出演取りやめが発表されたらしい。
私は、ショーンK氏の番組はJ-WAVEしか知らず、いつだったか、
たまたま報道ステーションを見たら、ショーン氏が出ていたので、
あれ、いよいよテレビに出てきたんだ、と思ったのだが、
そのときのショーン氏の印象は、ラジオとは少し違っていた。

何か、かしこまっているというイメージがあり、そのときの話題がそうだったからか、
表情も暗く、深刻な話ぶりで、あとで思ったのは、雰囲気が姜尚中氏に似ている、
ということだった

J-WAVEでのショーン氏は、長いこと「MAKE IT 21」という番組のナビゲーターを
つとめてきた。この番組は15年以上つづいているが、時間は多少変わろうと、
土曜の夜であることはずっと変わらず、スポンサーが替わることはあっても、
ナビゲーターは常にショーン氏だった。

土曜の夜のラジオといえば、「MAKE IT 21」。
そこでのショーンKは、くったくのない明るいキャラクターで、チラッと見ただけだが、
テレビの真剣な表情とは違った、ベンチャー企業の若いトップがゲストのときなど、
そのビジネスの成功を心から願っているということが伝わってくる、誠実な応対で、
ユーモアも交え、いつ聞いてもイヤミのない、あきることのないトークを展開していた。

あす19日、土曜日の番組は、すでに休止が発表されているが、J-WAVEは番組の
ホームページで、当日の代替番組の冒頭で、「MAKE IT 21」について説明すると言っている。
どのような説明になるか待つしかないが、そのホームページのコメント欄には
番組ファンからの声が多数寄せられている。

以下、いくつか紹介する。
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けさ、3月12日の東京新聞の最終面に、仙台市在住の作家、伊集院静氏が
「忘れてはならない日々」という文章を寄稿している。
それが、あまりにも素晴らしいので、全文を転載させていただく。

ひとりでも多くの人に読んでもらいたいから。


忘れてはならない日々

今でも、時折、思い出す光景がある。あの日、3月11日の夜、私たち家族は
夕暮れから夜にかけて続いた大きな余震に、このままでは家が崩壊すると、
何度も皆が庭に出た。激しい揺れと、不気味な地鳴りに似た音を聞きながら、
余震が去るのを待った。やがて余震がおさまった。奇妙な音に空を見上げた。
満天の星の中をいくつもの流星が横切った。落ちるように見えるものもあれば、
上昇するように見える星もあった。
―天に行くのか…。
 思わずそう感じたのは、手動式のラジオで我が家から、それほど遠くないところの
海岸におそるべき数の人影が横たわっていると聞いて驚愕していたからである。
「こんなに美しい夜空なのに、どうして?」
家人の声に、私は怒りがこみあげてきた。
―私たちが何をしたというのだ。この大地は誰のものなのか。


 先月、被災地を家族と見て回った。
 震災直後は、船が、家屋が、こんな奥までと驚いた。3年前は、瓦礫が、泥土が、
見上げる塔のようにあった。
 今は宮城県南三陸町では、いくつもの台形の土地の中に、最期まで避難放送を
していた若い娘さんがいた防災対策庁舎の鉄の骨組みだけが残り、
その隙間から早春の青空が見えた。その青色は美しく澄んだ春の色だった。続きを読む

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