ちょっと待って、ラ・テ

オジサンのこころに響いた番組の、あの場面、あの言葉、あの人の表情。 毎日、放送される多くのラジオ、テレビ番組の中から、選りすぐって取りあげ、 聞いていない人、見ていない人が自分のなかで再生して、その番組の感動や楽しさを味わうことができる、そんなことの役にたてればと思います。 ついつい流される日々のなかで、ちょっと立ち止まって、日常を一歩離れて、考えてみるためのラジオ、テレビ。だから「ちょっと待って、ラ・テ」。

2015年07月

ここのところ、スポーツ紙の一面は、「早実・清宮」の大見出しで
飾られていることが多い。
全国高等学校野球選手権大会の地区大会が佳境を迎え、
ぼちぼち、甲子園出場校が決まり始めている。
早実は西東京大会で、きのう日大三高を破り、あすの決勝で勝てば、
100周年の記念の大会に、大先輩、王貞治氏が始球式をつとめる
その大会に出場が決まる。

NHK「ラジオ深夜便」おととい23日の深夜1時台は、
「スポーツ名場面の裏側で」のコーナーが、「高校野球100年を語る①」として、
元朝日新聞運動部記者、井上明氏と朝日新聞編集委員、安藤嘉浩氏のふたりを
ゲストに迎え、思い出の試合について話した。

井上明氏は、あの、高校野球史に残る、「三沢対松山商業」決勝引き分け再試合で勝ち、優勝した松山商業のピッチャーである。
もうひとりの、安藤氏も元高校球児で、岐阜県大会の決勝で敗れ、甲子園出場の夢は
叶わなかったが、記者になって、高校野球の取材を続けること20年、
アンカーの松本一路アナウンサーの言葉を借りれば、
「今、日本で高校野球に最もくわしい方のひとり」だそうである。

そのふたりに、これまでの甲子園の試合のなかから、、ベストゲームと思う試合を
3つずつあげてもらい、三人でいろいろ高校野球談議が展開された。

その中から、ふたつほど、ここで紹介、再現しようと思う。
まず、1996年、夏の大会の決勝、熊本工業対松山商業。
3対3で延長に入った10回のウラ、熊本工業は1死満塁でサヨナラのチャンス。
外野フライでもよし、という場面。 追い詰められた松山商業の澤田監督は、
ライトの選手を替える。
そして、ピッチャーが投げた初球、左打者が打ち返したボールは高々とライトへ。
ライトが捕球、と同時に三塁ランナーがタッチアップ
誰もが熊本工業のサヨナラ勝ち、そして優勝、と思った。

たった今、守備についたばかりの矢野選手は、
キャッチボールで肩ならしをする時間もなかったわけだが、
アウトをとらなければ負け、それは勘弁よとばかりに、
思いきってホームのキャッチャーに向かって投げた。

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科学電話相談いよいよ、今年も明日から始まる、毎年恒例の「NHK 夏休み子ども科学電話相談」。ラジオ第1で月曜から金曜の朝、8時5分から午前中の時間帯、基本的には夏休み期間中、ずっと放送する。

ただし、夏の甲子園、高校野球の全国大会期間中は、番組はお休み。これが私は不満で、たとえば、甲子園の中継はFMのほうで放送すれば、全国の「子ども科学電話相談」ファンが、さびしい思いをしなくてすむのに、と思ったりする。
NHKには、そういう要望が少なからず届いていると思うが、この「甲子園」はアンタッチャブルゾーンなのか、いやいやそんなことはないでしょ。

相撲があるときは、テレビはEテレで放送するが、ラジオは
どうだったかなあ。ラジオ第1は相撲のはずだから、甲子園はFMかな、やっぱり。
では、「子ども科学電話相談」も、お休みしないで、甲子園をFMで放送してもらおう。

とにかく、面白い。理屈抜き、ということはこういうことだろうと思うほど、
小学生や中学生、中学ともなるとビックリするような質問は、ほとんどないが、
小学生、とりわけ低学年の子どもたちの、そう、「意表をつく」質問、
メモにとっていないので、詳細をここに紹介できないことが、われながら歯痒いが、
ヘタなラジオ番組より余程、面白い。続きを読む

TOKYO FM、日曜午後4時は、「福山雅治のSUZUKIトーキングF.M.」。
JFN系37局同時間ネットなので、全国の福山ファンはもちろん、この番組の
ファンにも「日曜午後4時は福山のラジオ」ということが定着していると思う。

その「トーキングF.M.」が、きょうの放送で1,000回を迎えた。
放送開始が1996年4月。今、20年目に入っているということになる。
もうひとつのラジオ番組、ニッポン放送の「魂のラジオ」は、
私の住む埼玉県は電波がクリアに入らなかったこともあり、聞いていなかったが、
この番組は、だいぶ前からよく聞いている。

会社員時代は、日曜日の夕方のこの時間が、まもなく、つかの間の週末が終わる、
それを知らせるチャイムが鳴る、そんな時間で、
ラジオから流れてくる福山雅治の、屈託のない、下ネタまじりのおしゃべりが
あしたから始まる1週間の少しの憂鬱さを忘れさせてくれていたのかもしれない。

