ちょっと待って、ラ・テ

オジサンのこころに響いた番組の、あの場面、あの言葉、あの人の表情。 毎日、放送される多くのラジオ、テレビ番組の中から、選りすぐって取りあげ、 聞いていない人、見ていない人が自分のなかで再生して、その番組の感動や楽しさを味わうことができる、そんなことの役にたてればと思います。 ついつい流される日々のなかで、ちょっと立ち止まって、日常を一歩離れて、考えてみるためのラジオ、テレビ。だから「ちょっと待って、ラ・テ」。

「スカパー!」に「歌謡ポップスチャンネル」というチャンネルがあり、
演歌、歌謡曲のいろいろな番組が見られる。
その中に「USEN演歌ランキング トップ20」という、有線放送のリクエスト曲の
中から演歌だけをピックアップして、そのベスト20曲をカウントダウンで紹介する
番組があり、そのランキングは、CD売り上げなどとは違う、なるほど、
今、世間ではこういう曲がリクエストされているのか、ということがわかる、
しかもそれによって、ヒットの前触れも感じさせる、「有線ここにあり」という
思いがするものだ。

先週放送されたランキングでは、7位に川崎麻世の「無条件」という曲が入っている。
これは川崎麻世の、なんと32年ぶりの新曲だということだが、みんなで手拍子しながら
宴会やカラオケボックスで歌うにはもってこいの歌だ。年末にかけてチャートが
上がってくるかもしれない。

また、17位の「母きずな」という曲は、歌っているのがエドアルドという名の外国人。
番組で、この曲を聞いたとき、うまく言えないが、聞く者の心にスッと入ってくる、
「うーん、演歌だ」と唸らせるものを感じた。
もちろん、日本語で歌っている。

すぐネットでプロフィールを調べてみると、テイチクレコードから10月21日に、
この曲でデビューしたばかりの新人で、ブラジル生まれの31才、
生後2日目で日系2世の女性にあずけられ、その育ての母の母親、
つまり、おばあちゃんから日本語と日本の演歌を教えられたらしい。

13才のときからサンパウロで、日本人の先生に日本の歌を学び、
2001年、日本のアマチュア歌謡祭に、ブラジル代表として出場、
見事グランプリを獲得。
26才のときに、ブラジルを離れ、ひとり日本にやってくる。
当然、歌手を志していたのだろう。 育ての母も、そのあと日本に来る。
母はパン工場で働き、彼は一日10時間のアルバイトで生計を立てる日々が続き、
そのころのことか、あるいはブラジル時代のことか、
デビュー曲「母きずな」の歌詞は、自らの暮らしを歌ったものではないかと
想像できる。
続きを読む

おとといの日曜日の夜9時、FM NACK5「松山千春 ON THE RADIO」は、
函館からの生放送。当日は天皇賞があり、このあいだの菊花賞では
北島三郎が馬主の馬が一着になったという話、
そして、「あのこぶしの返し方は北島さんにしかできない。
おれたちがどれだけ頑張っても、あの返し方はできない」という、
最近の言い方でいうと「リスペクト」の言葉があって、1曲目、
「函館の女」がかかった。

FMで演歌が聞けることはあまりないと思うが、松山千春の曲紹介、
そしてあのよく知られたイントロ、まったく違和感なく聞けた。
私が演歌好きだからということも多少はあるかもしれないが、松山千春は、
「どうだ、演歌かけちゃうぞ」というような奇をてらう言い方でもなく、
ごく普通に曲紹介をした。
そのあとは、白鵬の最多優勝回数記録達成を祝う会を、
昨年の九州場所のときに博多でした、という話があり、続いての曲が、
「博多の女」。

実に自然に曲紹介があり、北島三郎の名曲、あらためて名曲だと思ったが、
それが流れる。松山千春の番組で、なぜ北島三郎の曲が2曲もかかるのか、
ピンとこない方もいるかもしれないが、番組を聞くと、おそらくそれほど違和感を
感じないのではないかと思う。
ほんとに不思議といえば不思議、しかし、番組のファンにとっては、
ごくあたりまえの、よくあることでしかないのかもしれないが。

話題は、日本シリーズの結果についての話から、クライマックスシリーズは、
やはりいらないのではないかというような持論などのあと、CM明けで、
最近も大きなニュースとして取り上げられた「冤罪」について話し始めた。

テレビを見ていたら、そこで「目的のためなら、どんな手段を使っても構わない、
そういう体質が検察、警察にあるのではないか」ということを言っていたが、
と松山千春は言い、続けて、このように言った。
「確かに、目的のためにはどんな手段を使っても構わない、という風潮、
けどな、その風潮をいちばん最初に植えつけたのはテレビ媒体ですよ。
視聴率をとるためなら、どんなことをやっても、どんな番組を作ろうが、
視聴率のためなら・・・、あなたがたがそれをやり始めたんですよ」

続きを読む

P1010896NHKテレビ「プロフェッショナル~仕事の流儀」が放送10周年記念スペシャルとして、26日に放送した「岡村隆史×プロフェッショナル」は、制作スタッフの狙いが当りも当たったりという点で、「お見事」という言葉がピッタリの番組だった。

もともと、この番組のファンだったということだが、その岡村隆史を、10周年記念番組の、いわば案内人に起用し、これまでの291人のプロフェッショナルの中から何人かを選んで、会いにゆく、という企画をたてたとき、制作側に期待とともに、不安がなかったということはあり得ないだろう。

ただ、もしかしたら、期待以上の結果を生むかもしれないという思いもあっただろうということも想像できる。
そして、結果はその「期待以上」のものだった。
番組を見ながら、制作陣の満足そうな表情が思い浮かんだ。

