YouTubeに自分で録画したテレビ番組をアップロードすることは違法であることは、
十分承知している。
しかし、今、世の中にどれだけ「YouTube」が浸透しているか、
パソコンを使っている人なら、よくわかるだろう。 
先日も、あるロックミュージシャンが、小学生の娘がヒマがあれ
YouTubeで自分の好きな音楽を探している、テレビを見るよりそっちのほうが、
よほど楽しいらしい、とラジオで言っていた。

実際、音楽という分野に限っても、無数の映像があるわけで、
おととしだかその前の年だったか、
美輪明宏さんが「紅白」で歌って、大きな反響を呼んだ「ヨイトマケの唄」を、
Charのギター伴奏で泉谷しげるが歌う映像など、今、テレビの歌番組で
見ることはないと思うが、その歌は、美輪さんの「ヨイトマケの唄」とはまた違った、
泉谷の本領発揮、と言っていいものだが、そういう素材がYouTubeでは見られるのだ。

著作権というものを尊重しなければならないことを理解はしているが、
数年前の番組を見て、ついその面白さに引き込まれてしまうということがある。

余談になってしまうが、今年の3月末にテレビ朝日の「報道ステーション」で、
古賀茂明氏が、「政府の圧力によって自分は番組を降板させられる」と
生放送中に発言し、話題になったとき、それは3月27日の金曜日の夜の
番組中でのことだったが、
週明け30日月曜日の菅官房長官の会見で、そのことについて記者から質問があり、
官房長官は、「番組は見ていないが、あとでYouTube等で確認したが、
まったく事実ではない」という趣旨のことを答えた。

首相官邸のホームページで見られる映像で確認したから間違いない。
確かに「YouTube」と言っている。
官房長官も見ているんだから大目に見てもいいのでは、
ということを言いたいのではない。 何だか話が妙な方向にいき始めた。
本題に入ろう。

2008年12月にNHKBSで放送された「私のうたの道~石川さゆり~」という番組を
YouTubeで見た。
華々しくデビューしたものの、なかなかヒット曲が出ず、
「津軽海峡冬景色」は、15枚目のシングルレコードで、そこまで4年という
時間がかかった、という話のあと、そこからは次々とヒットを飛ばし、
人気歌手の仲間入り、結婚もし、子どもも生まれ、幸せな日々を送っていた。

そんな、歌手石川さゆりの姿を見て、「演歌を歌う歌手に、こんなに幸せな
イメージが定着してしまっていいのだろうか」と考える人がいた。
「津軽海峡冬景色」のヒットから10年が経っていた。
imageその人とは、作詞家、吉岡治である。
吉岡治氏の話
  「良妻賢母というか、
   奥さんをちゃんとやってて、
   子どもも育てて、
         歌手もやってる。
    全体にバランスがとれてる、
   それを壊そうと思った。
   "越える"というのは、この曲のモチーフのひとつだったん  
    ですよ。
   それに石川さゆりに紅白でトリをとらせたかった」

吉岡氏たち制作スタッフは、作曲家の弦哲也氏を誘い、伊豆に出かける。
天城隧道を実際に歩き、イメージを膨らませていった。

弦哲也氏の話
  「ふつう、演歌の詞は4,5行なんですけど、吉岡さんが散歩に出て帰ってくると、
   寒天橋というのがあったよとか、天城隧道で風が群れているんだよとか言って、
   その場で歌詞を書き加えるんですよ。
   それで、どんどん詞が長くなり、それまで自分が考えていた起承転結を捨てて、
   最初からやり直す、という、いままでしたことがない経験でしたね」

その歌詞にある、
「誰かに盗られるくらいなら あなたを殺していいですか」という
フレーズに象徴される
それまでの歌謡曲、演歌にはなかった過激な女を歌うことを、
石川さゆりは、最初に話がきたときに拒否した、という。

本人の話
  「断りました。 無理です、これ私の歌じゃないですって。
   そのときの私の生活とは違うし、私には無理なんじゃないかなあって
   思ったんですけども、私じゃない、自分の生活にはないとしたら、
   思いきり演じてみようっていう気持ちがムクムクと湧いてきて、
   そうか、自分の何かを引っ張り出して、引き出しをあけようとするから
   無理なんだ。 思い切り体当たりで演じてみようと思ったのが、
   『天城越え』でした」

そうして生まれた「天城越え」は大ヒット。
その年の「紅白」で、石川さゆりは念願のトリをとる。
そして、話はこれで終わらない。

メジャーリーガー、イチローの登場である。
イチローが、グランドでの練習の合間をぬって、インタビューに応じた
というのではなく、スタジオで収録したものだ。
天下のイチローが、シーズンオフで帰国している時期とはいえ、、
わざわざスタジオに来て、語った、その話。

  「まず、石川さんに興味を持ったのが、2007年の紅白ですね。
  (画面は『津軽海峡冬景色』を歌う石川さゆり)
  ン!って思って。 この力の抜け方と入れ方は何なんだ、と思ったんですよ。
  こりゃすごいぞと」
年が明けてすぐ、イチローは石川さゆりのコンサートを見に行った。
そこで聞いた「天城越え」に感動する。
"くらくら燃える火をくぐり"のところで手を揺らす振りについて、
自分も手を揺らしながら「これ、たまんないですよ」とまで言う。

  「で、2008年のぼくのシーズンは、いろんなものを越えていかなくては
  ならない。 で、これは『天城越え』だと。で、石川さんにお願いします」

自分がバッターボックスに入るときの「登場曲」として、
「天城越え」を使わせてほしいというお願いである。
初対面であったが、イチローは、それを彼女に話し、石川さゆりは快諾する。
しかも自分でアレンジして、後日、イチローに渡されたという。

幸せな生活のなかで安定している歌手、石川さゆりに、
何かを越えてゆくというモチーフで、、
おそらく悲劇的結末になるだろう破滅的な恋、過激な女を
歌わせようとした吉岡治氏の想いから生まれた曲。
それを、自分には歌えないと、最初は断った歌い手。

その歌は、芸能生活40年を越える歌手、石川さゆりを
代表する曲になった。
人と人との出会いに、不思議な縁があるのではと思うときがあるように、
歌手と歌との出会いにも運命的なものが存在するのかもしれない。
   

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