イイ歳をして、と自分で言うこともないが、声を出して笑うこともしばしばだった。
きょうの放送でも、番組開始そうそう、46才の主婦からの、
「主婦ラップ」のコーナーに電話出演して、自分の作った歌を歌ったとき、
あがってしまい、マシャに助けてもらったことは忘れられない大切な想い出で、
録音した音源は宝物です、という「ふつおた」を紹介したあと、
「ズバリ言ってもいい?」のいつものひとことに続けて、
「おれスゲエ忘れてるゥ。おれ全然覚えてねえよォ」と情けなさそうに言う、
そんな福山に笑わせてもらった。

正直言って、福山の歌は、私は好みではないし、俳優としても、
湯川博士のシリーズなども見ているが、そんなにうまい役者だとは思わない。
しかし、ラジオパーソナリティとしては、抜群のセンスと能力を持っていると思う。続きを読む

きょう7月17日は故石原裕次郎氏の命日だ。

亡くなったのは、28年前の1987年、というより「昭和を代表するスター」のひとり、
石原裕次郎のことを書くなら、昭和62年と書くべきか。
(ここでは便宜上、西暦を使います)
52年の短い生涯だった。

その6年前、1981年6月、28才の私は、テレビに映る、
入院中の東京、信濃町の慶応病院の屋上に、
夫人と渡哲也に体を支えられてあらわれた裕次郎を見ていた。
外で待つファン、テレビの向こうにいる全国の人たちに向けて、
「元気だよ」という意味をこめたのか、裕次郎は手を上げて、振った。
成功率が極めて低い、大動脈瘤癌の大手術を受けたあとのことだ。

その数年前の舌癌の手術が始まりで、亡くなるまでは病いとの闘いだった。
その闘いの記録は、石原プロモーションの公式ホームページのなかの、
裕次郎の年譜に詳しく書かれている。
亡くなる数か月前にハワイで、「わが人生に悔いなし」と「北の旅人」を
レコーディングしたことも。
「北の旅人」は今でもカラオケで歌われることの多いヒット曲だが、
発売された当時、聞いたその声は、ややかすれ気味で、最後の情熱を振り絞って
レコーディングしたものだということが分かるものだった。

私にとっては、石原裕次郎は映画俳優というよりは歌手、である。
裕次郎の歌との出会いは小学校5年生のとき、担任の手塚先生が、よく歌っていた
「赤いハンカチ」だ。 
と言っても、先生が教室で歌っていたわけではない。おそらく、遠足のバスの中とか、
そういう場所だったと思うが、その哀愁をおびたメロディが子どもごころにも
何かを感じさせたのだろう。今でも好きな歌のひとつである。

手塚先生というと、「きみは話すのはうまいけれど、作文はあまりうまくないな」と
言われたことをいつも思い出す。
実際、夏休みの宿題の読書感想文など、大嫌いだった。
ところが、いつの頃からか、文章を書くことが好きになり、
高校生のときには、新聞記者を志した。
大学の入学試験も、小論文の出来で合格したのではないかと思ったぐらいだ。
そのときのテーマも覚えている。
「日本人 その長所と短所」というものだった。

今、手塚先生がお元気なら、このブログを読んでいただいて、
私もなんとか、そこそこの文章が書けるようになりましたと報告したい、
そんなことも思ってしまった。
話が横道にそれてしまった。 もとに戻そう。

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7月16日は、まったく畑の違うふたりの新image人に注目が集まる日だ。
ひとりは、早稲田実業野球部の1年生、清宮幸太郎君。
ことしの春に高校生になったばかりの16才。
もうひとりは、この日の夜、選考会と授賞者の発表がある芥川賞の候補にノミネートされている「火花」の作家、ピース又吉。

清宮君は、リトルリーグのころから、アマチュア野球ファンの間では、よく知られた逸材で、リトル時代に打った本塁打は132本、ただしこれは、外野席に飛び込んだ数で、そこをこえて場外に飛んでいったボールの数は含んでいないというから、実際の本塁打数は、200本以上ではないかという声もある。

日ハムの大谷に負けない「二刀流」だったこともある。
2012年のリトルリーグワールドシリーズ(世界選手権)では、5試合で打率6割6分7厘、
3本塁打、6打点、投手としては2戦投げて2勝、という活躍ぶりで
「世界一」の牽引車になった。

16日は夏の甲子園の西東京大会の3回戦、早実の初戦の日だ。
空模様が気なるが、組み合わせ抽選が行われたころから、東京都高野連は、
「特別な対応」をとることを明言していて、会場も国体に使用されたこともこともある、八王子市民球場をあてた。
12,000人収容のスタンドがどれだけ観客で埋まるかはわからないが、
報道陣の多さは、おそらくそれ自体がニュースになるぐらいの
カメラ、記者の数ではないだろうか。

ここまで書いてから言うのもなんだが、私は高校野球にあまり興味がない。
というより、あまり好きではない。
春夏の甲子園大会をNHKが一日中中継しているのも、みんな慣れてしまっているから、
何も感じないのだと思うが、考えてみれば、ちょっと異様なことではないか、
という見方があってもおかしくはない。

ではなぜ、清宮幸太郎について、これで2度目のブログを書くのか。続きを読む

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