1時間10分あまりの番組は、3人のプロフェッショナルを岡村が訪ねて、話をきくというなかに、今は訪ねることができない人物として、かつて、その放送に岡村自身もその人の主演映画に出演する場面で出ていた高倉健の回の、そのふたりが並んで歩きながら、健さんが「絶対辞めてはいけない。続けることが大事なんだ」と岡村に言うシーンが使われていた。

その70分間のすべてが素晴らしかったから、ここでひとつひとつ、その素晴らしさを書きしるしてもいいのだが、たぶんそれは相当長いものになることが想像できる。
それは、書く方もそれなりのエネルギーを必要とするが、読む立場からしても、あまりに長いものは勘弁よ、というところだろうと思うので、ここでは、3人のうちのひとり、左官職人の挟土(はさど)秀平氏の部分に限定して、紹介しようと思う。

ちなみに、あとふたりは世界で初めて無農薬のリンゴの栽培に成功した木村秋則さんと歌舞伎俳優の坂東玉三郎で、おふたりの話も実に含蓄のある素晴しいものであったことは言うまでもない。

さて、岐阜県飛騨高山の挟土氏のところに向かう車中、岡村が話している。
「もともと明るい人間でないので、陰と陽でいうと陰なんですね、完全に」
自分のことを言っているのだ。
「そんで、なんとなくなんですけど、挟土さんも陰と陽でいうと、陰のような気が
するんですよ。
でも挟土さんのすごいとこって、自分の気持ちであったりとか感情とか、
ネガティブなこととかも全部自分でコントロールできはるんですよ。
だから、そういうのもちょっと聞いてみたいなと思って」
続きを読む

TBSテレビ「日曜劇場」の新ドラマ「下町ロケット」を見た。
先日、再放送が終了した「あまちゃん」は別として、
久しぶりに見た連続ドラマだったが、2時間のうち、後半は、「ながら視聴」にした。
集中して見ることもない、何かしながら見てもストーリーが分からなくなる
ということもないし、もともとそういう前提、視聴者が分かりにくいような
ストーリー展開は避ける、という作りになっているのかなという気もした。

なぜ、こんなに単純化するのだろう、
というのが、最初の感想だ。
「大企業と銀行は悪」「町工場の人は、みんないい人」
悪の大企業が、あの手この手を使って、小さな工場をつぶしにかかる。
耐えに耐えて、大企業に対し逆襲に出る。
これは「忠臣蔵」ではないか!
もしくは東映任侠映画の世界。

阿部寛演じる町工場の社長が、全社員を集めて、大企業を相手に
逆訴訟を起こすことを明らかにした際の長演説は、赤穂四十七士を前に
今まで決して口にしなかった「吉良邸討ち入り」を表明する大石内蔵助の
ようだった。

登場人物は、みな単純なキャラクター設定になっている。
人間て、もっと複雑な思考回路を持ち、ときには理屈では説明できない行動を
とったり、いい人の部分もあれば、ダメダメの部分もある、という
ひとことでは表現できない生きもの、そういうものではないかと思うが、
このドラマに出てくる人たちは、ほとんどが「ひとこと」で言える人物像だ。

阿藤快演じる弁護士は、昔ながらのやり方しかできない弁護士、
土屋太鳳演じる主人公の娘は、父親大嫌いの不満たらたら高校生、
吉川晃司の財前部長は、世の中、大企業のためにあると考える企業戦士、
といった具合に言いきれる。続きを読む

10月8日木曜日の午前4時過ぎ、NHK「ラジオ深夜便」は、
「明日へのことば」コーナーで、「あなたはあなたのままでいい」と題し、
発達障害のピアニスト、野田あすかさんのインタビューを放送した。

あすかさんは34才ということだが、声を聞いた感じは、
高校生と思ってもおかしくない、若々しい声で、
これは病気によるものと思われるが、やや、幼い感じの、
言いかえれば、子どもっぽい話し方だった。

インタビュアーは「ラジオ深夜便」のディレクター。
やさしそうな中年男性だったが、
その、「小さいとき、困ったなとかつらかったなあと思ったこと
何か思い出しますか」という質問に、野田あすかさんは、
「学校のチャイムが、始まりと終わりが一緒だったので、
今から授業か休み時間かわかりませんでした」と答えた。

小さい頃からのあこがれだった、宮崎大学へ進学し、音楽の勉強に
励もうとしたが、ストレスから過呼吸を繰り返し、パニックに襲われて
階段から飛び降りることもあった。

20才のとき、地元の私立短期大学に、音楽を勉強する長期履修生として入学する。
そこで、田中幸子先生と出会う。
その田中先生について、あすかさんは言う。
「私のいろんな障害を聞いて、みんなはどうしようと思っているときに、
 田中先生は、病気じゃなくて、私のピアノだけを見てくれてると思ったときに
 だーい好きって思いました」 
「先生はどういう言葉をかけてくれたの」
「あなたはいろいろあるかもしれんけど、あなたのピアノが
 私は大好きだから、あなたはあなたのままでいいんだよって
 言ってくれました」

ウィーンに短期留学をしているとき倒れ、ウィーン国立病院で、
発達障害と診断される。22才ののときだった。
「発達障害」と診断されたとき、どう思ったか、と言う質問には、
「よかったあって思った」
「どうして、よかったって思ったの」
「今まで、いろんなことをみんなと同じようにできるように努力してきたけれど、
 同じようにできなくて、私はみんなより頑張ってないんだって思って、
 もっともっと頑張って、それでもできないことがあったから、
 できないことがある障害だって言われたときに、
 私の努力不足じゃなくてよかったって思った」
続きを読む

このページのトップヘ