TBSテレビ「日曜劇場」の新ドラマ「下町ロケット」を見た。
先日、再放送が終了した「あまちゃん」は別として、
久しぶりに見た連続ドラマだったが、2時間のうち、後半は、「ながら視聴」にした。
集中して見ることもない、何かしながら見てもストーリーが分からなくなる
ということもないし、もともとそういう前提、視聴者が分かりにくいような
ストーリー展開は避ける、という作りになっているのかなという気もした。

なぜ、こんなに単純化するのだろう、
というのが、最初の感想だ。
「大企業と銀行は悪」「町工場の人は、みんないい人」
悪の大企業が、あの手この手を使って、小さな工場をつぶしにかかる。
耐えに耐えて、大企業に対し逆襲に出る。
これは「忠臣蔵」ではないか!
もしくは東映任侠映画の世界。

阿部寛演じる町工場の社長が、全社員を集めて、大企業を相手に
逆訴訟を起こすことを明らかにした際の長演説は、赤穂四十七士を前に
今まで決して口にしなかった「吉良邸討ち入り」を表明する大石内蔵助の
ようだった。

登場人物は、みな単純なキャラクター設定になっている。
人間て、もっと複雑な思考回路を持ち、ときには理屈では説明できない行動を
とったり、いい人の部分もあれば、ダメダメの部分もある、という
ひとことでは表現できない生きもの、そういうものではないかと思うが、
このドラマに出てくる人たちは、ほとんどが「ひとこと」で言える人物像だ。

阿藤快演じる弁護士は、昔ながらのやり方しかできない弁護士、
土屋太鳳演じる主人公の娘は、父親大嫌いの不満たらたら高校生、
吉川晃司の財前部長は、世の中、大企業のためにあると考える企業戦士、
といった具合に言いきれる。
同じ作家の原作で、社会的評判を呼んだ「半沢直樹」は見たことがないし、
この「下町ロケット」の原作の小説も読んでいないが、
「半沢直樹」も、このような類型的な人物ばかりが出ていたのだろうか。
小説「下町ロケット」は、こんな単純な勧善懲悪ストーリーなのだろうか。

勧善懲悪といっても、その「悪」は、時代劇に出てくる悪代官のような、
誰もが「許せない!」と言いたくなる人物ではなく、
ご当人は、会社のためによかれという気持ちだから、
100%否定できないところもあるとは思うが、
テレビのあっち側とこっち側、両方にとって、そういう大ワクの設定が
都合がいいのだろう。

第1話の演出は、「半沢直樹」も手掛けた福澤克雄氏だったが、
こういうドラマを作って、16%の視聴率をとって、よしとしているのだろうか。

人物の陰影を描く、ということなど今のテレビドラマには求められない、
だからそういうふうに作らない、ということか。
漫画チックに、家で夕食の食器を洗いながら、お母さんがチラチラ見ても
分かる話を展開するのが優先される。
じっくり大人が正面から向き合うドラマは、ほかで探してくれということなのか。

なんだか寂しい気分になる。
視聴率低迷に苦しむTBSにとって、起死回生を狙う新ドラマ、というような記事も
見たが、それだけに安全路線をとらざるを得ないとしたら、
起死回生ってなんだ?という疑問もわいてくる。


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